第7章:恋の病《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
その夜は心地よい風の吹く、良い夏の夜だった。
仕事終わりの千沙子に誘われて今まで一緒にバーで飲んでいた。
その帰りにふらっと海辺の道を歩いていた。
電灯の明かりを頼りに歩きながら、海風を肌で感じる。
「良い風だなぁ。この時期は良い風が吹く」
潮風が運ぶ海の匂い。
この町で生まれ育った俺には馴染みのある匂いである。
「……朔也さん、こんばんは」
「あぁ、由愛ちゃんか。こんな時間にどうしたんだい?」
背後から声を掛けられて振り返ると、由愛ちゃんがそこにいた。
「友達と一緒に食事をしてきたんです。初めて外でお酒を飲みました」
「……そ、そうか」
先日の誕生日の件を思い出してしまった。
あれは……うん、良い思いをしたね。
その後に雫さんに責められて怖い想いもしたけども。
「この前は失礼しました。あれから姉さんにお酒の飲み方を教わって、自分のペースで飲めるようになってきているのでもう大丈夫ですよ。少しずつお酒にも慣れてきました。何事も最初は慣れるまで大変です」
「それならいいけど。今度、良いお店を紹介してあげようか?」
「はい、楽しみにしてます」
にこやかな微笑みで答えてくれる。
時間も夜なので、俺は由愛ちゃんを家まで送ることにした。
このご時世、女性の一人歩きは危ないからな。
「朔也さんもどこかの帰りですか?」
「俺も友達と一緒に飲んできた帰りだ」
「……少し香水のいい匂いがします」
「べ、別に綺麗なお姉さんがいるお店じゃないよ? 女友達と一緒だっただけです」
この町にもそういうお店がないわけじゃない。
どちらにしても妙な誤解をされる前に素直に言っておく。
「ふふっ」
笑って深くは追求しない由愛ちゃん。
……そっちの方が雫さんみたいで怖い。
ふたりで夜の空を眺めながら道を歩いていく。
空を煌めくのは満天の星空。
もうすぐ、夏の流星群の季節。
天文部も夏合宿を行う予定だ。
「この町の空は綺麗だよなぁ。って、由愛ちゃんにとってはいつもの空か」
「……町から離れる事がほとんどありませんからね。都会の星空はどうでしたか?」
「月並みだけども星空が見えない、っていう感じかな。都会は明るすぎて、星が見えにくい。こうやって明かりのない自然な空を見られるのって、良いと思うんだ」
綺麗な街の光は、自然の星の光の魅力を消してしまう。
「朔也さんは天文部の顧問ですけど、以前から星に詳しかったり?」
「いや、全然。ほとんど知らないけど、顧問がいないって悩んでる生徒がいて、その子の相談に乗ってるうちに、顧問をしてもいいなって思ってやり始めたんだ。でも、やってるうちに星の魅力ってのに気付かされたな」
壮大な宇宙に散らばる星々の魅力。
俺はこれからも天文部の顧問を続けていきたいと思う。
「……素敵です。朔也さんは優しい先生なんですね」
「あはは、照れくさいな」
そんな風に言ってもらえると何だか嬉しい。
話をしているうちに、山側の道へと差し掛かる。
毎度のことながら、ここの坂道を登るのは大変だ。
「……高い場所に家があるのも面倒だな」
「慣れていても、雨の日は辛いです。滝のように道を水が流れますからね。学生時代の雨の日の帰り道は憂鬱でした」
夜だっていうのに蝉のうるさい鳴き声が山には響く。
「……そう言えば、朔也さんって恋人はいないんですよね?」
「いればいいとは思うけど、恋人はいないよ」
由愛ちゃんでも候補に手を挙げてくれるのかと思いきや、
「雫姉さんなんてどうでしょう?」
「えー? 雫さん、んー、それは……」
思わぬ相手をすすめてくるので言葉に困ってしまう。
あまりにも危険すぎるお人だからな。
「ダメですか?」
「い、いや、ダメというか……雫さんだし?」
「朔也さんと姉さん、良い組み合わせだと思うんです。ああ見えて、姉さんは寂しがり屋で甘えたがりなところがあるんです」
「……それは、想像もできないな」
前に言っていた弱い所があると言う話は確かにその通りだった。
彼女は雷が苦手で、弱さを見せないだけだった。
だが、寂しがりやで甘えたがりっていうのはさすがにイメージに合わなさすぎる。
「好きな人に見せる、本当の一面だと思います」
「あの雫さんはそんなキャラじゃないだろ?」
「朔也さんは知らないだけです。ホントに心を開いてる姿は私も美帆さんだけしか見た事がないんですけどね」
美帆さんと雫さん、意外な組み合わせだよなぁ。
「そんなに仲が良いんだ?」
「ふたりですか? とてもいいですよ。姉さんは美帆さんに本音で接する事ができる唯一の人だって言っていました。自分の一番の理解者だって。ああいう関係を親友って言うんだと思います」
「なるほど。雫さんは理解者を求めているのか」
「誰だって、自分の事を分かってくれる人がいて欲しいのは当然です。雫姉さんだって、ひとりの女の人なんですから、弱さもあれば、心の支えも必要です。朔也さんがそうなってくれれば、私も良いと思いますよ」
俺が雫さんの理解者になれるのか?
……う、うーん、それは難しい。
「雫姉さんの事、嫌いですか?」
「そういわけじゃない。ただ、俺みたいな奴だと合わないんだろうなぁって」
「それを決めるのは姉さんですよ?」
確かに俺が勝手なイメージで決めるのはよくないな。
でもさ、本人に言えば、はっきりと認めてくれて俺の心の傷が広がりそうだぜ。
「由愛ちゃんは俺と雫さんは似合ってると思うんだ?」
「はい。だって、姉さんがあんなに楽しそうにお話をしている男性は朔也さんくらいです。私は、姉さんに幸せになってもらいたいんです。もっとお二人の距離が近づいてくれるのが理想的ですね」
俺はなんて答えればいいのか分らなかった。
ただ、こんな風に由愛ちゃんは俺と雫さんの関係を見ていたんだと思った。
やがて、星野家にたどり着くと、庭先で何やら準備をしている雫さんを見かけた。
「おかえりなさい、由愛。……鳴海も一緒だったの?」
「はい、家まで送ってもらいました。ありがとうございました、朔也さん」
「いや、いいよ。それじゃ、俺はここで」
別れを告げて帰ろうとすると、雫さんが俺を呼びとめる。
「鳴海……暇ならまた花火につきあいなさいよ?」
どうやら、また庭で花火をする準備をしていたようだ。
話をするのにはいい機会かな。
雫さんの誘いに俺は頷いて答える。
隣の由愛ちゃんが俺達を微笑ましそうに見ていた。