第2章:決断を要す《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
その夜、家に帰ってソファーに寝転がりながら、俺はテレビを見ていた。
バラエティー番組を見ながら笑っていると、俺の携帯電話が鳴る。
「はいはい。今、出ますよ……って、星野家の番号?」
ディスプレイ表示は『星野家』。
一応、教えてもらって電話番号を登録しているが、着信があるのは初めてだ。
茉莉なら俺の番号を知ってるはずだし、由愛ちゃんかな?
「はい、鳴海ですけど?」
『鳴海。私よ、雫だけど』
だが、電話の向こうから聞こえる声は意外な相手。
雫さんが俺に電話をしてきたのだ。
さっき、美帆さんの店で会ったばかりなのに。
「し、雫さん。さっきぶりです。電話なんて珍しいですね。何か用事でも?」
『……今、暇よね? 暇ならばお願いがあるんだけどいい?』
暇と決めつけられると寂しいです。
あの後、知り合った女の子と組んずほぐれずしてるかもしれないじゃないですか……と冗談でも雫さんには言えなかった。
俺は「なんでしょう?」と尋ね返すと、意外な事が彼女の口から告げられた。
『たった今、うちの妹が家出したの』
「え? 茉莉ですか?」
『違うわよ。由愛の方なの。ちょっと言いすぎて喧嘩しちゃってね。ムキになって家を飛び出しちゃった。だから、アンタの方で保護して欲しいの。下手に夜の町をうろつかれるのも危ないから一晩くらい泊めてあげて』
「……え? えぇ? どういうことっすか? 初めから説明してください」
由愛ちゃん、家出する。
そんな驚きの情報に俺は雫さんに説明を求めたのだった。
要約すると、由愛ちゃんと雫さんが喧嘩しました。
そこが想像できないのだが、ありえなくね?
あの天使のような由愛ちゃんが雫さんと言い争うなんて。
「雫さん、由愛ちゃん相手におとなげないです」
『うるさいわよ。由愛だって、悪いの。前から気になっていたから、ちゃんと話そうと思っていたのよ。あの子はね、もっと世界を広げるべきだし、自分の意思で幸せになろうとしないとダメなのよ。いつまでも箱入り娘じゃダメなの』
ちゃんと由愛ちゃんの事を考えてのことなんだろ。
雫さんは厳しい人だが、そこにはちゃんとした愛がある。
一応は茉莉相手にもきっと愛はあるんだろう。
永遠に理解されないかもしれんが。
『夢も恋も他人任せじゃ、幸せになれないでしょう。私は由愛に変わって欲しかったの。あの子が自分で決めて、幸せを求めるようになって欲しいから』
自立心。
由愛ちゃんは箱入り娘で、その気持ちが薄いらしい。
そこを何とかさせたいと言う雫さんの気持ちも分かる。
「それで家出させるように仕向けたんですか?」
『……それは私の言いすぎ。反省はしてる。早く帰ってきて欲しいわ』
「なるほど。由愛ちゃんもムキになる事はあるんですね」
俺と話をしてる時の由愛ちゃんは我を出す事をあまりしないように見えたのに。
言い争うなんて想像もできないぜ。
『怒る、と言う事に慣れてないからこそ、短絡的に家出なんでしょ。誰だって、勢いで言っちゃうこともあれば、行動する事もある。時間がないから、さっさと迎えに行ってあげて。私からの連絡は隠す方向で対応してね』
ここで雫さんが動いてる事を知られたら、またムキになってしまう。
冷静に分かっているのに、どうして雫さんは由愛ちゃんと喧嘩したんだろう。
「……由愛ちゃんの事は任せてください。身柄を確保したらまた連絡します」
『よろしく。私の携帯の番号を教えておくわ』
俺はそれをメモしてから電話を切って、家を出た。
しばらく待っていると、すぐに由愛ちゃんは発見できた。
星野家から繋がる坂道をおりてくる彼女。
しょんぼりとして不安そうな今にも泣きそうな顔をしていた。
「やぁ、由愛ちゃん。こんばんは。どうしたの、こんな時間に?」
俺は雫さんから連絡を受けた事を伏せて、偶然の再会を装った。
「……朔也さん?」
その後は何とか彼女を説得して俺の家まで連れてくることに成功。
由愛ちゃんは姉と喧嘩した事にショックを受けてるようだ。
雫さんも、もう少しだけ優しく言ってあげればいいのに。
「とりあえずはお風呂でも入ってよ。お話はその後でいいからさ。シャワーでも浴びたら頭もすっきりとすると思うからさ」
「はい。すみません、お世話になります」
彼女がシャワーを浴びてる間に俺は再び雫さんに連絡をした。
心配していたのか、すぐに電話に出てくれる。
「由愛ちゃんの確保に成功しました。予定通り、今日はこの家に泊めようと思います」
『そう。ありがとう。あの子は今、何をしてるの?』
「今さっきから、お風呂に入ってます」
『もしも、由愛のシャワーを覗いたら……分かるわね?』
お、俺の命が危ない。
それは想像しなくても分かります。
「覗きませんってば。俺を男として信頼してくれてるんでしょ? 俺は恋人じゃない子に手を出す真似はしませんよ。恋人になれば色々とやっちゃいますが」
『うちの妹がお前の毒牙にかからない事を祈るわ。由愛と恋愛関係になる、なんて想像はしたくないけども。そればかりは自由意志だからね。あの子がそう決めたのなら、それも仕方のないこと。決められたら、の話だけども』
「意外ですね。てっきり、お前ごときに由愛はやらんって言われるのかと思いましたが……過保護のようで過保護ではない、と?」
いつもの雫さんならそう言うのだけど。
今日の彼女はいつもと違う。
本音で俺にも接してくれている気がした。
彼女は電話越しに真面目な声で言うんだ。
『由愛や茉莉が懐いた、お前をそれなりに信頼してるということよ。あの子を裏切らず、幸せにしてくれるなら、アンタでもいい。私の信頼をせいぜい裏切らないことね』
俺って実は雫さんに認められてるんだ、と思うと何だか嬉しかった。
『ただ、妹の純情を弄んだ時には……容赦なく潰すから』
「さ、さー、いえっさー」
やっぱり、怖い人でした。
妹思いのお姉さんを怒らせる事だけはしないようにしなくては。
雫さんとの話が終わり、茉莉が電話を代わる。
『あのね、センセー。お姉ちゃんが家出してる間は、しょこたんのお世話をちゃんとするから心配しないでって、由愛お姉ちゃんが気にしてたら言っておいて』
「了解。猫はお前に懐いてるのか」
『うんっ。しょこたん、めっちゃ可愛いんだよ。あと、由愛お姉ちゃんは早く家に帰ってきて欲しいな。雫お姉ちゃんとふたりっきりは正直辛すぎます、うぅ』
可哀想な妹の切実な願いだった。
その願いは俺にはどうしようもできないぜ。
雫さんとの報告を終えてしばらくして、由愛ちゃんがお風呂場から出てきた。
お風呂上がりの彼女が茶色の髪をタオルで拭いてる。
「……どう? 少しは落ち着いた?」
「はい、ありがとうございます。落ち着きました」
少し泣いたんだろうか、瞳が赤く見えた。
ソファーに座りながら、温かいコーヒーを出す。
「コーヒーしかなくてごめん。苦手だっけ?」
「大丈夫ですよ。砂糖は多めになりますけど」
「……それで、由愛ちゃん。どうしてこんなことに?」
雫さんから大体の話の経緯は聞いてる。
由愛ちゃんが話してくれた内容も同じようなものだった。
「私には自立できないって、頭ごなしに否定されてしまったのが悲しくて。もちろん、今はその通りなんだって実感しています。家を出てすぐに自分には向いてないって思いました。でも、私も子供じゃありませんから」
子供じゃない、か。
雫さんに言われたその言葉。
由愛ちゃんの心に突き刺さるものだったのかもしれない。
彼女も20歳だ、子供扱いされたくないのは当然だろう。
俺はふと、千歳の事を思い出していた。
千歳と由愛ちゃんは雰囲気も性格も似ている。
けれど、大きく違う事がひとつだけある。
それは、自分の世界を広げるということだ。
千歳は天然で子供っぽい女の子だったが、ちゃんとした夢を持っていた。
海外留学で自分の世界を広げようともしていた。
由愛ちゃんとの違いはそこだ。
「由愛ちゃんは自分を変えたいんだ?」
「はい。変えたいです。ただの箱入り娘って言われてしまうのは嫌なんです」
「……今日、由愛ちゃんは初めて決断したんだよね。星野家を出ようって思って、家を出た。些細なことでも変わろうとした、その一歩が大きい」
千歳もそうだった。
勇気を出して留学と言う選択肢を選んだ時から彼女は変わった気がする。
だから、由愛ちゃんも変わろうと思った今は、変われるチャンスなんだと思う。
「夢を持ったら良いと思うよ。目標って言うのかな」
「……夢ですか?」
「まずはそこから始めよう。人は変わろうと思った時から変われるんだから」
夢を持たない人間は怠惰に毎日を過ごしてしまう。
過ぎ去るだけの毎日、それじゃもったいない。
由愛ちゃんは考える素振りを見せ、でも、肩を落としてうなだれる。
「……すみません、何も思いつきません」
「やりたいことも何もない? 些細なことでもいいんだけど」
「そうですね、えっと……それは……」
このお嬢様、自分で考えるのが苦手どころではない。
まさか本当に考えることをしたことがない――?
『あの子は考える事をしたことがない。夢も恋も他人任せじゃ、幸せになれないでしょう。ホント、自分で生きようとしてないのよ』
雫さんも言っていた通り、自分を見つめ直し、本当にやりたい事を見つける。
そこから始めなきゃいけないのかもしれないな。