最終章:青い海が似合う町
【SIDE:鳴海彩音】
一週間と少しの私の旅行は終わった。
人魚伝説の祭祀も参加させてもらい、無事に終了。
海も満喫して私としては大満足だった。
「おーい、彩音。何も忘れ物はないか? 下着は持ったか?」
「うん。ないよ。全部持ちました。回収し忘れはないのでご心配なく、変態さん」
「変態じゃないっての。それと、最後に掃除までしてもらって悪いな」
「去る鳥なんとやら。泊めてもらったお礼だよ」
「それじゃ行くか。田舎の電車は逃すと待ち時間が長いんだ」
彼が駅前で送ってくれるので荷物を持ってもらう。
私は手ぶらで彼の後ろをついていくのだった。
「あのね、朔也君のおかげでいいフィールドワークも楽しめたし、人魚の島で綺麗な朝日も見られた。改めてありがとう」
「いえいえ、こちらも可愛い従妹の裸が――あいたっ!?」
「忘れなさい、変態さん。記憶に残さないで」
「うぐっ、荷物を持ってるんだから蹴るんじゃない。お淑やかさを覚えるべきだな」
私が「悪かったですねぇ」とふくれっ面をしていると朔也君は笑う。
「結局、この夏でお前から昔のように懐いてはもらえなかったな」
「お互いに年齢が年齢ですから。子供みたいには戻れないってば」
確かにこの一週間で距離は縮まったかもしれないけども。
海沿いの道を歩きながら夏の暑さを肌で感じる。
「今日も暑い。明日も暑い。嫌になるな」
「でも、この町にはお似合いじゃない。夏がよく似合うと思うよ」
「夏は海、冬は温泉。観光には抜群だからな」
都会の喧騒から遠ざかる田舎町。
最初はどうして朔也君がここを自分の居場所にしたのか不思議だった。
だけど、町の人に会ったり、海を眺めたりしてよくわかった。
「朔也君には似合ってる。この青い海が似合う町に帰ってきた理由。なんとなくわかった気がするなぁ。ふふっ」
「俺の好きな場所なんだよ。大切な仲間がいて、居心地のいい場所なんだ」
「うん。いいところだって思うよ」
居場所があることって幸せだと思う。
帰るべき場所が彼にはあった。
だから、再びここに戻ってきたのだと今は思えた。
静かな波音と海鳥の鳴き声。
とても穏やかな時間の流れる海も、これが見納めだ。
「写真撮らない? なんだかんだで二人で写真は撮ってなかったでしょ」
「いいよ。ちょっとその辺の人に頼んでみるか」
歩いていた観光客にお願いして私は朔也君とふたりで写る写真を撮ってもらった。
今回の旅行では初めて撮る二人の写真だ。
青い海を背景にした思い出に残る写真になりそうだ。
「もっとこう身体を密着させた方がよかったか?」
「それ以上、近づかれても困る」
「彩音は照れ屋さんだからなぁ。男慣れしてない可愛い子だぞ」
「くっ。無意味なほどに余裕なのがムカつくんですが」
女慣れしすぎてるのも問題だと思うの。
そんな雑談をしていると、駅に着いた。
私はキャリーケースを受け取って、彼に改めて感謝をする。
「そろそろ時間だ、彩音」
電車がやってくる時間となり私たちは別れる。
名残惜しさはあるけども、これでお別れなんだ。
「……次に会うのは来年かな。またここに来てもいい?」
「彩音が望むのなら歓迎するさ。今度は観光目的でおいで」
「いろいろとありがとう。楽しかったよ、朔也君」
「俺も久々に“妹”と遊べて楽しかった。早く大人になれ。今度は一緒に酒でも飲もう」
彼はそういうと私の頭を軽く撫でた。
まるで子供の頃のように。
「……ずるい」
それは私にとって懐かしい過去を思い出させる。
従兄のお兄ちゃんが大好きだった、あの頃を――。
「どうした、彩音?」
「……」
「なんだ、寂しいのか? お別れのハグくらいならしてやるぞ――んぅっ?」
彼が冗談で私を抱きしめようとした瞬間。
私は軽く背伸びをして、その唇に自分の唇を触れ合わせた。
「ちゅっ、ぅっ……」
時間にして数秒程度の短い時間。
唇を離すとその耳元に私は甘く囁く。
「――バイバイ、朔也君。また来年ね」
私は気恥ずかしさから、すぐさま離れると駅の中へと逃げていく。
どうして、こんな真似をしたのだろうか。
その理由は自分でもよくわからない。
「雰囲気に流されたということにしておこう。夏の海のせいだ」
一度だけ後ろを振り返ると、ぽかんっとした表情の朔也君が立ち尽くしていた。
やがて「まもなく電車がまいります」とアナウンスの音声が流れる。
電車がホームに入ってきてので、すぐに乗り込んだ。
ゆっくりと走り出していく電車の車窓から青い海を眺めながら、
「……青い海の似合う町、か。機会があればまた来たいな。ふふっ」
思わず笑みがこぼれながら、私は美浜町から去っていく。
夏の暑さと蒼い海。
忘れることのできないひと夏の思い出ができたのだった。
私が東京に戻ってきてから4日が過ぎていた。
「ちょっと、彩音。いつまで寝ているの、もうお昼よ」
「ふわぁい」
母にたたき起こされて欠伸をしながら答える。
「まったく、旅行してきた帰ってきたと思ったら、すぐにいつもの生活に戻るなんて。向こうでもそんな醜態をさらしてきたんじゃないわよねぇ? どうしようもなくダラけてる、こんな娘の姿は見たくないよ」
「いいじゃん、夏休みなんだからぁ。寝ていたいの」
「……その言い訳も夏休みの間、ずっと聞いてるわ。ホント、男の子でもさっさと作って、自分を女だと自覚してほしいもの。アンタ、さっさと嫁に行け」
まったくもって、ひどい言われようである。
何度目かの注意と共に母からそう嘆かれてしまうのも無理はないかもしれない。
「それで、旅行の間、朔也くんとどうだったの?」
「どうとは?」
「年頃の男女ならある程度の関係になってもおかしくないでしょ」
平然とよく言うわ、従兄妹同士を変な目で見ないでもらいたい。
何もなかったといったら嘘になるけど。
……最後の最後にやらかした。
あれは雰囲気に流されたとしか言いようがない。
「彩音? はっ。ま、まさか本当に何かあったとか?」
「何もないってば。お母さんは私とあの人がくっついてもいいと?」
「今みたいに、だらけて女を腐られておくのがもったいなくて。何だかんだで朔也くんは公務員だし、生活も安定してるからねぇ。くっついてくれるのはいいかもしれない」
「浮気されまくりますよ、きっと」
「今のアンタなら誰と結婚してもそうされそうだけどねぇ。もうちょっとしっかりしなさい。そして、早く嫁に行って。とりあえずは顔を洗ってきなさい」
ベッドからお布団を取り上げられて追い出される。
顔を洗い寝癖を直して、お昼ご飯を食べる。
お腹が満たされてようやく頭がまわってきてから私はパソコンに向き合う。
リビングのクーラーが効いた涼しい部屋で、のんびりとキーボードを打ち込む。
「レポートもあと少し。仕上げちゃおうか」
民間伝承のレポートを書き終えて、あとは写真を添付するだけだ。
美浜町に伝わる人魚伝説と、地元住民たちにとっての人魚の島の関係。
いいレポートに仕上がったと自画自賛しながら、
「人魚の島か。面白い体験はできたんだけどなぁ」
私はプリントアウトした写真を手にそうつぶやいた。
「あの町で過ごしたのはいい思い出ばかり」
普段は経験できないことをさせてもらえた。
写真の中には最後に朔也君と一緒に撮った写真もある。
「朔也君……」
自分がどうして最後にあんな行動に出たのか分からない。
ただ、雰囲気に流されただけなのかもしれない。
気づいていない気持ちがあるのかもしれない。
どちらにしても、事実は一つ。
私は従兄相手にやらかしたということだけである。
「あれ以来、朔也君と連絡も取りづらいし。はぁ、私は朔也君を好きなのかな」
初恋相手は彼だった。
憧れていた気持ちはあったけども、大人になって好意は分からなくなった。
結局、再会しても明確に朔也君を想う気持ちについては答えは出なかった。
だけど、それでも私は……。
「また来年、会いに行こうかな」
今度は自分の気持ちを探しに行くために。
「……自分の気持ち、それまでに整理しておきたいな」
そして、時間をかけて答えを出したい。。
今度は純粋な想いで彼に会いに行きたいと思うのだった。
「朔也君がそれまでフリーだといいんだけど。あはは」
私は口元に笑みを浮かべて写真を片付ける。
「あの人は放っておくとすぐに誰かに手を出してそうだからなぁ」
それが一番の問題のような気がするの。
そんな時だった。
ピンポーン、とインターホンの鳴る音がする。
「彩音、誰か来たみたいよ。出てもらえる?」
「分かった。多分、宅配便かな」
私はハンコを持ちながら玄関に出る。
「はーい。今開けますね」
だけど。
扉を開けたそこにいたのは、思いもよらない人物だった。
「よぅ、彩音。4日ぶりだな。元気にしてか?」
笑顔でそう言い放つ男の人。
つい先ほどまで会いたいと思っていた相手。
「なんだ、今日の私服は地味だな? 色気のある服で出迎えてくれ」
「さ、朔也君!? な、なんでここに?」
思いもよらない来訪者に戸惑いを隠せない。
そう、そこに立っていたのは朔也君だったのだ。
「もうすぐお盆だからな。残りの休みを利用して戻ってきたぜ」
「……なぁ!?」
「驚いた? ふふふ、お前の驚く顔が見たかったのだ」
会いたいとは思ったが、こうも簡単に再会するとは思わず。
完全に予想外の展開だった。
「お土産を持ってきた。入るぞ。こんにちは、おばさーん」
彼はいつも通りの調子で家に上がっていく。
唖然とする私を置いていかれてしまう。
「あらぁ、朔也君。彩音が旅行中はお世話になったわね。こっちに帰省してたの?」
「えぇ、そうなんです。お盆だから親が顔を出せってうるさくて」
「ふふっ。朔也君は一人息子だもの、ふたりとも会いたがっているのよ」
お土産を手渡しながら普通に母と会話する朔也君。
「それとおばさんに、言っておきたいこともあって」
彼はこちらに振り向くと、わざとらしく自分の唇に手を当てる。
ま、まさか……?
その意味にドキッとさせられた。
とてもまずい気がする。
「実は彩音の事なんですが、将来的に俺の所にきてもらうかもしれません。まぁ、田舎に来てもらうのはアレなんですが。うちもいい所ですし、後悔はさせませんよ」
「は、はぁ!? さ、朔也君、何を言ってくれてるの?」
「あらら。そー言う関係になっちゃったの? やだぁ、どうしましょう?」
「まだ先の事ですけどね。なぁ、彩音? お兄ちゃんのこと、好きだもんなぁ?」
好き!?
私は顔を真っ赤にさせながら、お母さんと朔也君にからかわれてしまう。
「好きっていうか、何? いきなり、何なのよーっ!?」
「いや、だってお前が俺にキスするからさ。お兄ちゃん大好きって。俺も覚悟を決めようかと思い、わざわざ挨拶に来たのだが?」
「あ、あれは、違うというか。その、えっと……あー、もうっ」
自分の気持ちを整理する間もなく追い込まれていく、最悪だぁ。
「……ぐぬぬ」
従兄は女の子を弄ぶ才能に満ち溢れているお人だ。
こうやって私が恥ずかしがってることすら、楽しんでいるに違いない。
弄ばれているのに嫌な気持ちではない自分がいる。
私が経験したひと夏の思い出。
あの町で過ごした一週間は忘れられないものになるのだろう。
「お前にその気があるのなら、俺の所へ来いよ。彩音? お兄ちゃんは待ってるぞ」
私の中に芽生え始めてた恋心。
この気持ちと向き合いながら、私の将来を決めていかなきゃいけないのかもしれない。
「……考えさせてください」
照れくさくて、そう答えるのが限界だった。
いつかまた、あの町へ。
次に行く時には、どんな気持ちで向かうのだろうか。
私にとって、大きな宿題が残されたのだった。
【THE END】