第8章:夢、目指して《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
黒崎千津の不登校問題はまだ解決していなかった。
そう簡単に心を切り替えられない彼女の気持ちは分かる。
だが、現実的に受け止めてもらいたい。
理想と現実、そのはざまにいる彼女を救いたい。
「……というわけで、桃花ちゃん。誰か彼女の友人を知らないか?」
俺は斎藤の妹、桃花ちゃんを呼び出して質問していた。
彼女も同じ中学だったはず、何か千津の事を知っているかもしれない。
「千津ちゃんの友達?私も友達だよ」
「本当か!?」
「え、あ、うん。朔也お兄ちゃん、そんなに詰め寄らないでよ」
「すまん。それと学校では先生な」
俺は勢いで迫った事を謝罪して、桃花ちゃんに話を聞く事にした。
千津に近い存在が身近にいてくれて助かる。
「私も小学校からずっと仲が良かったの。でも、千津ちゃんの両親が去年の夏くらいに離婚してから彼女も変わったんだ。今、学校休んだりしてるけど、昔はそんなこと全然なくて、性格だって気は強いけど真面目な子だったんだ」
「それは何度か話せば分かる。好きで不登校を続けているわけじゃない」
「うん。面倒とかじゃなくて、どうすればいいか分からないだけだと思うんだ。それに千津ちゃん、お母さんとの関係も悪くて……今、すごく不安なはずだよ」
「離婚した原因は? 町議会の議員同士の意見対立か?」
「んー。難しい事は分からないけど、もう何年も前から関係は悪かったみたい。いつか離婚するかもって千津ちゃんも言ってたし。でも、あのタイミングではひどいよねぇ。千津ちゃんもすごく悔しかったはずだよ」
受験シーズンのど真ん中で離婚劇など、まともな親がすることではない。
それぞれの家庭事情があるのは分かるが、子供のためを思えば普通はできない。
それだけお互いに追い詰められていたのかもしれないが。
これはちょっと、特別な何か理由があるのかもしれない。
「千津ちゃん。本当はお父さんの方についていきたかったんだ。元からお母さんよりもお父さんが好きだったの。だけど、お父さんの方は、その、新しい人がいるからって仕方なく苦手なお母さんに引き取られて……あまり口も聞いてないらしいよ」
「新しい人。再婚したってことか。おいおい、それは……」
ふたりとも町議会の議員で意見の対立があったからと思いきや、離婚原因には浮気的なモノが絡んでいるというのであれば、少し気まずいというか、触れにくい問題だよな。
もう、ここまできたら千津の不運を同情するしかない。
そりゃ、これだけの事が彼女にあれば、精神的に参るだろう。
「彼女の母親ってどういう人なんだ?」
「うーん。議員さんとしてはすごい人らしいけど、千津ちゃんのお母さんとしては、あまり子供に熱心じゃないかも。仕事中心、子供は放置って感じかな」
実際にどうか分からないが、それが親友としてみた印象なのだろう。
「千津ちゃん、夢があって、それを叶えたくて良い高校に行きたかったの。夢をかなえられなかった事が悔しくて、今も休んでいるんじゃないかな」
「……なるほど。大体分かった。ありがとう、桃花ちゃん。学校に来ていたら、出来る限り話相手になってやってくれ。友の言葉は励ましになるからな」
「うん。分かってる。お兄ちゃん、じゃなかった、朔也先生も頑張って。千津ちゃんのこと、何とかしてあげて欲しいんだ」
桃花ちゃんにも頼まれて俺は「そうだな」と頷いた。
ちょうど職員室で村瀬先生を見かけたので声をかける。
「千津の親御さんの件、どうなりました?」
「……うーん」
村瀬先生は唸りながら難しい顔をする。
「悪い方向へ行ってる。私がさせてしまった気がするわ」
「何をしたんですか、何を」
後悔している様子の彼女はため息をついた。
「……昨日の夜に黒崎さんのお母様に電話で連絡したのよ。不登校の件、彼女は知らなかったようね。激怒してすぐにでも、娘と相談しますって」
「まぁ、そうなりますよね。それで結果は?」
「今朝、向こうから連絡があったわ。娘を連れて学校に来る、と。今日も次の時間に相談に乗る事になってるの。もうすぐ来るはずよ。……はぁ、気が重いわ。相手は町議会の議員でしょう? いくら、保護者と言っても相手にするのは大変だもの」
先生の気苦労は分かるが、俺は次の時間は授業なので相談に参加するのは無理だ。
「そっちは何か進展あった、鳴海先生?」
「少しずつですけどね。その辺はまた時間が空いた時にでも」
あまり長話はできない。
実は俺は今から一度家に帰る予定があるのだ。
「うっかりと家に資料を忘れてきたので取りに帰ってきます。次の時間の授業までに間に合わせないといけないので」
「あ、そうなの? 引きとめてごめんなさい」
「いえ、報告できる事があればまたします。頑張ってください」
俺は一礼してから彼女の元を去る。
先生の目が「ついてきて欲しかった」と捨てられた子犬みたいな瞳をしていた。
悪いがここは彼女に頑張ってもらうしかない。
学校の外に出て商店街を歩いていると、妙な男達が誰かを取り囲んでいる。
服装から察するに他所者だろう。
この町の観光客かもしれない。
最近はそういう奴らと住民が揉める事もあるそうだ。
生活環境の変化、過疎化を止めるためとはいえ、これも仕方ないことなのだろう。
「制服姿で何してるんだ。今の時間なら学校だろ。暇なら俺達と遊ばないか?」
「うるさい。私はアンタ達なんか興味ないの」
どうやらナンパのようだ、学生相手にナンパするとは……あれ?
「もしかして、絡まれているのって千津か?」
嫌そうに文句を言う女の子は千津だった。
「親と一緒に村瀬先生と話し合いをするはずでは?」
俺は気になって、彼らの間に入る。
「……おい、お前ら何をしている」
「あん?お前こそ、何だ? どけよ、男に用はないんだよ」
「ナンパの邪魔をしてすまないが、俺は教師で、その子は俺の生徒でね。子供相手に何をしているんだ? それとも、そういう趣向の人かな?」
俺の物言いに彼らはムッとした顔をする。
おおっ、怖い、怖い……。
だけど、こっちも修羅場なら経験済みで怖くはないさ。
「そんなにナンパしたいなら、あそこに綺麗なお姉さんがいるが?」
俺が指差した方には買い物中の女性の姿。
「おっ、いい女がいるじゃないか」
彼らはすっかりと千津の興味を失い、そちらへと駆けていく。
だが、すぐに「馴れ馴れしく私に触れるなっ!」と聞きなれた女の声が聞こえた。
「「ぐへぇ~っ!?」」
吹き飛ばされる男達。
蹴りあげた女の顔を見て俺は他人のふりをした。
「……何をしているんだ、神奈さん?」
その女性、俺の幼馴染の神奈でした。
……この町って本当に狭い。
「アンタらみたいなのがいるから、観光客の質が悪いって噂がたつのよ。うせなさい」
「「ご、ごめんなさい~っ!?」」
あの男達も嫌な相手に声をかけたから自業自得だ。
彼らに更なる攻撃を加える幼馴染の行動に俺は呆れつつ、千津の様子を伺うことにした。
「千津、大丈夫か?変なの絡まれていたようだが?」
「……別に助けてくれなくてもよかったのに。ひとりで何とかできた」
口ではそう言いつも、どこか不安そうに見える。
この子もまだ子供だということだろう。
俺の服の裾をつかんでくる。
「そうか。それはいいが、お前、この後、学校に行くんじゃないのか?」
そう言うと彼女は気まずそうに視線をさまよわせる。
その態度から察するに俺はある答えを確信する。
「もしや、逃げたな? 面談、逃げてきたんだろ?」
「に、逃げてない。私のこと、昨日まで全然興味なかったくせに教師に言われたくらいで、外面を気にしていきなり母親面してきたあの人が悪いのよ!」
多分だが親子喧嘩でもしたのだろう。
千津の事情をある程度知った今なら、状況も把握できてきた。
親子の確執、そう単純な話ではないな。
「……それなら、これから俺の授業に出ればいい。次の時間は俺の授業だ、授業にさえ出てしまえば時間くらいつぶせるぞ。忙しい人なんだろ? 時間が経てば話がしたくても、できなくなる。それがいいかどうかは俺には分からないけどな」
ごめん、村瀬先生……教師としては悪いが俺は千津の味方だ。
と、俺は心の中で謝りながら、千津を説得する。
「……鳴海先生って意外と悪人?」
「状況判断ができる良い先生だと思ってくれ」
「そう。でも、それはいい考えだと思う。今のあの人に何を話しても無意味だもの」
彼女は俺についてくる方を選んだようだ。
「とりあえず、俺も家に帰る途中だ。悪いが、少し付き合ってくれ」
「何しに戻るの?」
「資料を忘れたから取りに戻る最中だったんだよ」
俺は家に戻りながら、千津の話を聞いてみる。
「……母親とはそれほどに仲がよくないのか?」
「私の話も聞かないで自分の考えが全て正しいと、一方的に押しつけてくる相手と仲良くできるはずがないじゃない。何で、私があの人と一緒に暮さなきゃいけないの」
「本当はお父さんと一緒に暮らしたかったのか?」
「……うん。でも、お父さんは他に好きな人がいるから。仕方ないよ、母はあんな人だもの。お父さんに他に好きになる相手ができるのも普通だと思う」
それでも、彼女は父を嫌いになっている様子はない。
仲違いしているのは母親の方だけか。
離婚して当然と親を否定する彼女に俺はかけてやる言葉が見つからない。
「……周囲への体面だけしか、私の事も気にしていない。そんな人の事を親だなんて私は思いたくない。私は……自分の夢を叶えたいだけなのに」
そう呟く千津を俺は見つめる事しかできない。
これは彼女自身が自分の手で乗り越えるべき問題だからな。
「そろそろ、俺の家だ。少し待っていくれ」
「へぇ、先生ってここに住んでるんだ? 独り暮らしをしてるの?」
「今はひとりだ。家族もこちらには来ていない」
千津は寂しいのだろうか?
どうすれば彼女の寂しさを癒し、前向きにする事が出来るのかを俺は考えていた。




