第6章:休日の過ごし方《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
うちの高校は土日が休みなので俺も休日をのんびりと過ごす。
「……はずなのに、朝っぱらから起こしに来るな」
昼過ぎまで寝ていようとした俺の計画は見事に崩れ去る。
「何よ、いいじゃない。寝てるより、よっぽど楽しいでしょ?」
「せっかくの休みだ、惰眠をむさぼりたいんだよ。ふわぁ」
欠伸をしながら早朝から押しかけて来た来訪者に愚痴る。
先ほど、俺を起こして来たのは幼馴染の神奈だった。
「今日は暇なんでしょう?」
「暇だけどさぁ」
「なら、文句言わずに私に付き合ってよ」
彼女はさっそく朝ご飯作ってくれている。
相変わらずエプロン姿もよく似合う。
わざわざ食材まで持ってきて朝食を作ってくれる事は感謝する。
「大体、こんな朝早くから俺を起こしてどこに行くって言うんだ?」
「7年ぶりに帰って来たばかりの朔也にこの町の懐かしい場所を案内してあげようっていう、私の優しい心意気じゃない。忘れてる場所、懐かしい場所、たくさんあるでしょ」
「なるほど。ただ単にお前が俺の傍にいたいだけか。好かれているね、俺って」
俺の言葉に彼女は慌てた様子で否定する。
「な、何言ってるのよ!? バカじゃないの!? だ、誰が、朔也と一緒に……」
口ではそう言いながらも照れた素振りを見せる神奈。
俺も意地が悪い、相手の好意をからかうのもひどい人間のすることだ。
でも、神奈は俺にとっては妹みたいで、からかうと反応が面白いんだよな。
「違うのか? それは残念。俺は神奈と一緒にいると楽しいから好きだけどな」
「……くっ。何か、朔也って東京に出てからすごく意地悪になってない?」
「俺は元々こういう奴だよ。おい、鍋を放っておいていいのか?」
沸騰したお湯の入った鍋が煮立っている。
彼女は慣れた手つきですぐに味噌汁の具をいれはじめる。
「……和食か?炊飯器って使えたっけ?」
「肝心のお米がなかったけどね。それくらい用意しておきなさいよ」
「俺、自分で飯を炊いて作る習慣ないからな。朝はパンオンリーなのだ」
「だったら、この炊飯器はどうしてここにあるのよ?」
俺は「大学時代の先輩からもらったやつだ」と答えておく。
昔住んでいたアパートで、隣の部屋に大学の先輩がいて卒業で引っ越すときにいらない家財道具を引き受けたのだ。
もらった中でもあまり使わない電化製品が炊飯器である。
トースターは自分が買った奴だが、もう長い付き合いになる。
「はい、できあがり。ご飯も炊きあがった……のに、何でアンタは一切、用意をしてないわけ? 私がこの家に来てから30分ぐらいたっているでしょう? いい加減、起きなさいよ」
「そのうちの15分強は俺は寝てたけどな。いきなり、家の中に入ってきてびっくりしたぞ。田舎とはいえ、戸締りはしておかなくちゃ……あれ、閉まってなかった?」
「鍵なんて無駄よ。一応、アンタの家の合鍵は私が持ってるからね。今日もそれを使ったわ」
「なぜに!? どういうことだ、それは?」
大家さん、仕事を放棄するなよ。
こんな奴に鍵を預けるなんて……怖いじゃないか。
「ここの大家、私の親戚なの。それで私がこの家の大家代行になりました。空き家、お使いいただきありがとうございます」
「ていうか、親父の知り合いの不動産屋ってお前の親戚かい」
父の知りあいに頼んでこの家に住む事になったのだが、父の知り合いという時点で怪しい事に気づいておくべきだった。
不動産屋が神奈の親戚筋ならすべてが納得がいく。
神奈の親戚、相坂の一族は昔から地主というか、この辺りの多くの土地を所有している。
この町には不動産関係で二つの名家がある。
古くから大地主である相坂家と星野家。
あいにくと、星野家の方には知り合いがいないが町では有名だ。
考えてみれば、神奈も立場的にはいい所のお嬢さんなんだよな。
……田舎の居酒屋の副店長なんてしてるけど。
「そーいうこと。叔父さんに頼んでここの管理は私がすることになってるの。悪い事をしたらすぐに追い出してあげるわよ」
「今すぐ出ていきたい。俺に自由をください……」
「ふふっ。いいじゃない、こうしてお世話してあげるし。孤独死する心配はないわ」
そんな心配、初めからしてないっての。
俺は愚痴りたくなる気分を抑えて、テーブルに用意された和食中心のメニューを眺める。
いい匂いのする味噌汁に焼き魚、日本の定番中の定番の和食の朝食だ。
「……朝食セットでいくら?」
「このジュース一本でいいわよ。もらうわね」
「それくらいならいいが。……いただきます」
冷蔵庫に入っていた缶ジュースを飲む彼女。
何だかんだいいつつも面倒見がよくて、世話好きな幼馴染さんである。
“誰にでも”ってわけじゃない所については、あえて気にしない方がいいんだろう。
「それで連れてきた場所がここかよ」
朝食後、神奈が俺を連れて来たのは海だった。
海と言っても駅周辺の浜辺ではない。
少し離れた人気の少ない浜辺。
ごつごつとした岩が並ぶ、自然の浜辺がそこにはある。
「隠れ浜か。確かに懐かしい場所ではあるけどな」
小さな入り江、波打ち際のサイドプールを覗き込みながら俺は言う。
ここは“隠れ浜”と俺達が呼んでいた秘密の隠れ場所だ。
地元住民も滅多に訪れる事はない、知られていない場所だ。
「この秘密基地もまだ壊れずにあるんだな。ボロいくせに台風でも壊れずか?」
「本当に壊れてないね。あの頃から全然、変わらない」
小学生時代に俺達は浜辺に流れ着いた流木やガラクタを使い、浜辺の方に小さな小屋風の建物を建てた。
子供の手作りながら、意外としっかりした構造の小屋である。
その当時、秘密基地と呼んでいた建物が今も壊れずに残っており、奥の方にしまってあったレジャーシートを取りだす。
「ボロい小屋も日除けにはなったよな」
「私はいつ崩れるのか怖くて、あんまり良い想い出ないけどね」
「神奈は怖がりだからな。この入り江だって、幽霊が出るって噂があったら、一番最初にビビっていたのはお前だからな。懐かしい」
あれは確か俺が中学1年くらいの頃だったか。
この隠れ浜に幽霊が現れると言う噂が流れたのだ。
そもそも、噂と言っても隠れ浜を知ってる人数は10人ぐらいなので、仲間内で騒ぎになっていただけにすぎないのだが。
「隠れ浜に謎の人影、現る。勝手に幽霊だと騒いでたのは誰だ?」
「ち、違うわよ。変な事を思い出さないで」
「実際は幽霊なんかじゃなくて……千沙子だったんだけどな」
その当時はまだ千沙子は俺達のグループ内にいなかった。
この隠れ浜を見つけて、気になって浜辺を歩いている姿を勝手に皆が誤解したらしい。
幽霊騒ぎが誤解だと分かってから、千沙子と俺達との付き合いがはじまった。
「……待って。今、千沙子さんのこと、呼び捨てにしなかった。君島じゃなくて、呼び捨て?」
ギクッ、マズイ。
神奈に変な勘ぐられ方をされるのは非常にマズイ。
「そんな事を言ったか? 君島って言ったぞ、俺は」
「ううん、絶対に呼び捨てた。何よ、この間、再会してから仲良くなってない?」
「なっていないって。俺達、昔から普通に友人付き合いしてただけだって」
神奈と千沙子は仲が悪いらしいと斎藤から聞いている。
理由はよく分からないが、お互いに嫌悪してる様子だそうだ。
「……君島と神奈って仲が悪いのか?」
「別に千沙子のままでいいわよ。仲はよくはないわ。あの人、怖いもの。人の事を勝手に敵対視しているの」
「昔からそうだっけ?」
俺の記憶にある限りはそうではなかったと思うのだが。
「朔也がいなくなった後、いろいろとあったのよ。その話はどーでもいいの。問題は朔也にとっての千沙子さんは何なの?」
「だから、ただの中学の同級生だって」
「美人が言ってたのよ。アンタがこの町を去る数週間前からやけに仲良くなりだしてたって。その辺に何かあったでしょ。ほら、答えなさいよ?」
女の勘って鋭くて怖いから苦手だ。
恋人に浮気を疑われる心境になりながら俺は否定しておく。
「何もありません。俺は別に何もなかったよ。本当だ」
過去に告白された、それだけだ。
本当に恋人になったわけじゃない。
「ほら、それより神奈。海を見に行こうぜ。覚えてるだろ、この海でお前が昔、溺れた事を。あの辺だったかな? いきなり深くなってる場所があったんだよな」
「……うん。覚えているよ。ずっと、覚えてる」
彼女は海を眺めながら感傷深くそう言った。
波打ち際に立ちながら、俺達は一緒に蒼い海へ視線を向ける。
「いきなり神奈が溺れていて、一緒に泳いでいた俺が気づいて助けに行くんだけど、俺にしがみついてくる神奈が暴れて、俺まで沈みそうになってさ。あの時は俺も焦ったな」
「……だって、パニックになっていたんだもの。仕方ないでしょ」
神奈は昔の事を言われて気恥ずかしいのか俯き加減だ。
溺れている人間を助ける時に一番気をつけなければいけないのが、溺れている人間に抱きつかれて自分も一緒に溺れてしまう事だ。
まさにその状況になりかけた苦い記憶である。
「そ、その時に朔也の一言が私を落着かせてくれたのよ」
「俺、何か言ったっけ? 覚えてないな……?」
神奈は俺の服の袖を軽くつかみながら言う。
「朔也は『俺を信じろ。俺が神奈を無事に助けてやるから大人しくしておけ』って言った」
「うぐっ、俺がそんなこと言ったかな?」
「その言葉で安心した私は、朔也を信じて身を任せたの。朔也のおかげで無事だったわ。それからしばらくは水嫌いになったけど……。今でも感謝してる。私はあの時から、朔也が……」
俺の顔を見つめて言う彼女はハッと気づいて「な、何でもない」と誤魔化した。
分かりやす過ぎるんだよな。
神奈の想いは純粋で、真っすぐすぎる。
いい加減、気付いてないふりができない。
……7年たった今も変わっていないのだ。
「神奈って本当に純粋だよな」
「何よ? ……私をバカにして、え?」
俺はそっと神奈を抱きしめてみる。
幼馴染の抱き心地は昔と比べて女性らしさもあって、心地よかった。
「な、何よ、いきなり!? 恥ずかしいじゃない」
「何か抱きしめて欲しそうな顔をしてたからさ?」
「してないって。もうっ、何なのよ。朔也のくせに」
口では文句を言いながらも「離せ」という言葉が一言もない。
俺たちは抱きしめあうままで、
「お前って本当に変わらないな」
「朔也が変わり過ぎなのよ。昔のアンタはそう言う事、しなかったし。このナンパ男」
「でも、神奈は俺にこうされるのも嫌じゃないだろ?」
俺の問いに彼女は何も言わずに受け入れるだけだ。
しばらくの間、神奈を抱きしめながら蒼い海と空を眺めつづける。
懐かしい故郷の海は、あの頃と変わらない透き通る青い海のままだった――。