第9章:安らぎの場所《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
「ふぅ、さすが温泉……素晴らしい」
海を満喫して俺は星野家のお風呂に入っていた。
自宅に檜風呂の温泉とは、なんという贅沢なことか。
心地よい温泉のお湯につかりながら俺は視線を隣に向ける。
「雫さん、恥ずかしがってないでこちらにきてください」
「う、うるさいっ」
顔を真っ赤にさせちゃって、可愛い所もあるものだ。
うむ、もしや彼女は押しに弱いのか?
「勝負に負けたのは私が悪い。だからって、一緒にお風呂は……」
「ありなんじゃないですか? 恋人同士ですし」
「お前はすぐに恋人って言うけども、まだ慣れていない私にハードルを上げすぎ」
「その辺も含めて慣れてくださいよ」
俺と距離を取ろうとする雫さんに俺はにやけていた。
勝負に勝った俺のお願いは一緒にお風呂に入ると言う下心満載のものだった。
最初は怒っていたが、負けは負けと言うことで彼女もこうして湯船につかっている。
「恋人、か……。私はちゃんとお前の恋人して付き合えてる?」
「自信を持ってくださいよ」
「分からないの。この気持ちも、いろいろと初めての事ばかりだし。この年で、恋に浮かれるとは思いもしてなかったもの」
雫さんに告白されてから数日。
俺の中で彼女を思う気持ちはかなり強くなっている。
付き合ってみて分かるのは思っていたよりも弱い人と言うことだ。
前に由愛ちゃんが言っていた通り、決して彼女は強くはない。
「恋って不思議なものね」
「……人間にとって一番の幸せは恋愛をすることだと思います」
「私は一人でカラオケをしているときが幸せだわ」
「それは寂しいので卒業してくださいね」
おひとり様の趣味からはぜひとも卒業してもらいたい。
付き合っていくうちに、もっと雫さんの事を知りたいと思う。
タオル一枚の姿は先程の水着姿よりも艶めかしい。
「雫さんは肌とかすごく綺麗ですよね?」
「それは、今までの元恋人と比べて?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
彼女は拗ねてる様子を見せながら俺に少しだけ近づいてくれる。
雫さんは俺の恋愛遍歴に非常に敏感である。
そりゃ、俺も大学時代は色々と遊んでたからなぁ。
「……気持ちのいいお湯です」
「この温泉は私も小さな頃から気に入ってるの」
「美人と温泉、素晴らしい」
「お前はホントに欲望に素直な奴だわ」
のんびりとお湯につかり、遊んで疲れた身体を癒す。
「先程の話に戻るけども、鳴海はいろんな女性と恋をしてきたのよね?」
「……その話っすか。そんなに気になります?」
「単純に恋愛経験の差の話よ。私は相手がどんな相手と恋愛してきたのかが気になるだけ。恋愛遍歴っていうべきかしら」
「俺はそんなに相手の恋愛遍歴は気にしませんよ。相手の人生も人それぞれですし。雫さんは誰か今まで好きになるような人、いなかったんですか?」
いくら雫さんでもひとりくらいはいたのではないか?
「……いないわ。恋愛なんて鬱陶しいと思ってたし、私の性格的に男を傍に寄せつける事もなかったから。思えば、私って結構、寂しい人生かも」
「えー。今さら自覚ですか。お友達も少ないですよね」
遅すぎますよ、雫さん。
わかっていても、それを認めたくないものだろう。
「うるさいなぁ、放っておいて。私は基本的に何でもひとりでするのが好きなのよ」
「どちらかと言えば、孤独を嫌う性格だと思いましたが」
「うっ……」
言葉に詰まってしょげる彼女。
もう少し、交友関係を広げる必要はありそうだ。
「それで話を戻すけど、鳴海の話を聞かせなさい」
「まだそっちに戻ります? 言っておきますけど、俺の恋愛もそんなに大した事じゃないですけどね。特に大学生の頃なんてそれはもうひどくて……」
学生時代はモテまくったのはいいが、逆にかなり女に敵も作っていたりして、今さらながらひどい奴だと自分でも思う。
付き合い始めた恋人が元恋人の友達だった、とか……あれは相当に揉めたなぁ。
ふっ、思い返せば俺はよく女の子に刺されずに済んだものだ。
「つまり、私の事も身体目当てのお遊びだと?」
「違いますって!? どうしてそうなるんですか」
「話を聞けば聞くほどに、私は遊ばれているとしか思えない。本命の恋人が海外留学中に、別の女性と半同棲? この浮気男は死ねばいいのに」
「か、過去の話ですよー」
だから、過去の話など言いたくはなかったのだ。
はっきり言えば、俺は千歳に出会う前までは恋愛らしい恋愛をしていない。
彼女に会えて恋を知り、変われたのだ。
だから、今はちゃんと雫さんの事は愛している。
きっかけは突然だったが、今の俺にとっては大事な人だ。
「私は鳴海に弄ばれて捨てられるのが怖い」
「そんなことしませんからご安心を。トラストミー」
「自分を信じてって、言う人ほど、信じられないわよね?」
「ごもっともな意見です」
だが、ここは信じて欲しい。
不安そうな彼女は肩までお湯につかると、俺から顔をそむけた。
「雫さんがそんな事を言うなんて意外ですね」
「言っておくけど、私はただの虚勢をはるだけの弱い人間だもの。人を平気で傷つける言葉を放つくせに、人に傷つけられるのは嫌。簡単に心も折れるし、傷つきやすい。面倒くさい女なの。その辺、理解しておいて」
「まるで桃みたいな人ですね」
桃は見た目は綺麗だが触れればすぐに痛んでしまうほどに、とても傷つきやすい。
そこまで繊細なお人だとは思わなかった。
これは想像以上に扱い注意かもしれない。
本当の雫さんとは一体、どのような人なのか?
「私なんてしょせんは口だけ。小さな頃から、周囲の人間になめられないようにしてたの。人を脅すのも、嫌がる事を平気で言うのも得意だけど、それは全部、弱い自分を守るため。弱い犬ほどよく吠える、そういう人間なのよ」
「正直な話、雫さんにはとても怖いイメージを抱いてました」
「……そう言う風に見せていたもの」
ちゃぽんっとお湯を鳴らして、彼女はうなだれる。
俺の想像していたイメージが音を立てて崩れさる。
雫さん=強気な印象を抱いてたのに、こうも弱い所があるなんて。
「これが本当の私。鳴海には隠さずに言っておきたいと思ったの」
「うれしいですね。本当の貴方を知れることが……」
あの嵐の夜の弱々しい彼女を思い出す。
辛くても弱い所を見せたくない意地っ張りだ。
それでも、俺を信頼して弱さを見せてくれるのか。
「……こんなことは、誰にも言った事がないんだから」
雫さんは気恥ずかしそうに俺を見つめてくる。
その瞳はどこか潤んでいて、可愛らしい。
……可愛いって表現を雫さんに使うとは思わなかったぜ。
彼女が初めて見せる自分の心のうち、俺は本当に彼女の事を知らなさすぎたんだな。
「だから、あんまりいじめないで?」
「いじめませんよ。恋人として大事にします。俺を信じてください」
「……うん」
お風呂の湯船の中で、手を握り合う。
恋人になってはじめて見せる本当の顔。
雫さんがゆっくりと俺に寄り添ってくる。
「少しずつでいい、恋人になっていけばいいんですよ」
共に温泉に入りながら心を通い合わせる事が出来たのだった。
ちなみに、下心ありでお風呂に誘ったのだが、あまりにも真面目な話をしてしまい、襲うのはやめました。
それはまた今度にしよう。