第1章:星野家三姉妹《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
不注意な失言で命の危機を乗り越え、俺達は食事をすることにした。
雫さんの手料理は思いの他、家庭的で美味しく満足できるものだった。
茉莉の言う通り、将来は良い奥さんになるだろう。
あの強烈な性格が大いに問題ではあるけども……。
食事を終えて、俺は由愛ちゃんと一緒に後片付けの食器洗いを手伝っていた。
「お手伝いしてもらってすみません」
「食事の礼だ、これくらいはするよ。由愛ちゃんも料理を作る事はあるんだ?」
「はい。我が家では、姉さんとふたりで交代しながら料理を担当していますから」
由愛ちゃんはどちらかと言えば洋風料理が得意らしい。
泡だらけのスポンジでお皿を洗いながら、気になる事を聞いてみる。
「由愛ちゃんって今は何歳? 高校生ではなさそうだよな?」
「ふふっ、そこまで若くないです。高校生は既に卒業しました。来月に誕生日を迎えて、20歳になります」
「へぇ、そうなんだ」
今は19歳、それでも十分に若い。
4歳違いだが大人びた顔をしている茉莉と並べば、童顔の由愛ちゃんはほとんど年が離れていないようにも見える。
「それじゃ、今は何かの仕事をしてるのか?」
「卒業後に、姉さんの知り合いのお店で働かせてもらっているんです。駅前にあるカフェをご存知ですか?」
「あー、知ってるよ。serikaだっけ。オシャレなカフェだよな」
駅前に観光客向けにオシャレ系のカフェがある。
衣装が可愛いと評判のあのお店のウェイトレスだったとは……。
何度か行ってるから知らずに会っていたかもしれない。
「私、自分で言うのもなんですが、世間知らずなんですよ。この町からほとんど外の街にも出かけた事がなくて、あまり興味もありませんでした」
「そうなの?」
「はい。だから、最初は色々と知らない事だらけで、お店での接客もすごく戸惑ってしまいました」
「ウェイトレスは慣れたのかい?」
「お仕事の方は何とか慣れました。お店の人も皆さん、良い方ですし」
箱いりお嬢様はウェイトレスか。
「それにしても、この町からほとんど外にでないなんて不便とは思わないか?」
「思いません。私は派手さを嫌いますから、人の多い所も苦手です。こんな事を言うと、姉さんや茉莉ちゃんには笑われてしまうんです。あの二人は、私とは違って、この町の外にしか興味がありませんからね」
世間知らずを恥ずかしがり、苦笑い気味の彼女。
俺は似たような子を知っている。
行動範囲が狭く、この町以外は隣街くらいしか出たことのない女の子。
我が幼馴染、神奈と同じタイプの女の子がいるとは驚きだ。
「茉莉なんて卒業後は東京に行きたいって言っていたよ」
「はい。茉莉ちゃんは平凡な日常を嫌う女の子です。常に変化と刺激を求めているから、この町が嫌なんでしょう。私とは正反対ですね。姉さんも最初は東京に出ていくつもりだったみたいですよ」
三姉妹、それぞれ性格が違えば考え方も違う。
雫さんは長女の宿命って奴でこの町に留まる事を選んだのかもしれない。
逆に茉莉は末妹としての自由さもあり、外の世界を望むのだろう。
「……朔也さんは東京で暮らしていたんですよね?」
「あぁ。生まれ故郷はこの町で、中学卒業と同時に東京で暮らす事になった。都会は田舎町とは比べられないほどの変化、欲望、誘惑が溢れている魅力的な所だ。だけど、都会と比べても、俺もなんだかんだでこの美浜町が好きだよ」
海しか取り柄のない田舎町だとしても、俺にとっては大事な故郷だ。
これから先もこの町で暮らしていきたいと思っている。
「ふふっ。同じようにこの町を好きな人がいてくれると嬉しいですね」
由愛ちゃんと話をしていると、本当に千歳と話しているような気持ちになる。
あちらも世間知らずの天然系なお嬢様だったな。
どうにも、俺はこの手の清楚系タイプの女の子が好みらしい。
食器を洗い終えると、子猫のいる部屋へと移動する。
そこでは茉莉がショコラと格闘していた。
段ボール箱に入っている猫の頭を撫でようとするが、嫌がられている様子だ。
「ほら、私は怖くないよ。私は優しいから懐いてー」
「んにゃー!」
「きゃっ。だーかーら、爪で攻撃するのはやめて! 痛い~」
先程と変わらず子猫に威嚇されてるようだ。
本来の野良猫らしい反応だな。
人に媚びず、懐かず、自由気ままに生きている。
それが由愛ちゃんにだけ相思相愛で懐いてるのだから不思議だ。
「茉莉ちゃん。ショコラはどうです?」
「ダメ、全然ダメ。この子、可愛いのは容姿だけだね。生意気すぎて尻尾を引っ張りたくなる。このっ、私にも懐いてー。じゃなきゃ、いじめるよ? って、お姉ちゃんが言っていた」
言ってねぇよ。
子猫相手にどれだけ大人げなさすぎるんだ。
茉莉に対して、由愛ちゃんはやんわりとした口調で、
「ショコラをいじめないでください。この子もまだ人に慣れていないだけですから」
段ボール箱を覗き込む由愛ちゃんの顔を見て子猫は大人しくなる。
「にゃー♪」
「くすっ。あとで何か餌をあげますね、ショコラ」
たちまち、機嫌がよくなるショコラ。
猫にも由愛ちゃんの優しい雰囲気が伝わっているんだろう。
明らか過ぎる自分との態度の違いに茉莉が肩をすくめる。
「子猫のくせに態度が違いすぎてがっかりだよ。鳴海センセー、この差は何だと思う?」
「動物でも直感で分かるほどの普段の行い?」
「そんな事をさらっと言わないでよ。センセーの意地悪。でも、好き♪」
茉莉がじゃれついていくる。
俺にとっての子猫がここにいる。
ただ、こちらは相思相愛ではないけどな。
俺は彼女を引き離しながら時計を見た。
「さぁて、と。俺もそろそろ帰るか。お邪魔したな」
のんびりと話をしていたら、良い時間だ。
女性ばかりの家にあまり長居はするべきではない。
「またお話できますよね、朔也さん?」
「俺でよければいつでも……って、何で俺を睨む、茉莉」
「むぅ。センセーが由愛お姉ちゃんにだけ優しい。こっちも態度の違いに不満です」
俺を猫と一緒にするなと言いたい。
ふたりに見送られて玄関を出ると、雫さんが俺を待ちかまえていた。
この人とふたりっきりになると怖いんだよ。
彼女は冷たい瞳で俺を一瞥しながら警告する。
「……朔也、ひとつだけ忠告しておく。由愛に手をださないで」
「由愛ちゃんとは今日、会ったばかりなんですけどね」
「自覚がないとは言わせない。お前は美少女なら誰でもよさそうだから。由愛は世間知らずで男性にも縁がない。お前みたいなフラフラしてる奴に近付いて欲しくない」
「そんな事はありません。俺だって恋愛には真面目ですよ」
俺の言葉は雫さんには微塵も届かず。
「どうかしら。はっきり言えば、私はお前をまったく信頼していないわ」
「……今後の態度で、その信頼に応えると言うのではどうでしょう?」
「無理ね。由愛がお前の悪影響を受けるのが嫌なのよ」
雫さんって、案外、妹思いの優しい姉なのかもしれない。
俺の信頼度がゼロっていうのは何とかしたいです。
「とにかく、妹達に妙な真似をしたら初夏の海に浮かせてやる。冗談抜きでね」
魔女からの怖い忠告を受けて、俺は背筋が寒くなりながら帰路を歩いた。