第7章:恋の病《断章1》
【SIDE:星野雫】
私は町役場の福祉関係の部署に今は配置されている。
朝からやる事が多くて大変だ。
「先輩、こちらに資料を置いておきますね」
「分かった。次はこれをまとめといて。私、少し休憩に入るから」
「はい、お疲れ様です」
資料整理と戦うのが面倒くさい。
最近、事務仕事って言うのは私に向いてない気がしていた。
私ってデスクワークよりも現場主義かもしれない。
休憩しようと歩いていると、住民課で懐かしい顔を見かけた。
「あら、新山じゃない」
「ん? おぉ、星野か。久し振りだな」
彼は新山、私の小学校の時の同級生だ。
小学生時代は私のグループにいたので、それなりに親しい。
今は海産業が盛んな美浜町では珍しく、山の方で牧場を経営している。
「何よ、こんな所に用事でもあるの? 税金でも未納した?」
「違うっての。婚姻届けを取りに来たんだ。実は俺、結婚するんだよ」
「へぇ、結婚……。相手は前から付き合ってる立花?」
「そうだ。付き合って4年、けじめをつけようと思って」
私は「やるじゃない」と言いながら受付の子の代わりに用紙をとる。
それを彼に手渡した。
「どうぞ。結婚おめでとう。良い家庭を作りなさい」
「おぅ……って、待てい。これは離婚届だろうが!? なんて事をする」
「……ごめんなさい。私担当じゃないからつい、うっかりと間違えたわ」
「思いっきりわざとだろう!? 縁起でもないものを渡そうとするな。星野ってそう言う事を普通にするから怖いわ」
今度こそ婚姻届を渡すと彼はため息交じりに言うのだ。
「お前なぁ、人のやる気をそぐなよ。これからこれを渡すのに緊張してるってのに」
「……ついでに離婚届もいる?」
「いるか!? だから、そんなものをセットにするな。……もうやだ、この人」
がっくりと肩を落として嘆く新山。
ちょっとした冗談なのに、遊び心のない男だ。
「そんなので立花と結婚できるの? 気が強いのに結婚にするの大変でしょう」
「大丈夫、星野に比べたら全然、優しいし。ぐふっ!?」
「失礼、手が滑ったわ。誰が結婚できないほどに怖いお姉さんだって?」
「い、言ってないし。一応、自覚はあるのね。ホント、星野は昔から変わらない」
私が殴ったお腹を押さえながら彼は言う。
「そういや、最近、星野も男ができたと噂を聞いたが?」
「……何の話?」
「あれ、違うのか? 相坂から彼氏ができて浮かれてるという話を聞いたのに」
美帆め、適当な事を言いすぎ。
多分、鳴海の事だと思うけど、変な噂を流すな。
「違うわよ。私に彼氏なんてできるわけないでしょう? この世界に私につり合う男はいない。悲しいけど、これが現実なの」
「歪んだ性格を直す方が先だと思う。怖い、怖い。まぁ、でも、噂になる男がいるならいいじゃんか。ホントに付き合えば?」
「本当にそういう関係じゃないから。気になる相手っていうほどでもない。妹達がただ気に入ってるだけの相手よ。ほら、さっさと家に帰って、立花に婚姻届を書いてもらいなさい。彼女にはあとでこっそり離婚届も渡しておくから」
「余計な事をしないでくれ!?」
新山が逃げるように立ち去って行くのを見送る。
「……結婚か、私もそんな年なのね」
私も25歳、同級生もそろそろ結婚をしだす年齢だ。
自分の家庭を持つ、そんなことに漠然とした憧れを抱いた事もある。
けれども、今は自分が子供を持つ事すら微妙だ。
「私に母性なんてなさそうだし。そもそも、相手もいない」
新山に渡しそこねた離婚届を片付けながらポツリと呟く。
何だか考えさせられる機会だった。
「ついに雫に結婚願望が芽生えるなんてね」
「芽生えてない。あと、適当に噂を流すのもやめなさい」
その夜は美帆のお店に立ち寄って、昼間の話をしていた。
新山はこの店の常連なので、もちろん彼女も結婚の話は知っている。
「噂? さぁ、何のことかしら?」
「……美帆って性格悪い」
「貴方よりはマシだと思うわよ?」
余裕の笑顔で返されてしまう。
美帆にだけは私はいつも勝てないでいる。
「それに結婚なんて縁の遠い話だもの。昔はお見合い話もあったけど、今は皆無。失敗しすぎて、両親も私に結婚を勧めるのを諦めてるくらいだし。『無理に結婚しなくても大丈夫だから』って励まされる私の気持ちを知れ」
「お見合いのたびに騒動ばかり起こしてるせいでしょう?」
「そんなことないわよ。ただ、私についてこれる男がいないだけ」
「……でました、モテない女の子の言い訳。モテる努力が足りてないなぁ」
私は「うるさい」と美帆を睨みつける。
そんなわけで、現実問題として私に結婚の二文字は遠い存在だ。
「朔也君とは最近、上手くいってるんでしょう?」
「別に。普通よ、普通。特にどうとかいう関係ではないわ」
「ホント? 実は気になる相手だったりするんじゃないの?」
鳴海という男の印象が自分の中で変わっているのは事実だ。
嵐の時も、花火の時も、一緒にいて安心できるような存在。
今までの私には安心感を与えてくれる男はいなかった。
ただ、それが恋愛に直結するかは別問題。
私はチューハイをゆっくりと飲みながら、
「……鳴海にとって私は恋愛対象にはならない」
「どうして言い切れるの?」
「なんとなく、かな。鳴海の好みは由愛や神奈みたいなタイプじゃない? 見ていれば分かる。自分の世話とかしてる家庭的な女の子がいいのよ。私とは全く違うタイプじゃない」
由愛となら上手くいくんだろうけども、私は無理だ。
別に彼の恋愛対象になりたいわけじゃないけども。
「違うと思うなぁ。言っておくけど、そーいうタイプが好みならうちの妹の恋は報われてもよかったと思わない?」
「神奈のこと?」
「そうよ。でも、ダメだった。幼馴染って立場もあるだろうけど、彼にとって恋愛対象は単純な性格とかじゃないと思うのよ。だから、雫も頑張ってみれば?」
「なぜ、私に彼をすすめる」
美帆の妙なプッシュに疑問を感じるわ。
私はチューハイを飲みながら、お酒の味を感じる。
「んー、そろそろ、雫には自分を理解してくれる男の人が必要なんだと思うのよ」
「いらないし、必要ない」
「寂しい人生から、さよならするべきよ。ひとりで花火をしちゃうくらいなら」
「……鳴海が話したの?」
あの野郎、話さないって言ったのにあとでぶちのめす。
「あれ、ホントだったんだ? 朔也君から聞いたんじゃないの。雫が毎年、花火を異常なほどに大量購入しているって噂は前々から流れてるから、花火が好きなんだろうって思ってた。マジでしてたんだ」
「……狭い町はこれだから嫌だわ。スーパーの担当者は今度、ぶちのめそう」
「やめなさい」
田舎はどんな些細な情報でもすぐ流れるから困る。
「でも、さすがにひとりでしてるとは思わなかったわ。妹達としてるのだと思ってたのに、花火に付き合ってくれる子もいないなんて。雫、私を誘ってもいいんだよ?」
「妙な同情はしないで!? そういう目をされるから黙っていたのに」
「花火くらい、いつでも付き合うから誘って。だって、私達は友達だもの!」
「……わ、笑いながら言うな。ムカつくから」
美帆の意地悪な態度に私はげんなりとする。
……この子の性格の悪さは私以上だと思う。
こうやって、彼女に知られるとからかわれるのが分かっていたから黙っていたのに、下手に墓穴を掘ってしまった。
「この年で花火が好きで悪かったわね」
「悪いとは言わないわよ。でも、そっかぁ。朔也君とは花火を一緒にするほどの仲の良さなんだ?いいじゃない、これはもう付き合っちゃうしかない」
「どうしてそうなるわけ?」
私はお酒を勢いよく飲んで、おかわりを希望する。
「あら、今日はハイペースねぇ? チューハイでも下手に飲むと酔うわよ?」
「……私をいじめる、自称、友達がいるから」
「ふふっ。自称、親友からのアドバイスは聞いた方がいいのに。真面目な話、朔也君は雫に相性がいいと思わない? 雫もそれが分かってるんでしょう?」
美帆はチューハイをいれたコップを私の前に置く。
「……分からない」
「自分のことなのに?」
「鳴海が優しい奴なのは認めるけども、私に合うかどうかは分からないわよ」
「そうやって、雫が彼を認めている時点で、今までにない男の人だと思わない?」
美帆の言葉に、私は由愛から言われた事を思い出していた。
『姉さんは自分で気づいていないだけです。心の奥底では、朔也さんの事を思う気持ちがあるんじゃないですか? 一度よく考えてみてください、私は応援しますよ』
鳴海朔也と言う男が今の自分にとって、どんな存在なのか。
今一度考えてみるのも悪くないかもしれない。
「くすっ……雫が恋に悩む姿が笑えるわ」
「笑うな! やっぱり、お前は私の友達じゃないっ」
「微笑ましいな、と思ってるだけ。長い付き合いの友達なんだから恋愛の相談にものるし、花火も一緒にしてあげるわよ」
「花火の事にはもう触れるな。ひとりでやるのがいいのよ。放っておいてっ」
私は拗ねながら、悪酔いを覚悟でお酒を飲み続ける。
美帆は……私の本音を言える相手だ。
『私が友達になってあげるわよ。そうすれば、寂しくないでしょ?』
出会った頃から今も変わらない、上から目線も相変わらずだ。
でも、私には必要な人で……鳴海も私にとって彼女みたいな相手になるのだろうか。
「私にとっての鳴海朔也って、どんな存在なの……?」
私はほろ酔い気分に顔を紅潮させて、気になる鳴海についていろいろと考えていた。