第2章:屋上の夕焼け《断章3》
【SIDE:村瀬真白】
「はぁ……ホント、助かったわ、お父さん」
屋上に閉じ込められるというアクシデントに私はぐったりと疲れていた。
普段は自転車で通勤してるけども、今日は疲れたので父の車に乗せてもらう。
偶然にも校長である私の父が運動場を通りかかり、助けてもらえた。
「びっくりしたよ。あんな場所で鳴海先生と何をやっていたのやら」
「ただの雑談よ。そうしたら、教頭先生の罠にはまったの。屋上に誰もいないか確認しないで施錠なんて……これが生徒なら大きな問題じゃない。おのれ、許さん」
「まさか、まだ残っている人間がいるとは思わなかったんだろうな」
苦笑いされるがこっちはそれどころではない。
教頭には文句を言いたいけども、今回の事件を明るみにするのも嫌だ。
ムカつくけど、教頭先生には黙っておいてもらおう。
「しかし、最近は鳴海先生と一緒にいる事が多くないか?」
「そう? 普通の付き合いだと思うけどなぁ」
親としてはそんな事も気になるんだろう。
彼が気になるのは事実でも、まだ恋をしているわけではない。
余計なお世話なのでそれ以上の追求には答えない。
「まぁいい。彼は最近、ずいぶんと明るくなった気がするよ。最初の頃よりも、学校に慣れて余裕が出てきたと言うところかな」
「それだけじゃないと思うけど……」
鳴海君はかつての失恋を引きずっていたと言う。
今はそれもようやく振り切り、本来の彼を取り戻しただけ。
それがあんなに意地悪で軟派だとは思っていなかったけども。
「そうだ、懐かしい結衣ちゃんがこっちに赴任してきただろう。もう会ったかい?」
「会ったわよ。先輩、隣街の大きな高校の先生やってたのに」
「人事異動は普通にある事だ。それに彼女は元々、この町の生まれでもあるからね」
「……なんか、その辺にあの人の企みもありそうなんだけど」
先輩と同じ職場になるのは嬉しい。
だけど、先輩には誰にも言えない“秘密”がある。
今回のこと、そっち絡みじゃないかと思ってしまう。
タイミングがあっただけなんだろうけども……。
「真白。そろそろ、家に着くよ」
先輩は今も昔も変わってないな、と思ったりするのだった。
家についてのんびりとしていると、結衣先輩から電話をもらう。
『ほわちゃん、お疲れ。今から会えない?』
「いいですけど、どこです? お酒は飲みたくないけどね」
『明日、入学式があるのに、ほわちゃんにお酒を飲ませたらダメなのは分かってる』
先輩に誘われたのは、彼女の家だった。
私の家からもそう離れていない高台に家が建っている。
両親と離れて暮らしている、先輩は弟と二人暮らしだ。
職場が違ったから、ここ最近はあまり訪れる機会がなかった。
インターホーンを鳴らすと、八尋君が出てくれた。
今年、高校生になる先輩の弟、北沢八尋(きたざわ やひろ)。
少し童顔な大人しい男の子である。
「あっ、真白さん。こんばんは」
「こんばんは、八尋君。結衣先輩に誘われたんだけどいる?」
「えぇ、姉さんならリビングの方に。そうだ、これからは先生って呼ぶことになるんですよね。明日からお世話になります」
彼は明日から美浜高校に通う、私の生徒になる。
八尋君は成績も優秀で礼儀も正しい良い子だ。
明日の新入生代表の挨拶にも選ばれたって聞いている。
「うん、よろしく。先輩も一応、今日からうちの学校の先生なわけだけど」
「うぐっ。そうなんですよね。人事異動で学校が変わったらしいです」
彼は複雑な表情を浮かべて見せた。
この姉弟は仲が悪いわけでは決してない。
ただ、問題はあるわけで……私としては彼を応援するしかない。
「結衣先輩は2年生の担当だよ。本人は不満そうだったけども」
「それを聞いて少しだけホッとしました」
「あはは……。先輩の事はおいといて。楽しい学校生活を送ってね」
彼の肩を軽くたたいて励ましながら、私はリビングに入る。
そこにいたのはソファーでくつろぐ結衣先輩だ。
「こんばんは、結衣先輩」
「ほわちゃん、いらっしゃい。ほら、座って」
私はソファーに座ると、先輩はにこやかな笑みを浮かべる。
彼女はコップにジュースを注ぎこんでいく。
「はい、ほわちゃんはジュースでいい? 私はお酒にするわ」
「先輩みたいにお酒に強い人が羨ましい」
「ふふっ。ほわちゃん、お酒弱いのにお酒が好きだから可哀想よね」
酔ってひどい目に会うのは目に見えてる。
残念だけども、明日を二日酔いで過ごすわけにもいかない。
私はまた1年生の担当だから、忙しいの。
彼女はワイングラスを傾けて、私のグラスに当てる。
「「乾杯」」
先輩とこんな風にゆっくりとお話するのは久しぶりだった。
お互いに教師の仕事が忙しいので、時間が合う事も少ない。
「……へぇ、今日、そんなことがあったの。大変だったわね」
「ホント、危うく、屋上で一夜を過ごすなんて事になる所だった」
私は先程の事件の事を彼女に話す。
今頃もまだあの場所に閉じ込められたままだと思うとぞっとする。
「鳴海さんがいてよかったじゃない。彼のこと、気に入ってるんでしょ。ふたりが話している所を見ていれば分かるわよ」
「なぜ皆もそろって同じような事を……」
「貴方って、昔から好きな人と嫌い人って自分の中の線で区切ってる。それを態度ではっきりとしているから分かりやすい。彼はほわちゃんの線の内側にいる男の人なんだ」
「……んー、分からない。私にとって彼が特別なのかどうかは微妙かな」
最近、一緒にいる事が多いのは偶然だ。
それでも、彼を特別に思う気持ちが芽生え始めているのは事実。
それがただの友達としての気持ちか、恋なのか、その辺は判断に迷う。
今は仲の良い同僚として、後輩としての気持ちが強い。
「それなら、私が彼を狙ってもOKだってことかしら」
先輩はワインを追加でグラスに注ぐ。
赤い液体が揺れる、その様を私はジッと見つめる。
「……先輩が彼を狙う? ないでしょう?」
「あら、どうしてそう言い切れるの?」
「だって、先輩はひとりの男の人にしか興味ないじゃない、珍しい。鳴海君がそんなに気にいった?」
彼女の男性の趣味は一言で言えば普通と違う、ていうか変わってる。
今さら、誰かを恋人に選ぶことはきっとない。
「そうね。気にいったかもしれないわ」
「あら、意外。結衣先輩が男性を気にいるなんて珍しい」
「ほわちゃんは私が他の男に興味がないって思いすぎ。人並みには異性を思う気持ちはちゃんとあるわよ。付き合いだってあるんだし」
「……すぐに破局するのがいつものパターンですけどねぇ」
「余計なことを言わないで。それに、彼って面白そうな感じがするもの。一緒にいれば楽しい、そんな直感があった。それって大事なことだと思わない?」
結衣先輩が静かに口元に微笑を浮かべる。
この顔は要注意、何かを企んでいるのかもしれない。
「……結衣先輩がいかにも悪女っぽい、悪い顔をしてるから怖いわぁ」
ワインを飲む彼女に私はそう呟いた。
でも、鳴海君を油断しない方がいい。
案外、弄ばれるのは結衣先輩の方かもしれないよ?