第5章:嵐は突然に《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
「最近、妙にお前が私の家にいる日が多いのは気のせい?」
「ですねぇ。自分でもそう思ってます」
仕事から帰ってきた雫さんにひと睨み。
そりゃ、毎度のように自分の家のリビングにくつろく男がいればそう思うであろう。
本日も星野家にお邪魔しております。
「……茉莉と由愛を懐柔して、何やら変な事をしようとしてるのね」
「違います。変な誤解を招くような事はしていませんっ」
「ふんっ、どうだか。妹達に毒牙を向ける前に処分するべきかしら。私、この前の事を忘れてないのよ?由愛を襲おうとしたお前の行動を……」
「あ、あれは事故でした!?」
先日のバースデーの事件以来、すっかりと警戒感が……。
「……由愛がお前を気に入りすぎてるのが問題よね。いつでも家に連れてくるみたいだし、お前も由愛の誘いじゃ絶対に断らないし。問題があるわ」
少々、呆れ気味の雫さんの気持ちも分からないでもない。
ここ最近は本当に入り浸っているという表現があうほどに星野家に出入りしている。
機会があれば茉莉や由愛ちゃんがお誘いしてくれるのでつい甘えてしまうのだ。
だって、一人暮らしって寂しいんだよ(切実)。
誰もいない家に帰るのが結構、辛いです。
という本音もあるが、今日に関して言えば、正当な理由があるのだ。
「姉さん、そう言う言い方をしないでください。今日は朔也さんには本当にお世話になったんですから。偶然、朔也さんに助けてもらわなければ私も大ピンチでした」
エプロン姿の由愛ちゃんは先程起きた事件を話し始める。
「実は私、変な人にナンパされて困っていたんです」
「……鳴海朔也?」
「違います」
俺を指さしてさらっと言わないでほしい。
誰が変な人ですか、まっとうな教師ですよ。
「もうっ、姉さんは朔也さんに対して敵意を抱きすぎです。本当にいい人なんですよ。私にとってはお兄さんと思ってるくらいです」
「やめてよ、由愛。さすがにこれを兄と思うのだけはやめて」
「……これ扱いですか、俺」
最近は雫さんの仲で評価が上がってると思ったがそうでもなかったらしい。
がっくりと肩を落とす俺はうなだれるしかない。
「ナンパされてたのを助けたって話だっけ?」
「少しばかりしつこい奴だったんで、俺が機転を利かせて『うちの妹に手を出すな』と暴れてやりました。見事に撃退しておいたので、ご心配なく」
「撃退ねぇ。ちゃんと、軟派男は“処分”したの?」
「怖いよ、雫さん!? 普通の人は処分なんて言葉は使いません」
さすが、自称『30秒で軟派男を死ぬほど後悔させる』女の人です。
「それと、さり気に由愛を自分の妹にするな。由愛は渡さないわよ」
「……その愛を少しだけでも茉莉に与えてあげてください」
姉妹愛が由愛さんだけにしか注がれていない姉妹である。
そりゃ、茉莉も拗ねるわ。
「困っていた私を助けてくれた朔也さんはとてもカッコよかったんですよ」
「……由愛、騙されちゃいけないわよ。この男、他の女の子相手には同じような事をしてるんだから。助けたふりして、相手をナンパするタイプだわ」
「失礼な。さすがにあんな、あからさまなナンパはしてません」
「でも、昔に似たような事はしてたんでしょう? 違わないわよね?」
言葉に詰まり何も言い返せない自分がいた。
「誰にでも若気の至り、若さゆえの過ちってのはあるものです」
俺も過去は忘れたんだよ、うん。
「まぁ、妹を助けた事は褒めてあげるわ。鳴海、大義であった」
「……全然、感謝の言葉じゃないっす」
めっちゃ上から目線だし、どこのお偉いさんですか。
身分的には星野家ご令嬢としての立場があるけどさ。
「夏場になると観光地目当てにたくさんのバカが現れるから嫌よね。町が無駄に町おこしなんてするから中途半端に変なのも集まるのよ。そのくせ、その辺の管理は適当だから扱いが悪い」
「……観光客が町に来るのは良い事では?」
「人が増えれば問題の方も多くなるから面倒なのよ。町役場の職員やってるとホントに嫌になる。面倒だから町おこしなんてしたくない」
「ぶっちゃけすぎる現場の声ですな」
町おこしをしたりすると、現場は現場で色々と大変な様子だ。
その苦労、教師の俺もほんの少しは理解できるのだった。
「朔也さん、もうすぐ夕食ができますから待っていてください」
にこやかに笑う彼女が再びキッチンに消えていく。
「はぁ……由愛がお前を気に入りすぎてる事に問題を感じるわ」
「茉莉に対しては何も言わないんですね?」
「……茉莉は茉莉よ。区別してるわけじゃないけど、生意気な妹の面倒はみたくない。我が侭放題、好き放題で甘えたがりの性格がどうにかなればいいのだけど」
「思いっきり区別してますよね」
どっちもどっちだと思うんだけどなぁ。
この二人、もう少し仲良くしていればいいと思うのだが。
いわゆる、同族嫌悪という奴で、性格が似すぎてると嫌いになるのかもしれない。
「雫さんも昔はいろいろとあったそうじゃないですか。聞きましたよ、小学生の頃はクラスを二分するほどの、ぐっ!?」
雫さんは蛇のように睨みつけて、シャツの襟首をつかんでくる。
こ、殺される!?
「……鳴海、どこで知ったか知らないけどもそれ以上言うと、処分するわよ?」
「す、すみません」
「鳴海に選択肢をあげるわ。最後に見るのは山がいい? それとも海がいい?」
「究極の二択だ!?」
山に埋められるか、海に沈められるか。
……どちらも嫌だぁ!?
「さぁ、どちらがいいかしら?鳴海朔也、お前に決めさせてあげるわ」
雫さんの笑顔が怖すぎて、怖すぎて、泣きそうです。
俺の人生の最大のピンチ。
俺はびくびくと震えながら、平謝りをして何とか許してもらう。
「も、申し訳ございませんでした。調子に乗ってました、許してください」
「私の過去の話を妹達にしたら……お前の命はないと、覚悟しておきなさい」
俺はびびって無言で頷くしかなかった。
結衣さん、貴方の言ってた通りに命が危ない状況になりました。
……誰にでも触れられたくない過去はあるよね。
「私も昔は嫌な奴だったのは認めるわ。それでも、今は違うもの」
「……そーですね」
違うと大きな声で言いたい。
多分、今もそんなに変わってないよ?
それこそ、本当に山か海に処分されると思うので怖くて言えない。
その時だった、玄関の方から茉莉が助けを求める声を出す。
「たーすーけーて」
ふたりしてその声に?と疑問を抱きながら、玄関に向かう。
そこには濡れネズミ状態の茉莉の姿があった。
髪も服も濡れてる状態、私服のミニスカートなんか透けてますよ。
「うぇーん。びしょ濡れだよぉ」
「どうした、茉莉って……いろんな所が透けておる」
「きゃっ、センセー。エッチ、こっちをもっと見て!」
「逆に見せつけようとするな、少しは隠しなさい」
濡れた衣服を隠そうともせず、逆に見せつけようとする茉莉を制する。
堂々としてるとなぜかつまらない。
そう言うのはやはり恥じらい、隠そうとするからいいのであって。
茉莉、チラリズムというのはだなぁ……こほんっ、そう言う問題ではなかった。
「はぁ。茉莉、何で濡れてるのよ。雨でも降ってきたの?」
「そうだよ。外はひどい大雨だよ。いきなり降ってきて、ここまで来るの大変だったんだから。はぁ、やっとついた。こう言う時、坂道の長い我が家は辛いです」
真っ暗な空からは大粒の雨。
確かにいつのまにか大雨が降り注いでた。
「おかえりなさい、茉莉ちゃん。風邪をひかないうちにシャワーを浴びてきてください」
洗面所からタオルを持ってきてくれた由愛ちゃん。
それを受け取ると、茉莉は安堵の様子で喜ぶ。
「ありがと。せっかく出かける前に忠告してくれてたのに。ちゃんと言うことを聞いて、傘でも持っていけばよかったよ」
「由愛ちゃん、今日は一晩中、大雨なのか?」
「はい、天気予報でそう言ってました。雷を伴うとても激しい雨がふるので、気をつけてくださいって。久々の豪雨らしいですよ」
「雨なんてもういいよ。私、お風呂に入ってくる……センセーも一緒に入る?」
お隣の怖いお姉さんが睨んでおるので「いいえ」と答えた。
茉莉がお風呂場に消えるのを見送り、俺はもう一度だけ、激しい雨の降る外を見る。
「……初夏の豪雨か。さっさと、やんでくれるといいのだが」
あるひとつの心配が胸をよぎったのだった。
由愛ちゃん手作りのハンバーグはお店で出せるほどのとても美味しいものだった。
夕食後に俺は帰ろうとするのだが、雨はさらに激しさを増す。
高台にあるこの屋敷、帰りの山道は滝のように雨水が流れていく。
この豪雨の中を帰るのはスーツを濡らしたくないので正直、勘弁してもらいたい。
「あの、雫さん。お願いがあるんですが。車で送ってもらえませんか?」
「……無理」
「そんな一言で切り捨てないでくださいよ。だって、かなりひどい雨じゃないですか」
この雨の中を濡れて帰れと言うのはあまりにも無慈悲だろう。
すがる俺に雫さんは容赦なさすぎる。
「雫姉さん、意地悪しないで送ってあげてください」
「私も意地悪で言ってるんじゃない。ただいま、私の愛車は車検中でないのよ。2日で終わるって言うから、代車も頼まなかったし。星野家自体では何台も車を所有しているけど、ここには私の車以外ないの」
「……なんてことだ」
「私も優しいから傘くらい貸してあげるわ。それを持ってさっさと帰れ」
雫さんには俺に対する情けもない。
遠くで雷の音がするし、嵐はさらに勢いを増すばかりだ。
俺は諦めて傘を受け取り、帰ろうとした。
「そうだ、朔也さん。それなら、今日は泊まっていけばいいんですよ」
「「……え?」」
由愛ちゃんの提案に俺と雫さんの台詞がかぶる。
ただし、俺の「え?」は「いいの?」的な意味で、雫さんは「ふざけるな」的な意味という大きな違いはあるようだけども。
「この雨ではこの坂道を降りるだけでずぶ濡れで、また風邪をひいてしまいます。それなら、一晩泊っていけばいいじゃないですか。私たちはかまいませんよ。ぜひそうしてください」
「ダメよ! 私が許可しないっ! 由愛、こんな男を家に泊めるなんて危険すぎるわ!」
「……俺がそこまで信用されていない事が正直、本気で悲しいです」
俺が一体、何をしたって言うんだ……何もしてないよな?
雫さんに怒鳴られて本気で凹みそうだぜ。
そんな彼女とは違い、すっかりとお泊りを許可してくれる由愛ちゃん。
「さぁ、どうぞ。朔也さん。部屋はいくらでもあまってますから、問題もないです」
「こら、由愛。だから、待ちなさいって。こんな危険人物を我が家に泊まらせるなんて……こいつは野獣よ、オオカミよ!」
「雫姉さん。今日は私には朔也さんに大きな恩があるんです。それを返すのは星野家の人間としても当然のことでしょう? 朔也さんには止まってもらいます、決定事項です。姉さんも文句ばかり言ってないで、お布団の準備をお願いしますね?」
一気にまくしたてるように、由愛ちゃんは俺の泊まりを押し切る。
最近思うこと。
……星野家三姉妹で一番強いのは何気に由愛ちゃんかもしれない。
天使の笑顔で微笑まれると、さすがの雫さんも強くは言いきれないようで。
「くっ。一番遠い部屋を準備してやるわ。感謝しなさい、鳴海朔也っ!」
不満そうに捨て台詞をはいて廊下を歩いて行く。
一応、認めてもらえたのか?
「ふふっ。よかったですね、朔也さん。今日はお泊りです」
「……ホントにいいのかな」
「いいんです。朔也さんに対して、雫姉さんが警戒しすぎなだけです。それにこう言う日は男の人がいてくれた方が、何かと便利ですから頼りにしてますよ」
由愛ちゃんの台詞の意味を俺は後に理解する事になる。
彼女にはある狙いがあったのだ。
そんなわけで、俺は星野家にお泊まりにすることになるのだった。