第3章:触れ合いの中で《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
翌日の日曜日、すっかり夏風邪から回復した。
朝から釣りに出かけて、大物を釣り上げて神奈に調理を頼んでお昼のランチを楽しみ、昼からは隣街で彼女の買い物に付き合わされてようやく帰宅。
夕方、俺は雫さんに看病のお礼を言うために家を訪れた。
玄関で出迎えてくれたのは雫さんだった。
「一昨日は本当にありがとうございました。雫さんには迷惑をかけて……」
「別に、ただの気まぐれでしただけ。二度目はないと思っておいて。次は放置する」
「は、はい。体調には気をつけます」
あれぇ、あの日に見た彼女の優しさはどこに?
今は微塵の欠片もなく、いつも通りに怖い雫さんです。
あの日見た、彼女の優しさは風邪をひいた俺の妄想だったのか?
それより、どうにも今日は家が静かなので、俺は聞いてみる。
「今日はおひとりですか?」
「そうよ。さっき、妹達は両親と一緒に食事に出かけたわ」
「雫さんはついていかなかったんですか?」
両親と離れて暮らしているので、家族団欒を楽しむと思ったのだが。
彼女は小さなため息と共に言う。
「この年齢になって、家族団欒とかないから。妹達はまだ親に甘えたい年頃かもしれないけども。私としては親と一緒の食事より、たまにはひとりでのんびりするのがいいの。親もそう言う私の性格を知ってるから何も言わないわ」
「……雫さんって寂しい性格ですね」
思わず出た言葉に「うるさい」と彼女に睨まれてしまう。
「私は他人と慣れ合うのが苦手なの。そういう性格だもの」
「雫さんには一匹狼的なイメージがあります」
「……それは女性に言う言葉じゃないと思わない?」
でしょうね。
俺も自分で言っていて思った。
「それならば、これから俺と一緒にお酒でも飲みに行きませんか?」
「鳴海と一緒に?」
「えぇ。看病してもらったお礼にごちそうしますよ」
俺の誘いに彼女はいぶかしげな視線を俺に向けた。
「……ナンパ野郎にナンパされてる?」
「違います」
まったく持って口説いてません。
雫さん相手に怖いから、そんな勇気もないからっ。
……勇気があればいいというものでもないが。
「おごってくれると言うのなら、誘いに乗る。どこで飲むの? 美帆の店?」
「あの店ではないんですが、いいお店を知ってるんです」
正直、神奈の店で雫さんと一緒にお酒を飲むってのはいろんな意味で問題だ。
ここは別のお店にした方が賢明である。
「少し歩きますけど、いいですよね」
「……変なお店に連れて行かれる気がする」
「しませんってば。俺の事を少しは信じてください」
何だかいつもと違った穏やかな顔だ。
……何か、本日はご機嫌が良い様子です。
海沿いの道を歩いて海水浴場から少し離れた場所にあるバー。
雰囲気のいいジャズが流れるこの店は俺もたまに利用する良いお店だ。
「いらっしゃいませ。あっ、鳴海さんだ。こんばんは」
「どうも、沢渡さん」
千沙子に紹介してもらって以来、何気に月数回は訪れている。
店員である沢渡さんは俺の連れである雫さんに目を向けると、
「あら? 見知らぬ美人さんだ。今日は君島さんじゃないのねぇ」
「千沙子の事とか、余計な事は言わないで欲しい」
「えーっ。いつも、君島さんと一緒に来る事が多いからねぇ。とか、言ってみたり」
お客をからかって楽しんでるな、この人め。
そう言うのは昔、東京時代に馴染みだったバーの店主にされて問題になりました。
前に連れてた女と違うとか言うセリフは、何気に女の人は気にするものなのです。
ついこの前に、千沙子と一緒に来たのは事実だけどな。
沢渡さんにテーブル席に案内されて、俺達は椅子に座る。
「人をからかってないで注文お願いするよ。雫さんはカクテル、何でも飲めます?」
「あまり強い物じゃなければ適当に」
「それじゃ、マスターのお勧めで。あと、カルボナーラを2人分」
俺は注文をさっさと済ませると最後に「千沙子には内緒で」と念を押しておく。
次に千沙子と来た時に騒動を起こす種は排除しておこう。
俺と沢渡さんのやり取りを見ていた雫さんが問う。
「……千沙子って誰?」
「俺の中学の時の同級生ですよ。女友達でよくこの店で飲んだりしてるんです」
「さすが鳴海。いろんな女の子に手を出してるのね。聞いたわよ。普段から美帆の妹に身の回りの世話をさせたりして、都合のいい関係を強いているって」
「それ、俺が普通に悪者みたいなので言わないでください」
神奈に対してはもう普通の関係じゃない。
恋人でもなく、幼馴染でもなく、本当の兄妹みたいなものだから……。
なんて他人に言っても変な風に誤解されるだけなのだが。
「……悪者扱いって、悪者でしょう? 人の気持ちを利用したりして」
「まぁ、否定はしませんが。そう言う、雫さんはどうなんですか?」
「私は利用できる者は誰であろうと利用する。当たり前のことを聞かないで」
「そっちの方が性質が悪いと思いますよ」
さすが魔女です、悪びれもしないで言えるのがすごい。
それだけ、見た目の美人さに惹かれる人も多いのだろう。
「鳴海の周りにはたくさん、女の子がいるのね」
「幸いなことに、女運は生まれてからずっと良い方ですから。これまでずっとたくさんの女の人に接する機会は大変多くて、嬉しい人生を送っております」
「……否定しない所が普通に嫌な奴。お前って男から嫌われるタイプだわ」
「妬まれる事はありますけど、男だって友人は多いですよ」
ホントだよ、うん、多分。
敵と友人、半々ずつ……ちょっと自信がなかったり。
「雫さんだって、人並みに口説かれたりして、男の人にモテそうなイメージがありますけど、実際はどうなんですか?」
「私にそんなイメージを抱くのはお前だけよ。地元の人間は私の事を良く知ってるもの。今は口説く人間は少ないし、あっても何も知らない観光客のバカ男ばかり。ちなみに、私は自分を口説いた相手を30秒で口説いた事を死ぬほど後悔させる自信があるわ。身の程知らずは、痛い目を見るのが道理でしょ?」
こ、怖いよ、軟派男クラッシャーだ、このお人。
今まで、挑戦した男の心を簡単にへし折ってきたのであろう。
「こんな所に、こう言ったお店があったなんて知らなかったわ」
「夏場の時期になると人気なんですよ。雫さんはお酒を飲みに来たりするんですか?」
「自分で行くとしたら美帆のお店くらい。基本的には家でひとりで飲むことが多いわ」
あまり他の店に行くと言うことは少ないらしい。
まぁ、俺みたいに一人暮らしをしてるわけではないからな。
一人暮らしだとつい外食気味になり、特に俺のような男の場合は居酒屋メインになってしまう。
「お待たせしました。カクテルとカルボナーラです」
「ありがと、沢渡さん」
「……ごゆっくりどうぞ、ふふっ」
今、こちらを見て、嫌な笑みを浮かべおったぞ、沢渡さん。
千沙子には本当に重ね重ね口止めしておかねば……なにとぞお願いします。
「ふーん。思ってたより美味しい。しっかりとした味もあるし、こんがりと焼かれたベーコンもいいわね」
「この店の自慢の一品です。ここのカルボナーラは本当に美味しいですよ」
俺達はお酒を飲みながら、彼女は普段はしない話をしてきた。
「鳴海は東京暮らしが長かったのよね。今さら田舎に戻る気によくなったわ」
「自分でもそう思います。けれど、こっちに戻ってきて、色々と違いも分かっていいですよ。この町にいた頃には気づかなかった事がたくさんありますから。世間を知ると言う意味では、都会で暮らしたのは良い経験です」
「変なの。そのまま都会でいれば女に困る事もないでしょうに」
こちらでも女性に縁が多いので、あまり困ってはいないんだけどね。
「俺は常に女性目的で生きてるわけじゃないですよ。雫さんは都会には行く気はなかったんですか? 茉莉なんて卒業したら都会に行くと決めているのに」
以前に由愛ちゃんから、雫さんは一度は東京に出ようとしたと言う話を聞いてる。
「この何もない町に嫌気がして出ようと思った事はあったけれど、家の事もあったから、結局、出ていくのはやめたのよ」
「やはり、名家ともなれば、家の事が気になりました?」
「少なからずはあるでしょう。星野家を背負う、という意味でもね。昔は由愛の結婚話もあったし……あっ、この話はもうネタばらしを聞いてるんだっけ」
堂々と雫さんに騙されかけていたのはちょっと前に解決済みだ。
俺が頷くと、彼女は悪びれもせずに「ネタばらし早すぎ」と言ってカクテルのグラスに口をつける。
酔う素振りが見えないのは、結構、アルコールに強いタイプなのかもしれない。
「いろいろとあったけども、あのまま由愛が結婚していれば、星野家を継いでくれると思ってた。でも、そうはうまくいかなかったし、やっぱり、長女の宿命ってのもあるから。私は星野家を捨てきれない。ううん、捨てたくないのよ。私にとっても、この町にとっても大切な家だもの」
「なるほど。この町から離れるのは難しいってことですね」
「まぁね。父にしてみれば、子供が娘である時点で嫁に行ってもいい感じの事は言ってたけど。星野家を守りたいって言う意志も私にはあるもの」
そうなると雫さんの場合は婿を取ると言う形になるんだろうな。
「鳴海は、自分の家を継げとかないの? 一人っ子なんでしょう?」
「うちの場合、鳴海の一族自体はちゃんと親父の兄貴の家で繋がってますから、誰と結婚しても問題はなさそうです。幸いと言っていいのか、家柄には縛られてませんね」
「そう。家に縛られないっていうのは少しだけ羨ましいわ」
俺の場合は家を出た時点で跡取り的なのは求められてないからな。
雫さんはいつのまにか飲みほしていたカクテルのお代わりをしていた。
「……今日は鳴海のおごりだし、気にせず飲ませてもらおうかしら」
普段は互いにあまりしない真面目な話をしたりして、ほろ酔い気分で俺達はお酒を楽しく飲むのだった。