第9章:未来の希望《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
「……雨、やまないなぁ」
窓の外を打ちつける雨を千津は眺め続けている。
俺はその横でベッドメイキングの最中だ。
神奈が入浴中なので、俺が代わりに準備している。
空いている部屋に神奈と千津が寝る事になり、予備の布団も使ってしまうので、必然的にソファーで寝るのは決定となった。
学生時代はテレビ見ながらソファーで寝るってのはよくあったので、不快感はない。
「千津、いつのまにパジャマに着替えた?」
「さっき。何、先生って私の裸に興味が……?」
「それはない。お子様の身体に興味はない」
「……つまんない」
逆に言うと生徒にいちいち反応してたら、教師なんてやってられない。
千津も言うほどお子様体型ではなく、年齢的に見ればよく発育していると思うが。
「……視線がいやらしー?」
「違うっての。人をからかってないで、お前も手伝え」
俺達はふたりでシーツを敷きながら、布団の準備をする。
その時、千津はこれまでと違い真面目な表情で言う。
「先生……。助けてくれて、いろいろとしてくれて、ありがとう」
「何だ、いきなり?」
「お礼言ってなかったから。先生のおかげで、落ちついて冷静になれるわ」
ここに来た時は本当にいろいろと追い込まれて表情も暗かった。
その千津も今はずいぶんと顔色もよくなっている。
「生徒に頼られる、ってのは悪くない気分だ」
「ふふっ。女の子なら誰でもいいだけだったりして」
「誤解を招く発言はやめてくれ。俺はこう見えても、結構、恋愛は真面目なんだぞ?」
俺は見た目的に軟派だと誤解されている気がする。
「……鳴海先生は誰にでも優しいからじゃない? 神奈さんが好きになるも少しだけ分かる気がする。その、千沙子って人も先生が好きなんでしょ?」
「二股疑惑があるようだが、事実無根だ」
というか、どちらとも付き合ってないし。
俺はシーツを敷いてベッドメイキングを終了する。
新品(前に千沙子が前に持ってきてくれた)のシーツを下ろしたので問題はないだろう。
……未だにあの時のシーツは何をして汚したのかは分からないが。
千沙子なりの冗談だと思いたい、えぇ、ホントに。
「神奈さんもいい人だよね。ここに一緒に住んでいるの?」
「いや、いつもは別暮らし。彼女は普段は居酒屋を営業しているからな」
「そう言ってたっけ。言われてみればこの部屋って女の子の住む雰囲気がないもん」
彼女は周囲を見渡してそう語る。
確かに今のこの部屋は誰もいれないから他人の癖もない。
「……あんまりジロジロと見ないでくれ」
「男の子人の部屋って初めてなんだ。ちょっと気になって」
「変なモノを探すな。いいか、特にその辺は……待て、触るなって言っておろうが。ん?」
俺は携帯が鳴ったのに気付いてリビングに戻る。
テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴っている。
「村瀬先生からか。……少し、外に出てくる」
俺はちらっと千津の方を見る。
俺の部屋の物色に夢中で特にこちらは気にしていない。
千津絡みの話だろうから、玄関の方へと向かう。
俺はこっそりと家の扉を開けて外へと出た。
雨の当たらない玄関前に立ちながら俺は携帯電話に出る。
「はい、鳴海です。何かありましたか?」
『鳴海先生。こちらは今、黒崎さんの家を出た所よ。彼女のお母様と話をしたわ。今回の事、頭ごなしに彼女を叱りつけた事を反省しているみたい。離婚したのも自分にとっての都合で、娘にも悪い事をしたって』
村瀬先生が言うには彼女の母親も千津の事を考えていなかったわけではないようだ。
千津の受験寸前の離婚劇は両親共々、非常に反省しているらしい。
だが、そのタイミングでしなければいけなかった理由は……千津の父親の浮気相手が身籠っていたから、と言う何とも言い難い理由だった。
元々、夫婦の関係自体も既に冷え切っており、議員同士の意見の対立もきっかけの一つにすぎなかったそうで、離婚は時間の問題だったようだ。
親の身勝手さに振り回されて可哀想という意味では変わらなかった。
家庭の事情とはいえ、両親どちらにも大いに反省してもらいたいものだ。
『彼女にも傷心した娘を気遣う余裕がなかったの。言い訳にしかならないけど、議員っていう仕事もあるし。黒崎さんも何も言わなかったから、それほど傷付いていたのにも気づかなかったって。今回の件で初めて本音を知ったそうよ』
「千津なりにも、親を想っているんでしょう。口では否定してますけど、母親の事も嫌いではないはず。ただ、理解して欲しいんだと思います。過去はもうどうしようもない。どんなに悔やんでも時間は取り戻せない」
親の離婚劇に巻き込まれ、千津が受験に失敗した過去は消せない。
だけど、取り戻せなくても未来は変えられる。
「彼女は母親に理解して欲しいのだと思います。自分の夢を、進むべき道を……」
『……外交官、だったっけ? すごい夢よね。あのぐらいの年で考えるなんて。私なんて教員免許取ったのは単位のためっていう単純な理由だもの』
「なりたい夢がある。それに向けて努力している。千津の不登校はこの学校に通う事が無意味だと感じている事もあるんでしょう」
『進学校に比べたら全然ダメだからね。だけど、ここでも夢を求められる可能性はゼロじゃないわ。一応、去年の卒業生でも1流とまではいかないけれど、2流の名の知れた大学には受かったりしているのよ?』
「えぇ、本人のやる気があれば、一流大学の進学は出来る。多少の不利はあるでしょうし、確実性を高めるなら私立や進学校に行くのが一番なんでしょうけどね」
俺は雨の降る暗い夜空を見上げながら携帯電話を片手に思う。
「千津は美浜高校を退学して、来年に再び別の高校に入学する方法を選ぼうとしています。実際にはない話ではないですよ」
『珍しいケースではあるけれど、大抵はそういう場合、学校のレベルについていけなかったとか、イジメ問題があったとか、何らかの事情があっての事よ』
「大学ならまだしも、高校で浪人する生徒は明らかに少ないのが現実ですからね」
それぞれの事情があって、まったく前例がないわけではないが珍しい事だ。
高校に入り直すと言う事は、年下と同じになる留年と同等の居心地の悪さもあるだろう。
それを気にしないのならばいいが、どうしても気にならないわけではない。
「……中退を勧めず、今のままで残留させたいのが俺の本音ですよ。千津はこの学校では無意味だと感じている。何も得ることのない3年間を過ごす、と」
『それじゃ、夢は叶わないと諦めたくなくて今回の騒動を起こしているんでしょ』
だが、本当に何も得る事がないと言えるのか。
高校の3年間は大切な時間だ。
大学受験も大切だが、本当に必要なのはそれだけではない。
人生経験、それもまた高校生活で得るもの。
他では得られない何かをこの学校でも得られるはず。
『……人生を決めるのは黒崎さんだけどね。私達も出来る事はしてあげたい。そうだ、黒崎さんの様子はどう? だいぶ、落ち着いた?』
「はい。それは何とか」
俺は現状を説明すると彼女もホッとしたようだ。
『そう。それならいいの……。明日の朝、私もそちらに行ってもいいかしら?』
「村瀬先生がですか?」
『えぇ、登校前に話をしたいの。出来れば放課後にはもう一度、3者面談がしたい。彼女とお母様を交えた3人で、今度は落ち着いて話がしたいのよ』
「千津がそれを望んではいないのでは?」
親を疎む気持ちがある今では素直に受け入れはしない。
逃げてばかりではもちろんよくないが、素直に受け止めろとも言えない。
『その辺を鳴海先生が説得してくれたら嬉しいわ』
「……村瀬先生、無理言いすぎです。俺に女子高生の説得を任せるなんて」
『だって、先生を頼って家まで来るって事は相当、彼女には信頼されているんでしょう? 私なんておばさん扱いよ? 私だってまだ全然若いのにっ』
年齢ネタは禁句のようで彼女はそう愚痴る。
気にするようなお年頃でもまだないと思うけど。
『きっと鳴海先生の言葉なら黒崎さんを説得できるはずよ。明日の朝、私もそちらに行くけど、出来ればその時にでも説得してくれないかな?』
「……やれることがあるのならそうしますよ」
『うん。お願いするわ。それじゃ、また明日。えっと、そちらにつくのは少し早い時間になるかもしれないから……。それでは、おやすみなさい』
「えぇ、おやすみなさい」
村瀬先生との電話を切り、俺は静かにため息をついた。
激しい雨空のように、今の千津の心は乱れている。
この学校にい続けるように説得するのは難しいだろう。
千津は夢を求めて真っすぐに進もうとしている。
ここにい続けると言う事は回り道をしていくと言う事だ。
それが正しいと言えない以上、強制はできない。
「自分の人生だ。好きなように生き、自由に道を選ぶのが人間だ……が、彼女はまだ子供だ。その道を導いてやるのも大人の務めってね」
回り道でも無駄ではないと教える必要がある。
彼女の親の問題を含めて乗り越えるべき問題は大きい。
「俺にできるのは“選択肢”を広げてやることくらいか」
まずは目先の親との確執を何とかしないと。
いつまでも俺の家にい続けるわけにもいかないだろう。
俺はどう彼女に接すればいいんだろう。
考えあぐねながら家の中に戻ることにした。
「……ジーっ」
しかし、室内に戻った俺を待っていたのは白い目を向ける神奈と千津だった。
濡れてまだ乾いていない髪の神奈が不満そうな顔をして見せる。
「な、何だよ、おふたりさん? 俺が何かしたか?」
身に覚えのない事なので俺が尋ねると千津が、俺の前にあるものを見せつける。
「鳴海先生、隠してたの見つけちゃった。その人、誰……?」
それは一枚の写真が入ったフォトスタンド。
「先生の浮気者? ていうか、元カノ? どちらにしても、神奈さんがいるのにこういうの残しておくのってどうかと思うけど……聞いてるの、先生?」
千津の言葉は俺には届いていなかった。
写真に写るのは俺とひとりの女の子。
俺に抱きつくような格好でとある公園を背景に撮った写真だった。
「千歳(ちとせ)……?」
それはずっと1年近く見ようともしなかったその写真。
……その写真を見れば嫌でも思い出してしまう相手。
俺が恋して、愛した女。
だけど、今は俺の傍にはもういない女の子。
写真の中で、思い出の中でしか彼女はもう微笑みを見せてくれない――。