第7章:気付いた気持ち《断章1》
【SIDE:北沢結衣】
鳴海朔也と言う男性に初めて会った時の第一印象は、優しそうな好青年。
ちょっと軽くて、でも、優しくて頼りになる男の人。
出会ってから2週間後、私の中で鳴海朔也という男の人は“敵”になった。
私には大事な弟がいる。
私が10歳の頃、年の離れた弟、八尋が生まれた。
昔から弟か妹が欲しかった私にとっては、可愛くて、可愛くて、私は姉として守ってあげたいとずっと可愛がってきた。
大学進学のために離れてしまった数年間。
週に数度の電話だけで寂しかった。
やっと、また一緒に暮らせるようになり、幸せな日常を送ってきたのに。
「……八尋、最近なんだかぼーっとしていない?」
「え? あ、いや、そんなことはないけど」
「そう? 何か悩みがあるのならお姉ちゃんに言ってよ。相談くらいのるわ」
「……本当に何でもないから」
最近の八尋はどこか様子が変だった。
何か悩みでもあるんじゃないかな。
そう思っていた矢先、私は思わぬ事実を知ってしまう。
ある日、私が家に帰ろうとしていたら、朔也さんと八尋の姿を見かけた。
つい先日に家に招いた事があって知り合いになり、仲がいいようだ。
八尋も頼れる兄のような人が欲しかったのかもしれない。
砂浜を眺めながら何かを話す彼ら。
「……何を話しているのかしら」
私は気になって声が聞こえるくらいに近付いた。
彼らの視線の先を追うと綺麗な女の子に向けられている。
「八尋。ホントにあの要が気になるのか?」
「……綺麗な人だなって思う程度です。いつも、この辺を散歩してるみたいですね」
「それで、こうやって眺めちゃうわけねぇ。惹かれてるのか?」
……え!?
八尋が女の子に惹かれている?
「今度、機会があったら要を紹介してやるよ。お近づきになれるチャンスだぞ」
「……はい」
八尋は困惑しながらも、照れながら頷いた。
私は思わず血の気が引く思いをした。
八尋に、好きな人ができた――?
そんなの嘘よ、嘘に決まってる……。
ショックを受けて、私は目の前が真っ暗になりそうになった。
さらに数日が経って、私は朔也さんと八尋の動きを監視していた。
八尋は恋をしている。
そんな事認めたくない。
好きな相手ができれば、私を想ってくれることが少なくなる。
そんなのは嫌だ、あの子は私が独占していたいのに。
それを手伝っているのが朔也さんだと知った。
「……許さない。私の邪魔をするなんて」
八尋が私以外の誰かを好きになるなんて認めない。
私も人並みに恋人がいた過去はある。
どの相手よりも八尋が大切すぎて、まともな恋愛にはならなかったけども。
八尋以外に大切に思える男なんていない。
「……それなのに、彼は私を見捨てるの?」
こんなにも想っている私より、好きな女の子を作ってしまうの?
不安が大きくなるたびに、私はどうすればいいか分からなくなる。
けれども、事態は私の気持ちなんて無視して進んでいく。
私が偶然、目撃したのは朔也さんが相手の女の子を、八尋に紹介している所だった。
照れくさそうに彼女と接する八尋。
一目見れば分かる、彼女に恋をしてるんだってことくらいは。
嫌だ、こんなの嫌……。
どうして、こんなことになったの?
私だけの大切な存在でいて欲しかったのに、恋なんてして欲しくなかったのに。
私の怒りの矛先は……ひとりの相手に向けられていた。
「――鳴海、朔也っ……!」
彼さえいなければ、八尋と彼女の仲が進展する事なんてなかった。
だって、弟は奥手だもの、自分から声をかけるなんて真似はできなかったはず。
その恋愛感情も自然消滅するはずだったのに。
余計な真似をしてくれた朔也さんに対しての怒り。
全ての怒りを私は彼に向けていた。
ついに私の怒りは爆発する。
朔也さんは八尋に変化を与える危険な存在だ。
これ以上の介入はして欲しくないし、私はそれを許さない。
怒りの気持ちを持って、私は彼と話をすることに。
だけども、彼は彼で私にこんな事を言ってきたの。
「少なくとも、北沢先生よりは彼の気持ちは分かります。同じ男としてね」
「どういう意味かしら?」
「貴方のしている事はただの過保護。可愛い弟の面倒みるだけならまだいいですが、姉に恋愛まで管理されちゃ八尋も可哀そうだと言っているんです」
「可哀想?」
「彼も高校生だ、自由に恋もする。貴方も気づいてるんでしょう。八尋には好きな子がいます。恋を応援するのも家族ってものでしょ」
――何を勝手なことをッ!
他人の口から告げられた真実に私の苛立ちは頂点に達した。
「なっ!? 可哀想ってどういう意味?私は八尋のためを想って……」
「彼の恋愛の邪魔をしてあげないで欲しい。それに貴方は八尋には姉弟として苦手意識まで抱かれているようです。やりすぎなんですよ」
やめて……やめて、やめて、やめてッ――!!
あの子が、八尋が、私を拒絶してる心があるのには気づいて。
でも、それが現実なんだって信じたくなくて。
私のしている事、何も間違っていないはず。
姉が弟を想う気持ちの何が悪いの?
「鳴海先生は余計な事をしないでよ。あの子に変化なんて与えないで」
「それは貴方の身勝手な思いだ。決して、八尋のためじゃない。貴方のためでしょ」
「だから、何よ。あの子の事を一番想ってるのは私。私があの子にしてあげてる事は全て正しいのっ。間違ってなんていない。関係ない貴方に何かを言われたくなんてないっ」
怒りが、止められなかった。
真実を、告げるその口が、許せなかった。
私は正しい、何も間違えてなんていない。
私が八尋にしてきた事、その想いは……。
私にとっては間違えていないけども、八尋にとってはどうだったんだろう。
大切にしすぎて、大事にしすぎて、自分でそれを壊してしまったんじゃないか。
……辛い現実に気付きたくなかった。
朔也さんがいなければ、きっと私はこの現実に気付かずにいられた。
思春期の弟が私を避けるようになってる事も。
他の女の子に興味を持つ事も。
見たくない現実を、無理やり私に見させて何が楽しいの?
職員室を飛び出して私は怒りのぶつける場所がなくて廊下に座り込む。
「……八尋、貴方の気持ちは?」
そして、気づいてしまうんだ。
私と一緒にいる時の八尋は最近、笑顔を見せてくれていなかったことに。
朔也さんは違った、あの子の事を男として理解していて。
あの子に、好きな人と会わせる事で“笑顔”を見せてくれた。
「分かっていたのよ、本当は……」
私が間違いで彼が正しい事も。
私の怒りは、悔しさなんだってこと。
私にはできないことを、簡単にしちゃう朔也さんに対しての悔しさ。
「あんな人……嫌い、嫌い、大嫌い……」
誰もいない廊下に座り込みながら、複雑な心境のまま泣きそうになりかけていた。
朔也さんと喧嘩をした夜遅くになって、ほわちゃんから電話がかかってきた。
こんな時間に電話をしてくるなんて珍しい。
「こんばんは、ほわちゃん。珍しいね、寝る前に電話なんて……」
『結衣先輩。何で、鳴海君と喧嘩なんてしたの?』
ほわちゃんの用件は私にとっては思い出したくない彼の事だった。
「……あの人は私の邪魔者だもの。私がずっと大事にしてきたモノをあっさりと壊そうとするんだよ。許せるはずがないじゃない、認められるはずがないじゃない」
『八尋君の事も聞いた。彼、好きな人ができたんだって』
「そう、らしいわね。その相手を紹介したのは朔也さんなの。男同士で何か分かりあう事でもあったのか、最近、仲が良くてね。八尋もお兄ちゃんみたいに思ってるのか、変な感じ。ちょっと気にしてたら、結果はこれなんて笑えないわ」
こんな事になるのなら、家になんて招くんじゃなかった。
少しでも仲良くしようと思っていた私自身に腹が立つ。
電話で話をしながら、ほわちゃんは朔也さんのフォローをしていた。
『鳴海君って、良い人なんだ。八尋君の悩み、解決してあげたかっただけだと思う』
「……良い人なわけじゃない。私にとっては最悪の結末だもの」
『先輩の気持ちは分かるけども、八尋君だって、もうひとりの男の子じゃない。今回の事は鳴海君の方が正しいと思うんだ』
「ほわちゃんまでそう言う事を言うの!?」
私は電話越しに不機嫌な声をあげる。
『ひっ!? で、電話で大声はやめてよ、びっくりするじゃない。あ、あのね、先輩。そろそろ、弟離れしたりは……』
「しません。絶対にするものですか」
『でも、向こうはいつか姉離れしちゃうかもよ』
「……そんなの、嫌だ。そんな現実は認めません」
結局のところ、私は現実から目をそらしたかっただけなのだ。
八尋の気持ちは既に私にはないなんて……信じたくもない。
「大体、ほわちゃんは朔也さんの事を擁護しすぎ。何よ、彼の事はただの後輩でしょ。私の味方でいなさいよ。そんなに彼をかばう必要ある? 恋愛相手でもあるまいし」
『……ぁっ……』
「ほわちゃん?」
いつもなら笑って誤魔化すはずの彼女。
けれど、今日の彼女は違った。
『笑わないで聞いてくれる、先輩? 前から気になる人がいたんだ。でも、今は、ものすごく好きなんだって気付いた。気づいちゃったんだよ、自分の気持ちに』
「え? それって……まさか、朔也さん? 冗談じゃなくて?」
『普段見る事のない人の弱い所を見ちゃうと、ダメだわ。彼にもあんな所があるんだって。私が傍にいて守ってあげたい、癒してあげたいって思う気持ちが芽生えるから』
幼馴染が初めて、私にした“恋の悩み”。
こんな形で聞くとは思いもしなかった。
『多分、私はこれからもっと彼の事が好きになる。意識しちゃったらダメなんだよね。気づいたら、止められないんだよ。好きだって気持ちだけは――』
照れくさそうに笑いながら、電話越しの彼女はそう呟いた。
私が嫌いだと思う相手を好きだと言う。
幼馴染に私は返す言葉が思いつかなかった。
鳴海朔也、やっぱり彼は私にとって嫌な人。
私の大事な人達に、私自身に、嫌になるほどに“影響”を与えてしまう男だから――。