第4章:複雑な乙女心《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
この事件の発端は数日前、茉莉がある出来事を目撃した所から始まる。
「……はぁ? キス? 誰と誰が?」
「だーかーら、やひろんとモッチー部長だって言ってるじゃん」
茉莉が職員室の俺の所に報告にやってきた。
八尋と要がキスをしていたと言うのだが本当だろうか。
あの純情なふたりが、恋人関係に発展するなど想像できない。
そりゃ、仲が良くて良い雰囲気なのは知っていたが。
「本当か? それは信用できるソースなのか?」
「ソース? 醤油? 目玉焼きに私はソース派です」
「違うわ。そっちのソースじゃなくて、情報源って意味だ。ちなみに俺は醤油派だけど。味が美味しくなるからな」
「あと、情報源は私だよ。私がこの目で見たの。ちなみに証拠はこれ。じゃーん」
彼女の携帯電話には確かに八尋達のキスシーンが撮影されている。
「ものすごく良い雰囲気で怪しいなと思ってたら、むちゅーってキスしたの!」
「なんだと!? 部室で逢瀬とはけしからん。実に羨ましい、もとい、許せぬ行為だな」
「……怒るのか羨ましいのかどっちなの?」
本当にそこまでふたりの関係が発展したと言えるのか。
それは本人に確認してみないと始まらない。
「――それは一体何かしら?」
「ひっ、北沢センセー!?」
「面白いわ。うちの八尋とあの要さんかしら? 見つめ合って何をしてる写真なのか、詳しく教えてもらいたいなぁ?」
「い、いやー、この人怖いから嫌い」
写真を覗き込むように背後に北沢先生が立っていた事にビビり、俺の後ろに隠れる茉莉だった。
前回の折檻が相当にトラウマとなった様子。
彼女の突然の登場に俺もびっくりして、心臓に悪い。
「ふたりして、また何か悪だくみでも?」
「違います、今回の件は俺達は無関係です」
「これはたまたま、部室で見かけたからこっそりと撮った写真なの。私はもう何もしてないから許して。怖いのはもう嫌~っ」
前回の強制連行でさすがの茉莉も懲りたようだ。
ブラコン姉は本気で怖いと改めて思ったらしい。
「まぁ、いいわ。詳しい話を聞かせてもらいましょうか? 知ってる事を全部吐いて? と言うか吐け」
「……はひ」
この状況で嫌と言えるわけもなく、怖いお姉さん睨まれて茉莉は素直に白状をした。
翌朝、俺は北沢先生に強制的に付きあわされる事になった。
本当にあの二人が交際をしているのか、ただの冗談なのかを見極めるためだ。
茉莉の情報では交際疑惑はほぼ確定情報のようだが、裏取りは必要だろう。
休み時間の度に付き合わされて、情報を収集する事に。
「あのぅ、俺まで付き合わされる理由はなんでしょう」
「元はと言えばあの二人に接点を作った原因は貴方なのだから、最後まで付き合ってくれてもいいじゃない。私は見極めたいのよ」
弟を思いすぎるのもどうかと思うけど、それも仕方ないのかもしれない。
とはいえ、俺も気になるので詳しい調査を開始する事にした。
茉莉の話では八尋と要の二人の関係は恋人そのものだと言う。
俺達がどうこうしなくても惹かれあうふたりは付き合うことになったと言う事か。
周囲への聞き込みやら、本人の様子を監視したりして、分かった事がある。
「八尋には彼女がいる。この情報は間違いないようですね」
「嘘よ、そんなの。誰か嘘だって言って……うわあああ」
ぐったりとうなだれる北沢先生、その気持ちが分からないでもない。
周囲の話によると、ここ最近は放課後には女の子と一緒に家に帰ったり、浜辺で犬と戯れる彼女と過ごす八尋が目撃されたりしているらしい。
名前が出てこないのは年上の先輩である要だからだろうが、これはマジかもしれない。
放課後になると、俺と北沢先生は八尋の後を追う事に。
「あの、これはやり過ぎでは?」
「ここまで来たら、現場を押さえて直接聞くしかないでしょう」
「まるで犯罪扱いですね。あれ? 北沢先生、泣いてます?」
「な、泣いてなんてないわよ」
既に姉の心は傷ついて涙ぐんでいる気がする。
乙女の心は複雑で、傷つきやすいものなんだろう。
「八尋に恋人ができるなんて。それを阻止できなかったのが悔しいのよ」
「いいじゃないですか。そうやって姉離れするのは男の子の宿命です」
「……姉離れなんてさせない。そんなこと、させるものか」
「目が怖いです、北沢先生。マジ過ぎっす」
怖いよ、このお姉さん……いつも以上に恐ろしい。
中庭を抜けて八尋はひとりでどこへ向かっているのやら。
彼がたどり着いたのは、体育館の裏手だった。
「体育館裏と言えば告白ですよね? 今時の子もそうなんでしょうか」
「知らないわよ。そんなの。私の頃はまだそう言う事もあったけど」
「俺の頃は体育館の裏でけしからん行為をするやつがいてですね……あ、俺でした」
「そんな話はどうでもいいの。八尋は? 八尋は居るの?」
ふてくされて拗ねている北沢先生が足を止める。
そこには八尋がひとりで誰かを待っていた。
「ここなら誰もいないですから、話もできるでしょう。ふたりとも出てきてください」
「え? 俺たち?」
後をつけてきているのは気付かれていたらしい。
八尋に呼び出されて仕方なく出ていくと彼はため息をついて見せる。
「ふたりとも、僕の周囲をさぐるの下手すぎです。堂々とし過ぎて逆にこっちが気を使いますよ。特に姉さん、僕の友達を威圧するのはやめてください」
「……なるほど、捜査方法があからさますぎたようだ」
隠してるわけでもなかったが、バレバレだったのがまずかった。
「だって気になるんだもの。八尋、貴方に恋人ができたかもしれないなんて」
「……姉さんに黙っていた僕も悪かった。言いにくかったんだ」
「やめてよ、その言い方。噂が本当みたいじゃない」
姉と弟、大切な家族でも触れづらいことはある。
「八尋。実際はどうなんだ? 要と付き合ってるのか?」
俺達を見て言いにくそうに彼は言うのだ。
「はい、要さんとは数日前からお付き合いをさせてもらっています」
気恥ずかしそうに告げる彼。
純情路線の恋愛が実を結んだ事にびっくりだぜ。
「そりゃ、よかったな。どっちが告白したんだ?」
「その、要さんからそう言う話をされて、僕も好きだったので即答しました」
「要からの告白か。やるじゃないか」
「はい、両想いになれてよかったです。きっかけを与えてくれた先生には感謝します」
あの大人しい要が自分から告白するのは予想外。
だけども、彼女にとっては八尋は気になる男の子だったのだろう。
うまくいってよかったな。
それで普通は終わりなのだがこの姉弟は違う。
「待ちなさい、八尋。貴方が恋をするのは早すぎると思うの」
「恋愛は姉さんに心配される事じゃないよ」
「恋は大変よ。傷ついてからじゃ遅いの。私は貴方のためを思って言ってるの」
「だから、その考えをやめて欲しいんだ。自分が恋をする相手くらい自分で決める。好きな人がいるんだよ。姉さんに反対される事じゃない」
姉弟が喧嘩を始めたので、俺は仲に入ってなだめることに。
うっかり、変な対応をすればちょっと前に痛い目をみた時と同様の展開になる。
「落ち着いてください、北沢先生。八尋には恋愛の自由はある。当然ですよ、自分の人生だ。人には邪魔はされたくない。けれど、大事な弟を思う気持ちも理解できます」
「……だったら、どうしろって言うの?」
「前に言ったはずです。もう、弟離れしましょうよ。彼はもう一人の男だ」
俺の隣で八尋は頷くと姉に向き合う。
「姉さんが僕の事をずっと気にかけてくれてたのは嬉しかった。けども、僕の事に干渉するのはもう控えて欲しい。僕はもうちゃんと自分で決めて、自分で歩いて行ける。姉さんに守ってもらわなくても大丈夫だから」
「……本当は北沢先生だって分かってるんでしょう。ただ、認めたくないだけだ。彼のためではなく自分のために、八尋から離れられない事を。弟離れしてあげてください。それが本当の八尋のためになる」
「でも、それじゃ……私は……」
姉弟のいない俺には本当の意味では彼女の気持ちは分からない。
だけど、今のふたりにとって必要な事は分かっている。
「心配する事はありませんよ。弟離れしても、八尋はずっと貴方の弟だ。それは変わりません。距離感を変える事で貴方自身も変わっていけるはずだ」
「距離感……?」
「家族が大事なのは当然ですけど、今よりも、少し離れた所で見守りませんか?近すぎず、遠すぎず。それがいい家族の距離感だと思います。相手に依存し過ぎている今の関係はよくない。北沢先生のためにも、変えていく事が大切だと思います」
家族、友達……他人に依存する人は視野が狭くて、周りが見えていない。
それが悪いとは言わないが、もっと広い視野を持つ事は大事だ。
その依存から少しずつでも抜け出せていけば、きっと2人にとっていい姉弟関係になる。
「僕は姉さんの事は姉としては好きだから。それだけははっきり言える」
「八尋……」
北沢先生は考え込んでいたが、やがて彼に向って「いい恋愛をしなさい」と告げた。
ほんの少しずつでも、前を向けて良い関係になれていけばいい。
八尋がいなくなって、しばらくの間、彼女は俺に抱きついて泣いていた。
姉として、女として、いろんな感情が溢れていく。
他人の依存からの脱却、彼女が変われるのはかまだ分からない。
でも、泣きやんで俺に「弟離れ、頑張ってみる」と笑っていった北沢先生ならきっと、正しい方向に歩んでいけると思うんだ。
問題が解決して「しばらく一人になりたい」と言う北沢先生を置いて、俺は職員室に戻ろうとすると、職員室の前で真白ちゃんが待っていた。
「真白ちゃん? もう帰り? 俺もすぐに準備するから一緒に帰ろうよ」
「今までどこに行っていたの?」
「え? あぁ、ちょっとした問題を解決してきただけだ」
真白ちゃんにもふたりの話をしてやろうと思っていたのだが、様子がおかしい。
何かに怒ってるような、悲しんでいるようなそんな複雑な表情を浮かべていた。
「……朔也君の裏切りもの。私よりも、好きな人が他にいるんでしょう?」
「何を言ってるんだよ、そんな人はいないって……真白ちゃん一筋です」
「嘘つき! 朔也君の嘘つき! 私、朔也君の事を信じていいのか分からないよ」
俺の胸をドンっとついて彼女は今にも泣きそうな顔をして立ち去って行く。
事情が分からずにあ然とする俺はただ立ちつくすしかなかった。
「……真白ちゃん?」
一難去ればまた一難、今度の問題はちょいとばかり難しそうだ。