第4章:バースデー《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
その日の放課後は学校で事務仕事をしていた。
教師というのは色々と事務もすることが多いのだ。
「鳴海先生、コーヒーを淹れるけど飲む?」
「あっ、いただきます」
同じように職員室に残っていた北沢先生がコーヒーを淹れてくる。
明日の終業式で生徒たちは楽しい夏休み突入。
教師の俺達は多少は楽になるが、研修やらで地味に忙しい夏が待っている。
「先生にも40日間の夏休みをください」
「仕事を辞めたら自由になるわよ」
「……無理ですか、無理ですよねぇ……言ってみただけです」
コーヒーを淹れてくれる北沢先生にお礼を言う。
外は暑いが職員室はクーラーが効いてるので過ごしやすい。
「北沢先生は茉莉の姉である雫さんとは友人ですよね?」
「そうよ。家も近いし、年も同い年だから。もう長い付き合いだけど、どうかした?」
「昔の雫さんってどんな方だったんでしょう?」
俺の質問に北沢先生は驚きを隠せずにむせる。
「けほっ。え? 何? どういうこと?」
「そんなに驚く質問でしょうか?」
「違うわ、驚いたのは別の意味。鳴海先生は女の子なら誰でも興味があるんだって。さすがに雫まで好意の対象に入ってるとは思いもしなかったわ」
なんとも手厳しいご意見である。
雫さん、友達が少なそうだな。
「まぁ、美人だから気になるのは分かるけど、雫を恋愛対象に見てくれる男の人がいると言うのに驚いた。鳴海先生、チャレンジャーね」
「友人相手にそこまでいいますか」
「うん。本気で驚いてるわ」
最近は雫さんとの距離も微妙に近付きつつある。
ふと、彼女の事について知りたいと思って北沢先生に聞いてみたのだった。
「えっと、質問の話だったわね。雫の昔ってどのくらい前?」
「子供のときとか知りたいですね。雫さんってどういう女の子だったんでしょう」
「……んー、一言で言えば、今の星野茉莉を強化した感じ? あの子も相当、我が侭だけど、まだ可愛げがあるじゃない。かつての星野雫の幼少期は可愛げがなさすぎて本当にすごい子だった。茉莉がお姫様だとしたら、あの子は女王様だから」
その一言だけで、全てを物語っている気がする。
北沢先生はコーヒーを飲みながら、昔の雫さんについて教えてくれた。
「私は小学校から一緒なんだけど、それはもうすごかったわ。あの子の家である星野家の持つ権力ってすごいじゃない。子供はともかく、大人の方はその力が怖いから、雫が何をしても誰も怒らない。そうやって育つと我が侭も度を超すのよ」
「そんなにひどかったですか?」
茉莉のように我が侭を言うタイプの人には今は思えない。
子供の頃の雫さんはどんな人だったのか。
「この小さな町では星野家は力が強すぎて、怖いものなし。幼いながらに誰もがひれ伏す感じに横暴で傲慢な態度の嫌な女の子だった。まったく可愛げもないし、意地悪だし、他人を常に見下してるし、嫌なタイプのお嬢様だったわ」
「……相当嫌われてますね、それ」
「まさに女王蜂。自分が頂点だって思いこんでたからね。実際の話、今でも同級生に聞けば、当時の彼女に良いイメージを持ってる人間はほとんどいなかったと思う。当然と言えば当然だけども、本当に昔の雫は嫌な女の子だったのよ」
さすがは星野家の魔女、幼い頃は相当に暴れていたらしい。
それに比べたら、茉莉の我がままなんて可愛いものだぜ。
「北沢先生は友達だったんですよね?」
「そうよ。そんなダークなお嬢様には、自分の決めた線があるの。その線の内側と外側では態度が大きく違う。普通の人よりもそれが極端で、一度でも線の内側に入れた人間には優しさも穏やかさも見せる。幸い、私は昔から数少ない内側の人間だったから」
誰でも人間関係は線の内側と外側に分けるが、それが極端なのは気難しい性格だ。
いわゆる、ツンデレタイプということね。
やべぇ、雫さんがデレてるところが全く想像できません。
「雫が変わったのは美帆と出会った頃。小学校5年生くらいに一緒のクラスになってね。最初はすっごく仲が悪かったの。ほら、美帆って誰にでも真っすぐなタイプでしょ。ひねくれて我が侭好き放題のお嬢様とは相性が悪いじゃない」
神奈の姉である美帆さんは結構、はっきりした性格をしている。
美帆さんVS雫さんの構図が昔にあったのは驚きだな。
「それにほら、相坂の実家って星野家とは微妙に因縁があると言うか。美浜町の大地主同士でしょ。そりゃ、対立もするわよねぇ」
「あぁ。そう言う事情もありでしたか。それでどうなったんですか?」
「……見事にクラスが二分したわ。小学生よ、小学生。それなのに、もうどこかの闘争並にクラスの内部分裂のありさまだった」
……マジか。
「雫のやる事を気に入らない子達は美帆側に、雫の取り巻きや逆らえない子達は雫側についてた。あの時の担任の女の先生は可哀想だったわ」
「俺、そんなクラスの担任教師なんてしたくないっす」
「私もよ。あの時の先生、まだ新人だったけど、私達の卒業後にあっさりと結婚して先生をやめたのは大部分があの子達のせいだと思うわ」
小学生でそんな強烈な支配力があったとは……雫さんは伊達ではない。
スクールカーストの頂点を極めていたなんて。
「結構、ギスギスした関係が半年くらい続いて、ついに美帆と雫さんが大激突」
「えっと、体育館の裏でタイマンの殴り合いですか?」
「さすがにそんなわけない。女の子同士だもの。暴力じゃなくて、口で言い合う感じ。でも、美帆も雫も、すごかったわよ。互いに相手に弱みを攻め合ってボコボコに、もう周りが引いちゃうほどの言い争いを繰り広げた」
気になるのはその結果、それは意外なものだった。
「……結果、雫が負けた」
「あの雫さんが敗北!? 負かされたんですか?」
あの雫さんを正面から倒した美帆さんってすげぇよ。
彼女相手に言い負かせた、という時点で俺は尊敬します。
「あの時、美帆が言ったのよ。『貴方はどうして、人に対して心を開かこうとしないの。親の力で周りを言うことを聞かせてるだけで、友達もいないんでしょう? それでいいの?』って。正直、雫にそんな言葉が届くとは思わなかった」
「……それでも、彼女に言葉は届いたんですね?」
「えぇ、私の知らない雫の本心。そうやって、言葉にしてくれる人間がひとりもいなかったから今まで言わなかった。あの子は『私だって友達が欲しいわよ』って、叫んだの」
友達が欲しい、当時の雫さんにとっては心からの言葉だったのだろう。
今でも他人と距離を置く性格だ。
それが子供の頃には今以上となると、相当の孤独感もあったはず。
「その後は、雫が泣きだしてね。クラスメイト達は大慌てよ。だって、あの強気で生意気で、凶悪な魔女が泣いてるんだもの。それほどまでに彼女が孤独だったなんて皆は知らなかった。強気な性格の裏側に、孤独と寂しさがあったなんて」
素直になれない性格。
友達が欲しいと泣いた子供の頃の雫さんの気持ち。
誰にも心を開けないのに、一人でいるのは嫌なんだ。
「……美帆さんはその心の奥底に抱えたものを見抜いたと言うことですか?」
「うん。美帆が『それなら、私が友達になってあげる』、と笑顔で握手で仲直り。あっけないほどにふたりは仲良くなった。巻き込まれた私のたちのクラスメイトは大きな迷惑だったわ。クラスの二分化終了、一番ホッとしたのは担任の先生だったみたい」
「先生の心中、お察します」
北沢先生は肩をすくめる仕草を見せて、苦笑いを浮かべた。
それにしても、小学生の時に2歳上のクラスがそんな険悪ムードだったとは思わなかったぜ。
「というわけで、ずっと雫の大親友は美帆なのよ。意外なふたりの関係でしょ」
「美帆さんがそんなにすごい人だとは思いませんでした」
「この話、本人たちにはしない方がいいわよ。特に雫にしたら命の保証はしないわ」
「はい。了解です」
冗談抜きで言っちゃうほどに、北沢先生も雫さんが怖いらしい。
雫さんの過去を聞いて、少しだけ彼女の事が分かった気がした。
「友達が欲しい、か。そんな過去があったなんて、人って見かけによらないな」
……雫さんってホントに不器用だよな。
本音を隠してるから、いつだって人に誤解されてる。
……もっと素直になればいいのに。
俺は冷めたコーヒーを飲みほして、そっと空になったカップを机の上に置いた。