第2章:フィールドワーク《断章1》
【SIDE:鳴海彩音】
翌日、予定通りに朝から出かける事になった。
バイクを止めたのは山のふもとだった。
片倉神社へは徒歩で階段を登るらしい。
「先日、ここで夏祭りがあってさ。俺は青年会にも入ってるからその関係で宮司さんとは知り合いなんだよ。好々爺って感じのおじいちゃんだ」
「くすっ。朔也君もすっかりと美浜町の人間なんだね」
「そりゃ、地元住民から慕われてる若者ですから」
「……これで女好きでなければ素敵な人なのに」
朔也君は「女好きは俺の個性なんだい」と軽く拗ねた。
「そんな個性はいりません」
もっと違う個性を見せてもらいたいもの。
階段を登り終えると、一人の巫女姿の少女が境内をホウキで掃除している。
「おや、見慣れない子がいるな」
「巫女さんは普段いないの?」
「いるけど、もっと年上の女性だよ。彼女は初めて見る。中学生くらいかな」
どこか幼さの残る顔立ちながらも強気な凛とした瞳。
黒髪美人なクールな印象抱く女の子だった。
「どうも、こんにちは」
朔也君が挨拶をすると彼女は軽く会釈をする。
「あれ、先生?」
「俺の事を知ってるのか?」
「この前、青年会の人たちと一緒にいたのを見たから。先日は神社の祭りでお世話になったからね。おじいちゃんが喜んでたよ」
「そりゃ、よかった。えっと、キミはもしかして倉野さんのお孫さん?」
「倉野恋波(くらの こなみ)。恋の波って書いて、こなみって読ませる」
巫女さんはそう言って自己紹介してくれるのでこちらも名前を告げる。
「恋波ちゃんか。可愛い名前だな。ということは、姫香さんの妹か」
「先日のお祭りの打ち上げで、お尻を撫でまわして困らせてた巫女さんの妹だよ」
意地悪く言う恋波さんの発言に私は白い目で彼を見る。
「……な、撫でてませんよ? ホントだよ?」
「朔也君って発情期の猫みたい。あちらこちらに隠し子が」
「いないっての。俺は一途なタイプだぜ?」
「はいはい。このオス猫さんは去勢した方がいいような気がしますね」
「それはやめて!?」
従兄のダメダメ具合に呆れかえってしまう私だった。
「それと、セクハラとかもしてないし」
「先生が姉さんを気に入っていろいろといやらしい事をしてたのを私は見た」
「……という目撃証言もありますが?」
「酔ってたので覚えていません」
遠い目をして誤魔化す彼だった。
「最低ですね、この従兄は……はぁ」
多分、彼の事だから本当にひどい真似はしていないだろうけど。
この狭い町で悪評が立つような真似をするとも思っていない。
ただ、女好きという点で人様に迷惑だけはかけて欲しくない。
「従兄がとんでもない破廉恥な真似をしてしまったようで。親族として謝罪します」
「やめてくれ!? ホントに俺がひどい奴みたいだ」
「鳴海一族の恥だよね。最悪だよ」
「ぐぬぬ。そんないい方しなくてもいいじゃないか。俺は自分に素直に生きてるだけだ」
恋波さんのお姉さんが気に入って口説いていただけだと容疑を否定する。
それが悪いのだと理解してもらいたい。
「大体、朔也君は女好きがひどすぎます」
「彩音さん。先生は昔からこういう人だったの?」
「頭はよくても、女の子好きでダメな人で……親族としても困ってる」
「ひどい言われようだよ。真面目に教師しているのにさ」
朔也君のセクハラ疑惑を追及していると、境内の奥、本殿にたどり着く。
「おじいちゃん。お客さんを連れてきたよ」
お仕事をしている宮司さんがそこにいた。
「おぉ、鳴海の先生じゃないですか。こんにちは」
この町で朔也君は先生と言う肩書きでいろんな人に呼ばれている。
知り合いも多そうだし、地元住民の中には溶け込んでいるようだ。
「この前はどうも。斎藤君から話は聞いてます。この神社の古い伝承に興味があるとか」
「えぇ。うちの従妹が大学の方で民俗学の研究サークルに入ってまして、人魚伝説をテーマにフィールドワークをしたいと言っているんです」
「初めまして。鳴海彩音と申します。こちらの人魚伝説の話を詳しく知りたくて、お話を聞かせてもらえたらと思いお尋ねしました」
宮司のおじいさんは好々爺と言った穏やかな雰囲気の持ち主だった。
「そうですか。若い女性なのに、意外なものに興味をお持ちで。暑い中、大変だったしょう。どうぞ、おがりください」
案内されて社務所の方にあがらさせてもらう。
ひんやりとクーラーの効いた部屋に入るとホッとする。
「社務所。ここって巫女さんのお仕事場みたいなものだよな」
「そうだね。お姉ちゃんはここで働いてるよ。今はいないけど」
「恋波ちゃんはそのお手伝いか。えらいな」
「夏休みの間だけ。暑いからね。おじいちゃんに無理して倒れられても困るし」
そう言いながらも、祖父想いのいいお孫さんという感じだ。
見た目はクールな印象を受けるけども、すごく心音の優しい少女なのだろう。
「恋波。悪いが、あれを持ってきてくれるか。本殿の方に置いてある絵だ」
「アレね。分かった。すぐに取ってくる」
祖父の代わりに彼女は部屋を出て何かを取りに行く。
その後姿を眺めながら朔也君が尋ねた。
「恋波ちゃんは良いお孫さんですね。来年は高校生ですか」
「えぇ。夏休みの間はうちの手伝いをしてくれる子です。あまり愛想のいい子ではないんですが、内面は優しい子でね」
「それは見ていて分かりました。あの子は良い子ですよ」
「来年は鳴海先生たちの生徒になる予定です。よろしくしてやってください」
こういう所を見ると、先生としては朔也君は認められているようだ。
私生活の乱れを正せば、恋人もすぐにできるはずなのにな。
冷たいお茶を飲みながら、私は改めて経緯の説明をした。
「そうですか。彩音さんは東京の方から来たんですね。ずいぶんと遠くからきたものです。鳴海先生も東京の方へ行っていたそうですね」
「生まれはこちらなんですが、大学はあちらでしたから。親族も含めて向こうの方に」
「なるほど。生まれ故郷とはいえ、田舎に戻ってくるとは先生もやりますな」
他愛のないを話をしていると、恋波さんが「持ってきたわよ」と古い絵を持ってくる。
「彩音さん。これが人魚伝説の元になった一枚の絵です」
「写真を撮らせてもらっても?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
許可をもらいデジカメで写真撮影をさせてもらう。
その絵には漁師と人魚と思われる女性が描かれていた。
浜辺で寄り添う人魚と漁師が朝焼けを眺める様。
「……古そうな絵ですね」
「描かれたのは江戸時代の前期くらいでしょうか。この神社に伝わる古いものです」
「海の綺麗な町ですから、人魚の伝承が生まれたのでしょうか」
「土地柄のこともあるでしょう。この町には人魚の島というものがあります」
その絵に描かれている浜辺があるのは人魚の島らしい。
「黒重島でしたっけ。斎藤さんに聞きました」
「はい。黒重島と呼ばれています。遥か昔からあの島には人魚が住むと言い伝えられていたそうです。離れ小島に近づくな、と言う警告の意味もあったようですな」
人魚の島。
古くから地元住民に言い伝えられた島の存在。
「昔からあの辺りは波が荒く、人を容易に近づけさせない場所でした。それゆえにそんな話が生まれたのでしょう」
「昔の人はあの島に人魚がいると信じていたんですね」
「そして生まれたのがこの人魚伝説です」
ある日、一人の漁師が漁に出る。
しかし、急な悪天候により波が荒れ、船が転覆してしまう。
そんな彼を救ったのが人魚だった。
人魚に助けられた漁師は黒重島で人魚と夜を明かす。
言葉も通じない人魚は助けの船が来るまで漁師の傍にい続けた。
その安心感に包まれ、嵐の夜を過ごすことができた。
いつしか、嵐は過ぎ去り、夜が明ける。
彼らが見た朝焼けはとても綺麗なものだったと言う。
やがて、仲間の漁師が迎えに来てくれた時には人魚は姿を消していた。
「ラブロマンスでも何でもない物語なんですね」
朔也君は「せっかくの人魚なのに」と何だかつまらなそうに言う。
「どうせ、朔也君は人魚はトップレスだったかどうかが気になる程度なんでしょう」
「事実ではあるけども、それを人様の前で言われると俺の評価が下がるのでやめれ」
「ははっ。鳴海先生の女性好きの噂は町内でも有名ですからな」
……もう既に手遅れでした。
鳴海朔也=女好きというレッテルは既に街中で広まっているようだ。
親族として恥ずかしい以外の言葉がなかった。
「人魚に助けられたという漁師は感謝の意味を込めて、後に町民に協力してもらい、その島に小さな神社を作りました」
「神社を?」
「それが人魚の島にある黒重神社です。これは今も存在しています」
「へぇ、知らなかったな」
「あの島の神社は海の神様が祀られています。この町は古くから漁業で栄えた町ですからね。海へ赴く漁師たちの無事を願う、海の守り神としての役割もあるのです」
話に聞けば、黒重島には今は使われていない灯台があるらしい。
昔から海を見守る大切な場所として地元の漁師たちには大切な島だったのね。
「その島へは特別な許可がなければ立ち入ることができないんでしょうか」
「そうですね。ですが、先ほども言いましたが、あの辺りは波が高いので、近づく人もいないというのが事実でしょう」
「おじいちゃん、おじいちゃん。それならアレのお手伝いを頼むって言うのは?」
恋波さんがある事に気づいて、宮司さんに意見する。
「アレか。それならばいいかもしれん」
彼女が提案したのはこちらにとっても都合のいい話だった。
「あのね、彩音さん。近々、この片倉神社では人魚の祭祀があるの」
「えぇ、聞いています。人魚伝説にまつわるお祭りですよね」
「と言っても、毎年、あの島の神社に供物の奉納をするだけの祭祀だけどねぇ」
恋波さんが言うには、黒重島の神社は海の守り神を祀っている。
そのために、一年の海の安全を祈願するとともに奉納するそうだ。
祭祀と言っても規模も小さいものらしいけど。
それが数日後に控えているそうだ。
「その下準備というか、お手伝い? 祭祀の前日。つまり、明後日に荷物を運ぶんだけど、その時ならあの島にも一緒に行けるよ」
「なるほど。お手伝いと言う形なら俺達でも島に入れると言う事か。どうだ、彩音?」
「えぇ、ぜひ手伝わさせてください」
人魚の島には入れるチャンスを逃したくない。
こういうチャンスはぜひ活かしたかった。
「こちらも若い人手があると助かりますよ」
「それは朔也君が頑張ってくれるのでお任せするよ」
「俺頼みかよ。……頑張らせてもらいます」
こういう時には役に立ってもらわないとね。
朔也君も受けてくれたので、恋波さんの提案を快諾することに。
私のフィールドワークは良い具合に進んで行っていたんだ。