第4章:さよなら《断章2》
【SIDE:鳴海朔也】
千歳の怪我の具合は思っていたよりもひどいものだった。
足はリハビリをしても、満足に動けるようになるには時間がかかるらしい。
病院を退院となってもこれから長いリハビリ生活が待っている。
千歳はつまらなそうに病室のベッドの上から、窓の外を眺めていた。
「どうした、千歳?」
「……私ね、生きてるんだなぁって」
あの飛行機事故で何人もの人がなくなり、千歳のように負傷した。
テレビでは連日、事故原因やらについて報道されてる。
事故の被害者たちの身体の傷も、心の傷も癒えるのは難しい。
「飛行機で私の前の席に座ってた老夫婦の人がいたの。でも、おふたりとも亡くなったんだって聞いたんだ。海外暮らしをしていて、私と同じ年頃の孫がいる日本に会いにいくんだって、飛行機の中で楽しそうにお話をしてたのに」
「……そうか」
「ごめん。さっき、テレビを見ちゃったの。ちょうど、その人の家族の話をしていたんだ。改めて亡くなった人がたくさんいるんだなって思ったんだ」
辛い記憶を思い出すので、テレビなどは千歳には見せないようにしていた。
彼女には苦しみや悩みをこれ以上、抱えて欲しくない。
俺は何て声をかけて良いのか分からず、そっと彼女の頭を撫でる。
「朔也ちゃん……」
千歳の傍には俺がいる。
俺が彼女の心の傷を癒せるように何とかしてやりたい。
「あ、そうだ。お姉ちゃんがシュークリームを買ってきてくれたの。朔也ちゃんも一緒に食べない? ほら、取って~」
話題を変えるように彼女は備え付けの冷蔵庫を指さす。
「そうしよう。千歳は甘いものが好きだよな」
「女の子なら誰でも好きだよ」
俺も彼女の事を気にしてすぐに話題を変える。
俺と一緒にいる時くらいは嫌な記憶を忘れさせてやりたい。
事故にあってから見られなくなった千歳の笑顔。
いつか、またあの笑顔を見たいんだ。
そのために俺にできることってなんだろうか……?
ずっと傍にいてやりたい。
そう考えていた俺はある事を考え始めていた。
それは千歳との“結婚”。
もちろん、それは同情でもなく、愛情としての意味で。
俺は彼女を失うことの怖さをあの事故で知った。
千歳の安否が分かるまでの数時間、俺があの雨の日に怯えていた記憶。
彼女が大切な存在なのだと、俺の中で強く感じていた。
千歳と俺は結婚したい、そう思い考えた結果。
「お買い上げありがとうございました」
その日、買い物を終えた俺はジュエリーショップから出た。
手には小さな箱の入った袋、その中身は”指輪”だった。
「これで千歳にフラれたらショックだな」
アルバイトをして貯めた金で購入した指輪。
俺のプロポーズを千歳は受けてくれるのか。
そんな不安と期待が入り混じっている。
「千歳……」
俺が本当の意味で女の子を好きになった、初めての相手。
彼女との交際で俺は人を好きになると言う意味を知った。
俺が大学を卒業したら、千歳と結婚したい。
その覚悟を決めて、俺は彼女のために指輪を購入したのだった。
「プロポーズは千歳の退院後にしようか」
彼女の家族の話では、千歳は数日後に病院を退院できるそうだ。
足以外の怪我がひどくなかったのは幸いでもある。
俺は病院に立ち寄ると、病室の千歳はいつもよりも表情が暗かった。
「千歳?」
「……朔也ちゃん? こんにちは、来てくれたんだ」
「どうした。何かあったのか?」
「え? あ、う、ううん。何でもないよ。ボーっとしてただけ」
千歳は無理に笑おうとするが笑えていない。
その違和感に俺は気付いていた。
いつもと違う、事故後でもこんな表情を千歳がすることはこれまでなかった。
何かに絶望するような、辛辣な表情なんて……。
「お姉さんから聞いたよ。退院が近いんだってな」
「……うん。リハビリは続くけどね。もう身体の方は大丈夫だから、自宅療養って事になるみたい。病院食は美味しくないから早く退院したいなぁ」
「こんな所にいつまでもいたら気も滅入るだろ」
小さく頷く彼女。
リハビリ生活は大変だろうし、その事について悩みもあるだろう。
それ相当のリハビリを続ける必要がある、その覚悟も大変だ。
「あのさ、千歳」
「なぁに?」
「その、な……俺は千歳の事が好きだから」
どうプロポーズするか言葉に悩み、俺はそんな言葉を呟く。
俺の言葉に、彼女はきょとんとした表情を見せる。
そして、くすっと微笑をするのだ。
「ふふっ、いきなりどうしたの? 好きって言ってくれるのは嬉しいけど。私も好きだよ、朔也ちゃん。愛の確認?」
「……そうだな。俺って、いつ千歳にフラれるか分からないし」
「あははっ。それは、朔也ちゃん次第だよね? もう浮気しないって約束を守ってくれるかどうか。私だって二度目は許してあげないよ」
軽い口調で俺に釘をさす彼女。
その言葉に「もうしません」と俺は頭を下げておいた。
その日、俺は結局、タイミングを逃してプロポーズできなかった。
それを後になって悔やむ。
あの時に、どうして俺は彼女の心の変化に気付いていなかったのか、と。
数日後、俺の人生に衝撃を与える展開が待っていた。
千歳が俺の前から姿を消したのだ。
入院していたはずの病院も退院して行方が分からず。
携帯電話も通じない上に、彼女の実家に行っても、彼女と会える事はなかった。
「……避けられている?」
そう思いながらも、俺は何度目かの千歳の実家に向かう。
すると、そこで俺は千歳の弟からある話を聞かされた。
「姉ちゃんは鳴海さんに会えないって泣いてたよ。姉ちゃん、事故の後から思い悩んだ顔をしてたから、その事に関係あるんじゃないかな」
彼女の弟の話から俺は千歳の現状を少しだけ知る事ができた。
千歳は退院後、別の病院にいるらしい。
だけど、俺には会おうとしたがない。
それだけの事が何かが彼女にあった、と言う事だ。
もしかして、と思うのは……彼女の足の事だった。
怪我の回復がよくなく、二度と歩けないかもしれない。
その事が病院からの話で分かった。
自分の足で歩けない。
その事が彼女にどれほどのショックを与えたのか。
俺は彼女の不安に、笑顔が曇った理由に気付いていなかったんだ。
それから一ヵ月が経っても、千歳と会えることはなかった。
千歳という存在を失ってから何もやる気がおきずにいた。
それだけ彼女が大事な子だったのか、と心の底から自覚させられていた。
予定していた教員試験も受けず、俺は自分の夢を追う事すら、やめようとしていた。
千歳に会いたい。
だが、彼女は俺に会おうとしない。
嫌われたわけではなさそうだが、俺に会わない理由はなぜなんだろう?
そんな失意のどん底にいる俺に手紙が届く。
差出人は……探し求めていた相手、千歳からだった。
『ごめんなさい』
そんな言葉から始まる彼女の手紙には俺の前から姿を消した理由が書かれていた。
彼女の足は手術をしても、自分の足で歩くのは困難だということ。
車いすの生活が続く事に、彼女自身も辛かったこと。
『朔也ちゃんの傍にいたいけども、貴方の枷になる事は望んでないから』
そして、何よりも自分が傍にいることが俺に負い目を感じていたのだ。
そんなこと、気にしてないのに。
俺は千歳が傍にいてくれれば、それでよかった。
『朔也ちゃんにお願いがあるの。私の事を忘れて欲しい』
千歳は俺に自分の事を忘れて、新しい恋をしろと書いてあった。
ふざけるな、と思わず叫びそうになる。
俺にとって千歳は本当の意味で初めて好きになった女の子。
浮気をした事も最低だと思うが、事故後は本当にかけがえのない相手と思った。
最後に書かれていたのは、夢をあきらめるなと言う事。
彼女は自分の夢を諦めていなかった。
そして、俺の生まれ故郷である美浜高校の教師採用試験の案内が入っていた。
俺の夢と千歳の夢、大事な約束が俺達の間にはあった。
「こんな別れかたってないだろうが……千歳。まだ俺に夢を追えっていうのかよ」
それが千歳の最後の後押しだった。
千歳を失っても、夢を追うことは諦めきれなかった。
彼女の言葉通り、俺は教師なるという、自分の夢を追うことにした。
アイツがそれを望んでいるのなら、俺も前へと進もう。
だけど、ひとつだけ、俺は千歳の言葉を否定する。
俺は千歳の事を忘れたりしない。
あの子と過ごした日々を、思い出を、この想いを忘れることはない。
そして、数ヶ月の時が過ぎて。
俺は生まれ故郷の美浜町へと戻ることになる――。