第4章:嵐が過ぎ去るまで《断章2》
【SIDE:鳴海彩音】
私が目を覚ましたのは深夜の三時過ぎだった。
「ん……?」
まだ外は小雨が降っているのか、静かな雨音がする。
「雨の音がする。まだ雨が降ってるんだ」
「さっきよりはマシだ。嵐は過ぎ去ったようだぜ」
「え?」
朔也君の声にハッとすると、すでに起きて壁際にもたれていた。
懐中電灯も、いつのまにかロウソクの火に再び変わっている。
ほんのりと揺れる炎に照らされる朔也君。
「もしかして、ずっと起きてたの?」
「まさか。一時間ほど前に目が覚めてさ。そのあとは、起きてただけ」
こんな離島の神社だ、何が起きてもおかしくない。
いざという時のために備えてくれていたのかもしれない。
「意外と責任感もあるようで」
「何を今更。お兄さんに信頼度を取り戻してくれ」
「……とか言って、私たちの寝顔を見つめてただけでは?」
「女の子の寝顔って見ていても飽きないのは否定しないけど」
彼は私に「彩音って寝相悪いよな」と地味にグサッとくる一言をつぶやく。
「よ、余計な一言を……」
昔からそうですけど、はっきりと言われるのも傷つくわ。
「だって、さっきも俺のほうに転がってきて、危うくチューしそうに」
「し、してませんよね!?」
さすがにファーストキスがそんなつまらないものなら嫌だ。
思わず自分の唇を押さえ込むと、彼は口元に笑みを浮かべながら、
「顔が近づいたところで抱きしめておいたから大丈夫だぜ」
「そっちも大丈夫じゃないっ」
「声が大きい。恋波ちゃんが起きるだろう」
「うぅ……」
なんか朔也君に注意されるのが悔しい。
私は寝袋から抜け出すと、彼の隣に座る。
「彩音ってベッドから落ちるタイプだな」
「あはは……家ではベッドではなく、お布団で寝るので大丈夫です。はい」
「そういや、彩音の部屋にベッドがなかった記憶が……そういう理由だったのか」
そういう理由です。
昔、まだ私がお母さんと一緒に寝ていたころ、ベッドから落ちて怪我をしそうだったので、一人部屋になってからもベッドを与えてもらえなかったのだ。
「どうでもいい話は置いといて。朔也君は、何をしていたの?」
「携帯電話で天気予報を調べたり、エロサイトをのぞいたり」
「地味に余裕だねっ!?」
「エロサイトはさすがに冗談だけど。電池が切れて連絡つかなくなるのが怖いからな」
そうでなかったら、のぞいてたとでも言いたそうな。
「怖い顔をするな。美人っぷりが台無しだぞ」
「顔を見ないで。メイク落とせてないからちょっと嫌な感じ」
「大して崩れてないから気にするな。彩音は可愛いぞ」
真顔で言われると照れくさいのでやめてもらいたい。
私は気恥ずかしさを隠すように隣の彼の手をつねる。
「地味に痛いからやめなさい。しかし、孤島で一夜を過ごす経験ってのも考えてみればありかもしれない。人生において貴重な経験だ」
「そう? 私はただ不安だけどね」
「不安な従妹を励ましたら、好感度があがるだろうか」
「言葉で言わず態度で示すのがいい男だと思う」
そういうと彼が私の手を握ってくる。
「彩音の手は思ったよりも小さいな」
「いきなり握られるのもどうかと思うの。セクハラしないで」
「従妹を可愛がってるだけさ。肩を抱きしめてもよろしい?」
「……だから、セクハラだってば。んっ」
私の言葉もおかまいなしで、肩を抱く変態従兄。
ただ、少し寒さを感じたこともあり、今日は抵抗せずにいる。
今日くらいはセクハラも許してあげよう。
しばらく、そんな風にしていると唐突ながらも、
「ねぇ、朔也君が昔付き合ってた子の話をしてもいい?」
「あ、彩音さん。いきなり古傷をえぐるような従妹には育てた覚えがないぞ」
「懐かしい話じゃない。千歳さんだっけ。朔也君が可愛がってた女の子の名前」
東京にいた頃に何度か見たことがある。
彼の恋人には似つかわしくないほど純情なお姉さんだった。
元恋人の話をすると苦い顔をする。
「千歳なぁ。いろいろとあって、現在、ほぼ音信不通だ」
「あらら、結局破局したの? それじゃ、唯花(ゆいか)さんは?」
「……は?」
驚く彼に私は「唯花さんだよ? 覚えてない?」と尋ね返した。
「彩音が知ってることにびっくりだ。直接会わせたことがないだろ」
「朔也君と同棲してた女の子だよねぇ?」
「マジで知ってるのか。えー、なんで?」
「紹介してもらったことはないけども、何度か話したことはあるよ。ていうか、向こうから声をかけられたんだけどね」
朔也君の恋人だった千歳さんは留学していた頃に、彼と同棲していたのが唯花さん。
別の大学に通う子で、合コンで知り合ったらしい。
中学高校と私は朔也君に家庭教師をしてもらっていて、何度か遊びにも連れて行ってもらっていた。
その姿を見られていたらしく、私たちの仲を怪しんで声をかけられたのがきっかけ。
当時は私も高校生で、大学卒業間近の彼と付き合っていたら、おかしいのだけど。
彼には私ではなく、本命の彼女がいたという事実を知らなかったんだから性質が悪い。
「今思うとあれって千歳さんに対する浮気でしょ。唯花さんに対してもさぁ。ものすごくいい人だったのに、遊び半分で付き合った浮気相手だったということだよね?」
「その件に関しては思い出してはいけない過去なので封印させてください」
「二人の女の子を苦しめた悪人さん。その痛みを思い出して」
本当にこの人の女癖の悪さは言葉にしづらいものがある。
ため息をつく朔也君。
大学時代の恋愛のひどさを見れば、今の彼は多少はマシになってるのか。
「留学から帰ってきた千歳さんとよりを戻して、半同棲までしていた唯花さんをポイ捨て。弄ばれてた唯花さんが不憫でならないと私は思います」
「反省してますので、本当にもう追求しないで。それ以上追求されたら押し倒す」
さすがに押し倒されたくはないので追求をやめる。
こういうことって普段は聞きづらいから言わないけども。
ただ、前から聞きたかったので一言だけ。
「なんで大好きな千歳さんがいたのに、浮気しちゃったわけですか?」
「心の隙間に入り込まれたとしかいいようがございません」
「唯花さん、尽くしてくれるタイプのいい女の子だったもんね」
「……ちくしょう、なんで唯花の事を彩音が知ってるんだよ。黙ってたのに」
軽く頭を抱える朔也君は静かに嘆いた。
都合の悪いことだから隠していたんでしょうが。
こう言う所があるから従兄としては全く尊敬できない。
「ホント、朔也君って優しくていい人そうに見えるのに、やってきたことは鬼畜だよね。最低だよね。男としてはどうしようもない、去勢されちゃえばいいのに」
「発情期の猫扱いされてるし。あの頃の俺がどうしようもない野郎だったのは認めるけど、今の俺は違います。女の子を一途に愛する素敵な男子であると自負します」
「過去は変えられないんだよ、朔也君」
それがトドメとなったのか「今後、過去を繰り返す真似をしない」と誰かに誓った。
「本命が帰ってきたからって、あっさりとポイ捨てられた唯花さんは今頃、まともな恋愛をしているのかな。ああいうのって心に深い傷を負わせちゃってるかも」
「あのー、彩音さん。なぜこんな時に俺の過去を掘り返すのですか」
「ただの暇つぶしの会話?」
「さり気にひどいな。暇つぶしで従兄をイジメないでくれ」
「あと、女がらみでひどいという事を自覚して欲しくて」
隣で「泣きたくなるほどに自覚させられた」といじける朔也君だった。
消せない過去を大いに反省してくださいね。
そんなやり取りをしていると、いつのまにか外の雨音が聞こえない。
「あれ? 雨がやんだ?」
「現在時刻、朝の4時過ぎ。外の様子を見てくるか」
「あ、待って。私も行く」
外に出ると、すっかりと雨はやんでいた。
薄い黒雲が風に流れていく。
「海側って風が強いから雲が流れていく早さが違うね」
「この様子なら朝には帰れそうだな」
「うん。ふわぁ」
私は小さく欠伸をすると空を見上げていた朔也君が、
「夜明け前の空だ」
「え?」
「ほら、空が段々と白くなってきてるだろ。もうじき夜が明けるぜ」
言われて気づいた。
白い空にまだ見えぬ太陽。
薄明りの空は間もなく夜が終わる。
嵐は過ぎ去り、朝を迎えようとしていた。
「あれだけの雨だったのに」
「いい具合に風が雲を吹き飛ばしてくれたな」
「もうすぐ、朝日がのぼりそうな雰囲気だね」
「朝日か。そうだ、せっかくだから朝日を見ようぜ」
「え? 朝日?」
朔也君の提案は私たちがこの島に来た目的でもある。
そう、この島はかつて人魚と共に漁師が朝日を見たという伝承の残る島。
「人魚が見た輝き。俺たちも見てみたいとは思わないか?」
「伝承通りに朝日が見られる?」
「そういうことだ。せっかくのチャンスじゃないか」
昼間に降りたあの崖まで行けば、かつての伝承のように人魚と一緒に見た朝陽が見られるかもしれない。
「朝日が昇るのは時間帯的には今の季節だと5時前くらいか」
「まだ時間はあるし、準備くらいはできそう」
「恋波ちゃんを起こそう。あの子だけ置いていくと可哀想だからな」
「うん、そうしよ」
彼女だけ仲間はずれにするのはあとで怒られてしまう。
すぐさま神社に戻り、眠気に負けてる可愛らしい恋波ちゃんを起こした。
「恋波さん、朝ですよ。一緒に朝日を見ませんか?」
「……ふみゅぅ」
「ダメだ、この子。案外、寝たら起きないタイプだな」
なんで私を見て言うんですか。
少し起こすのに苦労したものの、彼女は目を覚ました。
「おはよー」
「おはようございます、恋波さん」
「恋波ちゃん、おはよう。朝日が見られるかもしれない。一緒に見に行かないか?」
「ここまで来たんだもん。せっかく見られるチャンスがあるなら見ないと損だよね」
恋波ちゃんに案内してもらい、私たちは再びあの場所へ。
地面は雨でぬかるんでいるので、足場がとても悪い。
「雨で濡れてるから足元だけには気を付けて」
「いざという時には朔也君が飛び込んで助けてくれますよ」
「さすがに無理っす」
まだ朝日が昇る前の時間帯。
薄暗いうえに足元が悪い中、私たちが崖の下におりる。
まもなく、朝陽が昇ろうとしていた――。