第4章:さよなら《断章1》
【SIDE:鳴海朔也】
俺たちにとって悪夢のような出来事。
飛行機事故に巻き込まれた千歳。
多数の死傷者を出した辛い事故。
千歳も重傷を負った。
主にひどかったのは両足の怪我で、入院を余儀なくされていた。
テレビでニュースで連日報道されるたびに辛くなる。
足を負傷し、千歳は病室のベッドの上に横たわる。
「朔也ちゃん。まだ~?」
「もう少しだ。ちょっと待て」
俺は時間のある限り、千歳の病室に足を運んでいた。
今はリンゴの皮をナイフでむいている。
あまり自炊はしないがリンゴの皮むきくらいはなんとかできる。
「朔也ちゃん。手つきが危ないよ。私が代わってあげようか?」
「一年前なら出てくる事のない台詞だな。そんなに成長したのか」
「あははっ。料理ができなかった頃の私はもういないんだよ、朔也ちゃん」
千歳は笑いながらそう答える。
俺達が一年会わなかった間に、千歳も成長したらしい。
料理なんて経験だからな。
俺は皮むきを終えたリンゴを千歳に差し出す。
「千歳、できたぞ。まぁ、そこそこの出来だろ」
「形はね。でも、ウサギさんリンゴじゃないよ」
「……そんなものを俺に期待しないでくれ」
そこまでのスキルは残念ながら俺にはない。
「朔也ちゃん。食べさせて? あーん」
千歳は小鳥のように口を開けてリンゴを催促する。
「仕方ないな」
俺は千歳に甘えられることに心地よさを感じながら食べさせる。
「ありがと。んー、美味しいね」
リンゴをたべて満足そうな彼女。
横顔を見つめながら俺は安堵していたんだ。
あの事故後、彼女から笑顔を奪われていた事を気にしていた。
誰だって、あんな事があれば笑顔なんて失ってしまう。
それは千歳と言えども例外ではない。
俺と一緒にいる時は笑顔も浮かべるがそれが本当の笑顔ではないと言うのは分かる。
もちろん、俺を気にして彼女が本音をもらすことはないんだけどな。
「そうだ、朔也ちゃん。教師になるって夢はどうなってるの?」
「ん? あぁ、もうすぐ試験だな。教員免許は取ってるし、前々からの希望通り、教師になろうと考えている。そういう、千歳はどうするんだ? もう一年、大学に通って卒業してから翻訳家になるのか?」
「……うん。そのつもり。色々と会ったけど、翻訳家になりたいって気持ちは強くなってる。私にも向いてるみたいだよ」
この1年の留学で、彼女も夢を強く抱いたようだ。
実際に海外で暮らして語学や文化に触れるのは良い経験になったんだろう。
俺も教育実習をして大変だったのだが、意義のある仕事だと改めて思わされた。
「お互いに夢を目指していこうね」
千歳が微笑を浮かべると、俺も頷いて答えた。
俺達には夢がある。
その夢を目指し、叶えるためにここまできた。
「ところで朔也ちゃん。話は変わるんだけど」
「なんだ?」
「……浮気とかしてないよね?」
ギクッ……。
「そ、そんな事をしてるはずがないじゃないか。俺を誰だと思ってる?」
あぁ、逃げておきたかった話題を振られて俺は動揺する。
この場面でこの質問はキツイ。
黙り込んでしまう俺に千歳はジト目で尋ねてくる。
「まさか、私と言う恋人がいながら、遠距離恋愛だからって他の子に手を出しちゃったりしたの? そんなはずがないよね?」
「それはですね、えっと、あの……」
「嘘ついたら許さない。今、真実を話すなら全部、許してあげる」
許す、その一言を俺は信じて真実を口にする。
どうせ、謝罪すると決めてたことだ、隠しても仕方がない。
「……ごめんなさい。つい、お前のいない寂しさに他の子に手を出してしまいました」
俺は自分の行いを悔い、真摯に謝罪する。
「ものすごく反省してる。すまなかった」
浮気はしてしまったが、俺には千歳が必要で、彼女だけが好きな女の子なんだ。
千歳のいない間に誘惑があまりにも多すぎたとはいえ、本当に後悔してる。
「はぁ……やっぱりそうなんだ。最初から信じてなかったけど、ホントにされるとショックだよ。最低だよ、朔也ちゃん。あれだけしないって約束してたのに。朔也ちゃんの裏切り者、浮気者」
「うぐっ。返す言葉もない」
「……でも、それくらい覚悟して向こうに行ったんだ。朔也ちゃんならありそうだなって。だから、許してあげる」
おおっ、さすが千歳……どこまでも天使のような子だ。
こんな愚かな俺でも許してくれると言うのか。
「これっきりだよ? 人生に一度だけの浮気、ひとりくらいなら……」
「……ごめんなさい。ひとりじゃないです、3人です」
俺の言葉に千歳は「……」と視線を俯かせた。
「へ、へぇ、3人も……それは想像すらしてなかったよ?」
「最後のひとりにいたっては3ヶ月間、半同棲してました。誠にもってすみません。ですが、現在はすべての関係を解消しております」
「……半同棲、浮気。あはは」
彼女はなぜか笑みを浮かべて俺に言うんだ。
「――ねぇ、朔也ちゃん。回れ右して、さっさと出て行ってくれないかな?」
「ひっ!?」
天然で温厚な千歳が見せた初めての怒り。
それはただ怒ってくれた方が百倍マシだと思えた。
女の笑顔が怖いと思ったのは人生で初めてだ。
「ご、ごめんなさいっ。すみません、許してくださいっ!?」
本気の怒りを見せる彼女の笑顔は本気で怖かった。
千歳を怒らせるとこうなるのだと、嫌と言うほどに思い知らされる。
謝罪を続ける事、数十分。
ようやく落ち着いてきたのか千歳は大きくため息をついた。
「私の心は傷つきました。愚かな彼氏のせいで」
「悪い、本当に反省してます」
「……本当に? もうしない? 私だけを見てくれるって約束できる?」
「しません。千歳を一途に愛して行きます」
俺の謝罪に彼女は今度こそ、許してくれた。
罵詈雑言を千歳みたいな純粋な女の子から言われるとマジで凹むわ。
「……千歳。愛してる。この気持ちに偽りはないから」
「私も好きだよ。だから、もう浮気しちゃ嫌だよ?」
ベッドの俺に座る千歳は俺の手を握り締めてくる。
その小さな手を俺はしっかりと握る。
「私だけを好きでいて。お願いだから、他の人を好きにならないで」
千歳が見せた寂しげな横顔。
俺は不思議に思いながら、握った手の温もりを感じていた。
もしかしたら、この時、既に彼女は何らかの覚悟を決めていたのかもしれない。
後に待つ別離を俺はまだ知らず。
彼女の抱えた悩みと本心さえ分からずにいた。
運命の歯車は回りだす、悲しい別れが待つ未来へ――。