序章:夢と現実
鳴海朔也2年目の物語。心機一転、学園編です。
【SIDE:鳴海朔也】
教師になりたい。
俺がそんな夢を抱き始めたのは不登校していた時代にさかのぼる。
当時、特に深い理由があったわけでもないのに、俺は不登校気味になった頃があった。
思春期特有の悩み、些細なことだと大人になれば笑い飛ばせるほどのもの。
そんな俺に時に優しく、時に厳しく、励ましくれたのが当時の担任だった。
俺が教師と言う存在に憧れたのはその時からだ。
彼のような教師になりたい。
漠然な憧れはやがて、俺の人生の目標となった。
あれから数年の月日を経て、悩みや葛藤もあったが、今、俺は教師になった。
夢を叶えたことの充実感。
だが、夢という目標を達成しただけでは意味はない。
夢は現実になり、これからが本番だ。
俺が美浜町に戻ってきてから2年、俺の教師生活も2年目を迎えた。
「くしゅんっ」
「大丈夫ですか、村瀬先生?」
「んっ……花粉症ぎみかも。嫌だわ、この季節は……」
職員室の隣の席でくしゃみをした村瀬真白(むらせ ましろ)先生。
俺の先輩であり、去年からお世話になっている。
とても美人だが気が強い人だ。
でも、お酒に酔うと可愛らしく子供っぽくなる。
そのギャップもまた魅力なのだろう。
「はぁ、早く帰りたい。春休みのお仕事って気が楽だけど面倒よ」
「同感ですね」
ただいま3月下旬、生徒達は春休みの真っ最中。
長期休暇は教師も休みと言うわけでなく、事務仕事があるのだ。
有給消化したりする先生も多いので、それほど職員室に人は多くない。
「今年は誰か新人の先生が入る予定はないんですか?」
「そろそろ、後輩が欲しい? 残念でした。今年は新人さんはいません。人事異動も大きくなかったから。まったく、田舎の学校は変化が少ないわ」
「……マジッすか」
後輩ができるのではないかと思ったのだが。
この田舎には中々、来ないらしい。
「他の学校からの転勤してくる先生はいるらしいわよ。しかも、若くて美人らしい」
「マジッすか!」
「……なんか、そこで喜ばれると私の立場がないなぁ」
「村瀬先生も美人ですが、まだ見ぬ美人な教師も期待してしまうものでしょ」
綺麗な女の人が好きなのは男なら当然のことだ。
「ちなみに鳴海先生って年上が好みなの?」
「年上、年下、そう言うのは気にしませんけど、美人にはめっぽう弱いです」
「そーいうこと、自分で言う? 鳴海先生らしいけどさぁ」
村瀬先生に呆れられてしまった。
そんな会話をしていたら、真後ろを通った教頭先生に声をかけられた。
「鳴海先生、綺麗な女性だからと言ってすぐに手を出すような真似はしないように。あなたの手癖の悪さ、女性の扱いにおいては要注意です」
「あれ、俺はそんなに軽い人間だと教頭先生まで思われてます?」
「貴方の事は色々と町で噂になってますよ。プライベートな事まで口出しはしませんが女性関係が派手なのは生徒にも影響を与えるでしょう。今度赴任してくる先生にも、迂闊な態度はとらないように十分に気をつけてください」
「……き、気をつけます」
教頭先生は俺に釘をさすと自分の席へと戻っていく。
「なんてこった、俺って地味にそう言うキャラ扱いされてるのか」
「その自覚がなかったことに驚きだわ」
狭い町だ、いろいろと情報は筒抜けになるのも仕方ない。
俺はそんなに遊んでるように思われてるのだろうか。
「鳴海先生の噂って、二股交際とかいうアレでしょ」
「何もしてませんってば」
「モテるからって、二股はいけないんだぁ」
村瀬先生がニヤッとした顔で俺に言う。
変な噂が出回ってるのなら困った事だ。
「あいにくと二股するほどモテません。それに主義でもにんで」
「本当かしら?」
「本当です……ホントですよ? 浮気なんてしたことは……」
あぁ、学生時代にはありましたけどね。
俺は苦笑いでそれを誤魔化すしかない。
恋人みたいな子がいるのは事実ではあったけども。
千歳の事は2年も経てば、ある程度の心の傷も癒え、吹っ切れ始めた。
けれども、すぐに誰かを好きになるわけもなく。
いまだに俺は次の恋愛をする事もできずにいたのだ。
「鳴海先生、どうかした?」
「いえ、ちょっとした考え事ですよ。そうだ、先生。俺はまた副担任らしいですね」
「そうよ。今年も私の下で働いてもらうの。ふふふっ」
去年1年間、副担任として彼女を支えてきたが大変な仕事だった。
思っている以上に担任になると言うのは難しい事である。
「てっきり、今年は担任をさせてもらえるのかと」
「まだ早いっ。良い経験じゃない。私なんて2年目でいきなり担任だったし。鳴海先生は来年辺りから担任もするんじゃないかな」
「その覚悟もしておかなきゃいけないって事ですね」
「そう言う事で今年も私を全力でサポートお願いするわ」
彼女は生徒想いの良い先生だ。
だが、思い込みが激しく、こうと決めたら真っすぐにしかいかないのも問題である。
そう言う所をサポートするのが去年の俺の役目だった。
「頼りしてるわよ、鳴海先生」
「はい、こちらこそ」
俺の肩を軽くたたく彼女に俺は頷いておく。
また一年、頑張るとしますか。
その帰り、夕焼けの空を眺めながら俺は海沿いの道を歩いていた。
去年の今頃は失意のどん底にいた。
最愛の相手に失恋して、自分の夢さえ諦めようとして、そんな俺を救ってくれたのは、この町に住む友人達だった。
「……時間ってのはあっさりと過ぎていくものだよな」
人が前に進もうと、立ち止まろうと、時の流れは止まらない。
時間が解決する事もある、まさにその通りなんだと思った。
あっという間に過ぎ去った1年という時間。
「大人になると時間の流れが早く感じるってのは本当なんだな」
ひとり、そんな風に黄昏ていると、防波堤に座り込んでいる女性が見える。
その後ろ姿に見覚えがあったので、俺は声をかけた。
「……村瀬さん?」
「鳴海君? 今、帰りなんだ」
「最後に見回りをしてたので、こんな時間です」
座っていたのは村瀬さんだ。
俺達はプライベートでは互いに先生をつけない約束事をしている。
「どうしたんですか、こんな場所で?」
「んー、買い物帰りにちょっと夕焼けが綺麗だから見てただけ」
そう言われると確かに彼女は私服で、手にはスーパーの袋が握られている。
一度家に帰ってからこっちまで来てんだろう。
「村瀬さんって夕焼けが好きですよね」
「うん。綺麗な夕日って見ていると和まない?」
「確かに。時間を忘れる事はありますね」
「前に私のお気に入りの場所を鳴海君には案内した事があるじゃない。あそこは夕焼けが本当に綺麗に見えるんだ」
彼女のバイクに乗せられて案内された事がある。
「こんな風に夕焼けを見てると、悩みとかどーでもよく思ってしまうの」
「え? 村瀬さんにも悩みってあるんですか? マジですか、信じられません」
「あははっ。とりあえず、全力で殴ってもいい?」
「……ごめんなさい。意外だったもので」
目が笑ってなくて怖いです。
基本的に彼女はポジティブな性格だ。
悩みとかあんまり抱えるタイプではないと思っていた。
「言おうとしてる事は分かるけどねぇ。確かに私はあんまり、深く考えたりしないけど、悩みだってあるんだよ。夕焼けを見て忘れちゃう程度の悩みくらいはさ。仕事もプライベートもあるよ」
村瀬さんの視線は海に反射する朱色の輝きに向けられている。
「そう言う鳴海君の悩みは晴れたかな?」
「……はい?」
「キミと最初にあった頃はすっごく大きな悩みを抱えているように見えたわ。最初は教師になるって事に対しての気負いとかだと思ったけど、違ったみたいね。何か悩みがあって、それは解決できたの?」
あの頃の俺の態度は人から見ればそんなものだったんだろう。
俺ははぐらかさずに、彼女に語ってみる。
「好きな人がいなくなった。あの頃の俺はそんな悩みを持っていました」
「……亡くなったの?」
「いえ。事故で怪我をして、彼女は足に障害を負ったんです。けれど、その後、俺の前から姿を消して今も行方が分かりません。本気で好きだった女の子にフラれて、どうしようもなく落ち込んでたのが去年の俺ですよ」
軽い口調で言うと、村瀬さんは複雑そうな表情を見せる。
「それが今も恋人を作らない理由?」
「そんな所です。恋なんて真面目にしたのはその子が初めてだったんで」
「鳴海君に意外な過去があるのにびっくり。そっか、遊んでるように見えて、意外と恋愛には真剣なタイプなんだ?」
「どうでしょう。今まで何人も恋人を作って恋愛ごっこしてましたし、遊んでると言われてもしょうがないと思います。けれど、その子だけは別です。俺の人生で本気の恋をしたって言えるのは彼女だけですから」
その千歳への想いすら、今はもう俺の中に想う心は薄れ始めている。
時間の流れは人の想いを置き去りにしていく、良い意味でも、悪い意味でも。
「次はいい恋ができたらいいね」
「えぇ。そう思います」
俺は村瀬さんと同じように真っ赤な夕日を見た。
抱えてる悩みが消えていく。
その気持ちが分かる気がした。