第4章:恋を知る《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
由愛ちゃんと付き合い始めてから1週間ほどが経過した。
有給休暇もある程度消費して、俺は再び高校で仕事をしていた。
夏休み中の教師の仕事は質が変わる。
クーラーのきいた職員室で雑務に追われていた。
「ふぅ。一休みでもしようかな」
隣の席の村瀬先生が伸びをする。
「そっちは終わったんですか」
「まぁね。なんとか終了。鳴海先生は?」
「俺もあと少しです」
「だったら、コーヒーでも淹れてあげる。クーラーの効きすぎた部屋って少し寒いわ。最近、夏でもコンビニでおでんを売ってるでしょ。あれが欲しくなる気持ちが分かるのよねぇ。室内で仕事する人間にしか分からないでしょうけど」
外の暑さに比べたら、と内心では思う。
全国的に猛暑を超えた酷暑の続く日々。
熱中症には気をつけましょう、とテレビで連日、ニュースになるくらいだ。
「この暑さだと運動系の部活とか大変でしょうね」
「そうね。先生としても生徒の体調管理には気をつけなくちゃいけないみたいだし。野球部とサッカー部の顧問とかになると、この暑い中を指導しなきゃいけないんでしょ。私には無理~。絶対、無理」
「村瀬先生はどの部活の顧問もやっていないんでしたっけ」
「トゲのある言い方ねぇ。ちゃんと文化系の顧問を今年からしてるのよ?」
そう言いながら俺の前にホットのコーヒーを置く。
村瀬先生は苦いのが苦手なのでココアだ。
「へぇ、初耳ですね。どんな部活ですか?」
「……書道部とアカペラ部と裁縫部」
「それ、思いっきり幽霊部員しかいない部活じゃないですか」
日常的に活動があまりない部活の顧問を名ばかりしているというところか。
この学校は文化部は比較的人数が少ない。
そのうえ、あまり活動していない部活も多いのだ。
人数不足で同好会扱いされたくないために、名前貸しだけの場合も多いと聞く。
「だって、お父さんが『顧問のひとつでもやらんか』って説教するんだもの」
彼女の父である校長先生が嘆きたくなる気持ちも分かる。
「鳴海先生はその点、ちゃんと部活の顧問してるからえらいわ」
「そりゃ、どうも」
コーヒーを飲んで冷えた身体を温める。
暑い外で頑張ってる連中には悪いがクーラーばかりの部屋にいると冷えるのだ。
「そう言えば、話は変わるけども。……由愛さんとお付き合いしてるとか」
「ぎくっ。俺、その話をしましたっけ?」
「雫さんから聞いたの。彼女、怒ってたよ。この前、結衣先輩と雫さんと一緒にお酒を飲みにいったんだけど、『妹を鳴海に取られた』って愚痴りまくってたもの。おかげで朝まで付き合わされました」
「うわぁ……」
なんてこった。
雫さんはまだちゃんと認めてくれていないのか。
夜道には注意しよう、背後からロケット花火を打たれるかもしれない。
村瀬先生は感嘆とした様子で、俺の肩を叩きながら、
「すごいよねぇ、私は感心したわ。まさか、あの雫さんの妹に手を出すなんて」
「その辺はいろいろとあったんですよ」
「世間の人にはできないことをやってのける。鳴海先生、カッコいい」
「半笑いで言うのはやめてくださいな」
言葉で説明するにはちょっとした騒動があって今があるのだ。
「純粋無垢な由愛さんが可愛いからしょうがないのは分かるけども。ラスボスの雫さんを相手にするなんて、さすがは鳴海先生と言うべきかしら」
「……村瀬先生の中での俺の評価が気になります」
「可愛い美少女が大好きなナンパもの」
「くっ、聞かなきゃよかった!」
がくっとうなだれる俺を彼女は笑う。
どうせ、俺は女の子好きですよ。
事実なので否定はしないが、女性にそう思われるのはちょっと嫌なお年頃です。
「でも、正直、驚いたけどさ。由愛さんが幸せそうならいいんじゃない」
「村瀬先生は由愛ちゃんの事も良く知ってるんですか」
「まぁね。鳴海先生は知らないだろうけど、あの子の学生時代はそりゃ、かなりの人気者だったのよ。星野家の人間でも権力を鼻にかけないし、お嬢様らしさもあるし。昔から婚約者がいるって話も同じくあったから、告白とかは少なかったみたいだけども」
「なんとなく、想像はできます」
高嶺の花、とかそんな立ち位置だったのは容易に想像できる。
雫さんとか茉莉だと、お嬢様ではあるけども、星野家という権力をふりかざすから、その辺で距離を置かれたり、敵を作ったりしそうだ。
その点、由愛ちゃんならば文句のない清楚なお嬢様だからな。
「皆のアイドルを奪った、と言う事で、鳴海先生はまた地元で敵を作りそう」
「嫌な事を言わないでください」
「同級生のアイドルも先生が奪ったんだっけ? さすが、女好き鳴海朔也伝説は伊達じゃないわ。伝説はまだまだ続く、って感じかしら。また噂になりそうね?」
地元住民の中で俺はどのような印象を持たれるとかすごく気になる。
そんな事を話していると、職員室に茉莉が入ってきた。
「鳴海センセー、皆が集まったよぉ」
「おぅ。了解、俺もすぐに行くよ」
「これから部活なの?」
「えぇ。部活指導、行ってきます」
俺がそう言うと、彼女は「いってらっしゃい」と見送ってくれる。
さて、俺もまたお仕事をしますかね。
俺が顧問をする天文部はまもなく夏の合宿を迎える。
部室である地理地学室に入ると、部員の皆がすでに集まっていた。
「待たせたな。もうすぐ、夏の流星群がやってくる。そのための合宿準備も整ってるな」
「はい。私にとってはこれが最後の天文部の合宿ですから」
部長である要は3年生。
秋の文化祭で天文部は流星群の写真を展示したり、プラネタリウムを公開する。
それが終われば部活を引退する事になる。
「要にとっては合宿としては最後なんだ。最後にいい思い出が作れると良いな。千津、桃花ちゃんは去年もやってるから大丈夫だろう。八尋と茉莉は夏合宿は初めてだが、せっかくだから楽しめよ」
「はい。先生、GWの合宿とは違うんですか?」
八尋の素朴な質問に「要、任せた」と彼女に説明を任せる。
「少し違いますね。天体観測として星を見ることに変わりはありませんけども、夏の場合はちょうどこの時期に流星群が来ますから、その観測になります。流星群の観測は本当に綺麗なんですよ」
「そして、その流星群の写真はこの天文部の活動報告のメインになるってことだ。ここでしっかりと活動しておかないと……部費が減らされる。そうなると、お金のかかる部活ですからそれは死活問題です」
茉莉は「学校の部活も大変なんだね」と呟いた。
顧問になって分かることだが、部費争奪戦は結構、大変なのだ。
「そういうわけで、気合い入れて頑張ってくれ。週間天気予報では快晴。その上、新月で月もでないから星を見るにはいい」
俺がそう言うと、茉莉が不思議そうに言う。
「月がないと何でいいの? お月さんが綺麗な満月とかの方がいいんじゃないの?」
「月明かりが明るすぎると星が見えないんだ。月ってのは隠れてる方が星が綺麗に見える。特に流れ星なんかは月が明るいとホントに見えづらいからな」
俺もずいぶんと星については勉強した。
天文部の顧問らしくなってきたと自分でも感じている。
「なるほど。そう言う事なんだ」
「満月を観賞するのならいいんですけどね。スーパームーンとかは綺麗ですから」
「というわけで、皆も明後日の合宿にむけてちゃんと準備をしておくように。あと、今年は海で合宿をするので水着も忘れずに。特に女の子、期待してます」
「……鳴海先生がいやらしい。生徒に欲情する先生は危険だわ」
そんな風に千津が呆れた視線を俺に向ける。
「と、八尋が言ってました」
「僕ですか!? ぼ、僕はそんな事を一言も言ってません」
「ふーん。やひろんも男の子なのねぇ」
茉莉にそう突っ込まれて、八尋はあたふたとする。
「ち、違いますよ?」
「ホントに? モッチー先輩の水着でも興奮しないと言える?」
「え? え、えっと、それは……」
要と八尋は先月くらいから恋人関係になってる。
真面目なふたりもこの合宿である程度の進展があればいいのだけども。
「恋人の水着姿に欲情しない奴は男じゃないぞ、八尋」
「……と、人生の先輩が言ってるけども?」
「どうなの、八尋君?」
千津や桃花ちゃんにもからかわれる八尋は慌てながら要に視線を向ける。
要も恥ずかしそうに何を言っていいのか分からない様子だ。
「せ、先生。変な事を言わないでください」
「悪い悪い。大人は子供をからかいたくなるものなんだ。要も女の子としてちゃんと準備しておいてやれよ?恋人を悩殺するくらいじゃないとな。時に女の子は大胆になることも必要なんだぜ」
「……は、はい。頑張ります」
真っ赤になって照れる要と八尋。
純情カップルをあまりからかうものではないか。
「鳴海センセー、私の水着は期待していいからね?」
「……さて、と。望遠鏡やテントの準備をするか。倉庫からこの部屋に運んでおこう」
「センセー。私の言葉を無視しないで~。うぅ、由愛お姉ちゃんと付き合ってるからって私に興味を失いすぎ。拗ねるよ、私、拗ねちゃうからね! いいの? 私が拗ねたらどうなるか分かる?」
唇を尖らせる茉莉は俺に抱きつきながら拗ねた。
その言葉に皆は一瞬、驚いた顔をして。
「お兄ちゃん。新しい彼女できたの? しかも、茉莉ちゃんのお姉さん?」
「恋多き鳴海先生。神奈さん、弄ばれてたんだ。可哀想」
「先生は大人のお付き合いをされてるんですか?」
「……さすが先生ですね」
などと、それぞれの反応も違う。
「お、俺の事は良いんだよ。はい、さっさと手を動かす。準備、準備」
俺はそう言って皆を倉庫代わりにしてる準備室へと移動を促す。
天文部の夏合宿が近づこうとしていた――。