第4章:恋を知る《断章3》
【SIDE:星野由愛】
朔也さんと初めて出会った時から私は特別なものを感じていました。
自然に甘えてしまったり、彼の事をもっと知りたいと思ってみたり。
優しい人ですから、つい頼りにしてしまいます。
「……由愛にしても、茉莉にしても鳴海相手に気を許しすぎ」
「姉さんだって信頼してるんでしょう?」
「私の知ってる男の中では多少はマシな部類かもしれないけども、女好きと言う意味では厄介で危険な存在と言う認識よ」
口ではそう言ってますけど、姉さんも本心では朔也さんを信頼しているはずなんです。
そうでなければ、私の事を彼に頼んだりしていません。
「朔也さんとのお付き合いは恋への興味から始まりました。けれども、私は彼を好きになろうとしています。順番は逆になってしまっていますけど」
「付き合ってるうちに、好きになった?」
「好きだと言う事に、気づいたと言うのが正しいと思います」
些細なことで彼を意識してしまう自分がいるんです。
夕食の料理を作ってる時に褒められたり。
微笑んでいる彼を見た時だったり。
今までの私ならば意識しなかった事が付き合い始めて意識するようになりました。
「朔也さんと一緒にいると楽しいですよ」
「……ふぅ。好きだとか恋だとか、私が言うのも変かもしれないけども、相手くらいは選びなさいよ。鳴海が相手で後悔する時がくるかもしれない」
「それだけはないと思うんです。朔也さんを好きになって後悔する事だけは……」
「……なんで?」
「理由なんてありません。乙女の直感です」
ただ、それでも、それだけはないと言う事は分かるんです。
「はっ。常識知らずの箱入り娘の直感がどれほどの役に立つものかしら」
そう鼻で笑い、トゲのある言い方をする姉さん。
どうしても、朔也さんに警戒があるようです。
そんな様子を遠目に見ていた芹香さんが姉さんに言います。
「雫ちゃんは単純に妹が自分から離れてしまうのが寂しいだけでしょ」
「……セリ。余計な事を言わないの」
「ふふっ。どんな時でも妹思いのお姉ちゃんなくせに」
「うるさいわよ。妹が変な男を好きになるのを止めて何が悪いわけ?」
唇を尖らせる彼女に、芹香さんはくすっと笑う。
「雫ちゃんは素直じゃないのよねぇ。昔から、ずっとそうだわ。恋を知らないのは雫ちゃんも同じじゃない。それに、もしかしたら、雫ちゃんが彼を好きになる可能性もあったかもしれないわけだし?」
鳴海さんと姉さん。
確かにお二人は意外と合っているかもしれません。
でも、今は……それを想像するだけで胸が痛くなってしまいます。
これがいわゆる、嫉妬や独占欲と言うものなんでしょうか。
「それは絶対にないと断言できるわ。どんなに可能性があってもないものはない」
「人って分からないものよ? 雫ちゃんが恋をする所は私でも想像できないけども。美帆だって同じ事を言うんじゃない?」
「……勝手に人の恋愛に話を変えないで。あと、恋愛未経験だと決めつけるな」
姉さんは芹香さんにからかわれてしまい、「だから、セリは苦手なのよ」と肩をすくめながら、ため息をつきました。
「セリに恋愛を語られるのもねぇ」
「あのねぇ、雫ちゃんと違って、私には旦那がいるのよ。一応、恋の経験者です」
「……セリも美帆も結婚してから何だか上から目線な気がするわ」
「そりゃ、それだけ経験者だもの。雫ちゃんも恋をすればいいのに」
長年付き合いのあるふたりは友人同士です。
私にはそんな風に気さくに言いあえる友人はほとんどいませんから羨ましく思います。
それから休憩が終わるしばらくの間、お話をしていました。
恋をしている自覚をするということ。
私は恋を知ってしまったのかもしれません――。
お仕事が終わり、家に帰る途中で鳴海さんが「由愛ちゃん」と声をかけてきました。
「朔也さんっ。お疲れ様です」
「あぁ。そっちもお疲れさん。今日も忙しかった?」
「夏場はいつも人が多いです。1年で一番忙しい時期ですから」
「冷たい物とか飲みたい時にはあの店は便利だよな。場所もいいし」
立地条件の良さもあり、夏は特に繁盛しています。
私以外の店員さんもいますけど、皆、お疲れ気味です。
「お盆を過ぎるまでは忙しいでしょうね」
「海のシーズンが終わるまで、か。そういや、今年も花火大会があるんだったよな。由愛ちゃん、一緒に行こうか?」
「はい。朔也さんと一緒に花火を見るのは楽しみです」
数年前から美浜町の夏の終わりは、恒例となった花火大会が楽しみになっています。
「……手持ちの花火は苦手なのに、普通の花火は好きなんだ?」
「あれは雫姉さんが悪いんですよ。私と茉莉ちゃんのトラウマです。だって、子供の頃にねずみ花火を数十発以上も私達に向けて放ってきたんです。迫ってくる花火に私達は泣きじゃくってしまいました。アレ以来、大きな花火以外は怖いんです」
次々と迫ってくる無数のねずみ花火の眩しい輝きと破裂する音。
今でも思い出すだけで怖さを感じます。
「子供相手に何てことをしたんだ、雫さんは……。相変わらずの魔女ぶりだな」
苦笑いする彼に私もつられて笑いました。
さすがにあの事件の時は両親にきつく姉さんを怒っていました。
『だって、私が好きな花火だから、妹達も気に入ってくれると思ってたんだもん』
でも、事件を起こした時にそう言っていたんです。
派手な花火が好きな姉さんは私達も気に入ってくれると思っていたみたいです。
……結果は散々で私達が花火嫌いになっただけですけど。
姉さんは決して悪戯でも、意地悪でもなかったんですよね……。
私達も花火を好きになって欲しい、とその気持ちが空回りしていただけですから。
「どうしたの、由愛ちゃん?」
「小さな頃から雫姉さんは私や茉莉ちゃんを想ってくれるお姉さんだったんだなって思いました。妹思いの自慢の姉です」
「ちょっと待って? 今の話のどこでそう繋がるの? ねずみ花火まき散らして、妹達にトラウマを植え付けただけなのに」
「……い、今の話だけじゃないんです。さすがに今の話だけでそう思ってはいません」
それだけではなく、家出した時の事も、今日の事も含めてそう思ったんです。
雫姉さんは素直ではない方ですけども、愛情深い優しい心を持っているんです。
「そう言えば、姉さんから聞きました。家出をした時にはわざわざ助けに来てくれてたんですよね。ご迷惑をおかけしました」
「あっ、それを聞いたたんだ。ごめんな、騙すような形で。怒った?」
「いえ、むしろ迷惑をかけたのは私ですから。世間知らずであと先も考えずに行動した愚かな私が悪いんです。姉さんや朔也さんにはいつも迷惑をかけてしまっています。でも、いつも助けてくれるからつい甘えてしまうんですよ」
私がそう言うと彼はそっと私の手を握り締めてきます。
「気にしないで。可愛い女の子に甘えられて頼りにされるっていうのは男としては嬉しい事だからさ」
「これからもまた頼ってしまうかもしれません」
「いいよ。その期待に応えられるように俺も頑張らないとな」
そう言って微笑む朔也さんに私は少し頬を赤くしながら、
「……はい。ありがとうございます、朔也さん」
「由愛ちゃんのために俺もガンバならきゃって気にもなるしね。他には何かない? お願いでも何でも聞いちゃうよ」
「それではもう一つだけお願いを。手を繋いでもいいですか?」
「もちろん。そう言うお願いなら大歓迎さ」
浜辺を照らす夕焼けを眺めながら、ふたりで手を繋ぎ合いながら家へと帰りました。