第1章:舞い散る桜《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
その日、俺は休日をのんびりと過ごしていた。
釣りでもしに行こうか、このままダラダラと寝転がっていようか、悩む所だ。
テレビを眺めていると高らかに家の外からバイクの排気音が鳴り響いていた。
「このエンジン音、大型バイクだな」
良い趣味してる音がするぜ。
やがて、静まり返ると、家のドアの呼び鈴がなる。
どうやら来客らしい。
俺がドアを開けると、ライダースーツを着た村瀬さんが立っていた。
この姿の彼女は相変わらずカッコいい。
「おはよう、鳴海君。今日は暇かしら?」
なるほど、さっきのバイクのエンジン音は彼女の愛車の音だったのか。
「めっちゃ、暇っす」
「あははっ。その顔を見れば分かるわ。近くを通ったから声をかけたの。どう、これから一緒にお出かけでもしない?」
オートバイは村瀬さんの趣味だったよな。
彼女の趣味はバイクであり、大型バイクを華麗に乗る女性ライダーでもある。
俺も彼女の元愛車をもらい、自分の足代わりに使っている。
「お花見にもいい時期だし、天候も最高にいいじゃない。こんな日に走ったら最高に楽しいわよ」
「朝から元気ですね、村瀬さん。まぁ、いいですけど」
俺も暇でボーっとしてるよりはマシだ。
何より美人のお誘いならば断る理由もあるまいて。
「すぐに着替えるんで、ちょっと待っていてください」
「うん。外で待ってるから早くしてね」
さっそく、外行きの服装に着替えることにした。
彼女と一緒にバイクで走るのはこれが初めてというわけではない。
今日みたいにフラッとやってきては一緒に走りに行く時もある。
「さぁて、着替え終了。遊びに行きますか」
美人なお姉さんとツーリングする休日。
「いいじゃないか、実に良い」
せっかくの休日は楽しまなきゃ損だからな。
村瀬さんとバイクを走らせること、1時間が経過した。
さすがと言うべきか、彼女は運転も上手い。
さらに言うと、乗ってるのが大型バイクなので、正直に言えば俺はついていくのがやっとだった。
マシンと運転技術の相乗効果は恐ろしい差を生むのだ。
「細かい事を気にせず、楽しんで乗ればいいんだけどさ」
俺達は休憩するために公園に立ち寄ることにした。
バイクを止めて一息つきながら、缶コーヒーを飲む。
「どこまで行くんですか?」
「ん? 山奥だよ、私についてくればいいわ」
「まだかかります?」
「そうだねぇ。あと30分くらいで目的地に着くかなぁ。なぁに、もう疲れたの?」
休憩しながら俺は彼女に目的地を尋ねていた。
最初に桜のお花見をしにいく、という事だけを聞いたが、どこにいくのかは分からない。
「疲れてはいませんけどね。桜を見に行くんでしょう? その辺の桜でもいいんじゃないかって思っただけです。ほら、その辺の道沿いも綺麗に咲いてるじゃないですか」
今、俺達が休憩している公園の近くにもちらほらと桜は咲いてる。
今週はどことも見頃で、俺も昨夜は友人達とお花見の宴会をしてきたばかりだ。
「あー、ダメダメ。ソメイヨシノはつまらないじゃない」
「……ダメっすか?」
「ソメイヨシノって日本のどこにでも生えている桜の木でしょう。これはこれで綺麗なんだけど、個性がないんだよねぇ。ソメイヨシノって人工的な桜じゃない。せっかくなんだから、本物の山桜が見たくない?」
アウトドア派の彼女らしく、今回の目的は“山桜”らしい。
そういや、ソメイヨシノってのは観賞用の桜だから短い期間しか見れないんだっけ。
本物の山桜はソメイヨシノと違い花が咲いている期間が長いと聞いた事がある
「山桜か。実際に見に行った事ってないかもしれません」
「お勧めのお花見スポットがあるのよ」
「迷子にならないようについていきます」
こんな山道で置いていかれたらそれまでだ、頑張ってついて行こう。
再びバイク乗って走りだす。
バイクに乗る爽快感を楽しみながら、俺達はさらに山奥へと向かっていく。
次第にその光景も桜並木へと変わりつつある。
「ソメイヨシノとは違う桜か?」
この辺りからはもう山桜なのだろうか。
やがて、村瀬さんのバイクがある場所に停車した。
俺もその隣にバイクを止める。
「目的地はここですか?」
「うん。ここから見えるあの場所が目的地」
彼女が指をさしたのは小さな広場のような場所。
そこには大きな桜の木が立っていた。
全長は十メートル以上の巨木、迫力のある桜だ。
花の色はソメイヨシノのような薄い色ではなく、深いピンク色をしている。
見事な桜を前に圧倒されてしまう。
確かにこれは個性的だな。
「綺麗でしょ。ここまで来ると、何も邪魔するものがないから静かだし。お花見するにはいい場所だと思うの。ほら、準備するから手伝って。シートのそっちを持ってくれる?」
彼女は持ってきたレジャーシートを桜の下に広げ始める。
俺も手伝いながら、ゆっくりとその場に座った。
「かなり立派な桜の木ですけど、樹齢何年くらいでしょうね」
「さぁ? でも、200年以上は経っている気がする。ここも、整備さえすればちゃんとした名所になるのに。駐車する場所もないから車も止められないし。だから自然が残っているってことでもあるんだけどね」
俺達のように路側帯にバイクを置くのが精一杯だ。
だからこそ、自然らしいとも言えるのだが。
「こちらの木は真っ白ですね。これも山桜ですか?」
隣の木はまた一味違う色合いの綺麗な桜だ。
彼女が山桜は個性的だと言った理由が分かった。
「そうよ。こうして山に自生している桜を山桜って呼ぶらしいわ。ソメイヨシノとか、人が植えたものは里桜ね。私はこっちの方が好き」
「品種改良もされてない、自然な桜の魅力ってのもいいですね」
ふたりで桜を眺めながらしばらくの間、沈黙する。
柔らかな木漏れ日。
桜を見上げると、花びらがひらひらと散る。
ソメイヨシノみたいに一気に散る様とは違い、わずかな花びらが風に舞う。
「心が落ち着きますね」
「鳴海君には似合わないセリフだなぁ」
「失礼な。俺はこうみえて、風情を大切にする男です」
「あははっ。ないない。言いながら口元がにやけてるんだもん」
笑われてしまったではないか。
まぁ、そんなものは言った俺も自分にあまりないと思うけどな。
村瀬さんにからかわれながら、お花見をしていると、彼女は自分のバイクに戻る。
彼女が持ってきたのはランチセットだった。
「そろそろ、お昼ごはんにしようか。ちゃんと作ってきてるんだ」
「手作りですか?」
「手作りだよ。あんまり自炊はしないけどねぇ。料理はできる方なの」
普段は両親と共に暮らしていると言う事もあり、自炊はしないらしい。
彼女がピクニックバスケットから取り出したのはサンドイッチだった。
「美味しそうなサンドイッチですね」
「好きなのを食べて。あと、これはお茶。どうぞ」
ペットボトルのお茶を手渡された。
あらかじめ、こんなのも用意してたのだろうか。
「いろいろと用意がいいですね」
「まぁね。もともと、お花見目的もあるからちゃんと準備してたの」
「もし、俺がいなかったら誰か誘っていたって事ですか?」
「うん。ひとりでお花見も寂しいじゃない。その時はバイクを嫌がる友達を誘ってた。以前に後ろに乗せてあげたらすっごく嫌がるのよ。怖い~って、ね。どうにも私の友達にはオートバイの魅力を理解してくれる子が少ないわ」
彼女の友達はバイクに乗せられるのが嫌いらしい。
「女の子なら仕方ないでしょう。村瀬さんって、どうしてバイクが好きなんですか?」
「私が最初に好きになったのは、憧れていた先輩がいたの。その人がオートバイに乗っていて、すっごくカッコよかったわ」
初恋の人がバイク好きだったとか、そう言う事か。
「彼女みたいになりたくて、私もバイクに乗り始めたらすっかりハマっちゃったの」
「……あれ?その人は女の人なんですか?」
「男の人だと思った? 違うよ、そんな話じゃないってば」
恥ずかしそうに語る彼女、バイク好きのきっかけは先輩だったらしい。
バイク乗りはカッコいい。
俺もそれが免許を取ったきっかけだったのでよく似ている。
ウェットティッシュで手を拭いてから、サンドイッチをもらう事にした。
見た目も綺麗で美味しそうだ。
「んっ。このサンドイッチ、美味しいですよ」
「包丁で切って、挟むだけなら誰でもできるけどね。マスタード、大丈夫?」
「これくらいならちょうどいいですよ」
ハムとレタスのサンドイッチはマスタードがきいていて美味しい。
卵サンドの方も美味しそうだし、料理ができると言うのは本当なのだろう。
「鳴海君は料理とかしないんだっけ?」
「あいにくと、料理もできる良い男ではないですね」
「料理はできないけど“良い男”だって言いきるんだ? 鳴海君って、確かに一流の大学でも出てるし、外見もカッコいいのは認めるけど、軟派な印象がマイナスポイントかな」
俺は「手厳しいですね」と苦笑いしておいた。