第8章:夢、目指して《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
昼休憩になり、俺が食堂から戻ってきたらいきなり村瀬先生に接近される。
俺にムッとした顔を近づける彼女。
「なんですか、村瀬先生? もしかして、キスでもされます?」
「冗談を言う余裕が私にはないの」
「……ですかぁ。あはは」
俺は苦笑いをして、迫る先生から後ずさる。
「さっき、黒崎さんのお母様と面談してたの。でも、肝心な黒崎さんは逃亡、行方不明……。それが何? 出席簿を見たら鳴海先生の授業に出てるじゃない?」
なるほど、その件で怒ってるのか。
俺が彼女を面談を避けるために手引きして授業に連れだしたと思っていらしい。
「生徒が授業に出るのは当然のことでは?」
「そうだけど……あとで面談があるって知ってたわよね? 先生なら、授業に出たてきた彼女がどういう状況か理解できたはずじゃない?」
「それは少し違いますよ。俺が街中でうろつく彼女を捕まえて授業に出るように言ったんです。まさか、逃亡してたとは思いませんでしたが」
俺が白々しくそう言うと彼女は美人な顔を俺に近づける。
「ふーん。そう? 鳴海先生は何も知らなかった、と」
「はい。本人も特にそう言ってませんでしたから。俺としては教師として授業に参加させた、それだけです。村瀬先生、綺麗な顔をしているんですから怒らないでください」
「き、綺麗とか別にそう言う事は言わなくていいのっ。鳴海先生、ずるい。絶対に分かっていて、黒崎さんを教室に連れて行ったわね?」
俺は微笑で誤魔化しておく。
嫌なモノに無理やり強制するというのは俺の主義ではない。
それは教師としては甘いのかもしれない。
だが、俺はまだ新人教師だ。
多少は生徒に甘くても悪くはないだろう?
「さぁて、どうでしょう。俺は副担任として村瀬先生をサポートする立場です。今回の問題でも、俺は解決する最善の方法を一緒に見つけようとしていますが?」
「……何か味方に敵がいる気がするのは気のせいかしら?」
「気のせいです。俺は村瀬先生の味方です」
それは本当のことだ、俺は別に村瀬先生の敵ではない。
この問題は千津の心の問題だ。
それを解決するには、無理やり何かをして解決する問題ではない。
ゆっくりと時間をかけてでも、行う必要がある。
「お互いに情報交換と行きましょうか?」
「えぇ、そうですね。怖い顔しなでください」
「……この話を聞いても難しい顔をしないと言える?」
先ほど、千津のお母さんが来て先生と面談を行った。
その内容は非常に難しい話だったようだ。
彼女自身は娘の不登校を全く知らなかったらしい。
仕事が忙しいのもあるが、元々、千津の事は気にしていなかったようだ。
放置主義で、母親としての心配をする子供ではないと信頼していたらしい。
我が侭も言わず、何も迷惑をかける事なく、離婚後にも喧嘩をした事もない。
それが実際は違い、親に不満を持ち、学校にも不登校をしていたというのを昨日の喧嘩で初めて知った様子だったと村瀬先生は語った。
「それって、千津の本当の姿を知らなかったというわけですか」
「……どちらも、自分の事で精一杯だったんじゃないの? 相手を見つめる余裕がない。冷めた家族関係っていうのかな。お互いに本音を話し合う事が足りていない気がしたわ。彼女も家に帰ってから黒崎さんともう一度話してみるって」
「千津は母親が苦手なようです。本当は父親の方についていきたかった、と言ってました。これは彼女達の家族の問題でもあるので、俺達は介入しづらいですね」
お互いに歩み寄れれば千津も少しは高校に通う気力が戻るのではないか。
「……鳴海先生、黒崎さんと話をしてどう思う?何が原因なのか分かった?」
話をしていて彼女の心の闇に気づいた。
俺は簡単にだが、話をまとめて彼女にする。
村瀬先生は「個人的な心の問題」だと判断したようだ。
確かに、“望んだ高校ではない行きたくない”という理由だけをみれば個人の問題だ。
世の中、受験に落ちたりしても同じ事は言える。
だが、彼女にはもうひとつの心の傷がある。
「親との確執。思春期の子供なら珍しい理由ではないでしょう?」
「……まぁ、そう言ってしまわれるとそうなんですけどね」
「彼女にも歩み寄れることはあるじゃない。それをしないのは我が侭じゃない?」
「それを我が侭だと言いきると話は進みません」
単純な我が侭ではない、彼女も苦しんでいるのだから。
目指している夢があり、その夢の障害となる“現実”が阻んでいる。
「誰だって夢は抱くものでしょう。特に子供時代に抱いた夢は、人生の指針。簡単に諦めたくない気持ちもあり、納得がいかない事を悩んでいるんです」
「……そうかもしれないけど。うぅ、私はよく分からないなぁ」
村瀬先生には挫折経験がないので分かりにくいのかもしれない。
「私、先生としてダメ?」
「新人の俺に聞いてどうするんですか」
「だって、自信なくすわよ。生徒の気持ち、分からないようじゃ指導のしようがないじゃない。だからと言って、学校に来いと言ってばかりの正論をふりかざしたくもない。どうしたらいいのかしらね?」
世の中、先生みたいにポジティブ思考の人間ばかりではないのだ。
人は悩み苦しみながらも、答えを見つける。
それができるのは若さゆえの特権だと、バーのマスターのセリフを思い出した。
「一番大切なのはこの学校にも彼女が通う理由を見つけてもらう事でしょう。今の彼女はそれがないから、やる気がおきない。一度折れた心を直すには、時間がかかるものですよ。焦らずに、してください」
「何か他人事のような言い方……先生だって責任があるんだからね?」
「俺は所詮は副担任、責任問題があったとき、苦労するのは村瀬先生ですから」
俺の言葉に彼女は嫌そうな顔をする。
いや、これは俺の言葉も悪かったかな。
「責任をとるのが私だからってひどくない?」
「いえ、さすがにすべての責任を取らせる気は……」
「あれだからね。もし、私が責任とって学校やめることになったら、鳴海先生のお嫁さんになるから。私を一生養ってくれるくらいの責任感を持ってほしいわ」
「さすがに人生の責任まではもてません」
そもそも、俺と結婚すると大変だと思いますけどね。
他人ごとのようにそう呟きそうになる。
「はぁ……」
そんな顔をされても、問題の責任は変わらない。
「鳴海先生って私の味方じゃないの?」
「残念ですが俺は生徒の味方ですから。もちろん、村瀬先生の力にはなりますよ。ただ、俺は千津の一番の味方でありたい」
どちらにしろ、この問題はそう大きくならない事を望む。
「千津に関してはスクールカウンセラーを利用させるのはどうですか?」
「週に1回ほど来てくれている先生の?」
「……心の問題なら、ああいうのも利用するべきでしょう」
「なるほどねぇ。そちらの方にも頼みましょうか」
俺も村瀬先生もまだ教師としての経験が浅い。
すぐに何もかも、解決できる程の経験もないのだ。
「……先生って大変だわ」
彼女が呟いた一言に俺も頷きながらも、それが自分たちの選んだ道だと納得している。
こういう事を含めての教師なのだから。
不安的中。
問題が大きくなってしまったのはそれから数日後の事だった。
その日は朝から大雨が降っていた。
仕事が終わり、家に帰ってから授業の小テストの採点をしていた。
「あと少しで終わりか。そろそろ神奈もくる頃かな」
時計は7時過ぎ。
今日はこの後、仕事が休みの神奈が来る事になっている。
なんて事はない、アイツが仕事が休みなので俺の家に遊びに来るだけだ。
ついでに夕飯も作ってくれるので、俺も断る理由はない。
「この雨の中を買い出しに出るのは面倒だけどな」
俺は赤いサインペンをペン回ししながら愚痴る。
雨の中を買いものに行くのは本当に大変なのだ。
神奈も俺も車を持っていないのでスーパーに行くのも徒歩だし。
「……ん、神奈からか?」
俺は携帯が鳴ったので出て見ると、それは村瀬先生からだった。
「村瀬先生?こんな時間にどうしたんだ?」
俺が出て見ると向こうは外にいるのか、強い雨の音がする。
「どうしたんですか、村瀬先生か?」
『鳴海先生っ。よかった、すぐに出てくれて。実は、先ほどまで黒崎さんとお母様3人で学校の面談をしていたのよ』
「そうなんですか?」
『案の定、言い争いを始めちゃって。黒崎さんは自分の環境が悪いのは全部親のせいだって怒りをぶつけて、大ゲンカし始めたの』
「……なるほど。それで、どうなったんですか?」
俺に連絡をしてきたという事は既に事態は沈静化しているのか、それとも……?
『今、さっき、彼女が学校を飛び出しちゃったの。私も周囲を探しているんだけど、どこにもいなくて……。悪いんだけど、鳴海先生も周囲を探して見てくれないかな? この雨で傘も持たずに行っちゃったみたいなのよ』
天候が悪い、今日は強い雨だ。
春とはいえ夜にもなれば冷えてきたので放っておくわけにはいかない。
「分かりました。俺の方でも捜してみます」
『ごめんね。本当はこうならないようにしたかったんだけど、私も余計な事を言ったかも……どうしても、生徒より親御さんの方を気にしてね』
それは仕方のない事だろう。
3人での面談ならば、つい生徒より保護者に話を合わせてしまうのが教師だ。
特に今回の場合は無理にでも登校させようとする親と嫌がる娘の構図。
教師はどちらに味方しても、角が立つ。
「俺も捜しますから。何かあれば連絡します」
「えぇ、お願いするわ。こちらもお母様と一緒に探してみるから」
俺は電話を切ると、すぐに私服に着替えて出かける準備をする。
「恐れていた自体になってしまったか」
こうなる事も仕方ない展開とはいえ、どうにかできたかもしれない。
「無茶をしていなければいいのだが」
その時、俺の家のチャイムが鳴る。
「神奈か。タイミングがいい、アイツにも少し協力してもらうか」
俺はすぐにドアを開けて彼女を出迎える。
「神奈、ちょっと問題があって……え?」
扉を開けて、俺は驚いた。
そこにいたのは雨にびっしょりと濡れて、心細そうな寂しい顔を見せる少女。
「鳴海、先生っ……」
うなだれるような弱々しい彼女。
行方をくらましていた張本人、黒崎千津がそこにいた――。