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蒼い海への誘い  作者: 南条仁
第11部:人魚が見た輝き 〈伝承編・鳴海彩音END〉
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第1章:人魚の伝説《断章2》

【SIDE:鳴海彩音】


 いきなり背後から抱き付かれて、私は驚きのあまり身を竦めた。

 ただ、その温もりと言うか、抱きしめられた感覚には覚えがあって。


「……いきなり、何をやってくれてるのかな」


 こんな子供じみた悪戯を平気でやってくれるのは、ひとりしかいない。

 というか、見知らぬ土地で彼以外なら私はどうしようもない。


「平然と街中で女の子に抱き付くかないでくれる? 朔也君」


 私が棒読みで警告しながら振り返ると従兄がつまらそうに、


「なんだよ、つれないな。もう少し反応してくれ」

「きゃー。変態教師に抱き付かれました。助けてください、おまわりさん」

「そっちの意味じゃないっ!? 人来ちゃうから、叫ばないで」


 私を抱きしめていた手を慌てて離す。

 セクハラまがいの行動だけど、何年かぶりの抱擁にどこか懐かしくも感じた。

 従兄の変わらぬ姿に私は半ば呆れつつも、


「お久しぶり。相変わらずのようで、がっかりだよ」

「そう言うなって。従兄妹同士の軽いスキンシップだぜ」

「……ふんっ」


 この人、軽いノリならば何でも許されると思ってるのかしら。


「ホント、軽いなぁ。軟派な性格って朔也君のようなタイプに似合うわ」

「なんだよ、愛のある抱擁がよかったか。それなら恋人を抱きしめるように」

「しなくていいから。従兄妹とはいえ、セクハラはやめて」


 私が牽制すると彼は「セクハラ?」と不思議そうな顔をする。

 ……なぜそんな顔をするの。


「あら、やだ。この従兄、セクハラとハグの違いが分かってない?」

「ん? 女の子のおっぱいを揉むか揉まないかの違いだろ? 俺は従妹にセクハラはしてないぞ。さすがにそんな真似をする非道な野郎ではないさ」

「……そんな違いなわけがないでしょうが」


 この人はこういう人だった。

 優しくて、頼りがいもあるのだけど、基本的に軽く軟派で女好き。

 いろんな意味で女の敵だと思うの。

 

「朔也君、最初に言っておくけど。従妹相手に“欲情”しないでね?」

「緊張した様子&不安そうな表情で言われると素直に傷つくやい」


 さっそく身の危険の一つも感じて当然だ。


「おいおい、信頼がないな。今さら、彩音相手に何をしろ、と?」

「……会うなり抱き付いてきた人の言うセリフ?」

「これくらいなんでもないだろ。昔は彩音の方から『お兄ちゃん』って抱き付いてきたものじゃないか。あの頃の彩音は可愛かったな」

「む、昔の話を持ち出すのはずるいと思うの」


 過去の私、この従兄に初恋をして、憧れて甘えていた時期があった。

 お兄ちゃんとして大好きだった。


「はぁ。あの頃はお兄ちゃん大好きって会うたびに言ってくれていたのに」

「だ、だから、やめて~」

「そういえば、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいって言ってくれたことも……」

「ひ、ひどい。昔話を引き合いに出すなんてあんまりだわ。最低!」

「あははっ。冗談だよ、冗談。ただ、初々しくて可愛かった時代がお前にもあったんだよ。それを思い出したくてくれたら嬉しいな」


 にっこりと笑いながら彼は私にそう言った。

 そんな昔の話を出されると困るし、照れる。


「朔也君、意地悪だよ」

 

 私は唇を尖らせて拗ねてみた。

 年上ゆえに、幼い頃の記憶も向こうの方があってずるい。


「怒るな。すまん、すまん。すっかりと、見た目こそ大人の女性に成長しているけど、中身は変わらずでよかったよ。安心したかな」

「……社会人になっても昔と変わらず意地悪で、女好きな人に言われても」

「人間、本質的なものはそう簡単に変わらないさ」


 どちらも変わらず、それを確認したのだった。


「こんな暑い場所からはエスケープだ。とりあえず、家に案内するよ」


 私の持ってきた大きなバックを抱えると歩き出す。

 昔ながらの雰囲気の残る商店街。

 猫がのんきにあくびをしてお昼寝をする田舎の町。

 そんな都会とは違う光景を眺めながら私は興味深そうに、


「ここが朔也君の今住んでいる町なんだね。とても穏やかで落ち着く」

「ただの田舎だ。海しかないけど、俺の生まれ故郷。個人的には良い町だよ」

「朔也君がこの町に戻るという話を聞いた時には驚いたけど」

「都会暮らしを続けるってのもありだったんだろうが、今となっては戻ってきた事はよかったと思っているよ。多少は不便だろうが、好きな町に住むのが一番いい」


 戻ってきた事に今や後悔などなかった。

 そう言い切った彼の横顔を私は見つめながら、


「前言撤回……朔也君、少し変わった」

「そうかい?」

「ちょっとは中身も成長してるんじゃない? 女性問題で都会を捨て、田舎に舞い戻ったのだとばかり思ってたけど違うっぽい」

「俺の立場が悪くなるからその手の噂は親戚で流さないで」


 苦笑いをする彼だけど、ちょっとは大人になってる気がした。


「それで、彩音。この美浜町にどんな伝承を目当てにやってきたんだ?」


 民間伝承、この町に何か伝説のようなものが本当にあるのか。


「叔父さんから聞いたんだけど、ここには“人魚”の伝説があるんだって」


 古くから伝わる人魚伝説、それはどういうものなのか――?

 それを調べに来たのが目的の一つだ。


「民俗学サークルのフィールドワークのために来たの」

「あまりそう言う事には興味が薄いな。民俗学って奥深いものなんだろ」


 民間伝承とは、簡単に言えば、古くからその土地に伝わるお話のことだ。

 由緒ある寺や神社、名所には必ずと言っていいほど古い逸話が残されている。

 例えば、有名なのは“羽衣伝説”の天女のお話。

 その昔、天界から降りてきた天女がいた。

 彼女が水浴びをしている間に、村人の男は空を飛ぶための羽衣を奪い隠してしまう。

 村人の男は美しい天女を気にいり、天へ帰さないようにして自分の妻とする。

 そして、天女と村人の間には子供が生まれるが、彼女は天へ帰りたかった。

 やがて、天女は羽衣を見つけて、子供と男を残して空へと帰っていくのだった。

 この話も日本各地にある上に、エピソードや結末も地域によって違いがある。

 民間伝承とはその土地、その土地で違った伝説があるから面白い。


「美浜町には人魚伝説があるんだって」

「美浜町の人魚伝説ねぇ。初めて聞くが……。そもそも、人魚って本当にそんなのが存在したのか、と思ってしまうのだが」

「問題なのは人魚の存在の有無ではなく、人魚という存在をテーマにした物語の方に私は興味があるの。民間伝承、地元に残るお話を聞きたい」


 この綺麗な海が見える町にはどんな人魚伝説があるのか、楽しみにしている。


「朔也君は“八百比丘尼(やおびくに)”という人魚伝説を知ってる?」

「いや、知らない。やお……なんとかって、何の話だ?」


 私は彼に八百比丘尼の話をすることにした。


「有名なお話。“人魚”の肉を食べると不老不死になる。不老不死、いつの時代も人々が望んだ夢。けれども、不老不死になると言う事は“幸せ”になれるとは限らない」


 それは、ひとりの少女の運命を狂わせる悲しい物語――。

 不老不死と人魚の関係、八百比丘尼やおびくにという人魚伝説。

 その物語の始まりは、漁師が浜辺で人魚を捕らえた所から始まる。

 ある一人の漁師の網に引っ掛かったのは、一匹の人魚だった。

 人魚は既に亡くなっており、どうするか悩んでいた彼は庄屋に相談する。

 すると庄屋は「人魚の肉を食べると不老不死になれる」と聞いた事があり、その肉を皆で食べようと言い始め、宴会でその人魚の肉がふるまわれる。

 とはいえ、誰ひとり、その人魚の肉を気味悪がり、食べる事はなかった。

 だが、その人魚の肉を食べずに持ち帰った男がいた。

 人魚の肉は隠していたのだが、こっそりとその男の娘が人魚の肉を食べてしまう。

 不老不死となった少女の身体は10代の肉体のまま衰える事がなくなってしまう。

 やがて、少女は結婚をするが、当然、夫は自分よりも先に死んでしまう。

 何人もの男と結婚しては死に別れを繰り返す。

 少女は何百年も10代の美しい容姿、そのままに生き続けた。

 彼女は自分の生き方に悲観し、尼となって諸国をめぐった。

 諸国をめぐり、月日が流れ、彼女は親しき人の死を数え切れないほどに体験して、不老不死である自分の運命を呪う。

 不老不死となって800年。

 生き続ける事に疲れはてた彼女は、自ら命を断つために、とある浜辺の洞窟にこもり、二度と出てくることはなかった――。

 それが八百比丘尼と呼ばれる人魚伝説の物語。

 この手の話は日本各地に分布されている。

 不老不死となった少女の悲しい結末。

 結局、不老不死というものは人を幸せにするわけではないらしい。

 私が八百比丘尼の物語を語ると朔也君はふとこんな事を言った。


「不老不死は人の夢。だけど、人ってのは家族、恋人、大切な人々との繋がりがなくなると、生きてる実感がなくなるのかもしれない」

人はひとりじゃ生きていけない。

「……そうかもしれないね」

「八百比丘尼伝説は分かった。この美浜町にも、似たような伝説があるのか?」

「叔父さんはそう言ってたけど、真偽は不明。事前にネットで調べても分からなかったし。地元の伝説なのだから話を聞いた事くらいはないのかな?」


 だけど、彼は首を横に振って否定した。


「すまん。ここが地元って言っても、昔からそう言う事に興味もなかったからなぁ。俺の友人は知ってるかもしれない、後で聞いてみよう」


 話をしながら海沿いの道を歩いていると、平屋の一軒家にたどり着いた。

 ここに朔也君は一人暮らしているんだ。


「……先に確認しておくけど、一人暮しなんだよね?」

「なぜにそこを疑う」

「朔也君なら普通にありそうで。裸の女の人がいてたりとか」


 ため息をつきながら私は疑惑の目を向ける。

 親戚から噂されているのは“女好き”という悪癖もあるのだ。


「しないっての。従妹相手に何を見せつけるのやら。ほら、入ってくれ。自業自得はいえ、俺が女関係にだらしなかったのは昔の話なんだけどな」


 当時、私も何度か彼が恋人と一緒にいる所を見た事がある。

 交際経験が豊富な朔也君ならば、今も恋人の一人や二人は普通にいそうだ。


「荷物を置いたらまずはこの町を案内してもらえる?」

「いいよ。ついでに人魚伝説についての情報も探そう」


 家の中に入ると、思っていたよりも綺麗に片づけられている。

 男の人の一人暮らしの家はもっと汚いと思っていた。


「ちゃんと片付いているのに驚き」

「俺は綺麗好きなんですよー。こっちに部屋を用意してあるから自由に使ってくれ」


 通された和室には既に布団の用意もしてくれていた。


「朔也君、朔也君。こっちの部屋の片隅に女性物の服が置いてる。これについての質問はしてもいい? 先ほどの説明との矛盾が生じてるよ」

「……何も見なかったことにしてください」


 結局、朔也君に女性の影あり。

 それもこんな風に着替えも常備してるような相手がいるみたい。

 この家の中が綺麗なのも彼女がお掃除とかしてくれているからだろう。


「やっぱり、朔也君って……」

「変な誤解をしないでくれ。分かった、話そう。可愛い従妹に変な誤解をされるのは困る。それは仲良くしている幼馴染の子がたまに泊まったりするから置いてるだけだ」

「お泊りするよう仲なのに幼馴染?」

「不思議かもしれないけどな。幼馴染の関係は多分、変わらないよ」


 つまり、朔也君にとっての都合のいい女性がいると言う事だ。

 恋人でもないのに、身の回りの世話をしてくれるなんて。

 叔父さんの言う通り、朔也君は女ったらしのままかもしれない。


「彩音も従妹としての関係が変わらないだろ。それと同じだ」


 朔也君が軽く私の頭を撫でる。

 昔を思い出すようで気恥ずかしくなる。


「ほら、まずは涼しい所で一休みしよう。クーラー起動!」


 リビングに招く朔也君はピッとクーラーの電源をいれる。


「新しいクーラー、買い代えたの?」

「今朝、設置したばかりの新品だ。前にあったのが壊れてな。この暑い夏をクーラーなしで過ごすのは無理だと諦めて買ったんだよ」


 そう言いながら、彼は冷蔵庫からジュースの缶を私に差し出す。

 冷えた缶がとても気持ちいい。


「朔也君。学校での教師生活はどう?」

「実にやりがいがあって、俺なりに楽しんでる。面倒な事はあっても、自分が好きでやってる仕事だからさ」

「あの、気を悪くしないで欲しいんだけど。どうして、都会の学校じゃなくてこんな田舎の学校にしたの? 朔也君の大学なら都会の私立高でも十分狙えたはず」


 正直、教師という職を選んだ事も、疑問に思ってる。

 失礼だとは思ったけども、彼から直接聞いてみたかったの。


「周囲からも何のためにいい大学を出てるんだって、言われたこともあった」

「……多分、叔父さんもいろいろと期待してたし」

「そうかもな。でも、俺は元々、学生時代から教師になりたかった。俺の夢だったんだ」


 朔也君が語るのはかつての夢の話。


「大学入試で挑戦とばかりに受けた、一流大学にまさかの合格しちゃったんだよな。そこで親父や周囲からは卒業後はある程度の期待をされてしまってさぁ」

「……それでも教師という夢を選んだ?」

「そうだ。初めは彩音の言う通り、都内の私立高校の教師を目指してたんだ。だけど、ちょうど、大学4年の時にある時期に問題ががあってね」

「それは、いわゆる女性問題?」


 私の言葉に朔也君は思いの他、がっくりと肩を落とす。

 

「あ、あぁ。ばっさりと言われるとそれ以上は言えないけども。あと、俺=女性関係が悪いという印象はそろそろやめてもらいたい」


 私の不用意な一言で少し傷つけてしまったようだ。

 彼は過去を思い出すようにして言う。


「いろいろとあったんだよ。そして、夢さえ諦めるところまで追い込まれてた。俺にとって最後に残された場所がこの美浜町の教師だったんだ」


 同じ教師でも、私立と公立、さらに都会と田舎じゃ給料面で大きく違う。

 田舎の公立教師、彼の出身大学から考えても、ほとんどありえない選択肢だ。

 けれども、朔也君は自分の意思でここを選んだ。

 

「でも、今となってはこの町に戻ってきた事が正解だったとはっきり言える。俺はここが好きだし、大事な友人たちもいる。この故郷で教師をするってことに意味を感じているよ。俺は自分の夢を叶えた、それに満足をしているんだ」

「そうなんだ」

「帰ってきたい場所がある。待ってくれている人がいる。故郷があるって言うのは良いもんだぜ。俺はそれを都会から帰ってきて知ったよ」


 朔也君って意外にすごい人なのかもしれない。

 私が思っている以上に、彼は彼なりに悩んで考えて決断した結果だった。

 それゆえに周囲がどうこう言うべき問題ではないのかもしれない。

 教師になる、夢をかなえようとしたその強い意志は尊敬できる。


「少しは惚れなおしたか?」

「ないね」

「一瞬で否定するのはやめれ」

「さらっと従妹を口説かないで。朔也君はそう言う軽い所を直した方が良いよ」

「うぐっ。従妹に真顔で説教されるとは……」


 私はどうなんだろうか?

 大学生になっても、彼みたいに強くなりたい夢もなく、それを叶える意思もない。

 ちゃんと自分の夢を叶えた朔也君はすごいと思うの。


「なんだ、彩音。俺の顔を見つめて。そんなに見つめられると照れるではないか」


 この軽薄な態度と軟派な印象がなければ、素直にカッコイイと思えるのに。

 


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