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第2節:ミリ単位の同調圧力

そして次の日

 長野県の山懐に抱かれた日本長野本校――梓川の源流に近い観光地の喧騒から完全に切り離された険しい山岳峡谷の街、長野県松本市安曇(上高地・乗鞍岳の麓)に位置する巨大な要塞のようなキャンパスの地下講堂で、AGB PharmaTechが運営する国際総合新鋭救命救助部隊(IALRT/アイアラート)日本長野養成本学校の入学式が執り行われていた。

 全国から過酷な狭き門の入試を勝ち抜いて集まった200名の新入生たちは、男子が約七割を占める大半をなし、残りの三割ほどの女子と共に、各クラス50人ずつの4クラス(第A班〜第D班)に分かれて整列させられていた。これら「第A班〜第D班」というクラス構成は、世界中のIALRT/アイアラー養成学校共通のものであり、今後どれほど過酷な淘汰により脱落者が出て人数が減ったとしても、クラスの統合や再編は一切行われず、欠けた穴をそのまま残した状態で3年間完全に維持されることになっている。シムラもまた、この過酷な環境の中で3年間ずっと第A班に身を置くことになる。

 彼らが身にまとっているのは、世界中のIALRT/アイアラート養成学校3年制で共通して義務付けられている、一糸乱れぬ統一感を生む深い紺色の機能的で無機質な専用作業着であった。首元には、同じく世界共通の仕様として、美しいネクタイ巻きに結ばれたスカーフが締められている。


挿絵(By みてみん)


 入学式を迎えた1年生のそれは、まだ組織の色に染まっていない無垢な「白」である。しかし、この世界共通の養成学校において「ダークを目指せ」「冷酷・冷徹を極めよ」という教義のもと、容赦ない訓練や過酷なサバイバルをくぐり抜けるたびに、学年が上がるごとにスカーフの色は世界共通の基準で段階的に暗く、冷徹な色へと染め上げられていくことになっていた。

2年生のスチールグレーを経て、最上級生である3年生が纏うことの許される「漆黒(黒)」のネクタイ型スカーフは、もはや笑いなど一切許されない真面目さと、身の引き締まるような厳格さ、そして最高峰の格式をまとった至上の証である。それはかつての武道における黒帯と同様に、日々血と汗を流し、修羅場をくぐり抜けて稽古を重ねた歴史そのものであり、深海、地下プラント、火山、極寒地――あらゆる死地の底から這いずりでもして命を引っ張り出す泥臭く圧倒的な使命感を身に纏うことの象徴であった。同時に、その「黒」はすべての基本である白を極めた上で次の新たなステージへ踏み出すためのスタート地点(刷新)をも意味し、国際総合新鋭救命救助部隊の一員として社会人へと巣立つ直前の重厚なカラーでもある。

しかし、空手の黒帯のように誰もが憧れる一方で、実際にはその黒いスカーフを手にする前に、過酷すぎる選別と重圧によって脱落者が相次ぎ、途中で姿を消していく者が後を絶たないのが現実だった。

 それもそのはずである。世界中の養成学校に掲げられた共通教訓――「地獄の淵に立て。暗闇に怯えよ、されど退くな。己の死を恐れず、光なき暗闇やどん底より、最後の息吹を刻んで他者の生を奪還せよ」。その壮絶な文言の本当の意味そのものを体現しているのが、他ならぬこの3年生たちだからだ。これまでの3年間はすべて練習にすぎず、本当の本番はここから始まる。すべてを呑み込む「黒」を首元に巻いた者たちだけが、その長い校訓の通り、真の戦場や死地へと身を投じ、アイアラートの資格試験を受けるための本当の覚悟を背負うのだった。


 新入生たちが固唾を呑んで見つめる中、別室に用意されたモニター室では、保護者たちがその異様な光景をスクリーン越しに見守っている。

 壇上に立つのは、冷徹な眼光を放つ学校長――真壁 厳(マカベ•イワオ)だ。

「よくぞ狭き門をくぐり抜けてきた。だが、勘違いするな。ここにあるのは華やかな学び舎ではない。極限環境の最前線で壊れゆく生命を繋ぎ止めるための、冷徹な歯車を鋳造する工場だ。お前たち200名の命も、これより先は我が校の管理下にある。同期の足並みを乱す者は、容赦なく切り捨てる」

マカベ校長の冷酷な祝辞が響き渡った後、式典は各専門分野を統括する担当教官たちの紹介へと移った。

 まず、一歩前に進み出たのは、生体機械工学を担当する主席教官・堂島 猛(ドウジマ•タケシ)だった。筋骨隆々の巨体を真っ直ぐに立て、低く威圧的な声を響かせる。

「俺はドウジマだ。生体機械工学を担当する。お前たちが現場で扱う人工心肺や駆動系デバイスは、ほんのコンマ一ミリの歪みすら命取りになる。機械の狂いはすなわち人間の死だ。それを骨の髄まで叩き込む」

 次に、野外サバイバルを司る教官・鬼頭 蓮司(キトウ•レンジ)が、鋭い眼光をギョロりと光らせて一歩踏み出した。

「キトウだ。極限環境生存技術を受け持つ。お前たちが放り出されるのは、猛吹雪の北アルプスや、一歩間違えば凍死する雪山だ。甘ったれた根性じゃ、自然の猛威の前で一瞬で消し飛ぶぞ。這い上がる気力すらない奴は、最初から山に置いていく」

 そして最後に、生命維持管理及び臨床システムと学年主任を担当する、一番の鬼教官・黒崎 怜(クロサキ•レイ)が不敵な笑みを浮かべて前に進み出た。

「クロサキだ。お前たちの学年主任と生体生命維持管理を教える。……いいか、現場でモニターの数値を読み違えたり、指示のタイミングをコンマ一秒でも誤ってみろ。お前のその手で、患者の命を確実に絶つことになる。言い訳は一切聞かん。一歩のミスも許されない重圧に、最後まで耐え抜くことだな」

 教官陣からの容赦ない宣戦布告が終わると、式典はすぐさま冷酷な「同期同調の洗礼」へと突入した。

「起立」

マカベ校長の乾いた号令が響いた瞬間、200人の新入生がミリ単位の狂いもなく、まるで一匹の生物のように同時に立ち上がらなければならない。だが、緊張に飲まれた一人の男子生徒――オオノがコンマ数秒遅れ、椅子の軋む音が周囲とわずかにズレた。

「す、すみません……!」

とオオノが青ざめてごまかそうとした瞬間、

「何をやっている!」

すかさず、教官席からクロサキの鋭い怒号が叩きつけられる。

「息すら合わせられん雑魚どもが、人間の生命を預かれると思うな! 言い訳など聞かん! 全員座れ、やり直しだ!」

 式典の最中であっても、同期同調が乱れれば容赦なく中断される。再びの「起立」の号令。今度は別の男子生徒――ヤマモトが怯えて足をすくませ、隣の生徒との同調が乱れた。

「っ……体がこわばって……」

と呟いたヤマモトめがけ、

「おい、ヤマモト! 何をブルブル震えている! 姿勢が二ミリ右に傾いているぞ! 周りの息の音が聞こえんのか! お前は自分の足で立つこともできんのか!」

キトウ教官が怒鳴り声を上げ、さらに黒崎が被せるように怒号を飛ばす。

「分かってんのか! その程度のズレが、実際の現場でどれだけの人間を死に追いやるか想像もつかんのか! 全員、床へ正座しろ!」

その場で即座の連帯ペナルティーとして新入生全員に床へ正座のまま数分間の静止が命じられる。

 さらに、新入生を一人ずつ呼名する点呼の場面が訪れた。

マカベ校長がマイクを通して名前を読み上げる。

「──シムラ・レン!」

「はいっ!」

シムラは声を張り上げて起立し、己の存在を叩きつけるように返事をした。北アルプスの麓で培われた胆力が、辛うじて彼の身体を真っ直ぐに支えている。

だが、その直後だった。

「シムラ、足元の荷物の置き方が一センチ左にずれているぞ!」

クロサキ教官が、すかさず鋭い怒号を飛ばす。

「自分の持ち物すらミリ単位で管理できん男が、他人の生体維持モニターを正確に読み取れると思うか! 言い訳は許さん、気を引き締めろ、腑抜けが!」

「っ……申し訳ありません!」

シムラは歯を食いしばり、全身の筋肉を硬直させながら声を張り上げて姿勢を正した。

 その緊張がピークに達する中、次に呼ばれた細身の男子生徒――アイザワの番になると、プレッシャーに押しつぶされ、その声はか細く震えた。

「は、はい……っ」

「声が小さい!」

クロサキ教官が壇上から跳び下りるような勢いでアイザワに詰め寄り、容赦ない怒号を浴びせる。

「そんな蚊の鳴くような声で、極限の現場で無線が飛ぶか! 生命維持の指示が聞こえると思っているのか! お前に人を救う資格はない! 言い訳する暇があったら今すぐここから出ていけ!」

「ひっ……!」

アイザワは全身を震わせ、周囲の生徒が助けようと手を伸ばしかけたその瞬間、規則の壁が立ちはだかる。

『──同期生への接触、助け合いは一切の例外なく禁止する。自力で立てぬ者は、ただの足手まといだ』

冷酷な校則が頭をよぎり、誰もが動けない。アイザワは崩れるようにその場に膝をつき、「もう無理だ……俺にはできない……」と涙を流しながら、そのまま自ら「入学を辞退します」と叫んで講堂の扉へと逃げ出すように駆け去っていった。200名の狭き門を潜った中での最初の脱落者だった。

挿絵(By みてみん)


 式典の終わり、新入生たちは冷め切った空気の中で整列させられ、別室から移動してきた保護者たちとの最後の対面が許された。

わずかな時間が与えられた面会の場では、周囲のあちこちで「やっぱりもう無理だ、帰りたいよ……」

「こんなところ耐えられないよお母さん……」と涙を流して弱音を吐き出す生徒たちの姿があった。

それを見た保護者たちが「しっかりするんだよ」と慌ててなだめようとするが、近くで見張る教官たちの冷酷な視線がそれを遮る。

「おい、そこでお漏らししたように泣き言をほざいている貴様ら! そんなに実家にしがみつきたいなら、今すぐ親にしがみついて這いずって帰れ! 甘ったれた弱音を吐く奴に、明日を生きる人間の脈拍を測る資格など一片たりとも無い!」

クロサキ教官の容赦ない怒号が突き刺さり、恐怖に耐え切れなくなった数名の生徒がその場で崩れ落ちていく。

 そんな重苦しい空気の中、シムラのもとにも両親が歩み寄ってきた。

「レン……お前大丈夫か……?」

母親が心配そうに震える手を伸ばしかけたが、シムラはグッと制止するように目を合わせ、しっかりとうなずいて見せた。

「母さん、父さん、心配するな。俺はここで、絶対に生き残るための歯車になってみせるから」

「……そうか。お前ならやれる。男として、自分の選んだ道をやり抜け」

父親が力強く肩を叩き、母親も涙をこらえてしっかりと息子を見据えた。


挿絵(By みてみん)


 やがて、面会の終了を告げる無情なブザーが鳴り響く。

「これより、保護者各位の帰還に伴う、見送り行事に移行する!」

クロサキ教官の号令のもと、正門へと続く通路に新入生たちが直立不動で並べられた。

遠ざかるバスや車へと乗り込む保護者たち。我が子の姿を目に焼き付けようと窓を開ける母親の姿が見えたが、教官たちの厳命により、シムラたち新入生は一歩たりとも動くことが許されない。

「見送り、脱帽──っ!」

号令とともに、全員が一糸乱れぬ動きで制帽を取ろうとしたが、焦りからか数名の生徒が帽子を落としたり、動きがコンマ数秒遅れて周囲と大きくズレてしまった。

「遅い! 何をもたついている!」

キトウ教官の地を這うような怒号が飛び交う中、震える手でようやく全員が帽子を脇に抱え、

「──敬礼!」

辛うじて行われた敬礼の最中、耐え切れなくなった別の女子生徒――スギハラが「お母さん……行かないで……!」と泣き声を漏らし、膝から崩れ落ちた。

「そこだ、スギハラ! 誰が私語を許可した! 涙を拭く暇があるなら前を向け! 泣き叫ぶような甘ったれたガキに、今日から明日の命を預ける資格などない! 分かっておるのか、甘えを捨てろ! 今すぐ荷物をまとめて国へ帰れ!」

クロサキ教官の怒号が冷たい長野の空に響き渡り、耐えきれなくなったスギハラもまた、その場で泣き崩れながら退学を宣告される。


挿絵(By みてみん)


 両親を乗せた車やバスが完全に山道の向こうへと消え、保護者たちの姿が視界から完全に消え去ったその瞬間だった。

「おい、見送り行事における動作の乱れ、そして規律を忘れた甘え……これらを重く受け止めろ」

クロサキ教官が冷徹な笑みを浮かべ、残された新入生全体を見据えて吐き捨てる。

「お前たち全体の緩みが招いた結果だ。これより、全班ブロックを対象とする連帯ペナルティーとして、グラウンド十周のランニングおよび姿勢保持教練を執行する! 誰一人として例外は認めん。這いつくばってでも完遂しろ!」

 暦の上では4月を迎えていながらも、山懐に抱かれたこの標高の高いキャンパスのグラウンドには、日陰を中心に未だ分厚い残雪が白く凍りついて残っていた。容赦なく吹き付ける凍てつくような山風が新入生たちの肌を突き刺す中、彼らは一斉に走り出すことを強いられた。

しかし、極寒の山岳地帯の冷気とここまでの極度の緊張で、生徒たちの体はすでに限界を迎えていた。

「はあ、はあ……っ、息が……足がもたない……!」

列のなかで、男子生徒のナカジマが顔面を蒼白にして苦しげな声を漏らす。だが、呼吸を整えることすら許されず、少しでも足取りが鈍ったり遅れそうになった者がいると、すぐ後ろから教官たちの容赦ない怒号が背中を突き刺す。

「おい、そこの列! 何をトロトロ走っている、ナカジマ! お前の遅れせいで班全体の歩調が狂っているぞ! 全員、やり直しだ!」

キトウ教官の野太い怒号が響き渡り、一人でも遅れる者がいれば、全員が連帯して目標の周回数が増やされるという地獄のようなルールが宣告された。

「ふざけるな……こんなの無理だ……もう走れないよ……」

凍てつく雪を踏みしめながら、恐怖と疲労に満ちた絶望感から、別の男子生徒であるタカハシが思わず弱音を漏らした瞬間、待ち構えていた黒崎教官が容赦なく怒号を浴びせる。

「『無理』だと? 誰の許可を得てそんな口を利いた、タカハシ! そんな弱音を吐く奴に、極限の現場で患者の命を支える資格など一片たりとも無い! 根性が腐り切っているぞ、今すぐここから這い上がって国へ帰れ!」

「ひっ……!」

その恐怖の叱責に怯え、また一人生徒が泣き叫びながらその場で崩れ落ち、次々と脱落していく。息も絶絶になり、「はあ、はあ」と喘ぐことさえ「規律違反」として叱責され、残雪に足を取られて転ぶたびに周回数がさらに上乗せされていく悪循環のなかで、新入生たちは肉体的にも精神的にも追い詰められていった。

 そんな凄まじい地獄絵図の中、シムラは肺が凍りつくような冷気を必死に吸い込みながら、歯を食いしばって前を走る仲間の背中を追いかけていた。疲労で視界が歪み、足の感覚が消えかけても、「ここで脱落したら、父さんと母さんに見せた決意がすべて水の泡になる……生き残るための歯車になるんだ」と心の中で己を叱咤し続ける。雪が残る凍てついたグラウンドで、シムラは泥と雪まみれになりながらも、一歩、また一歩と必死に足を踏み出し、過酷な試練に食らいついていた。

 だが、シムラをはじめとする彼らが耐え抜いているこの過酷な洗礼など、これから待ち受ける過酷な日々に比べれば、ほんの序章にすぎなかった。

本当の地獄はここから始まる3年間の中にこそある。極限の生命維持管理技術を競わせる容赦なき淘汰、仲間同士の絆すら切り捨てる冷徹な管理体制、そして人間の尊厳を極限まですり潰すような想像を絶する試練の数々。誰もがまだ予想すらしていない、さらなる底なしの地獄が彼らを待ち構えているのだ。

 果たして、シムラはこの狂気に満ちた要塞のような学校で、人間性を保ったまま「冷徹な歯車」として生き残り、過酷な3年間を完遂することができるのだろうか──。

挿絵(By みてみん)

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