第2章:貴方に会いたくて《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
夏休みの真っ最中、天文部の部室には部員の皆が集まっていた。
今日は迫る数日後の夏合宿のための最終準備だ。
時間厳守……のはずだったのだが、予定の時間に堂々と遅れてきた奴がいた。
星野茉莉、45分の遅刻である。
「まーつーり。お前、今日は遅れるなって言ったよな?」
「ごめんなさいー。お姉ちゃんの陰謀だったんだよ」
「雫さんのせいにするな。どうせ、お前が悪いんだから」
「うぅ、ホントなのに。私が遅れた事は謝るけど……」
俺は茉莉の頬を軽くひっぱりながら叱る。
「反省しろ、反省! 皆を待たせた事に反省しなさい」
「いひゃぁー。にゃーにするの」
「……せ、先生。それくらいで許してあげてください。茉莉さんも悪気があって遅れたわけじゃなさそうですし。私達も気にしてませんから」
部長である要がフォローするように茉莉を助ける。
「甘いな。そのような甘さではこの子は成長しないぞ」
茉莉はもっと厳しくしなければいけない。
これは愛を持った教育である。
「鳴海センセーがうちのお姉ちゃんとまるっきり同じ事を言ってるし」
「さすが雫さん。茉莉の事がよく分かってるじゃないか」
「うぅ、センセーがいじめるよ。これっていわゆる、好きな子イジメ?」
「違うっての。そんなわけあるか」
頬を赤らめるな、頬を!
全然、反省してないね。
常にポジティブ思考の彼女には叱っても効果がないようだ。
「……どうやら、まだお仕置きが足りないようだな」
「じょ、冗談だよ!? センセーの愛あるお仕置きはもういいです」
「愛があるかどうかは微妙だけど。ったく、しっかりしてくれ。さぁて、それじゃ始めるか。色々と担当を決めるんだから、お前も遅れるんじゃない。勝手に炊事班に任命するぞ」
「それはこのメンバーの全員、誰がやってもひどいありさまになるような……」
冷静な判断をする八尋に女性陣は顔をそむけて黙り込んだ。
「八尋よ、そう言う事をさらっと言うと女性に嫌われちゃうよ?」
「……彼女がいるから大丈夫です」
「言うようになったね。だが、その彼女が目をそらしている事にも気づいてあげて」
八尋の恋人、要は「私、料理のセンスがなさすぎて」と嘆いていた。
思わぬ誤爆にフォローに必死になる八尋だった。
「こほんっ。いいか、お前達。人間とは日々進化する生き物だ。前回できなかったからと言って、今度もできないわけではない。きっちり、家で練習したよね?もちろん、あんな悲しい出来事はもうないと思ってもいいんだよね?」
期待を込めて言ったのに全員沈黙。
先生はとても悲しい。
「泣きたくなるくらいに静かだな、おい。ここは頑張ろう、とかせめて意気込みくらい言ってくれよ。少しは俺を期待させてくれ」
「センセー、無理なものは無理だよー」
「そうそう。鳴海先生。過剰な期待っていうのは、失望した時、ダメージが大きくなるからしない方が無難だと思うんだ」
千津の言葉に思わず頷きそうになってしまった。
……ダメじゃん、この子達。
「はぁ……あー、とりあえず、合宿までに各自、お母さん達に料理を習うように。努力くらいはしてください、と。後はもう適当に役割決めちゃって」
俺は投げやりに応えると、要が中心になって皆で話し合いを始める。
「それじゃ、まずは……」
和気あいあいとした良い雰囲気の部活だ。
とはいえ、遊び半分と言う気持ちで合宿はしない。
やるならちゃんと結果も出しておかないとな。
夏が終われば秋の文化祭もある。
そこでは、合宿の成果の展示もあるのだ。
あんまりにもふざけてると来期の部費が減らされてしまうのである。
天文部は地味におカネのかかる部活なので減らされると辛い。
俺は窓を開けて外の空気を感じる。
「夏の風は気持ちいいな」
風が夏の匂いを運んでくる、というが本当に夏らしさを感じる風だ。
「センセー、クーラーいれてもいい?」
「省エネが叫ばれている時代だ、扇風機で我慢しなさい」
「えー。せっかく、この教室にクーラーもついてるのに。勝手につけるよ」
「……人の意見を聞かないなら最初から聞かないでくれ」
茉莉がクーラーのリモコンを押して起動させる。
「そういえば、茉莉。お前、今日は何で遅れてきたんだ?」
「理由? 雫お姉ちゃんがご飯をおごってくれるって珍しく誘ってきたの。それで由愛お姉ちゃんのお店でくつろいでたら、こんな時間になっちゃってた」
「……言い訳のしようもない理由だな」
「お、怒らないでよー!? もう許してー」
びくつく茉莉だが、思い出したようにある事を言うのだ。
「そうだ、鳴海センセー。千歳さんって知っている?」
思いもよらぬ人物の名前に俺は驚いた。
千歳、その名前を聞くと今でも胸が痛くなる。
「は? 何で、茉莉がその名前を知ってるんだよ?」
「うわっ、え? あ、あの……センセー、顔が近いよ? ちょっと怖い」
俺が詰め寄ると彼女は戸惑う。
無自覚に怖がらせてしまったようだ。
「すまん、ちょっと感情的になった」
「ううん。気にしてないけど。このままチューでもされちゃうのかと」
「しません」
「えー、してよ。ちゅー」
ええいっ、顔を近づけるな。
俺が離れると、茉莉は意外そうな顔を見せた。
「ホントにセンセーの知り合いだったんだ」
「千歳がどうかしたのか? どうしてお前が知っている?」
「あのね。さっき、由愛お姉ちゃんの喫茶店に来てたんだ。鳴海センセーの名前を聞いて、何だかすごく嬉しそうな顔をしてたから気になったの」
「はぁ!? この町にきてる!?」
そんなバカな……千歳がこの町に来ている……?
想像だにしていない事に驚きを隠せない。
あの2年前の別れ以来、俺の前からいなくなった彼女がこの町にいるなんて。
今頃はアメリカにいるとばかり思っていた。
「う、嘘だろ……? 本当にそれは千歳か」
「えっと、車いすに乗ってる美少女系な女の人だったよ?」
「……マジで千歳なのか?」
どうして彼女が今になってこの町に来たんだ?
動揺する俺に後ろで「思い出した!」と千津も声を上げる。
「そうだよ、千歳さんだ。私もさっき会ったの。海辺で海を見てたよ。そっか、前に先生の所で写真を見た、あの人だ」
「なんだ、千津も会ったのか?」
「うん。そっか、千歳さんだったんだ。顔を見ても名前を思い出せなかったの。どこかで見たことがあるって思ってたんだけど。ほら、前に見せてもらった写真があったでしょ。あれで覚えていたんだ」
一度だけとは言え、写真を見た事がある千津が見たと言うのだ。
本当に千歳がこの町に来ているのだとしたら……。
「悪い、ちょっと皆で話し合いを続けてくれ」
「センセー、出かけるの?」
「一時間で戻る。俺に時間をくれ」
俺の言葉に皆は頷いてくれた。
「要、後は任せるな。何かあったら携帯に連絡してくれればいい」
俺は慌てて部室から出ると、学校の外へと駆けだした。
ずっと会いたかった女性がすぐそこまで来ている――。