第3章:運命の人《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
入学式当日、俺は朝早くから職員室で仕事をしていた。
今年も副担任ということで、プリントの用意やら確認やらで忙しい。
「おはよう、鳴海先生」
「あー、おはようございます、北沢先生」
「先生も大変ね。頑張ってるじゃない」
朝から俺を幸せにしてくれる美女登場。
色気のある雰囲気に俺はすっかり虜ですが何か?
「そうだ、先生。聞いておきたいことがあるんです」
俺はさっき見つけた、気になる事を尋ねる事にした。
それは入学式の新入生代表の名前だ。
『新入生代表、北沢八尋』
美浜町では北沢の名字はあまりないので、もしやと思った。
「これなんですが、代表の北沢八尋って男の子はもしかして弟さんですか?」
「くすっ。正解、八尋は私の弟よ。両親と離れて暮らしていて、今はふたり暮らしをしているの。昔から成績がよくて私の自慢の弟なの。今日も朝から新しい制服を着て、とても似合っていたわ」
弟さんがすごく大事なのか、うっとりとした表情で話す彼女。
……何だか意外だが、家族が大事なのは良い事だよな。
「今日の代表挨拶の時に見てあげて」
「了解です。先生は弟さんを大切に思っているんですね」
「当然じゃない。姉弟として、大切よ」
俺もこんな風に想われてみてー。
とか、そんな事を考えながらプリントをまとめる。
「俺はこれを教室に置いてきます。もし、村瀬先生が来たら、教頭先生が呼んでいたと伝えておいてください。昨日の件で話があるらしいので」
「えぇ、分かったわ。昨日は災難だったって彼女から聞いたわ」
「ホントですよ。ああいうアクシデントは勘弁してほしいです」
昨日の閉じ込めの件だが、なぜか教頭の耳に入ってしまった。
あの時間帯に俺達があそこにいたのも悪いのだが、ちゃんと施錠する際に確認しなかったことについては謝罪された。
これが生徒だったら大きな問題になるから気を付けてもらいたい。
これで、村瀬先生も機嫌が少しはなおると良いんだけど。
俺はプリントの束を抱えて1年の教室へ歩き出す。
「今年の新入生はどんな子達だろうか」
去年は、教師としての最初の問題として、黒崎千津の騒動があった。
最初から不登校が続いて、たまに来ても村瀬先生の授業をボイコット。
夢を諦めたくない少女のささやかな抵抗。
親との確執、諦めきれない夢と現実。
それでも、千津は問題を乗り越えて悩みは無事に解決できた。
「今年は千津のような問題がない事を祈ろう」
問題や騒動は何度も起きてもらうと困る。
結果的に千津は天文部に入部して、いまや部員のひとりとして親しいのだが。
何事も問題がない事が一番いいのだ。
まだ誰もいない教室に俺はプリントを置いていく。
副担任としての役目ってのは雑用が主である。
「……さぁて、今年も一年、またよろしくな」
俺は教室にそう呟いてから廊下に出た。
そろそろ入学式も始まる時間たちが近づいてきていた。
「おや?」
それは体育館へ行く途中の事だった。
渡り廊下へ通じる階段、前から一人の少女が階段を下りてくる。
「……~♪」
今日、この時間帯に校舎にいると言うことは新入生だろう。
携帯電話を片手に持ち、液晶画面に視線を向けている。
あれは、危ないなぁ。
注意でもするか、いや、そこまで子供じゃないだろうし。
俺がそう思っていたら、案の定、彼女はつまずいたのだ。
「……え?」
少女の小柄な身体が宙を舞う。
「――きゃっ!?」
ガタッと言う音をたてて彼女は階段から転げおちた。
ほら、言わんこっちゃない。
俺は駆けよると彼女に近付いて声をかけた。
「大丈夫かい?」
廊下に倒れて、尻もちをついていた彼女は俺を見上げた。
誰かに見られてたと言う事に恥じらったのか、頬が赤くなる。
「……カッコいい」
あまりにも小声で聞き取れなかった。
彼女は俺の顔をジッと見つめてくる。
数週間前まで女子中学生とは思えない大人びた顔つき。
小柄な身体に、ショットカットの黒髪がよく似合う。
きらめく瞳は大きく、可愛らしい印象を抱いた。
「怪我はないのか?」
「え? ……あっ、痛いっ」
彼女は足を押さえて涙目になる。
痛みが遅れてやってきたらしい。
「足をひねったのか?」
「分かんない」
彼女はこちらに助けを求めてくるような涙目の瞳を向けた。
「悪いな、少し触るぞ」
俺は彼女の細い足に触れてみる。
足首を触ると彼女は痛みに苦痛の表情を浮かべた。
「足首か? ここが痛いんだな?」
「う、うん……変な感じ、ズキズキするのに鈍いような」
「それは捻挫だな。落ちた時に足首を捻ったんだよ」
俺は腕時計を見ると、もう入学式が始まる時間帯だった。
このまま放っておくわけにもいかない。
俺は携帯電話を取り出して、すでに来ているであろう村瀬先生に連絡をする。
「……村瀬先生、俺ですが」
『遅いよ、鳴海先生。もうすぐ入学式が始まるんだから体育館に集合っ!』
俺を叱る彼女に苦笑いをしながら、
「すみません。生徒の一人が階段で転んで怪我をしたんです。入学生だと思うんですが、彼女を保健室へ連れて行くのでふたりとも遅れます」
『えー、怪我?大丈夫なの?』
「多分、捻挫だと思います。名前は……えっと、少し待ってください」
俺は足を押さえてうずくまる少女に名前を尋ねた。
「キミの名前は?」
「私は星野茉莉(ほしの まつり)、入学生だよ」
「星野さんか。先生、星野茉莉さんと言うそうです」
星野茉莉……繋げて読むと“星の祭り”、洒落た名前である。
俺が告げた名前に電話先の村瀬先生が驚いていた。
『星野? 星野茉莉って……茉莉か。うん、よく知ってる。私の先輩の妹だから。そして、今年の一番の問題児でもあるわ』
「問題児って……知り合いなんですか?」
『彼女の話はあとで。とりあえず、彼女を保健室に連れて行ってあげて。先生達が遅れる事は伝えておくから』
そちらは先生に任せる事にして、俺は電話を切る。
今は彼女の治療の方が先決だ。
「ほら、立てるか? 保健室に行こうか。肩を貸そう。どうした? 傷が痛むのか?」
「私、抱っこが良い」
「え?」
初対面の相手から望まれる行動ではない。
「い、いや。歩けないほど痛いのか?」
「立てないほどに痛いから抱っこして?」
「えっと……背中に背負うと言うので、手を打たないか?」
「いや。お姫様抱っこが良いよ」
にっこりとほほ笑む顔も可愛いのだが、とんでもない事を言う美少女である。
お姫様抱っこなんてファンタジーだろ、実際にした事ねーよ。
だが、俺は可愛い女の子のお願いには弱いのだ。
というか、放っておいても解決しないのならしょうがないでしょ。
俺は誰も見ていない事を祈りながら、
「……ったく、甘えたがりなお嬢様だな」
彼女の要望に応えて、そっと身体を抱きあげた。
星野は思ったよりも軽く、嬉しそうに俺に身体を寄り添わせる。
「こんな風にされるのって、気持ちがいいね。まるでお姫様みたい。先生のお名前は?」
「鳴海朔也、一年の担当だ。もしかしたら、星野のクラスの副担任になるかもしれない」
「ホントに!? 嬉しい。鳴海センセー♪」
嬉しそうな彼女、年相応な可愛らしさだ。
鼻孔をくすぐるような甘い花のような香り、香水ではなく彼女自身の香りなんだろう。
「こんな所を誰かに見られたくはないな」
「えへへっ。ふたりだけの秘密だね」
「……秘密、ね?」
甘えてくる彼女を抱き抱えながら保健室まで送ってやる。
幸いにも怪我は全治数日の軽い捻挫だった。
そのまま、俺達は遅れた入学式に向かうことにした。
入学式では、北沢先生の弟が立派に新入生代表挨拶をつとめていた。
爽やかなイケメンで、女子から人気が出そうなタイプだった。
入学式が終わり、俺は先にAクラスの副担任の挨拶をすませる。
それも終わり、次はBクラスの村瀬先生のクラスだ。
教室につくとちょうど生徒達の自己紹介をしている最中だった。
俺は途中に割り込む形で、軽い自己紹介を済ませる。
「このクラスの副担任をする、鳴海朔也です。一年間、よろしくな」
俺がクラスメイトの子達の顔を見渡すと、先程の少女、星野茉莉が手を振っている。
「鳴海センセー」
あの子、このクラスだったのか。
ちょうど、次は星野茉莉の自己紹介の番だった。
「私の名前は星野茉莉。第一中学校から来ました。趣味は……」
美浜町には2つの中学しかないから、半分近くは顔見知りと言う事になる。
彼女の事を知ってる生徒も大半らしくて、美少女とは言えざわめく気配はない。
だが、油断は大敵。
最後に思わぬ爆弾発言をしたのである。
「最後に、私の好きな人は……目の前にいる“鳴海センセー”です♪」
まさかの展開。
自己紹介中に、笑顔でさらっと大胆告白に教室中がざわめいた。
「「――えーっ!?」」
あ然とする村瀬先生。
思いがけない告白にざわめく生徒諸君。
「何? な、鳴海先生? どういうこと?」
「なぁっ……!?」
何より一番驚いてるのはこの俺なわけで。
どういう事だって、誰か説明してくれ。
「ふふっ。鳴海センセー、愛してるよ」
小悪魔的な微笑を浮かべる星野。
今年の1年生も、さっそく頭の痛い騒動を起こしてくれたのだった。