最終章:再会を望んで
【SIDE:鳴海朔也】
結局のところ、俺は千歳の心情を理解してやれていなかったのではないか。
アイツとの交際を振り返ると、俺はそんな事をいつも考えてしまう。
千歳という女の子は純粋で、見た目や言動の子供っぽさに惑わされるが、俺と同じように20歳を超えた大人でもあった。
彼女を子供のように感じていた。
だから、俺は彼女の傷ついた心を理解できていなかった。
俺の前から姿を消した事も、別れの理由も。
どうしてやればよかったのか。
俺には今になってもその正しい答えがどうだったのか分からない。
……俺と言う奴は本当に恋愛が下手だな。
俺は教師になるために美浜町に戻ってきた。
そこでの生活は楽しいし、俺自身の心の傷は癒えてきつつあった。
けれど、千歳の事を少しずつ忘れていく事が怖い。
忘却は悪い事ではない、自然の流れだ。
彼女の存在を忘れる事を、彼女自身も責めたりしないだろう。
人は忘れていく、楽しい記憶も、辛い記憶も――。
「……ふぅ」
俺は学校の屋上でひとり、大きくため息をついた。
放課後の見回り中、俺は屋上にあがると暑い夏の空を見上げる。
教師の仕事も楽ではない。
この1年、何とか仕事をやってきたが、大変なものだと実感している。
当然、やりがいのある面白さも、同時に体感していた。
「んー、ため息なんて珍しいね。朔也先生?」
「お前か、千津。俺だってため息つくらいつくさ。そんな気分の時もある」
「……お悩みでもあるの? 私が相談にのってあげようか?」
千津に対して、俺は軽く肩をすくめて言ってやる。
「ないない。生徒に相談なんて乗ってもらう事は何もないよ。そういや、もう1年も前になるな。ここで登校拒否していた女の子の相談に乗ってやったのは……彼女は今、元気にやっているだろうか」
「うぐっ!? そ、そんな昔の話はもう忘れてよ~」
かつて、千津も登校拒否をしていた頃がある。
進路に悩み、外交官になりたい夢を諦めそうになり、親と喧嘩をしていた。
人にとっての夢は大事なものだ。
俺は千歳が後押しをしてくれなかったら、この夢を諦めてたかもしれない。
「……夢って、大事なものだよな」
千歳は叶えたのだろうか。
翻訳家になりたいと言う夢を。
今の俺にはそれを知るすべはないが、叶えていてほしいと願っている。
「夢? 先生はちゃんと自分の夢を叶えたんだからすごいじゃない」
「まぁな。千津もちゃんと夢を目指して頑張れよ」
「……なんか変なの、先生らしくもない。どうしたの?本当に何かお悩みでもあるのなら聞いてあげるのに」
「人生ってのは長くていろいろとあるんだよ。お前もそのうち分かるさ」
俺の言葉に千津は「おっさんくさい」と禁句を口にした。
そう言う事を言う奴にはお仕置きをしなくてはいけない。
「人をおっさん呼ばわりした千津に、天文部の部室倉庫の整理を命ずる」
「えーっ!? 私ひとりで!?」
「夏休みにまた流星群を見るために、泊まりがけの合宿をするんだ。その準備は必要だろう」
「私一人では嫌~っ。あそこは埃っぽいもん。朔也先生の意地悪っ」
ふてくされる彼女が拗ねる。
『朔也ちゃんは意地悪だよね。うん、意地悪さんだ』
その横顔にふと思い出してしまう。
別れた恋人の同じように拗ねた顔を……。
「……よく言われるのだが、俺ってそんなに意地悪かね」
「意地悪だよ。何て言うの、女の子をいじめるのを生きがいにしてるんじゃない? ドSの変態プレイとか好んでいそう」
「それは偏見だ。誰がしてるか。人聞きの悪い。そこまで極悪人ではないぞ」
自分じゃそんなつもりはなくても、いじめてしまうタイプなのだろうか。
部室の整理は確かに面倒だが、やらなくちゃいけない事だ。
夏休みに入れば合宿もあるのだ、さっさとやっておくに限る。
「仕方ない。俺も手伝ってやるからさっさと終わらせるぞ」
「はーい」
俺も部活顧問として手伝ってやる事にした。
今の俺の日常が過ぎていく。
毎日の繰り返し、教師としての日常は充実してるし満たされている。
だけど、今でも最愛の女の子の笑顔を思い出してしまう。
もう2年も経つのに忘れられない。
「今、お前はどこで何をしてるんだ、千歳? いつもの笑顔をみせてるか?」
俺が太陽なら、アイツは向日葵。
「俺はここで教師をやってるぞ。お前のおかげ夢を諦めずにすんだんだ」
快晴の空を眺めながら呟いた言葉は風に乗って消えていった。
【SIDE:一色千歳】
……。
朔也ちゃんに別れの手紙を送ってから2年の月日が流れた。
私はアメリカで自分の夢を叶えつつあった。
小さな仕事ではあるけれど、いくつかの翻訳の仕事もこなした。
翻訳家としての仕事は予想以上に大変だったけども楽しい。
「お足もと、お気をつけて。大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます。お手数をかけました」
「いえいえ」
私は手伝いをしてくれた駅員さんに頭を下げた。
すっかりと慣れた車いすに乗りながら、駅のホームに降り立つ。
気持ちのいい海風が吹く、穏やかな雰囲気の場所だった。
海の香りを運ぶ風が私の髪を揺らめかす。
「良い風ですね。海が近いんですか?」
「えぇ。この町は海だけが取り柄のようなものです。観光ですか?」
「……はい。似たようなものですね」
私はそう答えると、にっこりと微笑みを浮かべる。
『美浜』
そう書かれた駅名の看板を私は見上げた。
私が初めて訪れたこの場所は朔也ちゃんの生まれ故郷、美浜町。
私が愛した彼はここにいるんだ――。
アメリカで手術を受けた私は長いリハビリ生活を続けている。
いまだに両足で立つ事は困難だけど、わずかな光は見えつつあった。
車いすの使い方にもずいぶんと慣れたものだ。
先月に日本に帰国してからは、実家で翻訳家の仕事をしていた。
そんな夏のある日、私は旅行に行く決意をする。
目的地は……朔也ちゃんの生まれ故郷、美浜町。
海が綺麗な町だって彼が言っていたのを思い出す。
電車を乗り継いでいくと、たどりついたのは田舎ののどかな風景。
「まずは海が見たいなぁ」
私は駅を出ると、ホテルに行く前に海が見たいと思って、近くの人に道を尋ねる。
案内してもらった通りに道を進むと、駅からすぐの場所に海水浴場があった。
さすがに砂浜は一人で歩けないので、砂浜越しに眺める。
「うわぁ、綺麗な海。こんなに蒼い海って初めて見たかも」
きらきらと煌めく水面。
潮風香る、深く蒼い海の色に私は驚きの声をあげる。
雲一つない晴天の空の下、海で遊んでいる子供たちは楽しそうだ。
「……いいなぁ」
海を眺めると、すごく心が落ち着く。
「私も泳げたら楽しいのに。なんて、無理だけど……」
よくよく考えてみたら、足の障害の前に私は泳ぎが下手だったのを思い出す。
暑い日差しを避けるために、私は帽子をかぶりながら、そよ風を感じる。
「ここが朔也ちゃんの故郷なんだ」
私が美浜町に来たのには理由がある。
今さらかもしれないけれど、朔也ちゃんに会うためだ。
朔也ちゃんの前から姿を消してからの2年間。
私たちは一度も会っていない。
彼と別離した頃よりも、精神状態が落ち着いて、彼と別れた事を悔いていた。
どうして、私は別れる事を選んでしまったんだろうって。
ずっと彼に会いたくて仕方がなかった。
私から一方的に別れを告げた事もあり、彼に会いたいからと言って会う事はできない。
この2年で彼にも新しい生活がある。
きっと恋人だっているかもしれない。
その新しい日常を壊す事はしたくない。
これは私の我が侭なのだから……。
「……朔也ちゃん」
だけど、彼に会いたくて、ここまで来てしまった。
一目でいい、彼に会いたい。
私はその気持ちを抑えられなかった。
関係を戻したいとか、そんな都合のいい事を今さら言うつもりはない。
彼は私を許したりしていないだろうし。
自分勝手なこの気持ちにけじめをつけておきたかったの。
「ねぇ、朔也ちゃん。貴方の言う通り素敵な海だね」
私は海を眺めてそんな言葉を呟いた。
『海しかない、何もない町だけどな。良い町だと思うよ』
彼がそう言っていた故郷。
ここにいる、朔也ちゃんも同じようにこの空を見ているかもしれない。
「貴方は今、どこで何をしていますか?」
同じ空を見ていると信じて、空に向けて言葉を囁いた。
空は青く、海は広く。
美しい群青色の世界が私の目の前にある。
「――蒼い海に誘われて、ここまで来たよ。朔也ちゃん」
さざ波の音が響く海。
大好きな人に会うために、私は車いすを動かしながら海沿いの道を歩き始めた――。
【 THE END 】
千歳大学編、終了です。千歳完結編はまたいずれ。次からは学園編ということで、雰囲気をガラッと変えて、鳴海朔也の2年目を書いていきます。