第3章:いざ、人魚の島へ《断章1》
【SIDE:鳴海彩音】
私がこの美浜町をおずれてから数日。
今日は約束の人魚の島、黒重島に渡る日だった。
朝から気合いを入れて、シャワーを浴びていると、
「……ふわぁ」
欠伸する声に私は思わずびくっとする。
「ちょっと!? 何、勝手に入ってきてるの、朔也君っ!?」
お風呂場の曇りガラスの向こう側。
朔也君の人影、堂々とお風呂場の方へと入ってきてる事にびっくりした。
そちらには脱いだ下着も置いてるわけで私は顔を赤らめる。
「んー、洗面所で顔を洗ってるだけだ」
「お風呂に入ってる時に、普通に入ってくるとか。デリカシーが欠けすぎ!」
「気にするな。俺は気にしない」
「この変態っ、エッチ!」
私が叫ぶのも気にもせず。
ついには歯を磨き始めるありさまだった。
「あー、ぶっちゃけた話、今さら女の子が全裸でシャワー浴びてるだけで興奮できねぇし。覗く気もないので気にせず、ごゆっくりどうぞ」
「その余裕がムカつくんですが」
彼くらいに女の子の経験がある人はこんなに余裕があるものなんだろうか。
呆れと怒りやらで複雑な気分にさせられる。
「もちろん、彩音が全裸を見せてくれるのならばそれを拒む理由もなし。ただ、曇りガラスの向こう側の全裸を想像して興奮するほど子供でもないのですよ」
「……それ以上の暴言を吐いたら、おばさんに従兄にセクハラされたと伝えます」
「うちの母さんなら、責任取れって言わされるかも。マジでやめて」
「こんな人に責任とらされたくないし!」
私はガラスの扉にシャワーを浴びせかけて牽制する。
「お湯の無駄使いはやめなさい。はい、歯磨き終了。言われた通りに邪魔ものは帰りますよ。彩音も適当に朝シャンして準備しろよな」
「ホントに余裕ですねぇ。ああ、もうっ!」
立ち去っていく彼へ行き場のない怒りがこみあげて来る。
ドキドキされないのもされないで、すっごく腹が立つんです。
女として意識されたいような、されなたくないような複雑な乙女心だ。
「……鳴海朔也。我が従兄は恐ろしい」
ガツガツした男の人に見えて、意外と変な余裕もあるし。
こういうことでいちいち騒いでしまうのは経験値の差なんだろうか。
恋愛経験が満足にない私には判断できなかった。
「……あのー、彩音さん? 俺の朝食が食パン一切れってどういうこと?」
「それの何か問題でも?」
自分の席にはサラダとスクランブルエッグ、イチゴジャムを乗せたトースト。
彼の席にはまだ焼いてすらもないトーストが一切れ。
明らかな差に彼は唖然としている。
彼の家でお世話になってるために毎朝の食事は私が用意していた。
あまり料理を実家暮らしでしない私でも簡単な朝食くらいはできるもの。
ただし、今日は先ほどの件でお仕置きしてみた。
「お兄さんの朝ごはん。さすがに食パン一切れは寂しすぎるぜ」
「自業自得。変態さんにはそれで十分でしょ」
「なんか怒ってる? もしや、先ほどの件でしょうか?」
「それ以外に何か? そりゃ、これまで数え切れないほどの女性を相手にしてきた朔也君ですから、ああいうことにも慣れまくってるんでしょうけどねぇ?」
女好きの彼の事だ。
これまで何人もの女の子と関係を持ってるだろうし。
それで、ああいうことも今さら緊張感もなく平然としてしまうのだろう。
「慣れてることは否定しないが」
「……ふんっ」
「あー、じゃなくて。その、あー」
彼は何とフォローすればいい分からない様子。
「私が何に対して怒ってるのかお分かり?」
「えっと、彩音のお風呂を覗かなくてごめんなさい」
「全然違うわっ!」
「え?」
「そこで普通に驚く方がおかしい」
このど変態さんは、自分のした行動の重さが全然分かっておられない様子だ。
「何で覗かれなかったことを怒ってると思うんですか、このど変態さんは……」
「あんまり変態、変態言うなぁ。繊細なお兄さんの心が傷つくぜ」
「うるさい、変態従兄。傷ついてるのは私の心。デリカシーのない従兄は嫌いです」
私は食事をしながら朔也君に冷たい視線を向ける。
「とにかく、今日は罰として食事はそれだけで我慢して」
「せめて俺もイチゴジャムを……いえ、何でもないデス」
私の睨みに負けて、生の食パンをかる朔也君だった。
まともなフォローすらもできないダメ従兄に呆れるしかない。
朝から不機嫌な思いをさせられてしまう私だった。
約束の場所は美浜町の港だった。
午前10過ぎ、待ち合わせ時刻に合わせて漁港にやってきた。
大きな荷物を持った恋波さんが先に待ってくれていた。
「おはようございます、恋波さん」
「おはよ、彩音さん……と、鳴海先生は何でへこみ気味?」
「近づいちゃダメですよ。あのど変態なお人は近寄ると妊娠させられます」
「ひどい言われようだな」
私は恋波さんを守るように、朔也君から引き離す。
「私はとても悲しい。こんな性に淫らな人がたくさんいるから、教師の女児乱暴事件が起きるんです。先生ってロリコンばかりなのね」
「ちょっ!? 俺をああいう社会の敵と一緒にしないで。俺もあんな事件を起こす連中は本気で軽蔑してるんです。教師が生徒に手を出すとはけしからん。こう見えて、学校の先生に関してはプライド持ってるぞ」
「……へぇ、そうですか。ふーん」
「棒読みだし。全然、信じてくれてないやい」
そのプライドとやら、もうちょっと私生活にも持ってもらいたい。
「先生と彩音さん、喧嘩中?」
「ちょっとね。朝から事件があって我が従妹殿はご機嫌がななめなのさ。それはさておき、恋波ちゃん。黒重島までは船で行くんだっけ。その船は?」
「もう少し待って。頼んでる人がいるから」
朔也君が「もしかして?」とある人に気づく。
数分後、待ち合わせ場所に来てくれたのは朔也君の友人である斎藤さんだった。
少しお疲れの様子が見て取れる。
「待たせたな、皆。こちらも朝から漁に出かけて忙しかったんだ」
「斎藤か。お仕事お疲れさん。お前が黒重島まで連れて行ってくれるのか?」
「そうだ。ホントは倉野の爺さんが自分で船を出す予定だったんだけどな」
隣の恋波ちゃんが困った顔をしながら、
「その、私のおじいちゃん。昨日、ぎっくり腰をやってしまいまして……」
「ぎっくり腰?」
「幸いにも軽度だから数日安静していればいいだけなんだけど」
それはそれで大変だ。
恋波ちゃんが「こうなるから大人しくして欲しかったのに」と呆れ気味だ。
言葉とは裏腹に心配しているのがよく分かる。
この子はとてもおじいさんを大切にしている良い孫だもの。
「年なのに無茶するから。おかげで人魚の祭りの準備も全部、私達ですることに。先生たちにも手伝ってもらうけど、ごめんね?」
「いや、そう言う事情なら構わないさ」
「そう言うことで、臨時に俺がお前たちをあの島に連れていく役目を引き受けたわけだ。ちょっと漁に出たばかりで、魚臭いが船に乗ってくれ」
こうして斎藤さんの船で黒重島に向かうことになった。
そして、島で私達は思いがけないハプニングに巻き込まれることに。