第2章:夏風邪と魔女《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
それは前夜の出来事が全ての始まりだった。
初夏の深夜、暑さに目が覚めた俺は暑いのでシャワーを浴びた。
パンツ一丁でコップの水を飲み終えた所まで記憶に残ってる。
それ以降の記憶はなく、その後は眠気で倒れ込んでしまったのだろう。
……朝、起きた時にはパンツ一枚のみの姿で台所で寝転んでいた。
それが今朝の出来事であり、出勤して数時間後の昼休憩なのだが……。
「あ、頭いてぇ……」
二日酔いよりひどい頭痛に俺はうなされていた。
頭痛だけではなく熱もありそうだ。
病名、夏風邪です。
そりゃ、いくらなんでもパンツ一枚でキッチンで寝たら風邪も引くわ。
一応、保健室で風邪薬をもらって飲んだが改善せず。
「このまま帰って眠りたい」
それを許してくれないのが現実社会というものなのだ。
職員室で悶え苦しむ俺にはさらに過酷な試練が待っている。
今日に限ってこのあと5時間目と6時間目に授業があるのだ。
明日から土日なのがせめてもの救いだろう。
この試練を乗り切って頑張れ、俺。
本日の仕事、かろうじて終了。
授業中に生徒にも心配されながらも何とか耐えて授業を終えた。
もはや精神的にも肉体的にも限界です。
風邪の症状は悪化する一方だった。
他の先生方にも心配されながら俺は帰り道をふらつきながら歩く。
「気持ち悪い。早く帰って寝なければ……神奈に救援を求めるべきか」
熱が高いせいか意識も飛びそうだぜ。
海沿いの道を歩いていると背後から車のクラクションを鳴らされる。
「なんだ?」
こんな気持ち悪い時にうるさい音は勘弁してくれ。
斎藤だろうかと振り返ると、車内から見えるのは美女だった。
「鳴海、道のど真ん中を歩かない。引くわよ」
ぶっそうな台詞を呟く美女は雫さんだった。
相変わらず、容赦のない台詞だな。
「……すみません」
「何か顔色悪くない?」
「どうやら、風邪をひいたみたいですね」
だから、とどめを刺そうとしないでください。
いつもなら、そんな軽口も言えるが本当にやられそうで怖い。
俺の顔を雫さんはジーッと見続けながら言う。
「……確かお前の家って海沿いの方だったわよね」
「そうですが?」
「そこまで乗せてあげる。歩いて帰るより早いでしょ」
なんと、思わぬ優しい台詞を雫さんが告げた。
普段の彼女なら明日には槍でも降りそうな言葉だ。
彼女にそんな優しさがあったなんて知りませんでした。
「……いいんですか?」
「病人を見捨てるほど、ひどい女ではないの。ほら、早く乗りなさい」
俺は好意に甘えることにして、車に乗り込むことにした。
正直、立って歩くのさえも辛かったのだ。
「ありがとうございます、雫さん。助かります」
「途中で倒れて、翌日、冷たい身体で発見ってニュースになられたら茉莉が泣くわ」
心の中で褒めた矢先に、嫌な想像をしないでもらいたい。
ひんやりとしたクーラーのきいた車内が気持ちいい。
車ならばここからなら5分もかからない。
「こんな時期に風邪なんてひくって、お腹でも出して寝てたわけ?」
「寝ぼけて起きた時に、パンツ一枚でキッチンで寝てしまったようで」
「バカね。呆れる言葉もないほどにバカだわ」
言葉は厳しくとも、いつものような深いトゲのある物言いではない。
家まで車まで送ってもらい、俺は外に出た。
雫さんのおかげで、無事に家まではたどりつけた。
「へぇ、それなりに広い家に住んでるのね。昔からここに?」
「いえ、知り合いに借りてる一軒家です。俺が引っ越す前に住んでた所はもう空き地になってしまっているので今はここを借りてるんです。一人暮らしには広い家なんですけどね」
家の鍵を開けようとすると、足元に力が入らず片足をつく。
「大丈夫? ……もう、世話がやける。後少しでしょ、辛抱しなさい」
「すみま、せん……くっ」
ふらつく俺の代わりに家の鍵をあけてくれる。
肩を貸してくれて立ち上がるが、気持ち悪さが込み上げてきた。
「……ぅっ……」
視界が真っ暗になり、俺は意識がなくなりそうになる。
「ちょっと、鳴海? ……ねぇ、鳴海、しっかりしなさい」
朦朧とする意識の中で、雫さんの叫ぶ声が耳に聞こえていた。
ひんやりとした冷たい感触に俺は意識を取り戻した。
俺は寝ていたのか……?
「……熱はまだ高いわね」
女の人の声がするので、ゆっくりと目を開く。
「えっ……?」
俺の額に手を触れさせていたのは雫さんだった。
この冷たい感触は彼女の手だったようだ。
「ようやく目を覚ましたのね。ったく、私に世話なんてさせるんじゃないわよ」
「あ、あの、どうして……?」
俺が動揺しながら辺りを見渡すと、自分の布団の上で寝ていた。
氷枕に頭を乗せているので気持ちもいい。
「えっと、これは……?」
確か、雫さんにあって、車で家まで送ってもらったんだよな。
そこから後の記憶がない。
「お前がいきなり倒れるから仕方なく世話をしてあげたの。この貸しは高いわよ」
「ありがとうございます」
どうやら、あのまま倒れて、雫さんの世話になったらしい。
この部屋まで運んで、着替えまでしてくれて……着替え?
よく見れば、スーツも脱がされてパジャマもきている。
ちょい待て、どういうこと?
「あの、雫さん。聞きにくいのですが、俺の着替えとかは……?」
まさか、そこまで彼女がしてくれたのだろうか。
……ていうか、裸見られた?
雫さんは俺に向かって、嫌味っぽい微笑を浮かべた。
「しょうがないから、私がしたわよ。鳴海……案外、お前って可愛いのね」
「どんな意味でですか!? けほっ」
いろんな意味で、たった一言で男として辱められた気がするぜ。
可愛い……どこの意味で言われたのかで俺の今後の男としての自信がなくなる。
さすが、雫さんだ。
他人のプライドを粉砕する事など他愛もなくやってのけてくれる。
もちろん、雫さんには世話してもらったことに感謝してるのだが。
「お前も一人暮らしをしているのなら常備薬くらい置いておきなさい。どこにもないから一度家に戻って薬とか持ってきたの」
「すみません。風邪薬とか、使う機会もなかったので」
何かあれば神奈を頼りにしてる事もある。
今度からはちゃんと準備しておくことにしよう。
「まぁ、いいわ。起きたことだし、何か食べるなら準備するけど?」
「……お願いします」
俺は普段よりもかなり優しい彼女の好意に甘えることにしたのだった。