第5章:危機再び《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
新学期が始まり、一週間が経過しようとしていた。
新入生諸君はようやく、高校生活がどういうものかと分かりかけてきただろう。
そんな頃、俺はある問題を抱えていたのだ。
職員室で教頭を前に悩みを告白する。
「教頭先生、お話があります」
「話とは? 鳴海先生が改まって言うのも珍しい」
「変な噂になる前に先に言っておきます。実はですね、俺、生徒に告白されて困ってるんですよ。どうすればいいんでしょう」
俺の悩みを告白すると、彼は大きくため息をつかれてしまった。
失礼な、こっちは真剣だというのに失笑か。
「はぁ。それは鳴海先生がモテるという事を言いたいわけですか」
「違います。子供にモテてもしょうがないです。村瀬先生や北沢先生にモテるならともかく、生徒から好かれても困るでしょ」
「……自分の欲望に素直な人だ。それで、その相手は誰なんですか?」
俺は名前を口にするのをためらいながらも言葉にする。
「新入生の星野茉莉です。星野家、先生も御存じでしょう。どうやら、俺は彼女に好かれてしまったらしいです。それで、妙な噂でも立つ前に、話を自分からしたわけですが」
「……星野? 星野茉莉?」
その瞬間、教頭先生の表情が固まる。
ついでに、こちらに好奇の視線を向けていた他の先生方も沈黙して、一気に職員室が静まり返ったのである。
この状況、なんですの?
星野家の影響ははかり知れず、恐るべき相手だと思い知ることになる。
「こほんっ。鳴海先生。問題とは自分で解決してこそ、価値があるものですよ」
「はい?」
「私は何も聞いてません。ご自分で解決してください。私から言える事は以上です」
危ない事には我関せず。
耳をふさいで、関わろうとしないのが賢明だ。
スルーか、スルーしちゃうのか!?
「え? あ、あの……?」
「鳴海先生は生徒の指導には人一倍熱心な方だ。貴方の熱意が誤った方向に向くとは考えにくい。えぇ、それを信じていますよ」
教頭は俺の前から慌てて逃げてしまった。
いつもは口うるさい教頭が何も言わずにあえてこの件を無視するとは……。
「星野家とトラブルになることには関わりたくないってか。マジかよ」
――星野家御令嬢、星野茉莉、恐るべし。
昼休憩、学校の食堂で俺は定食を食べいてた。
食堂には先生優先の席があり、そちらを使う事が多い。
「鳴海センセー♪」
すると、明るい声が食堂に響く。
星野がやってきた事に教師陣のほとんどが視線をそらした。
彼女は俺の背後に抱きついてくる。
「また星野か。もう昼飯は食べ終わったのか?」
「うぃ。だから先生に会いに来たんだよ~」
「お前も毎日飽きないね」
「飽きるわけないじゃん。センセーに会いに来るために学校に来てるんだから」
堂々とこんな事を言う彼女だが、他の先生方はスルーしている。
それも先日の彼女の言葉が全てだろう。
数日前、同じ場所で他の先生に注意されそうになった彼女はこう言った。
『――この私に何か文句言える人っています?』
笑顔の圧力。
権力者の言葉ってのは常に威力があるものだ。
星野家を敵に回す、それは非常に問題なようで。
犠牲になってるのは俺一人、だったら何も問題ないよね?
そんな感じで、皆さん、スルーを決め込んだらしい。
……権力と言う力の前に俺は他の教師達に見捨てられたのだ。
ただ、星野という女の子は悪い子ではない。
出会って一週間も経てば、少しは彼女の扱い方も分かってくる。
「ほら、暇ならゼリーでも食っておけ」
「食べる~」
俺は定食についていたゼリーを星野に手渡す。
彼女は俺の隣でそれを食べ始める。
「甘くて美味しい。安っぽいゼリーでも、センセーからもらうと満足できるから不思議。これが愛なのね。愛とは安いゼリーも美味しく感じさせてくれるの」
「……ゼリーがひどいいわれようだ」
あまり彼女を特別扱いすると他の生徒に示しがつかない。
……のだが、こうやって餌付けでもしておかないとうるさいのも事実だ。
「あら、また来てる。鬼畜教師、生徒を餌付け中?」
「失礼な!? 言葉が悪いですよ、村瀬先生」
「そう? 堂々としてるふたりに誰も何も言わないなんて不思議じゃない」
村瀬先生と北沢先生がこちらの席にやってきた。
他の先生と違い、このふたりだけは星野に対しても意見を平然と言える。
権力には屈しない、という信念ではなく単純な理由があったらしい。
北沢先生は穏やかに微笑みながら言う。
「先生をあまり困らせてはダメよ、茉莉ちゃん。貴方のお姉さんに注意してもらう?」
「……うっ、結衣センセーやめてよ。お姉ちゃんにだけは言わないでぇ」
びくっとする星野。
お姉ちゃんって誰だ?
「北沢先生。お姉ちゃんって、星野と知り合いなんですか?」
「えぇ。星野さんのお姉さんって私と同級生なのよ。星野雫(ほしの しずく)。彼女は私とほわちゃんの友人なの。妹の茉莉ちゃんが学校で何かしたら注意してあげてって言われてるわ」
「うぅ、雫お姉ちゃんは我が家で一番怖いの」
この星野がびくつくほどの相手らしい。
星野雫……星の雫か、星野家は可愛らしい名前が多い。
ちなみに星野と4つ違いの次女の名前は星野由愛(ほしの ゆめ)。
こちらは星の夢か。
星の雫、夢、祭り……お母さんの趣味でつけられた名前らしいが、すごいね。
「ツーン。私は鳴海センセーが好きなだけなのに」
「それが問題なんでしょ。教師と恋愛なんてうまくいくはずがない。さっさと諦めなさい。鳴海先生も星野さんを甘やかさない」
「村瀬センセーはやけにつっかかってくるね?」
注意をしてくる村瀬先生に不満そうな星野は唇を尖らせる。
「――もしかして、鳴海センセーに気があるとか?」
数十人はいるはずの食堂内が一斉に静まり返る。
……お前ら、どれだけ聞き耳立ててたんだよ。
それだけ注目されてる自覚はありましたが。
「なっ!? ち、違うに決まってるじゃない」
「ほわちゃん。なんで動揺するの? まさかホントに?」
「結衣先輩も変な事を言わないでぇ。こんな軟派で意地悪な人、興味ないから」
「……村瀬先生、はっきり言われると傷つきます」
俺は結構、繊細な心を持っているのよ。
もうちょっと優しく扱ってください。
「だったら、私とセンセーの愛の邪魔をしないで! センセーは私のものなんだからねっ! 村瀬センセーには渡しません」
「あのねぇ、それとこれと話が別でしょ?」
「やっぱり、鳴海センセーの事が好きなの?」
「だ、だから、違うんだってば!?」
星野と村瀬センセーの対立を楽しそうに眺める北沢先生。
「あらあら、鳴海先生はモテるわね」
「……純粋な意味でモテるならいいんですが」
こんな雰囲気が険悪なモテ方は嫌だ。
ざわめく食堂内では学生たちが俺達を見てこう言っていた。
「鳴海ハーレム、羨ましい。あんな3人の美女をひとりじめかよ」
「ずるい、先生だからってずるいよ、あれは」
「くっ。容姿がいいってのはあんなに勝ち組になれるのか。悔しいっ」
……いやいや、お前ら、これが楽しそうに見えるのか?
ハーレムなんてものからは程遠いものだぞ。
まぁ、3人の美女相手に囲まれるってのは嬉しいものだけどね。
放課後、仕事を終えた俺は斎藤の家でのんびりと雑談をしていた。
「斎藤よ、俺は今、人生何度か目のモテ期に入ってるらしい」
「よし、今からお前に知り合いのマグロ漁船を紹介してやる。海の漢になってこい」
「ちょ、おまっ!? 俺を陸から遠ざける気か。ひでぇよ」
「鳴海がモテる話なんて聞きたくないね。昔からいろんな女に好かれているくせに。神奈と君島さんはどうした。あれだけの美人も放っておいて、他の女か?」
そう言われてしまうと、俺には何とも言えないわけだ。
斎藤は自己責任だと、それを責めることはしない。
「まぁ、人生ってのはいろんな道があると思うんだ。運命っていうのかな」
「……運命を変えて、未来を変えるか?」
「結局、自分の運命なんて誰とどうなるなんて分からないからな」
数年後の俺の隣に誰がいるなんて、想像できない。
いろんな出会いがあって、恋をして。
未来の俺はどんな相手に恋をしてるんだろうか。
「鳴海の場合はいろんな選択肢がありそうでいいわな」
「はははっ。羨ましいか?」
「いや、全然。俺はちゃんと一途に思う恋人がいるし。将来はアイツと結婚するって明確な目標もある。お前と違って、未来がちゃんと見えてるからな」
「うぐっ……いいですねぇ、そっちの方が」
斎藤の恋人は美人だし、気がきく良い女の子だ。
まもなく結婚寸前だと本人からも聞いてる。
未来がはっきりしている、それは羨ましく思えた。
彼は俺に対してビシッと指をさした。
「お前も良い歳なんだから、そろそろフラフラしてないで、相手を決めろって」
「……耳に痛い言葉だ。俺はまだまだ女の子と遊んでいたい年頃なのです」
「さっさと遊びを卒業しろっての。ハーレムでも作るつもりか、ったく」
俺だって、そろそろ自分の未来を決めなきゃいけない年頃なんだな。
運命が変わる、未来を変える、か――。