第5章:嵐は突然に《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
真夜中の1時、一度は眠った俺だがトイレに目が覚めた。
辺りを見渡すと何やら知らない場所……そうだ、ここは茉莉の家だ。
自分の家の布団と違って寝心地がよく、つい熟睡してしまった。
人の家でもぐっすり眠れたのは良いが、トイレに行きたいと言う問題が発生。
「確か、由愛ちゃんが枕元に懐中電灯をおいてくれていたはず」
停電するかもしれないと言うことで懐中電灯を借りていたのだ。
俺はトイレを探そうと部屋から出るのだが、外は未だに大雨と雷がやまない。
海が近い町なのでこういう嵐の時は海側はひどい雷に襲われる。
「さて、トイレはどこだろうか?」
俺は懐中電灯の明かりを頼りに、足早に夜の廊下を歩きながら探索をする。
確か、真っすぐに突き進めばあったはず。
「……あれ、ここは物置か?」
雫さんの陰謀で一番遠い部屋にされた事もあり、まったく分からない。
星野家の建物は普通に迷子になるほど、かなり広いのだ。
ずっと住んでる茉莉ですら、時々、自分のいる場所が分からなくなるほどらしい。
グルグルと家を回りながら、探索開始から10分。
ようやくトイレを見つけて用をすませる。
「……ギリギリセーフ。危なかったぜ」
危うくトイレが見つからず、人様の家でちびるとこでした。
このお屋敷、なめてかかると本気で迷子になると思う。
「で、ここはどこだろう?」
ここもいくつかあるトイレのひとつだったらしく、俺の知ってる場所ではない。
そもそも、俺が星野家で知っているのは玄関からリビングという狭い範囲だ。
これほど広いお屋敷だとは思わなかった。
「まずいなぁ。俺の寝ていた部屋はどこにあるんだ?」
現在地が不明、俺の寝ていた部屋も不明、さらに真っ暗で視界不良。
……正直に認めよう、迷子になりました。
「や、やばい。雫さんに見つかったら、ひどい目にあわされる」
正直、部屋から出るのも許可されていないので早く戻らなくてはいけない。
ただでさえ、ほとんど明かりのない真っ暗な状態だ。
無我夢中でトイレを探したせいで、まったく自分の来た経路も分からない。
「……ここ、じゃないな」
仕方ないので、一部屋、一部屋を覗いて行くローラー作戦を開始。
面倒だが、迅速に部屋に戻るにはこれしか方法がない。
いったい、何部屋あるのやら……それは10部屋目のふすまを開けた時だった。
「ん、んー」
真っ暗闇の中で、何やら女の子の苦しむような声が聞こえる。
「……なんだ?」
まさか、座敷わらしでもいるのでは?
古い屋敷の秘密でもあるのか、と思い、軽く懐中電灯を向ける。
「……なぁっ!?」
俺の目に入ってきたのはふたつの布団。
その一方には何やら苦しそうな声をあげて眠る茉莉の姿が……。
その隣は雫さんなんだろうが、茉莉は寝ている間も悪夢に苦しんでいるらしい。
寝ていても苦しむほどに茉莉はそこまでお姉ちゃんが苦手なのか。
雫さんの犠牲にさせたのが可哀想に思えてきた。
……って、ここ、茉莉の部屋じゃん!?
俺は慌てて明かりを消すと、ふすまを閉めて逃げようとする。
「……そこにいるのは、鳴海?」
暗闇から雫さんの声にびくっとして心臓が縮まる思いがする。
「さ、最悪だ、俺の人生、オワタ!?」
うかつだった、一瞬とはいえ、懐中電灯を向けた相手が悪かったのだ。
見つかってはいけない人に見つかってしまい、窮地に追い込まれる。
「どうする、どうすればいい?」
だが、逃げることもできずに俺は素直に認めることにした。
「は、はい。まだ起きていたんですね、あ、あのですね。違うんですよ?これは決して、夜ばいとか不埒な行為ではなく、トイレに行ったら迷子になってしまい、自分の部屋を探していただけで、雫さん達の部屋を覗くつもりは……」
「うるさい。茉莉が寝てるから静かにしなさい。まぁ、いいわ。状況は分かった」
雫さんは起き上がると、俺の方へと近づいてくる。
「……し、死刑、決定?」
言い訳しても無駄だったと言うことですか。
雫さんは俺に「こっちにきなさい」と部屋を出た。
俺はどこに連れていかれるのだろうと思っていたら、馴染みのあるリビング。
何をされるのかとびくついていたが、電気をつけた雫さんは俺に向かって言う。
「……鳴海、何か飲む?」
「え?」
「今日は色々とうるさいせいで全然、眠れなくてお酒でも飲もうと思ってたの。ついでだから、お前も付き合いなさい」
俺に拒否権などあるわけもなく、素直に付き合うことにした。
ワインを開けると彼女はグラスに注ぎこむ。
「……茉莉は熟睡してましたね」
「あれがそう見える? 私が添い寝するだけで悪夢みたようにうなされてるのよ。正直、あんまりにもうるさいから鼻でもつまんでやろうかと思ったわ」
「本気で可哀想だからやめてあげてください」
鬼すぎるだろう、それ。
「外の嵐と可愛げのない妹がうるさいせいで、私の睡眠を妨害されてるわ」
可愛げがないって茉莉の場合は雫さんの前でだけだろう。
あと、自分で連れていっておいてひどい言いぐさだ。
「でも、茉莉がいて少しは安心してるんじゃないですか? 雷が苦手なんですよね?」
「……うっさい。死ね、ロリコン教師。社会的に始末するわよ」
図星だったのか、いつも以上に強烈な一言で攻撃してくる。
この人に口で勝てる気がまったくしません。
「図星だからって俺を攻撃しないでください。意外なんですけど、どうして雷が苦手なのか聞いてもいいですか?」
「……私は自分の弱みを人に話す趣味はないの」
彼女はワインをあおるように飲み続けるので、俺もワインを飲む。
深く酔うほどアルコールが高いワインじゃない。
ほろ酔い気分なら、すぐに眠る事ができるだろう。
その時、大きな雷音が屋敷に響き渡る。
こりゃ、どこか山の方に落ちたな。
「今のは落ちましたね、大丈夫でしょうか」
「……ぅっ」
だが、大丈夫じゃないのはこちらの方だった。
顔を真っ青にしてる雫さんがそこにいたから。
「大丈夫ですか?」
「……へ、平気よ。このくらい、何ともないわ」
「無理をしない方が……?」
「うっさいな。何も言うな、黙って……ちっ、もうっ……」
弱々しく、彼女は悪態をつきながら、ワインを飲もうとする。
無理に酒で誤魔化そうとするが、それが逆に痛々しい。
こんな弱い彼女を見たのは初めてで、由愛ちゃんの言葉を思い出した。
『姉さんにだって、怖い物はありますよ。弱みだって見せないだけであるんです。まぁ、本人も弱みを絶対に見せないと隠してますけどね』
姉妹に隠し続けてきた、彼女の弱点……。
「雫さん。そこまで雷が怖いんですか? それにその事を、茉莉や由愛ちゃんに話をしていなかったり、隠してたりするんですか? 茉莉も知らない様子でしたし」
「鳴海、人の弱みを追及して楽しい? それをネタにしてからかうつもり?」
「別にそんなつもりはありません。俺はただ、そこまで苦手なのか、と心配してるんですよ。それに、雫さんに苦手なものがあると言うのが気になります」
「失礼ね。私も女なのだから、苦手なものくらいあるわ」
雫さんはワイングラスを傾けながら、赤い液体を見つめる。
いつもと違い、ほろ酔いなのか頬が少し赤い。
「最悪だわ、お前に知られるなんて。そうよ、認めるわよ。私は雷が怖いの。この年で苦手なんて笑うでしょう。ホントに笑ったらお前の急所を潰すけど」
「……笑えません」
“笑わない”と“笑えない”にはたったひと文字違いで大きく意味が変わると思いう。
俺は大事な場所を守るためにも“笑えない”。
「ここって山側の家でしょ。この時期になると山の方で雷とかが落ちたりするのよ。子供の頃から雷の音と光が苦手でね。幼い頃はまだ母に甘えていた過ごして乗り切っていた。だけど、妹達が生まれて、そんな甘えもできなくなった」
妹達の前では姉としての威厳を守りたい。
そんな姉としての心構えなのか、決して弱みをふたりの前では見せなかった。
例え、雷が怖くても必死に我慢し続けていたらしい。
姉としての意地、そこまで貫けばすごいと思う。
「だけど、それが悪かったんでしょうね。怖いと思うものを抑圧すると、余計に恐怖心が増す。結果、今の私はトラウマレベルに雷が苦手なのよ。今だってそう。お酒で感覚を鈍らしてないと、遠雷程度で震えてしまう」
今もそのワイングラスを持つ手が、わずかに震えていたのだ。
「この弱み、由愛あたりならもう、気づいてるんでしょうけど。今になっても、どうしてもダメ。意識すると気持ち悪くなる」
そこまで苦手とは思いもしなかった。
「……雷の夜は特にダメなのよ。もう最悪すぎる」
彼女が眠れなかった理由は、これだったのか。
お酒の力を借りても、怖い物を克服することができるわけではない。
だが、事態はさらに悪化する事に。
バリバリと言う強烈な雷鳴と共に、ふっと明かりが消えたのだ。
「ひっ……な、何!?」
俺達を襲う停電、雫さんの戸惑う声が響く。
嵐の夜におとずれるピンチ。
この夜、俺達にまさかの展開が……危ない意味で起きようとしていた。