第9章:安らぎの場所《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
雫さんと共にやってきた海水浴場は、家族連れでよく賑わっていた。
空は快晴だが風もあるし、心地よく過ごせそうだ。
「いい天気ですし、泳ぐにはいい感じです」
「そうね。日焼けするのは嫌だけども、適度に雲もあるし悪くないわ」
「雫さんはいつもは誰と来るんですか?」
さすがにここもおひとり様ではないだろう。
そう信じたい。
だが、彼女はあっさりとした口調で言う。
「……ひとりで来るわね」
「そ、そうっすか」
俺が言うのもなんだが、寂しい人生を送ってませんか?
「あのねぇ、誤解のないように言うけども、私はスキューバがメインだから。ひとりで泳いでるのが多いってだけ。誘う相手がいないわけじゃないわ」
「そう言うことにしておきます」
「もうっ、ホントに分かってる?」
「雫さんが海を好きだってことは分かりました」
まぁ、大人になれば子供の頃と違い海で泳ぐ機会も少なくなる。
家族や恋人でもいれば話は別だろうけども……。
「……スキューバ? 雫さんもスキューバダイビングできるんですか?」
「そうよ。ちゃんと免許を持ってるし。家に道具も置いてあるわ」
「へぇ、俺もそうなんですよ。それなら今度は一緒にスキューバをしましょう」
「ふーん。鳴海もできるんだ?」
同じ趣味を持ってるなんていいね。
ここの海は本当に綺麗なので泳ぐのも楽しいのだ。
今日の所は純粋に海で泳ぐ事を楽しもう。
雫さんが水着に着替えるまでの間、俺は砂浜で彼女を待つ。
いいねぇ、こういうドキドキする時間。
雫さんはスタイルもいいし、きっと素敵な水着のはず。
いろんな想像をしながら待つこと数分、ようやく彼女は俺の前に姿を見せてくる。
「こっちを見るな」
「それは無理って話ですよ。……おー、かなりいいじゃないですか」
「……こんな姿、お前にしか見せないわよ」
黒いビキニ姿の彼女は大人の妖艶さを感じる。
胸の大きい彼女にはビキニとか似合いすぎです。
上から下まで凝視する俺に彼女は不快感を態度で示す。
「変な目で見ないでくれる?」
「恋人ならば許される行為ですよ」
「嘘つけ。はぁ、もういいから海に入りましょう。恥ずかしいわ」
雫さんはどうやら照れやでもあるらしい。
うむ、付き合う前には想像もできない事だな。
恥じらないの表情などほとんどみせなかったお人である。
もう少し態度的にデレてほしいが、これはこれでありだ。
海に入ると気持ちの良い冷たさ。
「さぁて、泳ぎますか」
俺達はしばらくの間、のんびりと泳ぎ始める。
「鳴海はどれだけ泳げるの?」
「普通に泳げます。むしろ、泳ぐのは得意です」
「へぇ、見せてもらいましょうか。鳴海の実力ってやつを」
「勝負でもします?」
スキューバの免許を持っているのだから、雫さんも泳ぎは上手だろう。
だが、泳ぎならば俺も得意だから負けないぞ。
「……勝負か。いいわねぇ」
彼女も何だか乗り気なので勝負でもしてみることにした。
「負けた方が勝った方の言う事を聞く、この王道的な条件でよろしいですか?」
「いいんじゃない。どうせ、私が勝つもの。好きにすればいい」
「自信ありますねぇ。それじゃ、あの岩場辺りまで勝負ということで」
ここから500メートルほど離れた岩場をゴール地点とする。
中学時代はよくこの辺りで皆と遊んでいたっけ。
俺にとっては場所的には有利だと言える。
波も穏やかなので、これはいい勝負になるだろう。
「スタート!」
俺達は一斉に泳ぎ始める。
だが、開始から10秒もしないうちに雫さんと距離が開いていく。
「……嘘だろ、早すぎ!?」
俺は驚きながら彼女を追いかける。
雫さんは綺麗なフォームで、まるで競泳選手みたいに泳いでいる。
「これがおひとり様で海を楽しむ女の人の泳ぎかよ(かなり失礼)。」
くっ、油断していたわけではないが……圧倒的すぎる。
「ちくしょう!」
神奈と泳ぎに行った去年を思い出した。
あの時も同じ条件でチャレンジして無様な負けをさらした。
同じ失敗を繰り返す俺はではない。
というか、二回も女の子に負けたら俺のプライドはズタズタだ。
今後、泳ぎが得意だと言う事を自慢げに言えなくなる。
「はっ、まだまだやれる」
俺は本気を出して泳ぎ出す。
激しい水しぶきをあげて強引な泳ぎをみせる。
なんとか彼女に追いつき始めるが、残り100メートル少し。
……間に合うかどうかギリギリだ。
だが、雫さんの方はここにきて失速し始めている。
彼女の泳ぎには当初の勢いもなく、こちらはまだ体力的には余裕がある。
逆転をするために、俺は全力を出して泳いだ。
結果、俺はラストわずか数メートルで逆転勝利。
いわゆる、タッチの差って奴だった。
「……ぎ、ギリギリ、勝てました」
「はぁはぁ……最後の追い上げで負けるなんて、屈辱ね……」
両者ともに息も絶え絶え、岩場に持たれながら呼吸を整える。
「自分の年齢を嫌というほど痛感させられたわ」
「同感です。若いころのようにいかないものですね」
もう昔とは違うんだな……。
常に運動している人間と違うので、体力が低下した気がする。
雫さんはこちらに悔しそうな表情を浮かべながら、
「……はぁ、鳴海に負けたわ。あと少しだったのに」
「雫さん、早かったですね。泳ぎは得意なんですか?」
「一応、昔は水泳部だったし。こう見えて、昔はインターハイも出た事があるのよ」
やべぇ、相手はホントに元競泳選手だった。
インターハイ経験者とか、俺はよく勝てたものだ。
話を聞けば、あの神奈に泳ぎを指導したのは彼女らしい。
同じ高校の水泳部で先輩後輩だったそうだ。
……世間って狭い。
「でも、最後の失速は……?」
「単純に男と女の体力の差でしょ。後は、お互いに昔ほど泳げないってことじゃない。鳴海も限界そうだし。でも、素人のわりには早くてびっくり」
「……男には負けられないプライドがあるんですよ」
ここで負けたら俺はもう立ち直れなかったであろう。
その後はふたりで軽く泳ぎながら、海を楽しむ。
夏の海を満期した後、陸に上がった俺は言った。
「雫さん、勝負に勝った俺の言うことを聞いてもらいましょうか」
「お好きにどうぞ。何をさせるつもりなのかしら?」
晴天の空の下で、俺はあるお願いを雫さんにしてみることにした。