第7章:つまずきの石《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
問題の生徒、黒崎千津は俺の授業には出席していた。
ノートを丁寧に書きながら彼女は真面目に授業を受ける。
それだけなら別に問題がありそうには思えない。
だが、どこか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
俺は授業を続けながら、窓際の彼女の席に近づく。
黒いセミロングの髪が開いた窓から吹き込んだ風になびく。
強気な瞳が印象的な美少女だ。
「……何か?」
俺の視線に気づいたのか、彼女はそう呟く。
「この授業が終わった後に話がある。職員室まできてくれるか?」
「……っ……」
彼女は無言で頷くと、嫌そうな目をする。
「そう、尻尾を踏まれた猫みたいに怒るな。俺もわざわざ呼び出す真似はしたくないんだ」
「だったら呼ばなければいい」
「そうもいかなくてね。悪いが付き合ってもらうよ」
こうなったのも、村瀬先生から逃げ続けた千津の自己責任だ。
世の中、逃げてばかりじゃ、いいことなんてひとつもないのだから。
授業も終わり、俺は黒崎を連れて教室から出る。
「話って何なの?ここでもできるじゃない」
廊下に出た瞬間に口を開いた彼女。
明らかな敵意、これは普通に話をするのも難しい。
「そう言うな。黒崎にも身に覚えがあるだろう。“こういう事”を続けていれば、いつかは呼ばれる日が来るとは思わないか?」
「高校は義務教育じゃない」
「確かにそうだ。だが、サボるのも自由ってわけはないだろ」
「……鳴海先生だっけ? 先生が呼んでいるわけじゃないんだ」
彼女は俺の口調からその事を察したようだ。
家庭の事情もあるんだろうが、俺としても彼女の納得のいくようにしてやりたい。
教師を目指すようになった俺の恩師のように、正面から生徒と向き合いたいんだ。
「俺は副担任だ。担任の村瀬先生が呼んでいるんだよ」
「面倒。お腹が空いた」
「先に飯を食うか? 話はそれからでもいいぞ」
「……いい。面倒ごとは先に済ませるわ」
どうせ、このまま帰るつもりだったのだろう。
4時間目が俺の授業でよかった。
無理に逃げない辺りは彼女もこちらの話を聞く姿勢があると思うべきか。
本当に来たくないなら、どの授業にも出ないからな。
「黒崎は国語の時間にはちゃんと出るんだよな」
「私、文系が好きなの。一番好きなのは英語」
「だったら、どうして村瀬先生の英語の授業に出ないんだ」
「……あの先生が嫌いだから」
はっきり言っちゃった!
……彼女が聞いたらリアルに泣きそうなので心にしまい込んでおこう。
「あと、黒崎って呼ばないで。この名字、嫌いだから」
親が離婚して、母親の名字に変わったのが不満らしい。
「それじゃ、名前でいいか? 千津は文系が得意なんだよな
「文系は得意、でも理系も苦手じゃない。この学校のレベルだと、大したことないもの」
「言うねぇ。ここのレベルじゃ、満足は出来ないか?」
「先生は今年、この学校に来たって最初の授業に言ってたから、知らないだろうけど、この学校の偏差値はそれほど高くない。授業もそれ相当、つまらないの」
「まだつまらないって言うほど、受けていないだろう。何事も基本は大事だぞ?」
やはり、この子の不登校はこの学校に対する不満か。
もっと上にいけるはずだったが、両親の離婚が原因でダメになった。
それが彼女を不登校にさせている原因の一つなのかもしれない。
「千津は将来、何かなりたい職業でもあるのか?」
「別にそれは先生に言う事じゃないし」
「良い大学に入りたいって気持ちがあるのなら、夢があると思ったんだよ」
「……そんな夢、もうなくなった」
彼女の目的は私立高校に通い一流大学に通う事だろう。
なりない夢か何かがあり、それを叶えたかった。
だが、この田舎の高校では彼女の夢をかなえるのは難しい。
予備校もない田舎だ、自分の勉強だけなら限界もある。
「そうだな。家庭教師とかつけてみればどうだ?」
「母親にはもう頼りたくない。あんな人、大嫌いだもの……」
そう呟いた彼女は親と不仲らしく寂しそうに見える。
「なるほど。母親か……。俺も昔、親を憎んでた事があったな」
「鳴海先生、私は別に反抗期じゃない」
「そういう事じゃないってのは分かってる。俺もそうさ。中学の時にな、俺は親の仕事の都合でこの住み慣れた町から去る事になった。仲の良かった友達とか、皆と離れる事が寂しくて、勝手に引っ越す事になった親を憎んでいたよ」
どうして、あの町を去らなくちゃいけないのか。
子供だった俺はそれが嫌で拗ねていたのだ。
「……親って本当に子供の事なんて考えてない。自分たちの都合を押し付けるばかり」
「どんな事情であろうと、子供にとっては関係ない事で自分の生活を乱されるのは理解ができない。そういうものだ」
千津が親を嫌う理由。
そして、この問題の本質が少しだけ見えたかもしれない。
不登校問題、と一言で片付く問題ではないらしい。
村瀬先生が柔軟な対応をしてくれるかどうか、それが問題だろう。
「鳴海先生ってまだ、先生になりたてだからか、大人の教師っぽくないね」
「それ、褒められてるのか?」
「理解してくれるだけ、まだマシってこと。担任教師は頭固そう。見た目はバカそうな女子大生風なのにね、あはは」
村瀬先生、現役女子高生にひどいことを言われてますよ。
女子大生っぽいのには異論がないけどさ。
職員室では俺達を彼女が待ち構えていた。
本当に連れてきたと驚いた表情をする。
「さすが、鳴海先生。ちゃんと連れてきてくれたのね。黒崎さん、話があるの」
すぐに進路指導室へふたりで入る。
彼女は「早くして欲しい」と呟きながら椅子に座る。
俺は副担任として村瀬先生の隣に座った。
「……貴方、入学式からずっとこの学校の行事はサボり、授業にもほとんど出ていないわよね? その理由って何なのかしら?」
「それを先生に言う必要なんてない」
「黒崎さん。学校が嫌いなの? 何か悩みでも抱えているの? だとしたら、先生達に相談してみない? 何か解決できるかもしれないわよ」
「私がアンタ達に相談することなんてひとつもない」
うわぁ、教師相手でも容赦のない言葉だ。
俺はあまり気にしないが、意外とこういう事を気にするのが村瀬先生である。
「教師に対する口の聞き方には気をつけなさい」
「……口うるさいおばさん」
「ムカっ!? 今、何て言った?」
「お、落ち着いてください、村瀬先生。千津、さすがに年上相手には口調には気をつけよう。先生も、そう怒らないで」
俺は今にもムカついて怒鳴ろうとする村千先生を抑える。
「お、おばさんじゃないわっ。私、まだ23歳だし!」
「……ですよねぇ。村瀬先生はまだ若いですよ。美人で素敵な女性ですよ
「23って15の私から見れば十分におばさんじゃん」
頼むからこれ以上、火に油を注がないでくれ。
フォローする俺がしんどい。
女の戦いが目の前で繰り広げられている。
「千津。まずは話をしよう。文句はそれからだ」
村瀬先生は「千津って何でそう呼んでるわけ?」と不思議そうな顔をする。
いきなり親しそうに見えたから不思議だろうな。
千津は口は悪いが、根が悪いわけではないと思う。
まだ、それほど話をしていないが、そう感じたのだ。
「村瀬先生も千津の話を聞きたいんでしょう」
「……ツーン」
「おいおい、先生……その程度でやる気なくさないでください」
貴方も子供みたいに拗ねなさるな。
先ほどのやる気はどこに行った。
険悪な雰囲気に俺は村瀬先生に変わって尋ねる。
「えっと、千津はこの学校の授業レベルが高くないから面白くない、だから授業を休むのか?」
「それが悪いの? 言っておくけど、自分で勉強はしている。まだ諦めてないもの」
「行きたい大学があるんだな。どこだ、T大か、W大か?」
「……だから、先生に言っても意味ないってば。どうせ、学校に通いながらでも大学には行ける。予備校や家庭教師をつければいいって言うんでしょう」
彼女も現状が悪い事に気づいているんだろう。
親との確執、夢破れた現実の苦悩。
それは周りが言うほど単純なものではない。
心の切り替えを簡単にできるなら誰も苦労などしないのだから。
村瀬先生は落ち着きを取り戻したのか、千津にしっかりとした口調で言う。
「それが分かっているのなら授業には出なさい。苦労するのは貴方自身よ」
「私が苦労するだけなら放っておけばいい」
「そう言うワケには行かないの。大学に行きたいなら、行けるようにこちらでもサポートできるわよ? 学校としても、貴方の本音を教えて欲しいの。このまま授業を休み続けても意味がないのは分かるでしょう?」
「たかが公立の高校で何ができるの。放っておいて欲しい。それだけしか望んでない」
千津の心のうちが分かるからこそ、俺はあまり強くは言えない。
無理に来い、と言って来れるなら初めから来ているのだ。
授業に出たくない、それはやる気の問題だ。
今の彼女には無理に勧めても効果はないだろう。
だが、そんな彼女に村瀬先生は言ってはいけない台詞を口にする。
「どうしても、本音を語ってはくれないのね?」
「……先生に話す意味なんてないから」
「そう。ならば、親御さんを交えて話をしましょうか? この件、貴方のお母さんに相談してもいいわよね?」
やっちゃったよ、村瀬先生。
その台詞だけは俺としても避けて欲しかった。
教師としては当然のセリフなんだろうが、あまり今の場面にはふさわしくない。
「……親に何も言わないで」
「それはできないわ。貴方の今の状況は望ましくない」
「親は関係ないでしょ!?」
「いいえ、親御さんは気にされているはずよ」
不満そうに声をあらげる千津は村瀬先生を睨みつける。
「あの親が気にするわけないじゃない。放っておいて、余計な事はしないで」
「……そう。親御さんが現状を知らないのなら説明をするべきでしょうね」
「くっ……」
親にはバラされたくない千津と教師としては当然の行動をとる村瀬先生。
俺はその様子に一息つけたくて「少し出てきます」と席をはずして進路指導室を出た。




