第3章:2つの歓迎会《断章3》
【SIDE:鳴海朔也】
それは俺がまだ15歳で、中学3年生の卒業を間近に控えていた2月の下旬。
俺は親から転校の話を聞かされて、意気消沈していた頃だった。
まだ心の整理もつかず、町から去る事をどうしても受け入れられなかった。
東京に引っ越す。
それは仲の良かった皆とも離れ離れになるということ。
この町は小さいから中学を卒業しても、大抵は同じ高校に進学する。
いずれは町を去る人間もいる、それは町に住む子供でも分かる現実だ。
だが、こんなにも早く立ち去る事になるとは想像外だった。
それが俺にとっては苦痛だったのだ。
残りわずかで中学生活が終わる。
その終わりは俺にとって、美浜町とのさよならを意味していた。
ある日、俺は下駄箱に手紙が置かれている事に気づく。
『中学校の中庭に放課後に来て欲しい』
それがラブレターと言うものだと気づいたのは、直接待ち合わせの場所についた時だ。
俺を待っていたのは君島千沙子。
誰もが憧れる美少女で、人気者だった。
「あっ、朔也クン。来てくれたんだ?」
「君島、俺に何か用でもあった?」
「うん。もうすぐ卒業しちゃうからどうしても言いたくて」
彼女はほんの少し頬を紅潮させる。
何を言われるのだろうか?
美少女を前にして俺は心臓の鼓動の早さに驚いていた。
「あ、あのね、私は……朔也クンが好きなの」
「え?あ、え?それって?」
「もしよければ、私と付き合って欲しい」
告白なんてされた事もなくて、好きだと言われたのもきっとそれが初めてだった。
だけど、俺には運がなかった。
もう少しで引っ越してしまう俺には彼女との交際は選択できなかったんだ。
「……ごめん、君島」
「ううん、こちらこそ変な事を言っちゃた。やっぱり、朔也クンは神奈さんのことが好きなのかな?」
「神奈? いや、そういうんじゃなくて。俺さ、中学卒業で引っ越しするんだ」
「……それって、どういうこと?」
俺は彼女に事情を説明する。
東京に行くまで2週間も残されていなくて、まだ誰にも言えずにいた事も。
単純に怖かったんだ。
俺が一番最初に町を去る事を皆から責められることが……。
「そうなんだ。いなくなっちゃうんだ、寂しいね」
彼女は涙を瞳に端に溜め込んで言う。
「だから、ごめん。君島のこと、付き合うとかできない」
「う、ううん。そう言う事なら仕方ないよ。でも、まだ誰にも言ってないの?」
「どうしても言いづらくてさ」
「……ねぇ、朔也クン。皆にちゃんと言おうよ。きっと、皆も寂しがるから。早く言った方がいいと思うの。まだ2週間もあるんだよ?」
君島は告げる勇気を俺に与えてくれたんだ。
「お別れの時間くらい余裕を持ちたいじゃない。私なら、そうして欲しいもの」
君島の言葉に俺は「そうなのかな」と答える。
自分の事ばかりで、皆の気持ちを考えていなくて。
「私も手伝うから。ね?」
君島は俺に協力をしてくれた。
彼女の言うとおり、時間的な余裕を持って伝える大切さは確かにあった。
いきなりの事だが、別れ際ギリギリに言われるよりははるかにマシだ。
それまでほとんど接点もなかった君島とのわずかな時間を過ごし、距離も縮まっていた。
本当に時間さえあれば……タイミングさえあれば、俺達はきっと……。
それが中学の時の俺の記憶。
君島を含めた同級生との別れから7年、俺は再びここにいる。
「……夜桜が綺麗ねぇ。朔也クン」
「うん。本当にそうだな。桜なんてどこで見ても同じだと思っていたけど、この町の方が懐かしくて、良い気がする」
舞い散る桜をライトアップされて、夜空を舞う花びらは美しく見えた。
ピンク色の花びらが暗い闇を桜色に染め上げる。
「くすっ。そう?東京にも桜はあったでしょ」
「都会の桜の花見なんて人がいっぱいで大変でね。お花見どころじゃなくてさぁ」
「あー、テレビとかでよく見るものね」
話がはずむ俺達、君島はすごく話しやすい相手だ。
あの告白の事を彼女はまだ覚えていたりするのだろうか?
それとも、今は誰か付き合ってる男とかいたりするのかな。
雑談をしながらふと俺はそんな事を思っていた。
そんな俺の背後で斎藤と神奈が小声で言い合う。
「……ねぇ、美人。何で、この2人って仲が良いの?昔からこうだっけ?」
「そういや、中学卒業前くらいに一緒によくいるのは見かけたっけな。あの時は別にそれほど気にしていなかったが。相坂的に言うと気にいらないか?」
「な、何でよ。別に私は朔也のことなんてどーでもいいし。ふんっ。お酒が飲みたい、お酒の追加っと……え?」
いつのまにか君島が俺に身体の距離を縮めてきていた。
ほとんど寄り添うような形で、彼女は俺に微笑みかける。
「どうしたの、朔也クン?あっ、お酒が足りてない?」
彼女は新しいビールの缶を俺に手渡してくる。
「あ、ありがとう。せっかくだし、君島も飲めよ」
「えぇ、いただくわ。んぅっ……」
缶ビールを飲む彼女を横目に間近で見ると、君島は美人に磨きがかかっていると言うか、本当に魅了される存在だった。
「むぅ、近い。ふたりの距離が近いってば。あ、うわっ、何するのよ、美人?」
「お邪魔虫は退散だ、あっちのつまみを食いに行こうぜ。相坂」
「は?いや、ちょっと……うわぁー」
何か神奈の声がした気がするが気のせいか?
後ろを振り返り、斎藤に連れて行かれる神奈がものすごい形相でこちらを睨んでいた。
「神奈さん、怒ってます? あれ……俺、何かしたっけ?」
身に覚えがないんですが。
「あら、朔也クン。そんなに神奈さんが気になるの?」
「ん。そーいうわけじゃないけど。何か睨まれていてさ。何したんだろ、俺」
「よそ見なんてしないで欲しいわ。今だけは、ね」
ショートカットの艶やかな黒髪、香水の香りも俺の鼻孔をくすぐる。
俺の手の上に重ね合うように彼女はそっと自分の手をおいてくる。
体温が冷たいのだろうか、すごく冷たい手の温もり。
「今日は貴方が主役なのよ。もっと飲んだらどう?」
「明日も仕事だからな。そういや、君島って何の仕事をしているんだ? 漁港関係? それとも町役場とか?」
「違うわ。美浜ロイヤルホテル。あの山にある大きなホテルがあるでしょう。あのホテルのフロント係として働いているの」
「へぇ、そうなんだ。ホテルの従業員か」
ちょうど4年くらい前にできたホテル、高卒からずっとそこで働いていると言う。
ホテルができて雇用が生まれた、それはいいことだ。
「でも、ホテルの仕事って大変だって聞くけど?」
「そうね。辛いと言えば辛いけど、慣れているし問題はないわ。それを言うなら教師の方が大変でしょう? 子供やその親を相手にしなければいけない。責任もある仕事だもの」
「まぁ、俺の場合はその大変さも望んでいるところがあるからな」
教師と言う仕事にやりがいを抱く。
それはきっとただ生徒に授業を教えるだけの存在ではいたくない。
カッコいい事を言えば、誰かの人生にいい意味で影響を与えたい。
そのためには俺も教師としてしっかりと頑張らないといけないわけだが。
「……何だか、会わないうちに朔也クンって大人になったわね」
「そりゃ、当然だろ? 人が成長くらいには時間も経ってるわけだし」
「うん。7年だもの。当然か……」
俺が町を離れていた間に皆も、俺も成長してそれぞれの人生を歩んでいる。
「君島だってこれだけ美人に成長するくらいにはね?」
「ふふっ、ありがとう。口が上手なのね、朔也クン」
「偽らざる本音だよ」
こんな美人さんとお酒を飲めるのは男としては幸せですよ。
「お酒、足りてる? もっと飲んで、空の缶はこっちにおいておくから。どうぞ」
「サンキュー。それにしても、気遣いうまいね? 自然な仕草とか」
俺は新しいビールの缶を受け取りながらそう思う。
「そう? 接客業をしているからな?」
「君島が優しいからじゃないのか」
「褒めてくれて嬉しいわ」
連日の酒飲みのせいか、頭がぼんやりとしてくる。
君島や他の子たちと話をしながら俺はこの再会を大いに楽しんでいた。
「桜が綺麗だ、本当に綺麗……だな……」
……君島が俺を見て……わらっていて……ぐぅ。
いつのまにか、俺は眠るように意識を失った。
……朝、目覚まし時計の音がけたたましく鳴り響く。
「うぐぁ……やめてくれ、頭に響く」
窓から差し込む朝日が辛い、頭がズキズキと痛む。
俺は薄らと瞳を開けながら枕もとで鳴る時計を止めた。
確か、昨日は同窓会のような花見を皆でして……楽しかったな。
「さぁて、今日からまた仕事だ。頑張らないと」
俺は痛む頭を押さえながら布団から起き上がると、ある違和感に気づく。
久々の感覚、誰かの存在を隣に感じた。
「……何だ、昔の夢でも見ていたのか」
もう“アイツ”は俺の傍にいないのにな。
なんて、自嘲気味に笑う俺は隣を見て完全に硬直した。
「んぅっ……すぅ……」
俺の真横で寝息をたてる女性。
乱れた布団に、開けた服からのぞく白い肌と胸元に目が行く。
俺も男だ、このような状況に遭遇した経験くらいあるのだが……あるのだが……。
「……え? うぇ? な、なんで?」
俺は驚きを隠せずに動揺をしまくる。
俺の横でぐっすりと眠りにつく相手に問題があった。
「んんっ……」
半裸姿で心地よく眠るその寝顔には見覚えがあった。
それは昨日、7年ぶりに再会を果たした相手。
「――き、君島がなぜここにいるんだよ」
君島千沙子が俺の真横で肌をさらして寝ているのだった。
昨日の俺よ、答えください。
一体、昨夜、何があったんだ――!?




