第3章:愛しているから《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
俺は千歳への愛情を再びよみがえらせていた。
彼女に会えたら、何て言おうか。
そんな事を考えながら、俺は馴染みの神奈の店へ行く。
すでに店内には先客として斎藤がビールを飲んでいた。
「うぃっす、鳴海」
「あれ? 斎藤、今日はここにきてたのか」
「明日は漁もないからゆっくりと酒が飲める。お前も休みだろ、付き合えよ」
「もちろん」
俺もテーブル席に座ると、美帆さんが対応してくれる。
「こんばんは、朔也君。いつものでいい?」
「うん。美帆さんのお任せでよろしく。いつもので通るお店は楽でいいよ」
「いつも、ごひいきにしてくれてありがとう」
俺もすっかりと常連客のひとりだ。
家から近くて、料理も美味しく、お値段もお手頃で、店員さんが美人揃い。
こんなにいい居酒屋は他にありません。
その店内を見渡すと、神奈の姿はない。
「今日は神奈はオフの日?」
「ううん。さっきまでいたけど、用事があるって出かけたわ」
「そうなんだ。まぁ、いいや。とりあえず、乾杯」
斎藤とビールジョッキを当てて乾杯する。
「お疲れさん。夏はビールが美味しい季節だな」
「その意見には同意だ。仕事終わりのビールは美味しい」
「教師は夏でもお仕事か。学生の頃は先生も休みだとばかり思っていたよ」
「勘違いされる人が多くて困ってる。夏休み中は授業はなくても地味に忙しいんだ。授業がない分、気分は楽だけどもな」
先生は楽でいいよね、とか……実際はめっちゃ大変だ。
科目を教えるだけではなく、生徒指導やら、その他もろもろ大変なんです。
教師という仕事が好きでやらないとできないと実感している。
俺は冷たいビールを飲みながら斎藤と雑談をかわす。
「そういや、今日は何かあったのか?」
「ん?」
「スーツ姿で駅前を全力疾走するお前をみかけたのだが」
「うっ、アレを見られたか」
知り合いに見られてるとなると、改めて恥ずかしいものだ。
それだけ真剣だったんだけどな。
「あんな慌て方はお前にしては珍しい。声をかけそびれたくらいだ。どうした?」
「ちょっとした事件だよ、事件。俺にとってはここ最近で一番の事件だ」
会いたいと思っても会えずにいた相手が、まさか向こうから会いに来てくれた。
……本当に個人的には大事件である。
「お待たせ。今日はフライ系でまとめてみたわよ、朔也君」
「どうも。おー、美味そうなアジフライだ。旬だね」
「ここ最近はちょっと天候が悪くて不漁続きだけどな。サイズは良いのが釣れている。美帆さん、俺もアジフライ追加して。見てたら食べたくなったよ」
「ふふっ、分かったわ」
本業の漁師もこの店の魚料理には大満足だそうだ。
美帆さんも神奈も本当に料理が上手だからな。
「うむ、うまい。アジフライはビールとよく合うな」
「……で、事件って何だ?」
「斎藤には話した事があるだろう。俺の昔の恋人の話。ほら、飛行機事故で怪我をした子とずっと会えずじまいだったって」
「あぁ。指輪を渡せなかった婚約者の話だろ。覚えているよ」
千歳とは結婚するつもりだった。
それでも、彼女は俺の前から姿を消して、今も会えないままでいる。
「どうやら、千歳は今、この町に来ているらしい。車いすの少女。いろんな所からの目撃情報があってな。まさかと思って確認したが……どうやら、本当らしい」
「車いすの少女……もしかして、色白の可愛い子じゃないか?」
「お前も知ってるのかよ!?」
言葉は悪いが、車いす姿の少女は目立つからな。
そして、人目を引く清楚な美少女だとしたら人の記憶にも残る。
「鳴海が走り去って行ったあとに、その子が海辺の方で子供達と戯れてたぞ。楽しそうに笑いながら、そのまま海の方へ行ってしまった。観光客の子だと思って見ていたが、あの子がお前の元カノだったとは……」
「お、思いっきり、すれ違いかよ。ちくしょー」
神様、運命の悪戯をし過ぎじゃないっすか。
がっくりと俺はうなだれてしまう。
「やべぇ、俺ってタイミングが悪すぎるんじゃないか」
「すれ違う運命だったとか」
「やめてくれ!? リアルにそれがあると本気でへこむ」
ビールのお代わりを頼みながら頭を抱える俺だった。
これ以上のすれ違いはごめんだぜ。
「そう凹むな。確かに噂に違わぬ美少女だったな。なるほど、あの子が鳴海の運命の相手だったわけか。天然そうなのんびりとした雰囲気の子だった」
「まさに天然、純情路線の美少女ですよ。その上、良い所のお嬢様でもある」
「そんなご令嬢が鳴海みたいな奴に引っ掛かるとは……」
「斎藤まで言うな。そう言うセリフは大学時代にあらゆる所から言われ続けて、言われ慣れた。そして、その自覚もある」
あの当時、千歳狙いの野郎達や彼女の女友達から相当な批判を受けたのだ。
高嶺の花を手に入れるのは本当に大変だって思ったものさ。
「追加のアジフライとビールのお代わり、お待ちどうさま」
「どうも」
美帆さんから料理と酒を受け取る。
あげたてのアジフライをつまみながら斎藤は俺に言うのだ。
「鳴海はその子を追いかけて走っていたわけだ。結局、あえずじまいか?」
「そうだな。でも、俺に会いに来たと言っていたらしい。それなら、俺は待つ事にしたんだ。俺から無闇に探そうとしても会えないだろうし」
人間っていうのは会いたいときには会えない。
空回りをしてしまうものである。
ビールを飲みながら俺は神様へ愚痴をこぼす。
「どうやら、神様には見放されているようでな。すれ違いばかりだ。焦れば焦るほどに嫌な展開になりそうだし」
「そっか。でも、どうしても会いたいならホテルをマークしていればいいのに」
斎藤の一言に俺は「その手があった」と気付いた。
冷静に考えてみればそれが一番の手だったのに。
「そうだよ、旅行客って事は普通に考えたらホテルを利用するよな」
「……そこに気付いていないってのはよほど、お前はテンパってるらしい」
「ぐはっ。斎藤の言う通りで返す言葉もないよ。千沙子に電話してみよう」
千沙子に電話をすると、電話の向こうではジャズの音楽が聞こえる。
どうやら、いつものように沢渡さんのバーにいるようだ。
『はーい。こんばんは、朔也クン。どうかしたのかな?』
「いきなりだが、今日はロイヤルホテルの方に一色千歳っていう、車いすに乗った女の子が泊ったりしていないかな?」
俺の言葉に彼女は少し沈黙をしてから、申し訳なさそうに言う。
『ごめんなさい。宿泊客の情報は迂闊にしゃべれないんだよね』
「それもそうか。そうだよな。悪い、変な事を聞いた」
『ううん。こちらこそ力になれなくて、ごめんなさい』
だが、千沙子は電話を切る間際に『向日葵みたいな子には会ったよ』と言ってくれた。
ヒマワリ、その言葉が似合う少女を俺は良く知ってる。
遠まわしの言い方だが、やはり千歳はホテルに宿泊しているらしい。
「千沙子から情報を入手した。やっぱり、ホテルに泊まってるってさ。ふぅ、何だか、待つだけの立場はもどかしい」
「そういうな。相手も悩んでるんだろう。今はどう迎えてやるかを考えればいいさ。今回は向こうから会いに来てる。時間もあるんだ」
「そうだな……」
斎藤に励まされながら俺はビールをあおった。
夏の夜のビールの味は美味しくて。
俺はいつもより酔いながら酒を飲み続けた。
……。
その頃の千沙子は携帯電話を切って笑っていた。
微笑みの理由、それは……。
「朔也クン、言い忘れたんだけどね。その向日葵みたいな女の子は……」
千沙子がゆっくりと目の前の相手に視線を向ける。
「今、私の目の前にいるんだけどなぁ。ねぇ、千歳さん?」
「はい、何か言いましたか。千沙子さん?」
「ううん。何でもない。さぁ、乾杯の続をしましょう。ふふっ」
そこには、和やかな雰囲気で皆とお酒を飲む“千歳”がいたのだった。