第4章:嵐が過ぎ去るまで《断章3》
【SIDE:鳴海彩音】
崖の下から朝日が昇るを待っていると、ゆっくりと夜が明け始める。
ほんのりと潮風が香る、波打ち際の岸壁。
眩しくも美しい朝日が上がり始める。
徐々に白い空が青い空へと変わり始めた。
「恋波ちゃん。見えてきたぞ」
「うわぁ、朝日ってこんな風に昇るんだ」
「初めて見るんですか?」
「当然。普段はこんな時間に起きることなんてないし」
「朝日を眺めるのに慣れているのは斉藤たちくらいだよ」
都会に住んでいればこんな景色を見る機会がない。
「……これが人魚と一緒に見た光景か」
「素敵ですね。島にお泊りするようになったのはアレですが、これが見れただけで良しとします。素晴らしい光景だよ」
写真を撮りながら、美しい朝日に目を奪われていた。
海面に反射する太陽の光。
普段と違い、特別なものに思えるから不思議だ。
「人魚伝説の真相。帰ったら知ってそうな人に聞いてみようぜ。ちょっとした真実が分かるかもしれないからな」
「真実? 誰か心当たりでも?」
「……何となく一人だけ思い当たる人がいるんだ」
朔也クンはそう呟くと「聞くのが怖い人だけど」と付け足すように言った。
「なぁ、彩音。人魚が実際に見たかどうかは別としても、昔、ここで難破した漁師は朝日を見て自分が生きてるって実感をしたに違いない」
「生きている実感。朔也クンも今、その実感をしてる?」
「まさに心が洗われるようだ」
「思う存分に汚れきった心を洗ってもらったらいいわ」
冷たくそう言い切ると彼は「ごめんなさい」と凹んでしまった。
「……人魚が見た朝日。人魚伝説が生まれてもおかしくないほどに美しい海に囲まれた島と朝日がよく合っているね」
「この島を昔の人が神秘めいた何かを感じていたのも分かるな」
「もうすぐ、朝日が昇ってしまう。もうじき、朝が来る」
この素敵な時間はわずかばかりで終わりを迎える。
「……私、この町に来てよかった。楽しい思い出も、面白い発見もできたから」
「少しは俺も役に立っただろ?」
私はいつも通りの口調で「ほんの少しだけね」と彼に言葉を返した。
従兄と過ごした夏休み。
たった一週間ほどの間に私は多くの経験をしたのだ。
数時間後、無事に私たちは迎えに来てくれた船で回収された。
悪天候とはいえ、島に取り残されたことを斉藤さんはひどく気にしている様子で、
「いやぁ、天候不順とはいえ、ホントに悪かったな?」
「いえ、貴重な体験もできました。いい経験をさせてもらいましたよ」
「そういってもらえると気が楽になる。鳴海の従妹は良い子だな」
「そうかぁ? 彩音はこーみえて、いたっ!?」
余計なことを言おうとした彼を力づくで黙らせた。
「いたた……」
「先生は余計な一言を言いすぎだよ?」
「まぁ、これもスキンシップみたいなものだ。恋波ちゃんもありがとうな」
「うん。また祭祀の時によろしくねぇ」
今回はあくまでも準備に過ぎない。
数日後に迫る祭祀にも参加させてもらう予定だった。
港で二人と別れてから荷物を置きに一度家に戻る。
「シャワーでも浴びないと……」
「俺と一緒にお風呂でも入る? 昔みたいにさ」
「人の過去を暴露する人は嫌い。あっちに行ってください」
お風呂場までついてこうよとする朔也君を追い返す。
「ホント、ダメな人なんだから」
思わず私の口元には笑みが浮かんでいた。
なんだかんだ言いながらも、こんな風に彼とのやり取りは嫌いじゃないのだ。
朝ごはんも食べ終わり、ようやく一息ついたと思ったら、
「それで、朔也君。これからどうするの?」
「ちょっとした話を聞きに行くのさ」
家の近所の山道を登り始める。
すると見えてくるのはとても広いお屋敷。
「星野家? 確か、この前会った……」
「そう、由愛ちゃんの家でもある。会う予定なのはそのお姉さんだけどね」
インターホーンを鳴らすと、気の強そうなお姉さんが出てきた。
「鳴海。聞きたい事って何よ?」
「……相変わらずっすね。いきなり本題を切り出さなくても」
「あら、朔也さん。来ていたんですね。彩音さんもおはようございます」
由愛さんが気付いてくれて、家の中に案内される。
朔也君は彼女たちとは親しい間柄のようだ。
リビングに案内された私たちは、冷たい麦茶を出してもらった。
「どうぞ、朔也さん。昨日は大変だったそうですね」
「昨日の今日で情報が早いね。どこからそんな話が?」
「朝の散歩で聞きました。昨夜の嵐で黒重島に取り残されてしまったって」
「聞けば、倉野の妹も一緒だったんでしょ? 人魚の祭りか。あんなお伽噺を信じて大ピンチになるなんて鳴海らしいわ」
彼に辛辣な言葉を浴びせかける、この人は雫さんと言うそうだ。
由愛さんのお姉さんであり、朔也君の姉貴分らしい。
……この人、何気に交友関係が広いわよねぇ。
「そのお伽噺なんですけど、確かあの島って星野家も関係してましたよね? 毎年、祭祀にも参加してるそうですし。例の人魚伝説、何か元になる話とか聞いてないですか?」
「元になる話?」
「あんな不便な島に神社が作られた理由ですよ。雫さんなら知ってるんじゃないかって思って尋ねました。どうです? 例えば、俺の予想なんですが……」
朔也君は自分の考えていた話を雫さんにし始めた。
難破した二人の男女が最後に見た朝日の話。
すると彼女は意外そうな顔をしながら、
「似たようなものかもしれない」
「え? マジっすか」
適当な話かと思いきや、少しは的を得ていたらしい。
「人魚伝説が本当にあったのかは知らないけども、あの神社が作られたのは星野家も関係してるわ。昔、漁師の男と星野家の娘が結婚を反対されて、自棄になってあの島に逃げ出したの。だけど、船が流されてしまい、孤立してしまった」
「……そこで人魚の登場?」
「さぁ? 人魚かどうかは別として、彼らを探していた船が、大きな魚のような姿を見つけたそうよ。それについていくと、あの島にたどり着いた。命からがら助かった二人は、何とか結婚を認めてもらってめでたし、めでたし。という昔話ね」
「彼らが助かったのは魚のようなものに案内されたから?」
「えぇ。あれは人魚に違いないって感謝して神社を作ったらしいわ。別に悲恋でも何でもない、駆け落ち話。本当に案内したのが人魚かどうかは知らないけども。いつのまにか、その話が人魚伝説として語られるようになったそうよ」
伝承の原点、あの島で救われたという共通点はある。
人魚伝説の真相はこういう話だったのね。
「駆け落ちした星野家の先祖の身分違いの恋。それがどうしてあんな人魚伝説になったのかしら。人魚が見た朝陽はその時、彼らが見た朝陽が綺麗だったからかもしれない。人間って不安な時ほど、当たり前の現実を有り難がるものだもの」
私達も実際に見て、とても美しいと思えた。
あの朝日は素晴らしい光景だったもの。
「なるほど。それが伝承の真実ってやつですか」
「伝承なんてそんなものでしょ? とある話を都合のいいように作り変えて、盛り上げて作り上げる。人魚なんてホントにいるのかしらね?」
「……それじゃ、あの島にある石碑もそれ関係ですか?」
「石碑?」
雫さんは不思議そうに尋ね返す。
私は島で撮った写真を彼女たちに見せると、
「あら? これは……」
「何か知ってるのかい、由愛ちゃん?」
由愛さんが意外な真実を教えてくれた。
「はい、これはナポレオンのお墓ですね」
「な、ナポレオン? あのフランス革命の?」
「いえ、違いますよ。その昔、姉さんが飼っていたウサギの名前です。とても大きなウサギで、可愛らしかったんですよ。ナポレオンと言う名前でした」
朔也君が雫さんの方を向くと彼女はどこか気恥ずかしそうに、
「な、なによ? ナポレオンって名前で何が悪い。オスのウサギだったのよ」
「そうではなく、なんであの島にウサギの墓があるんですか」
「だって、年に一度はあの島に行くんだもの。ナポレオンのお墓参りができるから、亡くなった時に島に埋葬したのよ。私が墓を作ってあげたの。……それが何か?」
「いえ、もっと何かしらの島の謎があったのではないかと思いきや、まさか雫さんがウサギを可愛がっていた優しい思い出とは思いませ――ぎゃー」
「悪かったわね、ウサギのお墓で。あの黒重島は大したミステリーも何もない島よ」
恥ずかしさを誤魔化すために彼女に朔也君は吹っ飛ばされてしまった。
この人、ホントに余計な一言が多い人だ。
石碑の真実は意外なもので、子供時代の思い出のようなものだった。
別に謎でもなかったのね。
私は由愛さんに問いかける。
「人魚伝説を由愛さんはどう思いますか?」
「ふふっ。素敵なお話だと思いますよ。昔の人が体験した思い出を今も語り継いでいく。それってとてもすごいことだと思うんです。その過程で伝言ゲームのように尾ひれがつくのも当然です。それが面白いんです」
「これからも、地元住民にとっては黒重島は昔も今も人魚の住む島なんでしょうね」
「えぇ。人魚が真実かどうかは多分、関係ないんだと思います。あの島で不思議な体験をした。何かに助けてもらったという想いを伝えたいから伝承を残したんですから」
そう由愛さんは微笑みながら言うと、
「……美しい海には人魚が暮らしていても不思議ではありません。そんな海をこれからも守っていってほしいと言う人々の願いも込められているのではないでしょうか?」
「なるほど。そうかもしれませんね」
この美浜町の美しく、綺麗な海を後世にまで残していくために。
伝承とは過去の人の願いや想いを伝えていくためのものなのかもしれない――。