第9章:未来の希望《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
人生とはままならないものである。
望んだものがすべて実現出来る世界ではない。
生まれが理想を邪魔する事もあれば、立場がそれを阻む事もある。
世の中、思い通りに人生を歩める人間は一握りしかない。
人は理想を抱き、その理想に限りなく近い現実を求めようとする。
だけど、どんなに努力しても、理想に届かないこともある。
夢を諦めなければいけない事もある。
人生とは妥協と諦めの連続である。
……人生に妥協するな、なんて綺麗事は現実には通用しない。
気持ちの持ちようで妥協せずにいる事は大切だろうけれど。
結局、どこかで自分に区切りをつけなきゃいけないのだ。
夢も理想も結構だが、思い通りに行く現実と行かない現実があって。
それを抱えて生き続けるのは本当に辛い。
だから、どこかで妥協し、諦め、楽になろうとする。
それが普通の人の生き方だ。
千津はそういう生き方は嫌なんだと思う。
外交官になりたい夢があって、真っすぐにその夢だけを追いかけている。
妥協や諦めなんて言葉は最初から考えもしていない。
本当に夢を叶える人間はそれだけの意思がなければ成し遂げられない。
だから、きっと千津は夢を叶える日が来るだろう。
今はいろいろと抱え、悩み苦しんでいても、強い意志があるのだから。
遠回りをしても、自分の想いのままに夢を叶えられるはずだ――。
「……どう、美味しい?」
夕食をはさんで話をする事になり、まずは神奈の手料理を食べることにした。
今日のメニューはハンバーグとサラダ、それにコーンスープ。
ありきたりなメニューながらも、どれも手作りな所が素晴らしい。
俺の好物のひとつがハンバーグなので、期待しているのだ。
「うん。すごく美味しい。お姉さん、料理上手だね」
「こう見えても、神奈は居酒屋を経営しているからな」
「……鳴海先生の恋人なんてもったいない」
「それ、どういう意味だ?」
いろいろと問題が発生しそうなので神奈とは恋人設定にしてある。
彼女が協力的で助かっている。
「神奈さんって鳴海先生と付き合い長いの?」
「昔は幼馴染だったの。朔也がこの町を出ていく7年前までずっとね」
「ふーん。付き合い始めたのは最近なんだ?」
恋愛も気になるお年頃と言う奴か。
女同士は気が楽なのか、神奈と千津は話で盛り上がる。
俺と神奈が付き合っているという架空設定。
……あくまでも架空のはずなのだが。
「付き合い始めたのは再会してすぐくらいかな。朔也の方から私に告白してきて……」
「……ぐふっ!?」
危うく吹き出しそうになった。
俺がお前に告白って……!?
好き放題に言いやがって、と思う気持ちをこらえる。
今回は神奈の協力のおかげでずいぶんと助かっている。
それくらいは好きにさせよう。
「鳴海先生って手が早そうだもの。神奈さん、騙されてない?」
「……私は、その、前から好きだったから」
気まずいその一言。
俺が聞いていいのかよ、神奈さん?
当の本人は自覚がないのか、あくまでも嘘を並び立てている。
話が盛り上がるふたりをよそに俺はさっさと食事を済ませようとする。
恋愛話をする女子の空気ってのはいつでも慣れるものじゃない。
「そういえば、鳴海先生って先日、女の人を背負って夜中に歩いていたって友達から聞いた事がある。それって、神奈さんだったんだ」
「……え?」
やばっ、そのネタ禁止!?
俺はスープを飲み干して「ごちそうさま」と席を立とうとする。
その腕をガシッと掴む神奈。
目が怖いっす。
「その話、詳しく聞かせてもらえない?ねぇ、朔也?」
「いや、えっと、気のせいじゃないか?」
「気のせいじゃないよ。だって、桃花から聞いた話だもの。ちゃんとした情報なの。あっ、桃花って言うのは私の友達で……」
「もしかして、斎藤桃花? だったら、知っているわ。幼馴染の妹だから」
「桃花の事も知ってるんだ? で、その桃花が言うには綺麗なお姉さんを背負って歩いていたらしいの。すごく雰囲気が良かったって言ってた。神奈さんじゃないの?」
千津まで俺に怪しげな視線を向けてくる。
美少女二人に見つめられる、訂正、睨まれる俺は大ピンチ。
何とか言い訳しようと言葉を選んだ。
「……道端で酔っぱらっていた女の人を助けていただけだ」
「嘘をつくならもっとまともな嘘をつきなさい、朔也」
「ごめんなさい。怖いから睨まないで。でも、あながち間違いではない」
神奈に睨まれると昔からの癖でつい謝ってしまう。
ホントに酔っぱらった女の人を背負っていたのに。
「浮気? 二股? 最低、女の敵だ」
「違うって。これは浮気ではない、それは事実だ」
「それなら、状況を神奈さんに話してあげて? 私も気になるし」
ええい、桃花ちゃんも余計な目撃をしてくれる。
……ていうか、そう言う事を話すほど本当に千津とは仲がいいのか。
「相手が誰かによって、朔也のうちの店の出入り禁止が決まるわ」
「それはめっちゃ関係ないじゃん!?」
「事と次第によっては、でしょう。恋人を裏切る真似をしたどうなるか、分かる?」
神奈も恋人設定に乗り気すぎだ。
何か、本気にされると俺も困る……いろいろと困る。
一応、演技だって事は分かってるよな。
「えっと、待て、待ってくれ。それはいつの話だ?」
少なくともこの2週間、俺は女性を背負った事が2回ある。
一度目は歓迎会の時の村瀬先生。
二度目は先日の千沙子と飲みに行った時だ。
前者なら言い訳できるが、後者なら千沙子絡みで神奈の機嫌を損ねるので黙秘したい。
「……いつの話? つまりは何度かあったということ?」
「ホントに、神奈さん以外と付き合いのある人が?」
地雷踏んだ、余計なこと言っちゃった。
俺は動揺しながら、ここを乗り切る考えをめぐらす。
「朔也、素直に言いなさい。私、素直な子には怒らないから……」
背筋が冷える全力の神奈の威圧感。
ちょっと雰囲気出しすぎだろ、神奈さん?
俺たちは本当に付き合ってるわけではなくて……うぎゃーっ。
……数分後、俺はついにキツイ取り調べに屈して自白した。
冤罪事件なのに。
俺、ホントに何もしていないのに。
神奈も昔と同じく、千沙子絡みはやはり厳しかった。
相当意識しているようだ。
「ふーん。千沙子とふたりで飲みに行ったのね。千沙子とねぇ?」
「千沙子さんって誰なの?」
「私達の同級生だった子よ。昔から朔也の事を狙っていたけど、今もまだ続いているなんて。あの子、絶対に朔也に気があるわよね?」
「さ、さぁ? 俺は女の子の気持ちに疎いのでよく分かりません」
実は中学時代に告白されてました。
この間、一緒に飲んだ事もさりげなく告白されました。
とにかく、千沙子の話題は神奈の前ではしないようにしよう。
不機嫌な神奈が俺の頬を軽くつねりながら、
「それで、今もお酒を飲んだりしていい仲なわけ?」
「た、たまたま会って、いいお店を紹介してもらっただけで他意はないです」
「……よく言う男の言い訳っぽい。神奈さん、信じちゃダメだよ」
「分かってるわ。朔也、千沙子に気があるの?」
俺は首を横に振って否定する。
そりゃ、ちょっとした未遂(と思いたい)事件はあったが。
実際には何もないので疑われても困る。
仕方ない、ここは神奈を攻めるか。
「一度しか言わないぞ。俺は千沙子より神奈のことが(どちらかと言えば)好きだ」
「え、あっ、え?」
俺の発言に神奈は頬を紅潮させる。
相変わらず、ピュアな心を持っている22歳。
そして、今はその純情を利用させてもらおう。
「ふ、ふーん。当然よね、私達は付き合ってるんだから……」
と、千津の前では言っておきながら小声で、
「千沙子より、私の方が……そ、そうなんだ」
……俺、何か言う台詞を間違えたか?
身の危険からは解放されて、俺はホッと一息つく。
「誰にでもいい顔をしているから痛い目にあうんじゃないの?」
「うぐっ。これからは気をつけるよ」
千津の正論に俺はうなだれておく。
彼女はと言えば、ここに家出で来てるのを忘れているように明るい表情を見せている。
現実逃避じゃないが、彼女にも心を落ち着ける時間は必要だろう。
「……とりあえず、鳴海先生が女ったらしなのはよくわかった」
「それは分からなくていいから。さっさとご飯を食べてしまってくれ」
照れ続ける神奈と白い目で見つめる千津の板挟みに嘆いていた。
嘘はつくものじゃない。
その言葉を胸に刻みながら俺は最後まで誤魔化し続けるのだった。
……ちなみに、神奈には後で千沙子には近づくなと念を押された。
本当にあの二人の仲は険悪モードらしい。
その辺の事情を詳しく知りたいような、知りたくないような……。