第8章:愛の実感《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
「……俺の新しい恋人が雫さんとは予想外の子とって起きるものだな」
「そんな自分で言わないでください。姉さんは素敵な人ですよ?」
由愛ちゃんが膝に猫のショコラを抱っこしながら言う。
その日は土曜日、雫さんをデートを誘いに来たのだが、用事があるらしくて家には不在だったので待たせてもらう。
ショコラ用の部屋、となっている部屋は俺の家の部屋よりでかい。
……くっ、猫に部屋の広さで負けた!
「ショコラはずいぶんと由愛ちゃんに懐いてるな」
「今はこんな風に寝てる時にお腹も触らせてくれます」
心地よさそうにお昼寝するショコラ。
羨ましいぞ、ちくしょー。
「そういや、ショコラってオス猫? メス猫?」
「メス猫です。三毛猫さんはオスが生まれる確率はかなり低いですし」
「ふーん。どちらにしても、由愛ちゃんの膝まくらなんて羨ましい」
「くすっ。姉さんにしてもらってください」
「雫さんにねぇ……?」
あの人、付き合い始めても未だに態度がそんなに変わらないのだ。
甘えてくれるわけでもない、甘えさせてくれるわけでもない。
キスすらしようとすると恥ずかしいからと拒まれる。
まだ恋人関係に慣れてないだけだと思うけど、どうにかもっと距離を詰めたい。
付き合ってから数日が経つけど、関係は発展せず。
ツンデレのデレがない感じ、デレはまだか、まだなのか。
「雫姉さんは人に甘えるのが苦手ですから。自然になるまでは時間がかかると思います。ああみえて、朔也さんのことは激ラブなので安心してください」
「……そうだといいんだけどね」
「朔也さん、不器用な姉ですが見捨てずによろしくお願いします」
由愛ちゃんにお願いされてしまった。
もちろん、俺も雫さんとはこれからも仲良くして行きたい。
何かきっかけでもあれば彼女も変わるんだろうか?
「鳴海センセー、大好きだよー」
いきなり俺に抱きついてきたのは子猫、もとい、茉莉だった。
「うぐっ。背中にくっつくなぁ」
「いいじゃない、私に会いに来たんでしょ?」
「違うっての。雫さんに会いに来ただけだ、重いからどいてくれ」
「どちらの意味でもひどいっ。でも、好き~」
ふいうちで俺の背中に抱きつく茉莉。
雫さんに告白された日に、俺は彼女に付き合うことになった事を電話で告げた。
その日は泣いてるようにも思えたのだが。
でも、態度は変わらず、このようなありさまである。
……茉莉らしくてホッとしたりして。
「茉莉ちゃんは変わりませんね」
「当たり前じゃない。お姉ちゃんには負けるつもりないし」
「……もう少し仲良くできないものか」
「無理。あの人とは性格的に絶対に相性があいません」
ぎすぎすした雰囲気ではないが、仲の悪さは困ったものだ。
「大体さぁ、なんでお姉ちゃんなの? 若い子の方がいいでしょ? 私はまだ15歳だよ? 現役女子高生の方がいろんな意味でいいと思うの」
「お前の発言はその年代のお姉さん、すべてを敵に回してるぞ」
あと、お前と付き合ったら俺がリアルに捕まるわ。
「いいよ、別に。若さが大事。お姉ちゃんより私を選んでー」
雫さんに聞かれたらとんでもない目に合いそうな茉莉である。
お前だってそのうちに、年が気になるお年頃になるって言うのに。
「にゃー」
それまで寝ていたショコラが目を覚ますと茉莉の方にすり寄る。
なんと、今まで懐いていなかった猫がすっかりと茉莉に懐いていた。
猫は機嫌良く声を上げる。
「よしよし、しょこたん。ようやく私に懐いてくれたねぇ」
「猫に想いが通じたのか?」
「毎日、私が高級猫缶を買い与えて続けてきた結果だね!」
「……餌付けかよ」
ショコラを抱っこしながら自信満々に言う彼女。
言いたい事はあるが、何にしても懐いたのはいいことだ。
「そーいう意味では雫お姉ちゃんはずるいよ。何も言わずに目を見るだけでしょこたんが大人しくしてるんだもん。獣の勘かも。この人はやばいって分かるんだねぇ」
どうやらたった一言だけ「大人しくしていなさい」と言うと、それ以来、ショコラは彼女に抵抗しなくなったらしい。
猫すら分かる彼女の殺気とは恐るべし、雫さん……。
「そんなに言うなら、センセーはどうなの? しょこたん、懐いてる?」
「あのなぁ、俺は星野家の家族じゃないんだから懐くわけないだろ」
そもそも、猫を飼い始めた頃には茉莉同様に引っかかれたのに。
「しょうがない、試してみるか」
俺はショコラの瞳を見ながら手を差し出す。
こちらを見て機嫌が悪そうに小さく唸る。
「待ちなさい、ショコラ。俺は雫さんの恋人だ」
「にゃ?」
「そんな俺をひっかけばどうなるのか、よく考えてみるんだ」
「にゃ、にゃー」
「そうだ、社会で生きていくには強いものに従うのが道理だ。分かるよな?」
ショコラは一瞬、戸惑った仕草を見せて俺の出した手をなめる。
その後はすっかりと心を許したように、懐いてみせた。
「うむ、立場関係を理解しているいい子だ。社会に出たら、順調に出世できるタイプだぞ。強いものには媚びを売る。現実社会は弱肉強食の世界だ」
「えー。嘘、そんなー。簡単にセンセーに懐いてるし。私の苦労は?」
「というか、こいつ、人の言葉が分かるのか。雫さんの名前を出したら大人しくなったぞ。そこまで怖がられてるんだな、雫さんって」
無垢な子猫すら素でびびる恐るべき魔女。
そんな彼女は俺の素敵な恋人です。
「ふふっ、ショコラは姉さんの事、嫌いじゃないですよ。ねぇ、ショコラ? こっそりとおやつもあげてくれるもんねぇ」
「にゃー」
「……なんだ。普通に雫さんもこいつを可愛がっていたのか」
それを見せない所が彼女らしいとも言える。
由愛ちゃんが再び、猫を抱き上げて膝元にのせた。
「にゃー♪」
やはり、ショコラは由愛ちゃんが一番大好きなようだ。
良いご主人に巡り合えたな。
ふと、玄関先で何やら物音がするのに気づく。
「どうやら姉さんが帰ってきたようです」
外の方から雫さんが帰ってきた様子。
リビングに彼女は顔を見せた。
「ただいま、おじさん達からこれを由愛に、って鳴海?」
「こんにちは、雫さん。お邪魔しています」
「なんだ、こっちに来ていたんだ」
俺の顔を見るや嬉しそうに笑顔を見せる。
デレはないけど笑顔は見せてくれるだけでも俺達の関係は変わった。
「雫さんにデートのお誘いをしに来ました。これからどうですか?」
「……え? あ、うん。時間は空いてるからいいわ。鳴海が来てるのならもっと早く帰ってくれば良かった。親戚の家に祖父の法事の相談に行ってきただけなの」
「いえ、お気にせずに」
彼女は立派に星野家の長女としての役割を果たしているようだ。
両親不在でもしっかりしています。
雫さんは由愛ちゃんに何かが入った袋を手渡す。
「由愛。これおじさんからよ。家庭菜園で作ってる、今朝採ってきたトマトとナスだって。たくさん入ってるわよ。どれも美味しいそう」
「いつも助かります。美味しいんですよねぇ。私も家で作ってみましょうか」
「いいんじゃないの。無駄な土地もたくさんあるんだし、好きなのを畑に使えば?」
「……土地がたくさんって、お金持ちの会話ですな」
さすが美浜町の大地主にして名士の星野家である。
「土地なんてのは使わないと無駄なだけ。荒れ地になるより、使った方が良い。駐車場とかにした方がお金にもなるからね。そんなことより、どこへ行くの?」
「そうですね、せっかくの夏ですから海なんてどうです?」
「海か。今年はまだ泳いでないし、いいんじゃない。すぐに用意するわ」
「雫さんの水着姿をかなり期待しています」
俺がそう言うと彼女は言葉に詰まりながら、
「な、鳴海が言うといやらしいのよ」
どこか照れた顔を見せる雫さん。
こんな表情を見せてくれるのは恋人になってからであり、彼女の変化ともいえよう。
「照れてます?」
「照れないわよ。さっさと準備してくるわ、待っていなさい」
「……はーい」
初めてのデートだ、大いに楽しむとしよう。
雫さんを海に誘うのを由愛ちゃんが生温かい目で見つめる。
「いいですねぇ、おふたりが恋人らしくなってきてる気がします」
「えー、そう? 全然、似合ってないよー。私とセンセーの方がカップルっぽくて似合ってるのに。年上なんて未来がないよ」
「……いつかお前も年を取るんだから迂闊な発言はやめなさい」
茉莉が拗ねて唇をとがらせながら、文句を言っていた。