第3章:触れ合いの中で《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
昨夜、夏風邪を引いて、死にそうになっていた俺の大ピンチを救ってくれたのは意外な相手、星野家の魔女と呼ばれている雫さんだった。
彼女の優しさと見たことのない一面に驚きながらも感謝する。
俺は誤解してたよ、雫さん。
貴方って、意外といい人だったんですね。
後から神奈も救援に来てくれたので、翌日には夏風邪も回復傾向になっていた。
まだ布団に寝転がり、横になっているが、熱もだいぶ下がってきた。
今日1日でも寝ていれば回復するだろう。
そして、我が家には由愛ちゃんがお見舞いに来てくれていた。
「わざわざ見舞いに来てくれてありがとう、由愛ちゃん」
「いえ、もう大丈夫そうなら、それにこしたことはありません。早めに治ってよかったですね」
微笑みの天使、由愛ちゃんの笑顔に癒される。
その横で猫のような美少女が寝てる俺の身体を揺さぶる。
「こーらー、私もいるんだからね? 鳴海センセー、私もお見舞いに来てるっ」
拗ねて唇を尖らせる茉莉。
いじけながら、部屋の片隅のものをいじる。
「病人の身体を揺らすな。分かってるよ。茉莉もありがとう。でも、その辺はいじるな。危ない物が入っている」
そちらの棚の付近には近づいてもらいたくない。
神奈から見たくないと押し込められた、男の趣味の本が置いてあるのだ。
子供は見ちゃいけません、あらゆる意味で。
「センセーの部屋って綺麗だよね? 掃除とかちゃんとしてるんだ?」
「この俺が掃除をこまめにするタイプに見えるか? 幼馴染にしてもらってる」
「自信満々に言い切れる事じゃないよ。私も家政婦さん任せだから人に言える立場じゃないけど……あれ? その幼馴染の人って当然、女の子だよね?」
やばい、茉莉が妙なことに興味を持ちだした。
俺は話をそらせようと、茉莉が持ってきてくれたお見舞いの品に視線を向ける。
「それより、ふたりとも何か持ってきてくれたのか?」
「うちって、付き合いが広いから、結構もらいものがあるんだよ。その中でも、鳴海センセーに食べさせてあげたいと思ってフルーツを持ってきたの」
「桃です。今からの時期が旬ですから。食べられます?」
「あぁ、嬉しいよ。桃って俺も好きなんだ」
俺の好物でもあるが、いつも買うのは安い缶詰の桃だ。
生の桃は傷みやすい上にお値段が高いので手が出せないのだ。
「それじゃ、すぐに準備しますね」
「そっちはお姉ちゃんに任せて、その間に私はこの辺の捜索を……」
「おい、茉莉。お前は動かずにいてくれ」
俺は捜索を開始しようとする茉莉を布団から飛び起きて制止させた。
この子を好き勝手にさせると危ないわ。
「お、おぅ……桃ってこれだったのか」
切ってもらった桃は予想外の高級桃だった。
「これっていわゆる、ブランド桃ってやつでは?」
いかにも高級そうな雰囲気と香り。
桃自体が「俺様、高いぜ」と物語っているように見える。
「私達だけでは食べきれませんから、お気にせずに」
さすが、星野家……お金持ちは庶民とは違うのだと思い知らされる。
俺の人生で後何度、こんな桃を食べられるのか。
庶民としてはこんなチャンスを逃すわけにはいかない。
「はい、鳴海センセー。私が食べさせてあげるね、あーん」
俺の口に桃を入れようとする茉莉。
恥ずかしいが、現状としてはそれが楽なので行為を受け入れる。
「ん、美味い……」
口に広がる桃の甘い味。
さすが高級品、とろける美味さです。
「弱ってる時の鳴海センセーは素直でよろしい」
「元気になったら、覚えておきなさい」
「ふふっ。それまでに私の好きにするからいいもんっ」
俺に甘える茉莉のやり取りに、くすっと由愛ちゃんが笑う。
「お二人は本当に仲が良いですよね。兄妹みたいで羨ましいです」
「兄妹じゃないもんっ、恋人だもん」
「……茉莉はおいとくとして、由愛ちゃんは兄とか欲しいんだ?」
「えぇ。私達は女姉妹ですから、お兄さんでもいたら素敵だと思ってました」
その気持ち、一人っ子の俺にとっては共感できるものではある。
「朔也さんはお兄さんみたいですね」
「俺の事をお兄ちゃんと呼んでくれてもよい」
「こらぁ、由愛お姉ちゃん妹化計画はやーめーてー。雫お姉ちゃんに怒られるよ」
それは勘弁願いたいものだ。
「お兄ちゃん発言は置いといて。兄みたいに思ってくれるのはいい」
「……はいっ」
穏やかな微笑みを浮かべる彼女。
やっぱり、由愛ちゃんの笑顔は可憐で素敵だ。
「ところで話は変わるんだけどさ、聞いても良いかな」
俺はふと思い出した事がある。
それは三者面談の時に雫さんが言っていた由愛ちゃんの婚約者の話だ。
どうしても、あれが気になっていた。
「雫さんから聞いたんだけど、由愛ちゃんに婚約者がいるって本当なのか?」
ふいに「それは……」と彼女の笑顔が曇る。
あれ、もしや、この話題は禁句だったりするのだろうか?
「センセー、デカシリーがないよ」
「デリカシーな。そこを間違えるな、お尻じゃない。茉莉、俺は地雷を踏んだか?」
「うーん。あれは雫お姉ちゃんが悪いかも。何も知らない鳴海センセーに中途半端な事を言ってたし。由愛お姉ちゃん、私が説明してもいい?」
茉莉がここまで姉に気を使うほど、どうやら本当に何かワケありの様子。
俺は身体を半分、起こして真面目に聞くことにした。
「無理には聞かないよ。誰にだって言いたくない事はあるだろう」
「いえ、そういうわけではないんです。朔也さんにならお話します」
複雑な表情を見せながら由愛ちゃんは自分の婚約者について語りだした。
「私には幼い頃から親同士が決めた婚約者がいたんです。私達の家は旧家ですから、今でも家柄同士の婚姻というのがあったりして。私も相手の方とも仲良くさせてもらっていて、不満は何もなかったんですが……。私の高校卒業間際に問題が起きました」
由愛ちゃんが語る、婚約者騒動。
それは相手の婚約破棄という話だった。
遡ること、2年前、由愛ちゃんが高校卒業する間際の2月。
既に卒業後は婚約者との結婚ということで準備を始めていた。
卒業後の進路は結婚なので、就職でもなく、進学でもなく担任を少々、困らせたりしながらも卒業間近に迫っていた。
だけども、事件は2月のある日に起きた。
婚約者からの婚約破棄をお願いされてしまったのだ。
突然のことに、星野家としても動揺と戸惑いがあった。
決して、由愛ちゃん側に責任があったわけじゃない。
問題は向こうの相手にあったのだ。
「相手の方は私よりも年上の大学生で、彼の大学卒業と私の高校卒業、そのタイミングでの結婚という話でした。けれども、彼には他に好きな人ができてしまったんです」
同じ大学で好きな人ができた、と彼は星野家に婚約破棄を申し出た。
つまり、彼は由愛ちゃんではなく、他の女性と恋をしたのだ。
家同士の婚姻ではなく、好きな女の子と結婚したい。
彼は自分の気持ちに素直になり、覚悟を決めたらしい。
一般庶民の俺としては、家同士の関係よりも愛を選んだ彼の心情も理解できる。
だが、当然、婚約関係にある当事者だけでなく、家同士にも多大な迷惑をこうむる。
結婚の話が流れれば、彼女は卒業後の進路が何一つ決まっていない白紙状態だ。
それに何より、相手のあまりにも身勝手な振る舞いで、婚約破棄などありえない。
憤慨する星野家と彼の家は相当、婚約者の彼を責めた。
けれども、そんな彼をかばったのは他でもない由愛ちゃんだった。
『本当に好きな相手ができたのなら、仕方ないですよね』
相手の事を思いやる由愛ちゃんが婚約破棄を認めた事で、両家も話し合いの末、婚約関係はなくなってしまったそうだ。
その後、進路に困った彼女は雫さんの紹介で駅前のカフェで働く事になった。
そして、今に至ると言う……雫さんの話からは予想していなかったお話だった。
「あのまま、無理に私達が結婚しても、幸せにはなれないと思ったんです。彼も本当に愛してる相手と結ばれるのが一番だと思ってましたから。両家の関係も悪くはならずにすみましたし、この結末には納得しています」
「……由愛ちゃんは優しすぎないか。自分だって辛かっただろう?」
「辛かった事は辛かったんですけども、恋というのを私は知りませんでした。だから、恋をしている彼が羨ましかったのかもしれません。好きになった人と結婚したい。そう、私に語った彼の必死さに、愛って何だろうと考えさせられたんです」
愛って何か、俺もまたずっとその答えを探してる。
「だから、あの時の決断は今となってはよかったんだと思います」
由愛ちゃんの過去にそんな事があったとは……。
不謹慎ながらも、由愛ちゃんに現在、婚約者がいないと言うのは少しホッとした。
「でもさ、家同士の婚姻って、普通は長女の雫さんなのでは?」
「鳴海センセー。雫お姉ちゃんの場合、お見合いしても必ず向こうから『申し訳ないです、ごめんなさい』をされてしまう悲しい結果になるんだよ。理由は妹の私に言わせないで」
苦笑い気味に茉莉は視線をそむける。
納得できる理由があるけどそれが何かは怖くて言えません。
「その話もね、婚約破棄をした彼には残酷な現実という試練が待っていたんだよ。それはもうひどい事が……」
「茉莉、それはまさか……雫さんが何か?」
頷く茉莉は軽く震えながら言うのだ。
「妹の心の傷は土下座程度じゃすませない、とそれはもう鬼のように怒り狂い、彼にトラウマを与えるほどの強烈な“制裁”を与えたの。あの時の雫お姉ちゃんは鬼より怖くて親戚一同びびってました。思い出すだけでも怖い」
「……でしょうねぇ」
結論、雫さんを本気で怒らせるのは命を縮めるのでやめましょう。