「ある推測」に辿り着くまで
「……ステータス、オープン」
ベッドの中に潜り込んで、こっそりと唱えてみた。
……――うん。何も出現しないな。それはそれで助かるのだけど。
でも、今いる周囲の状況――というか世界がどうにも不自然なので、何度もそれを確かめてみたくなる。
ステータス画面が出てこない事で、それで慰められるってことは無いんだけど、少なくとも諦めることは出来そうで。
何しろ日本人の記憶があることが最大の不自然なのだから、ステータス画面の有無なんかどーでも良いと言えばどーでも良いことは確か。
さて、何から説明しようかな。
ああ、そうだ。まずは《聖女》についてだよね。
まず《聖女》って言うのは、存在自体はそこまで珍しい感じではないみたい。私が住んでいるハラー村では《聖女》は珍しいことは確かみたいなんだけど、世界的にはそこまでではないらしい。
現に今も、私は《聖女》に選ばれたことは選ばれた――んだけれど、そこから特別扱いになるという感じではないようだ。
まだ幼いせいなのかもしれないけど、生活はさほど変わらない。
そもそも《聖女》って言うのは、実りをもたらす、ぐらいしか功徳がないみたいで、村人たちもどう扱えばいいのかよくわかってないみたい。
そういう《聖女》の扱いを実感するにつれ、私は思うのだ。
設定甘くないか? と。
何しろこのハラー村。私には強烈な既視感がある。
それはジョセフィンの記憶だろ? と言われるかもしれないが、残念ながら既視感の原因は日本人としての記憶であることは間違いない。
何しろこの村「デルフリ村」にそっくり。そう。「アルプスの少女ハイジ」に出てくる、あの村だ。
もちろん、私は「デルフリ村」を隅から隅まで知っているわけでも無いし、せいぜいが設定資料のイメージボードを眺めたぐらいなんだけど。
やっぱりここは「デルフリ村」に思えるんだよね。
礼拝堂も後から考えると、ハイジが後半クールで行くようになった教会によく似ている気がするし。
となるとですよ。
かなりおざなりにこの村は設定されているのではないか? という疑惑に繋がる。
あまりよろしくないプロデューサーかディレクターが、
「ハイジのアレっぽい感じで」
という投げやりな指示を出した結果として、このハラー村が出来上がったのではないか? と疑惑だ。
この疑惑があるからこそ、既視感を含めた「ある推測」に繋がるわけで。
「ジョー、まだ起きてるの? 早く寝なさい」
そんな感じで、もぞもぞやっているのがお母さんにバレたらしい。
お母さんは手をかざすと、僅かに光っていた枕もとの照明を落としてしまった。
そう。
この世界は「素朴な田舎の村」と言うには便利すぎる部分がある。
有体に言えば、
――「ゲームっぽい」
のである。




