第4章:嵐が過ぎ去るまで《断章1》
【SIDE:鳴海彩音】
「こんなはずじゃなかったのに。天気予報はちゃんと確認してたのになぁ」
愚痴っぽく恋波さんはロウソクに火をともしながら呟く。
船がこれないと言うことで、神社に一晩泊まることになったのだ。
「山奥の別荘で殺人事件が起きたら、がけ崩れが起きて道がふさがって警察がこれない定番のパターンみたいな。無人島から脱出できないイベントってやつだ」
彼女は「すぐ近くなのに」と唇を尖らせた。
「風がキツくなると海も荒れますからね」
「んー、もう少し早く帰ればよかった。でも、こういうのって経験ない事だからちょっとドキドキしたりはするかも」
「嵐の夜は気持ちが騒ぐもの。何となくわかります」
まだ雨は降り始めていないけども、風は強く扉を叩く。
あいにくと、今日の夜は嵐になるらしい。
「ていうか、朝から気になってたんだけど、彩音さんって私に敬語じゃなくてもいいのに。私の方が全然年下だよ? むしろ、私が敬語使う方なのに」
「ふふっ。一応は恋波さんは協力者ですからね。貴方の協力なしには、このフィールドワークもできませんでしたから」
「真面目だなぁ、彩音さんって」
「そんなことはないんですけど。……そろそろ、朔也君も戻ってくる頃でしょうか」
本来は無人島であるために宿泊することはない。
だが、念のために宿泊するためのものは用意されているらしく、朔也君が灯台の方へと荷物を取りに言ってくれていた。
「先生と彩音さんって、従兄妹同士なんでしょ?」
「えぇ。実家は東京なんです。朔也君の家も近くて、あちらで彼が暮らしていた時には家庭教師をしてもらったりしてお世話になっていました」
「ふーん。お兄ちゃんって感じだったんだ」
「そうですね。私は三姉妹の末っ子でしたから、彼に甘えていた所はあります」
朔也君もずっと実妹のように可愛がってくれていたのだ。
「やっぱり、先生が初恋の相手だったりするの?」
「え? あ、いえ、それは……どうでしょう」
小さな頃から憧れていた気持ちはあった。
ただ、今の彼にそう言う気持ちを抱いてるかと言うとかなり微妙だ。
今は失望感の方が大きいし、というか失望しかしてない。
「初恋って近くにいる男の子を好きになるものじゃない。私もね、実は幼馴染の子が好きだったりするの。ずっと仲良くしてるくれる子がいるんだ。まだ片思いだけど」
照れくさそうに恋波さんは笑って言う。
中学生なんて恋愛をしたい年頃だもの。
「近くにいすぎて恋愛対象に想われてないんじゃないかって思う時もあって告白とは全然できてないんだ。でも、高校に入る前までにはしたいと思ってる」
「環境が変わる前に、ですか?」
「ほら、高校になると男女ともに恋愛が普通になるじゃん。そうなると、彼だって別の子と付き合っちゃうかもしれないし。そうなる前に告っておきたいんだ」
恋波さんは「フラれたらショックだけどね」と恋する女の子の顔をして言った。
恋をすることは不安と期待に悩まされると言うこと。
私はまともな恋をしていないから、恋のアドバイスすらできないや。
「大学生になると合コンとか日常的なんでしょ? 出会いもたくさんありそう」
「……そうですね。私はあまりそう言うのに参加しないので、縁はないんです。ただ、あの朔也君の大学時代はひどいものでした」
「あー、鳴海先生って女好きって噂だもの。カッコいいけど、すぐに手を出す人ってお姉ちゃんが困ってた。若い頃はもっとひどかったんだね」
私の従兄が大変、ご迷惑をおかけしています。
「俺がどうしたって?」
ちょうど、荷物を抱えた朔也君が戻ってきた。
次々と荷物を中へと運んでいく。
「寝袋があったから持ってきた。あと、こっちは食料関係な。水もあったぞ」
「先生、よくこれだけの荷物を一度で持ってこれたねぇ」
「倉庫代わりの灯台に猫車があったんだよ。ほら、工事現場とかで見かける手押し車。これが便利で助かった。なかったら嵐の中を往復するところだったよ」
「そっかぁ。外は雨が降ってきてる?」
「少しずつな。これから本降りになりそうだ」
嵐はもうすぐそこまで来ている。
強い風が吹き込むので扉を閉めると、
「まずは食事にでもするか。缶詰とか、非常食があったぞ。賞味期限はまだ大丈夫っぽい。定期的に交換してるんだな」
「うん。いざという時のための準備だからね」
何事も準備は大切ということだ。
私達は缶詰とお米、それにお水という少し寂しい夕食を食べることにする。
ただし、今時の非常食は味も美味しく食べられるもの。
「こういうタイプのご飯は初めて食べるけど、悪くない味だな」
「私は登山部時代によく食べてたけどね」
山歩きだとこういうのがすごく便利なの。
「彩音って見た目は登山とかするタイプじゃないのに、アウトドアが趣味なんだよな。小さな頃のお前からは想像できない」
「鳴海家の血筋なんじゃない。ほら、私の父やお祖父さんもよく登山をしているし。朔也君のお父さんも釣りが好きでしょ?」
「……それはあるかも。じいちゃんは今でも年に一度は山に登ってるからな」
子は親の背中を見て育つ。
彼らから小さな頃から話を聞かされたり、実際にキャンプや登山に連れて行ってもらったりして、今ではアウトドアは私の趣味だと言える。
そういう影響を受けているのは間違いない。
食事を終えると、寝袋を並べて早くも寝る準備を始めていた。
「朔也君は灯台の方で寝てください」
「無理!? あの中は思ったよりも狭いから」
「ならば、端の方でじっとしていて。こちらに来たら、雨の中に放り出すわ」
「彩音の容赦なさと俺への信頼のなさに涙がこぼれるぜ」
朔也君に襲われる心配はしていないけども、もしもと言う場合がある。
男の子だもの、何が起きるか分からない。
揺れるロウソクの明かりだけを頼りに私達は寝転んでいた。
「神社の中でロウソクの明かりを頼りにしているとまるで昔話の世界だ」
「そして、殺人事件が起きるの。朔也君、さよなら」
「起きません。あと何度も俺を殺すな、犯人は彩音だろ」
「それはともかく、昔の人ってよくこんな薄暗い中で平気だったよねぇ」
恋波さんはあまり明るくない場所が苦手の様子だ。
「ロウソクはつけっ放しだと危ないから適当に消すよ。火事になっても困るしな」
「えー、消しちゃうの?」
「恋波さん。私のバッグに懐中電灯がありますから、それを使いましょう」
ロウソクの代わりに懐中電灯を照らす。
アウトドア用のものなので、明かりの調整もできてちょうどいい。
「ほんのりと明るい。これなら安心かも」
「これで誰かさんが襲いかかってきても迎撃できる」
「襲わないっての。もうちょっとお兄さんを信頼して」
とはいえ、寝袋を並べて横に寝るのは少し緊張する。
壁代わりにバッグなどを並べたかったのだけど、狭いスペースの問題でできないのがとても残念で仕方がない。
気づけば外は大雨が降っているようで、時々、雷鳴も聞こえた。
「改めて言うけど、私達を襲ったら嵐の海に放り投げるので覚悟しておいて」
「……雨の中から海の中に変わりやがった。魚のエサになる気はないぜ」
朔也君への牽制はこの程度で大丈夫だろう。
「恋波さんは暗い所は苦手なんですか?」
「うーん。場所が場所だけにちょっと不安なだけだよ」
彼女ではなくても、無人島の神社という特殊な事情だ、不安に思うこともある。
それでも、10分も経てば隣から静かな寝息が聞こえてきた。
「恋波さんは眠ってしまったみたい」
「この子のおかげで今日は島を満喫できたんだ。ゆっくり寝かせてやってくれ」
「そうね。良い経験が出来たのも彼女のおかげだもの」
このハプニングもある意味では思い出になりそうだ。
「ありがとう、彩音」
「いきなり、何? 謝罪ならともかく礼を言われる理由が分からない」
「彩音が来なかったら、俺は地元にある伝承にも触れずにいたんだ。人魚の物語なんてあることも知らなかったからさ」
人間って興味のない事は触れることもない。
例え、それが地元の身近にある事だともしても。
伝承が消えていくのはそう言う事情もあるのだ。
ずっと何百年も前の話を、誰かが伝えていく必要がある。
「民間伝承。案外、面白い経験ができたな」
寝転びながら天井を見上げる朔也君が私に囁く。
「人魚の島か。夢のない話だけど、人魚の正体がアザラシってホントか?」
「沖縄の方にある伝説だとジュゴンだったみたいだよ」
「ジュゴン? あの絶滅危惧種の?」
「昔からジュゴンの肉は特別なもので食べれば不老不死だと言われていたのだとか」
人魚の肉を食べれば不老不死になる。
その伝説もジュゴンの肉が神聖視されてたゆえの伝説かもしれない。
「人魚は海に関係する物語が多いからね。伝承によれば、人魚に関わると大きな災いを呼んだりしたものもあるらしいから」
「災い?」
「例えば、捕まえられた人魚を助けるために津波を引き起こしたりしたみたい。実際に津波が起きた事実があって、その津波を起こしたのは誰かが捕まえた人魚のせいだ、と噂を広めたんでしょうね」
「それがいつしか伝承となった、ということか。昔話ってそんなものか」
民話、伝承は過去の人間の作り話にすぎないと言ってしまえばそれまで。
だけど、長年伝えられてきた物語に詳しい真実を求める必要はないと私は思う。
それに答えられる人間はもうこの世界にはいないのだから。
ただ、考察程度はしておいてもよそうだ。
「この人魚の島には、どんな真実が隠されていたのかな」
「人魚に助けられた男が神社を作った理由か?」
「うん。本当に助けられたと言うわけでもないでしょう。ただの海の守り神を祀るためだけにこの場所に神社を建てただけなのかも」
それに人魚の話をこじつけただけ、と言うのもありえるだろう。
だけど、この場所は波が荒く木材を運ぶのも大変な場所だったはず。
このような不便な場所にわざわざ神社を作ったのには理由があるはずなのだ。
「……俺の考えを言ってもいいか?」
「どうぞ?」
「灯台の横に供養塔みたいな小さな石が建っていたんだ。まるでお墓のようにも見えた。彩音は気づいていたか?」
「えぇ、変わった場所に石が置いてあるなとは思ってた」
ただの岩のようにも見えたけども、気になったのは事実だ。
あれを慰霊碑だとは思わなかったけども。
朔也君は自分の考えた新たなる物語を語りだす。
「嵐の夜に難破した漁船にはふたりの男女が乗っていたんだ」
「男女? 漁師だけではなかったと?」
「そうだ。例の漁師ともうひとり、乗っていた人物は庄屋の娘。彼らは身分違いの禁断の恋に落ちていた。つまり、駆け落ちするしかなかったわけだ」
「はぁ」
いきなり話が妙な設定になったけども最後まで話を聞こう。
「駆け落ちしたふたりだが嵐に巻き込まれて船は難破。この島にたどり着いた」
「……なんで駆け落ちするのに船に乗ったの? 陸路で逃げた方が安全でしょう」
嵐の日に船に乗るなんて自殺行為でしかない。
いくら昔話とはいえ、そんな事はしないだろう。
「そ、そこで突っ込むな。こほんっ。船が難破して溺れた漁師を救ったのは庄屋の娘だった。けれども彼女もひどく体力を消耗して、命の危機を迎えていた」
「それで?」
「最後に二人が見たのが朝陽だよ。海面に輝く朝陽を眺めながら、娘は息を引き取った。美しい朝陽と娘の死。あれは悲しい恋の物語だったというわけだ」
悲恋の果てに、ねぇ?
「この島には彼女のために小さな社が建てられたというわけ?」
「そう。神社があれば、供養のために毎年この島に来ることもできるしな」
「なるほど。朔也君のお話は完全に否定するものではないかもしれない」
「いつしか庄屋の娘は人魚へと話が変わり、今では人魚の島だと言われる事に。どうだろうか、俺の考えたお話は? 結構、ありそうな感じじゃないか?」
朔也君の妄想ストーリーながらも、少しは真実に触れているかもしれない。
この不便な場所に神社が建てられて維持され続けているのは事実。
その事実にどのような真実が隠されているのかは誰にも分からない。
「どちらにしても、人魚の話は悲恋ばかりだね。泡沫に消えた儚く淡い恋。人魚姫の物語のように悲しい結末しか残らないものなのかな」
無人島で過ごす嵐の夜。
私はそう呟きながら瞳をつむり眠りについたのだった。