第6章:休日の過ごし方《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
千沙子との約束があったので、俺は8時になって駅前にいた。
今日の仕事終わりが8時らしい。
「ああいう仕事も大変そうだな」
接客業と言うのか、ホテルのフロント係は忙しそうに見えた。
俺の視線の先に見えるのはロイヤルホテル。
この町で夜にあれだけ明るい光を放つ建物はひとつしかない。
「お待たせ、朔也クン。待たせちゃった?」
仕事を終えた千沙子が私服姿で駅前にやってくる。
「よぅ、お疲れさま。接客業って大変そうだな」
「ふふっ、いつも大変だけどね。お客さん相手だから、気を使ったりするもの。私なりにこの仕事を楽しんでいるわ」
しっかりした彼女にはよく合っている仕事なのかもしれない。
「それじゃ、行きましょうか。ご飯は食べちゃった?」
「まだだけど……?」
「よかった。お昼も言ったけど、私の行きつけのお店があるの」
彼女は駅前から少し離れた路地を歩く。
こっちの方向は夏辺りは盛り上がるが、シーズン以外は人気も少ない。
「ここの周辺にお店なんてあったっけ? 少しメインの通りから外れるよな」
薄っすらと暗い夜道の中で、一軒のバーがあった。
「へぇ、こんなところに?」
「夏は人気のある立地なんだけど、シーズンオフはほとんど人通りもない場所。知ってる人は知っている穴場のお店よ」
彼女と一緒に中に入るとクラシックジャズの音楽が流れる雰囲気のいいバーだった。
バーのカウンターには口髭のよく似合うマスターと、店員の女性がひとり。
それほど広くない店内だが、客はそれなりに入っているようだ。
彼女は慣れているのか、お気に入りと思われる席につく。
「あら、君島さん。いらっしゃい。今日は珍しく男性連れなの?」
「たまには男の人くらい連れてくるわ」
「君島さんって美人だけど、親しそうな男の人を連れて来たのは初めてじゃない」
店員の女性とも顔見知りなのだろう。
「……紹介するわ、朔也クン。彼女はこのバーの店員で沢渡さんって言うの」
年齢的にも若い、俺達と同世代くらいではないか。
既に結婚しているのか、指輪が指に光っていた。
沢渡さんが「君島さんとは友達なの」と自己紹介してくれる。
「どうも。この町の高校で教師をしている鳴海です」
「鳴海? もしかして、この人が前から君島さんが昔から話していた男の人?」
「そ、その話はしないで。朔也クン、彼女は私達と同い年なのよ。高校で一緒だったの」
町内にいくつかある中学が違っても、高校はひとつしかないので同級生になることもある。
彼女がこのお店をひいきにしているのは沢渡さんがいるからだろうか。
「……千沙子はよくこの店にくるのか?」
「そうね。週に1、2回くらいかな。仕事のお休み前にはよく来るわよ」
俺が神奈の店を利用しているように顔なじみがいるって言うのは安心できるからな。
お腹もすいていたので千沙子お勧めのカルボナーラを注文する。
「沢渡さんとはずっと高校の3年間、一緒だったの。そのおかげで今も付き合いがあって……。そう言えば、マスターって寡黙そうな人でしょ。アレ、沢渡さんの夫なのよ」
「マジで? 歳、離れ過ぎてないか?」
見た目的には40後半と言った感じだが。
ワイングラスを磨いている横顔を俺達はそっと見ながら、
「でしょう? 去年の秋くらいに結婚するって聞かされた時は驚いた。14歳差だったかな。アレでもまだ36歳。見た目的にはおっさんだけどねぇ」
「……君島さん。聞こえてるわよ、人の旦那をおっさん扱いしないで」
ちょうどワイングラスを持ってきた沢渡さんが頬を膨らませる。
「落ち着いた雰囲気があるいい人なんだから。ワイン、いつものボトルでいい?」
「うん。お気に入りだからそれでいいわ。朔也クンはワインにこだわりは?」
「特にないな。赤ワイン系ならほとんど飲めるから」
「そう。このワインは味がすっきりしていて美味しいの」
彼女はそう言ってワインを開けて、ワイングラスに注ぎこんでいく。
「どうぞ、朔也クン」
「千沙子って、そういうのが様になるな」
「ふふっ、ありがとう」
彼女も自分のワイングラスに注いで、ふたりで乾杯しあう。
「この前は飲みすぎたけど、普段はあまり勢いで飲まないのよ。お酒はゆっくりと飲むのが好きなの。私はそれほど強くもないからね」
「俺も、そうだ。普段は酔っぱらうほども飲まない」
酔ったあとが大変なのは大学時代に散々経験したからな。
若さに任せて、という飲み方はもうさすがにしない。
「はい、カルボナーラ出来たわよ。鳴海さん、君島さんとはどういう関係なの?」
「千沙子とは中学の同級生だよ。中学卒業でこの街を出て行ってしまってね」
「恋人とかじゃなくて?」
沢渡さんの言葉に俺は苦笑いをする。
恋人か、その寸前までは行っていただけどな。
千沙子は意味深に微笑を浮かべて沢渡さんに言う。
「私、彼に一度フラれているの。告白したのに、断られちゃった」
「そうなの?」
「昔の話だけどね。今は……どうかしら?」
俺は千沙子の視線にドキッとしつつ「さぁな?」と誤魔化しておく。
お互いにそれは過去だ、現在の話ではない。
俺はカルボナーラを食べながら、沢渡さんに質問される。
「鳴海さんは何年ぶりに戻って来たの?」
「7年ぶり、この町の教師になるために戻ってきたんだ」
「へぇ、それならまだ君島さんにもチャンスはありそうじゃない?」
「……そうだといいけど。朔也クンって、遊び人だから。他でも女の子にちょっかい出してそうで、難しそうなのよね。うーん、どうしたらいいのかしら?」
本人を前にして言われるのも悲しいぞ。
「うわっ、意外とやるじゃない。鳴海さんって他にも気になる女の子が?」
「誤解だ、誤解。俺は別に遊び人じゃないから」
「神奈さんとか、仲いいじゃない。昔からだけど、私から見ても恋人にしか見えないもの。幼馴染って便利な言葉で誤魔化してない?」
お酒が入ってるせいか、千沙子は普段はあまり言わない事を口にする。
神奈の話なんて、滅多にしない理由は仲違いしているからだろう。
妙に仲が悪いんだよな、このふたりって。
「……してないって。神奈は妹みたいなもので、恋人とはまた違うものさ」
「それはそれで、どうなのかしら。居心地のいい特別な関係ねぇ……んっ」
彼女はペースを上げてワインを飲み始める。
「……あのー、千沙子さん? ペース早くないっすか」
「ふんっ。朔也クンは鈍感なフリして女の子を弄ぶのが好きなのね。悪い男なんだ……沢渡さん、もう一本持ってきて」
「あ~あ。君島さん、拗ねちゃってる。鳴海さん、あんまり他の女の子の話はしない方がいいわよ。君島さんって独占欲強いタイプだから。高校時代からそういう所があったのよね」
沢渡さんはそう言って、千沙子が注文したワインを取りに行く。
「ほら、朔也クンも飲んで」
「千沙子。あんまり飲みすぎると……前回みたいな真似になるぞ」
のんびりと飲むのが好きと言ったいたのに神奈の話になると飲むペースが早くなる。
お互いにまたあの朝を体験するのは心境的に複雑なのだが。
「朔也クン、何を真面目ぶってるのよ。いいじゃない、お酒に酔った勢いで関係を持つくらい。どうせ、都会で相当慣れているでしょう?」
「……俺、そんなに女好きだと思われてるのかな」
なんかちょっとショックです。
俺は女性陣に一体、どんな目で見られているのだろうか。
神奈もそうだが、千沙子も俺の女癖がかなり悪いと思われているらしい。
「してないって。それに、千沙子がそう言う事を言うな」
瞳が既に酔っている彼女に俺は言う。
「……どうして?私が言っちゃいけないの?」
「ど、どうしてって、それは……その……」
「いいでしょう?私の気持ち、知ってるくせに。私が望んでること、分かってるはず」
今日の千沙子は何だか普段と違う気がする。
「――再現してもいいわよ、この前の夜の事」
甘い言葉を唇から発する彼女。
白い手が俺の手の上に重ねられる。
細い指を絡めるような仕草をする千沙子。
「ち、千沙子。冗談だよな」
「……」
「千沙子?」
俺は彼女に尋ね返すと、
「……すぅ」
それも束の間、やがて彼女の方が先に酔い潰れてしまった。
あれだけのハイペース。
彼女もそれほど酒は強くないので無理をしたのだろう。
眠ってしまった彼女に俺はため息をついた。
ホッとしたいうか、何と言うか……千沙子ってこんな積極的な女だったか?
「……あらら、寝ちゃったの?君島さんがこんな顔を見せるの初めてかも。鳴海さんのこと、相当信頼と好意を抱いてる証拠じゃない。恋人にはしないの?」
「どうかな。千沙子とは昔、付き合いそうになった。タイミングが悪かったが、あのまま俺がこの町に残り続けていれば恋人になっていたかもしれない」
だが、それはもしもの仮定、今の話となれば、話も変わってくる。
「……7年は短いようで長い。お互いに色々とあって、千沙子は変わらないように見えて変わってるように、俺も人並みに変ってるんだがな」
「それでも、人を好きでい続ける意味くらい、察してあげればいいじゃない。君島さん、ずっと寂しかったのよ?朔也クンが戻ってきたの、つい最近でしょう、ここの所、すごく機嫌がよかったから気になってたの。想い人が戻ってきたんだって……」
「千沙子が寝ているから言うけど今の俺には恋愛をする気持ちがない。大事にしてやりたい気持ちはあるけどさ」
俺はそっと寝ている彼女の頬を撫でる。
無防備にぐっすりと眠る千沙子の寝顔も綺麗で魅力的だ。
「鳴海さん。東京で何かあったの?」
「いろいろと、な……。だからこそ、次に恋愛する時は本気でしたい。それが千沙子か、別の女性か、分からないけど……中途半端な恋じゃ、俺は前に進めない」
あぁ、そうだ。
俺はいまだに本気の恋をできずにいる。
忘れらない出来事があって、逃げるようにして俺はこの町に来た。
神奈も千沙子も、俺に好意を抱いているようだが、今の俺には受け止める気力がない。
その想いを誤魔化し続けて、目をそむけることしかできないのだ。
いつかは、乗り越えられると気が来るのだろうか。
その時に俺の隣にいてくれる相手は……。
「そろそろ帰るよ、沢渡さん。会計、頼む。それとこの話は千沙子には内緒でな」
「分かったわ。また来てね、今度も君島さんと一緒にね」
「……あぁ。千沙子の家までおぶっていくか」
会計を終え、俺は酔い潰れた彼女を背中に抱える。
細い身体、思っていた以上に小柄で軽い。
店を出る時に沢渡さんではなく、それまで何も言わなかったマスターが口を開く。
「……人の好意を無下にはするな。人に愛される意味を知っているのならな」
「分かっていますよ、それくらいは。だから、俺は困ってるんです」
「まだ若いんだ。困って悩んで、そして答えを見つけろ。それが若者の特権だ」
マスターの言葉に「答え、ですか」と俺は答えるしかできなかった。
千沙子の事は嫌いじゃない、神奈の事だってそうだ。
今の俺にはない純粋な想いを俺に向けてくれる。
それゆえに、俺自身のふがいなさと情けなさが俺を苦しめ続けている。
「君島の実家ってこの先の君島医院だったよな」
店を出て眠り続ける千沙子を背負いながら俺は夜道を歩き続ける。
「ふぅ。可愛く無防備に寝てるし。あーあ、昔の俺ならお持ち帰りだったのに」
昔の俺には戻れない、俺だって人並みに成長しているのだから。
「……もう桜も終わりか。最後の夜桜、綺麗に散ってくれよ」
散り終わる桜の木々。
ゆらゆらと舞う桜の花びら。
背中越しに千沙子の温もりを感じながら春の夜を楽しんでいた。




