第6章:花火の輝き《断章1》
【SIDE:星野雫】
私が雷を苦手になったのは、小学生に入ってからだ。
妹の由愛が生まれて、母親の愛情を独り占めできなくなり始めた。
雷の鳴る夜はひとりで布団にくるまりながら、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
その孤独な夜は、私には最もつらい時間だった。
大人になっても、変わらずに怖い物は怖い。
それをまさか、鳴海に知られるのは予想外のことだった。
彼はこの弱みをいじってからかうのかと思いきや、普通に相談にのってくれる。
……なんだ、こいつって意外と良い奴じゃない。
そんな風に思い始めた矢先、私の視界は真っ暗になる。
雷が落ちたせいで、停電になったの。
急に視界を失ったせいで、私は手元のワイングラスを落としそうになる。
「い、いやぁ……ぅっ……」
「雫さん、落ち着いてください」
怖い、怖い、怖い。
幼き頃から増大してしまった恐怖心。
どんなに意識しても、苦手に思うものを克服できない。
身体を震わせて、真っ暗な中で私は恐怖におびえ続ける。
「……あっ」
そんな時だった。
私の震える手を握り締める温もり。
「大丈夫ですから。ジッとしていてください」
「……鳴海、朔也」
鳴海が私の手を握りしめていたのだ。
普段なら離そうと暴れるけども、今の私にそんな気力はない。
「停電ですね。すぐに復旧すればいいんですが。危ないからジッとした方がいいですね。あっ、懐中電灯。どこに置いたっけ」
「……ぅっ……」
雷はやまず、さらに激しさを増してくる。
ダメだ、怖い……。
私は目を瞑って恐怖を抑え込もうとする。
「……無理はしないでください。怖いと思うのなら、怖いって言えばいいじゃないですか。人が叫ぶのって、それで恐怖心を和らげさせるって言いますよね。痛い時に痛いと言うのも鎮痛効果があるそうですし。言葉にすることって、大事なんですよ」
「うるさい。そんな事はどうでもいいのよ」
「我慢する事に慣れている。それがいけないと思うんです。怖いのなら叫べばいい。自分に素直になってください」
鳴海に言われて私はハッとする。
意識して恐怖心を抑え込み、叫ぶことも極力しないようにしてきた。
本当は怖くて泣きそうな時も、ずっと必死になって我慢してたきたから。
最初は姉の意地から始まった、妹達に恰好の悪い自分を見せたくないから。
雷程度にびびる姉の姿を見せたくなかったから。
その意地は私にこんなにも恐怖を植え付ける結果になってしまった。
「……怖いわ」
久し振りに声に出して、私は自らの恐怖を口にした。
言葉に出して、己の弱さを認めてしまう。
「怖い、とても怖い。大きく鳴り響いて、胸にドキッとさせる音も、眩しい光も……怖くて仕方がないの」
なんでだろう、こいつの言葉にすんなりと素直になれたのは……。
暗闇の中で、雷の光が窓辺から見える。
視界に入る雷に身体がすくみ、過去の記憶が私の身体を心底震えさせる。
「……ぁっ……」
私は叫ぶ。
自分の言葉で、自らの抱える恐怖の心を叫んだ。
「いやぁ、怖いのは嫌よ……雷が怖いの、怖くて、怖くて……」
「……雫さん」
怖さに震える私をいつしか、鳴海が抱きしめていた。
その温もりに戸惑いながらも、私は安らぐ自分がいるのに気づく。
人の温もりなんて感じるのは久し振りだったから。
「少しは安心できますか?」
「……なっ、何、してるのよ。バカ、変態、痴漢……さっさと離しなさいよ」
「離しません。というか、離せません?」
気がつけば、私は無意識のうちに自分から鳴海の身体にすり寄っていた。
離そうとしても離そうとしない。
男の人を抱きしめる経験なんてなかったせいで、自分の今の状況に混乱する。
「や、やめなさいよ。いきなり、こんなことして、私をどうするつもり?」
「……こんな時くらい、俺を信頼してもらいたんですが。俺はただ、雫さんに安心してもらいたいだけです。頼りにしてくださいよ」
いつもはムカつく軟派男の顔が私の間近に迫る。
懐中電灯の明かりがその顔を薄くらいながらも照らす。
……私の事を心配する男の子の顔がそこにはあった。
「俺は女の子が今にも泣きそうになっているのを黙ってるみているだけで、そこまで頼りにならない男ではないつもりです」
「……だ、誰が泣いてるのよ。失礼な、私は泣いてないわよ」
鳴海の腕の中で暴れながら私は悪態をつく。
不思議なもので、心が落ち着いて行くのを感じる。
……男の温もり。
たった、それだけで……こんなにも、私は……。
「あっ。電気がつきそうですよ」
鳴海の言う通り、何度か点滅して、部屋の明かりがついた。
「……も、もういい。さっさとどいて」
私は今度こそ、自分から手を離して、鳴海の身体から離れる。
雷の音もずいぶんと小さくなり、雨も小ぶりになったようだ。
私の苦手とする嵐はもう、過ぎ去った……。
私は一呼吸してから鳴海に向かって言ってやる。
「危うく、変態に襲われそうになったわ。油断も隙もない」
「えー? 今のそういう展開じゃなかったでしょう?」
「ふんっ。知るか、バカ。茉莉や由愛だけじゃ飽き足らず、私まで襲うなんてね」
「……あれ? なんで、俺、犯罪者扱いにされてるんですか?」
呆然とする鳴海の顔が面白くて。
雷が去った事もあって、安心した私は「ふふっ」と思わず笑みをこぼした。
微笑する私を見て、鳴海が不思議そうに言うの。
「今、雫さん、笑いました?」
「何よ、私だって笑うことくらいあるわ」
「……悪意のない笑顔を見るのは初めてだったので。雫さんの笑顔、可愛いですね」
「は……? な、何を変な事を言いだしてるの、鳴海?」
この年で可愛いとか言われるなんて思いもしなくて。
しかも、鳴海相手に口説かれて、どきまぎする自分の気持ちにびっくりして。
なんで、こんな奴の言葉に私は……心を揺れ動かされるの?
「弱ってるからって私を口説くな。もういい、嵐も去ったみたいだからもう寝るわ」
「……もう深夜の2時過ぎ。明日も互いにお仕事ですからね」
私がリビングから立ち去ろうとすると、鳴海が私を呼びとめる。
「ちょっと待ってください、雫さん」
「な、なによ?」
ドキッとして振り向いた私に鳴海は真面目な顔をして言うのだ。
「俺、自分の部屋がどこか分かりません。また迷子になるので案内してください」
「……こっちよ。ついてきなさい。はぁ」
鳴海を部屋まで送り届けた私は、変な気持ちになりながら眠りに就いた。
翌朝、目が覚めると軽くお酒の酔いが残ってる感じがした。
それほど深酒をしたつもりはないけども、体調が悪かったせいかもしれない。
私は布団から起き上がると、隣で寝ているはずの茉莉がいない。
「私から逃げたのかしら?」
私は身支度を整えてキッチンに向かうと、ちょうど料理中の由愛がいたので茉莉の事を聞いてみることにした。
「おはよう、由愛。昨日はすごい嵐だったわね。後でお手伝いさんに、どこか壊れたりしていないか家をみてもらいましょう。それと、茉莉を見なかった?」
「茉莉ちゃんなら、たっぷりと寝汗をかいたとかでお風呂ですよ。昨夜は妙な悪夢にうなされてたようです。何があったんでしょうね?」
私は「さぁ?」と答えておいた。
……私が添い寝しただけで悪夢にうなされるとか、失礼すぎる妹は嫌いだ。
「そう言えば、昨日はとても楽しそうでしたね?」
「何が?」
「深夜、停電したじゃないですか。私、心配になって姉さん達の部屋にいくと、寝てる茉莉ちゃんしかいなくて。朔也さんと姉さんを探していたら、リビングで2人とも仲よさそうに抱き合ってました。いつのまにふたりはそんな仲に?」
微笑ましそうに語る由愛に私はあ然とする。
由愛にあの光景を見られていたなんて。
「なっ!? ち、違うわよ、由愛。誤解よ、誤解っ!?」
「誤解? 本当にそうですか?」
「私と鳴海はそんな変な仲でもないわ。あれは……そうよ、ただの事故。ていうか、鳴海に襲われかけただけで」
「隠さなくてもいいじゃないですか。雫姉さん、恥ずかしそうでしたけど、嬉しそうに見えました。朔也さんと姉さん、相性もよさそうで良いと思います」
妹が何やら変な誤解をしている。
「だから、違うんだってば! 鳴海と私の関係は変な関係でも何でもない。本当に違うのよ。大体、私に鳴海みたいな軽薄な男が合うわけがないでしょ」
昨晩は少しだけ、本当に少しだけ傍にいて安心できて、カッコいいとか思ったりしたけども、それはただ単に嵐に怯えた私の心が弱っていたせいだ。
「姉さんは自分で気づいていないだけです。心の奥底では、朔也さんの事を思う気持ちがあるんじゃないですか? 一度よく考えてみてください、私は応援しますよ」
「応援って……」
妹の意味深過ぎる発言に私は文句を言おうとする。
その時、鳴海がリビングの方にやってきたのだ。
「おはよー、おふたりとも。ふわぁ、まだ眠いっす」
由愛は何か含みを持った笑みを私に向けるので、私は気恥ずかしさに顔を赤らめる。
「くっ、鳴海のバカ! お前のせいで、私は……と、とにかく、あっちに行け」
「え? な、なぜに朝から雫さんに怒鳴られてるの!?」
「うるいさっ」
戸惑いと動揺の朝。
気恥ずかしさが私の心を揺さぶる。
私はなぜか鳴海の顔を正面から見れなくなりはじめていた。