第4章:危険な女《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
本日は入学式、朝から賑わう学校の職員室。
朝から沈んだ若い男女がふたり。
「……はぁ」
片方は、一昨日の飲み会で大失態を後輩に見せた女性。
「……はぁ」
もう片方は昨日の飲み会で間違いを犯した男性。
どちらも沈み切った表情を浮かべ、黙っていた。
後悔先に立たず。
酒は飲んでも飲まれるな。
……どちらも双方にとって頭に痛い言葉である。
やがて、村瀬先生の方が俺を伺う様子で声をかけてくる。
「あ、あのさ、鳴海先生? 一昨日の飲み会の事なんだけど」
「はい。あれですか?」
「……私、全然、覚えていないんだけど、何をしたのかな? 鳴海先生が私の家まで送ってくれたのは母から確認とれたんだけど、全く記憶になくて」
「お酒で記憶を失う事はよくあることですから気にしないでいいのでは?」
案の定、彼女に記憶はなかったようだ。
今の俺は人に説教を言える立場ではない。
彼女の失態など俺の過ちに比べれば可愛いものだ。
自虐的になる気分を抑えられそうにない。
「気になる言い方しないでよ。私がどんな失態をしたの?」
「聞いてショックを受けられても困りますから」
「……ホントに何をしたの、私?」
顔を青ざめさせながら俺の反応を確かめる彼女。
「お酒って怖いですね。気をつけないと」
「な、鳴海先生。教えてよ、私が何をしたの?」
「大した事ではないですよ(俺に比べれば)。名前の真白って呼んでくれと言われました。俺の事は朔ちゃんと呼びたい、と。それだけです」
「……ま、真白? 名前で呼べって言ったの?」
彼女は「それだけ?」と俺に尋ね返す。
あの時点ではまだ先生の恥も俺は笑い話にできたであろう。
同じ失敗して彼女以上の失態を犯した俺にはそれを笑う事はできない。
「まぁ、そうですね」
「そ、そうなんだ。でも、朔ちゃんか。可愛いかも?」
「可愛くないです。呼ばないでいいです」
むしろ呼ばれたくない、その言い方は好みではない。
「そっか。それだけならまだマシかな」
「いきなり脱ぎだしたとかはありませんでしたから、安心してもいいです」
「う、うん。ごめんね、色々と変な迷惑をかけたみたいで。それで、鳴海先生はどうして落ち込んでいるの?」
「……聞かないでください。俺、今、人生の分岐路に立ってるので」
人生っていうのはたった一つのミスで全てを壊すこともあるんだ。
そして、今が俺の人生の分岐点でもある。
ちくしょう。
「村瀬先生、お互いにお酒には気をつけましょう」
「う、うん……私も気をつけるわ」
反省するというのは大事だ。
本当に大事だと猛省する……。
「ふたりともどうしたの?そろそろ、入学式が始まるわ。村瀬先生は担任なのだから、早めに行った方がいいわよ」
凹みまくる俺達を南雲先生が不思議そうに言う。
「は、はい。すぐに行きます。鳴海先生も行きましょ」
「……そうですね。今日から頑張らないと。凹んでる場合じゃないです」
もう一度だけ深いため息をついて、気持ちを切り替える。
「仕事だ、仕事……がんばるぞ」
初めての教師生活、こんなので大丈夫なのだろうか。
入学式も無事に終わり、俺は1年の二つのクラスの副担任なので、大変だが二つのクラスに挨拶をしなくてはいけない。
村瀬先生が今後の説明などを教壇でしている端の方で俺は立っている。
そのAクラスで俺は先日会った、斎藤の妹、桃花ちゃんの姿を見つける。
彼女も新入生で、これからの高校生活に期待するひとりだ。
「朔也お兄ちゃんが先生なんだ?よろしくね~っ」
「……こっちこそ、よろしくな」
小声で挨拶をし合うと、にこっと彼女は可愛く笑う。
ホント、斎藤の妹とは思えないな。
記憶ではまだ本当に小さい子供だったので、あれからずいぶん成長したと思う。
「というわけで、皆さんは……ですから……」
俺は壇上を見つめながら村瀬先生の話を聞く。
新入生として緊張している生徒達もいる中でよく通る声。
先日の居酒屋事件がなけれ普通に良い先生だなと思える。
生徒に対しても情熱を持って接するというか、いい先生だ。
「……次は副担任の鳴海先生。挨拶をお願いします」
「あ、はい」
村瀬先生に促されて、俺も教壇の前に立つ。
ここに立つ日を夢見て教師になったんだよな。
生徒たちからの視線を受けながら俺は言う。
「入学おめでとう。今日から皆もここの生徒だ。初めまして、AクラスとBクラスの副担任になった鳴海朔也。教科は国語で、皆の授業も担当するのでよろしく」
「鳴海先生には副担任として朝のHRに代わりに出てもらったり、いろいろとこのクラスの面倒をみてくれることになっています」
挨拶を終えると俺はBクラスの方にも行かなければいけない。
「村瀬先生、俺はBの方へ行きます」
「はい。お願いしますね」
俺はもう一度生徒達の方を向いて軽く挨拶をしてから廊下に出る。
「緊張するな、教師って奴は……」
人前に立つ、この緊張感にも慣れなければいけない。
「今日から俺も教師だ。一人前になるぞ」
気合を入れ直して、俺は隣クラスのBクラスへ挨拶へと向かった。
「……村瀬先生、どうしたんですか?」
入学式も無事に終わり、生徒たちは既に家へと帰宅。
俺は職員室の自分の席でお茶を飲んでいた。
ただいま、明日からの一年生たちのオリエンテーリングの準備中だ。
書類作業に学校案内、それの他、もろもろ。
こういう雑務も新人の役目、下っ端は下っ端らしく頑張るしかない。
教師っていうのはこう言う地味な作業の繰り返しでもあるらしい。
先生の皆さん、学生時代に生意気を言ってごめんなさい。
そんな苦労を身にしみて感じつつ、俺は目の前の村瀬先生が気になる。
彼女は「うーん」と腕を組みながら何かを悩んでいる。
「鳴海先生……。今日の私って変じゃなかった?」
「変か変じゃないか問われれば、変ではなかったですね。一昨日に比べれば」
「うぐっ。あれと比べないでよ、普段は普通なのっ」
唇を尖らせ可愛く拗ねる。
あんまり飲酒の件を掘り返すのはやめよう。
……頭が痛い問題を抱えているのは俺の方も同じだし。
「初担任だからすごく緊張したのよね」
「挨拶は傍目に見る限りは普通にできてましたよ」
「そう。それならいいんだけど……今年はちょっとねぇ」
彼女は言葉を濁すとため息をつく。
「何か他に問題でも?」
「最初から問題が発生したの。ひとりだけ、問題児と言うか。その、はぁ……」
深いため息、この人がそれだけ疲れた顔をするのも珍し……くはないか。
今朝からずっとこんなローテンションだったな。
しかし、教師モードでは真剣に生徒と向き合う彼女らしくない。
「今日、ひとりだけ入学式に来てなかった子がいたの」
「そう言えば、空席がひとつだけ真ん中の方にありましたね」
入学式で休むのは病欠か?
どうやら、そうではないらしい。
「入学式、ボイコットされたわ」
「ボイコットって何ですか?」
「……国語教師ならば、意味ぐらいお得意の国語辞書で引いて」
意地悪な言い方だ、怒ってるのか、何だか不機嫌な様子だ。
「いや、さすがに意味は知ってますよ。その使い方があってるかどうかは別ですが」
「……入学式を休んだのよ。わざとね。集団行動が嫌いなんだって」
「はぁ、そんな生徒もいるんですか?」
せっかく、入学できたのだから入学式くらいでればいいのに。
「入学式の時、新入生代表の挨拶で少しざわついたでしょう?」
「言われてみれば確かに……挨拶したのは代理の子だったと聞いてます」
何やら直前になって学校に来ないと分かり、代わりの子がつとめたらしい。
学校側はそれを既に把握していたのか、すんなりと進んだので特に気にしていなかった。
「その新入生代表がうちのクラスの子なの。気難しそうかもって思ったらどう対応しようか悩んじゃって……。ふぅ、明日から来てくれるといいけど」
「彼女は不登校気味なんですか?」
「さぁ。前の中学では授業はちゃんと出ていたと聞いているけど、問題はありそうよ」
新入生代表と言う事は入学試験で最上位だったと言う事だ。
「頭はいいけど、問題ありってことでしょうか」
なんて、教師の俺が偏見なので物事を決めつけてはいけない。
「その子が来るのを待ちましょう。俺も副担任として村瀬先生を支えますよ」
「ありがとう、鳴海先生。頼りにしているわよ」
「はい。話は変わりますけど、オリエンテーリングの準備について……」
俺は何とか機嫌を戻した彼女に質問をする。
先ほどとは違い、彼女は俺の質問に答えながら仕事を始める。
俺達はまだ知らないでいる。
今日から始まる村瀬先生の苦悩。
この入学式から始まったのだ、と――。