白い結婚!?それなら、私の戸籍をあげちゃいます!
よくあるゆるふわ設定です。
ご都合主義でも温かい目で読んで下さると嬉しいです。
逞しいヒロインです。
「イリーナ。喜べお前に縁談が来た。辺境伯家のご子息からだ。詳細は追って知らせる」
結婚?この家から出られるの?
「あらイリーナお姉様。お相手を知らないの?専ら没落して平民に落ちた元男爵令嬢と恋仲だって評判よ?まぁ、本当かどうかは自分で確かめてくれば?」
同い年の義妹、シンシアが小馬鹿にしたように話しかけてくる。
この子は私を虐げることで嗜虐心を満たしているのだ。
(相変わらず性格悪いわ〜)
しかし成る程、訳ありな結婚なのね。
お相手には既に恋人がいて、形だけの妻が必要……。
それが私だと。
(うーん、どうしようかしら。辺境に行くのは困らないんだけど、愛人とバチバチやるのは面倒ねぇ)
無視してもいいんだけれど、無駄に突っかかられたりしたら気分も悪いし、周りに冷遇されるのも目に見える。
気が乗らない…。
でも仕方ないか。この家にも私の居場所は無い。
前妻の娘の私には、後妻の地味な嫌がらせが続くし、その義妹は性悪だし。
「わかりました。辺境に嫁ぎます」
その場で承諾し、部屋に戻る。
しかし、嫁ぐ前にあの義妹の顔をぶん殴ってやりたい。ついでに義母も。勿論グーでだ。
物理的には不可能なんだけれど。
家を出る時に、絶対に嫌がらせして出ていこう、そう誓って眠りについた。
「ねぇ、ジョン?辺境伯のご子息について何か知ってる?」
従者のジョンに聞いてみる。
彼は、亜麻色のふんわりとした髪をかき上げながら言った。
「まぁ噂程度ですけれどね」
彼の珍しい翠眼は、私のお気に入りだ。
因みに今お茶を淹れてくれているのはジェーン。
私に付いてくれている唯一のメイドである。
ジョンとジェーンは、私が貧民街で見つけた双子で、家族同然の存在だ。
「いや~……。あんまりお嬢に聞かせたくないお話ばかりですよ」
(まじか)
「知らなきゃ始まらないから、とりあえず教えてくれる?あなたが聞いている限り全部」
――幼馴染みの、没落した男爵令嬢と恋仲である。
――何処かに隠し子がいるらしい。
――白い結婚の相手を探し回っている。
――辺境伯領の騎士との仲が怪しいので男色疑惑もある。
成る程。噂は噂でしかないけれど、旦那様には期待しないほうがいいのかしら?
(まぁ、何事も飛び込んでみなければわからないか。私には帰る場所もないんだし。強気でいくしか無いわ)
◇◇◇
父が結婚を承諾してから1週間も経っていない。
まぁ、厄介者扱いの娘が上の身分の方に嫁ぐのだ。
訳ありだとしても、それはよく食いついた事だろう。
――しかし早い。そして速すぎる。
これは、都合のよい相手を逃さないって事かしら。
「シーベルト伯爵令嬢、お迎えにあがりました。セイムズ辺境伯領までの道程をお守り致します」
一番地位が高いのか、藍色の髪と琥珀色の瞳の騎士が私の手を取りエスコートした。
(おぉ…本物の騎士様からのエスコートだわ…)
そして数人の騎士が辺境伯の紋章入りの馬車を囲んでいる。
――さすが。これは一般的な犯罪者は怖くて手を出せないでしょうね。それなりに長い旅路になりそうだから、彼らが同伴してくれるのは安心出来る。
「ええ、よろしく頼みます。私の世話をしてくれる、ジョンとジェーンよ。二人とは同じ馬車で行きます。後はそちらの都合に合わせるわ」
ジョンとジェーンは間髪を入れずに頭を下げる。
その時、義妹のシンシアが私に飛び付くように話しかけてきた。
普段は汚物扱いなのにね?
「お姉様、お身体に気をつけてね!シンシア寂しくなっちゃうわ。たまには近況を教えてね」
ふふふ。私の不幸な有り様を知りたいって?
「そうするわ。心配ありがとう。あなたも婚約者と仲良くね」
(物理的には無理だから、違うダメージを食らえ!)
私は今思い出したかのように、話題を変えた。
「……あ!心配といえば、貴方の恋人からお手紙が来ていたけれど、宛名が間違っていたから婚約者のギリアム様に手渡しして指摘しておいたわ。義妹はシンシアで『プシュケー』じゃないってね」
「な!…え、何を……」
あは。面白い顔になってるわよシンシア。
「匿名での手紙のやり取りなんてロマンティックね。だって、特別にお熱い手紙だったんでしょう?あなたの婚約者、お顔が真っ赤になっちゃってたわ。本当に羨ましい」
「……!あ……あんた」
言葉が出てこなくなったシンシアはもういいかしら?これから、三角関係?いやそれ以上の痴情の縺れで大変な事になるわね。
チヤホヤされるのが好きなあなたが一人の男性で満足できる訳ないものねぇ。
くるりと向きを変え、義母の方を見て笑顔で言った。
「そういえばお義母さま。お父様の印章を間違えて、勝手に持ち出してしまったんですって?誰かの手に渡ったら大変ですのに。勿論、お母様がちゃんと回収して元の場所に戻していたら別ですけれど」
暗に、持ち出して内緒で使っているだろうと匂わせてやる。
「な……」
あらあら。こちらも顔色が酷い事になっているわ。最近嵌ってしまった賭博と男性たちの事は内緒だったのね?
いつ言ってやろうかとウズウズしてたのよ。
楽しすぎるわ〜。
「では、皆様。ご多幸とご健勝を遠い地からお祈りしていますわ。お世話になりました」
義母を睨み付けていた父は、無理やりにその引き攣った顔で私を見送ってくれた。
「ああ。お前も辺境伯閣下に失礼のないようにしなさい。それと、辺境の地でしっかりと役目を果たすようにな」
お父様、実は貴方の秘密も色々と握ってるんですよ?
まだ使わないけれど、ね?
「見事な『ざまぁ』でしたね、お嬢様!色々な小説でお教えした甲斐があります!」
一緒に連れてきたジェーンに褒められた。
ちゃんと『ざまぁ』出来たかしら。
あんな事では物足りない……が、これからの実家がどういう状況になるのかは想像すると楽しい。
一家離散?まではいかなくとも、まぁギスギス過ごせばいいのよ。
「全部、ジョンが調べてくれたことだけれどね。最後に一発食らわせてやったのはいいタイミングだったかしら。本当ならもうちょっと盛大にいきたかったけど、時間が足りないし。集めた情報が勿体なかったわ」
また使う機会もあるか。うん。
義母と義妹が地面に手と膝をつき、この世の終わりみたいな顔をした所を見てみたかったかなぁ。残念。
「しかし、お嬢様。辺境伯子息はちゃんとした馬車も護衛も送ってくれましたね。でも、あれですかね、着いたら屋根裏部屋生活とか始まるんですかね?」
ジョンが私を揶揄いながら人差し指を真上に立てる。
ションとジェーンのお揃いの綺麗な亜麻色の髪が揺れる。
彼らの珍しい翠眼もお気に入りなのだ。キラキラと輝き美しい。
「馬鹿を言わないでちょうだい。折角交渉出来る立場に就いたのよ?白い結婚にはお互いに納得する契約書!これが定番でしょう!最大限に毟り取ってやるわ」
「「わー、さすがお嬢様」」
「勿論、あなた達の待遇改善も入れてあげるわ」
「「さすがお嬢様!」」
やっぱり双子ね。声がぴったりだわ。
これからの日々に思いを馳せつつ、逃げ出す可能性もマウントを取る算段も立てながら馬車の外を見る。
――自由って素晴らしい。
相手が最初から交渉テーブルに付いてくれているんだもの。いえ、無理にでもその場に座らせるわ。
(きっとなんとでもなるわね)
初めて見る景色を眺めながら、そう思う。
不安と期待が入り交じる中に存在する落ち着かない好奇心。
私は結局弱者だから油断しては駄目だ。
守る物のために戦おう、そう気を引き締めた。
◇◇◇
王都を離れると、どうしても主要な街や村が無いこともある。
そんな時は野宿になった。
騎士たちは野営にも慣れているらしく、食料や火の心配も無い。
暖かい時期だとはいえ、私だけが馬車で寝るのは心苦しいが。
手持ち無沙汰な私は、いつも代表して話しかけてくる騎士に声をかけた。
「貴方は、隊長とか団長とかで彼らの上の立場の人?」
「はい、お嬢様。この旅の責任を任されております」
「若いのに凄いわねぇ。部下の方々が頑張ってくれているみたいだから、少し私とお話してくれない?」
「私でお役に立てるかどうか……。特に話題に明るくありません」
濃い藍色の髪色の頭を下げる。
辺境の騎士って逞しいのね。王都の近衛騎士とは毛色が違うわ。
(これは、無駄話はしたくないのかしら?)
でも、それには気付かない振りを続ける。
「セイムズってどんな場所なの?あまり調べる時間も無かったし、本よりもそこに暮らしている人達のお話のほうが為になるわよね?あ、お喋りするなら貴方の名前も教えてくれない?」
「エダンと申します。……セイムズについてどんな事がお知りになりたいですか?」
「エダン卿ね。そうねぇ。やっぱり主要産業や主要な観光地、それに名産品かしら。美味しい特産物も気になるわ」
やっぱり食べ物が美味しい所が一番幸せに暮らせると思うのよね。後は市場など、楽しくショッピング出来る場所があると嬉しい。
「街に出れば、それなりに大きな店が沢山あります。辺境と呼ばれていますが、港もあり他国との交易が盛んな為、王都よりも珍しいものも多かったりしますよ」
おぉ、港!やっぱり外国の物には惹かれちゃうわ。
「えー、良い所じゃない!」
まだ見ぬ街に思いを馳せているとエダン卿が口元を綻ばせた。
「さっきのご家族との遣り取りもそうですが、お嬢様はだいぶ変わった方のようですね」
「そうね。基本的に楽観的で、楽しい事が好きなの。あまり物に対しての執着とか理解出来ないのよね。今が楽しくて、大切な人が側にいれば人間って案外幸せに生きられるじゃない?」
幼い頃に実母が亡くなり、すぐに義母と義妹が伯爵家にやってきた。
二人は私から色々な物を奪って貶めようとしたみたいだが……。
私の本当に大切な物はジョンとジェーンだけ。
お母様は好きだったけれど、お父様なんて最初から私のものでもなかった。
粗末な服でも気にならない。だって二人も同じ様な服装だった。粗末なご飯でも大丈夫だった。
だって三人で同じ物を食べて笑って過ごせたんだから。
「ねぇ、辺境伯のご子息には恋人がいるんでしょう?」
だから、大事なものさえ奪われなければ私が牙を剥く事は無い。自分の大切な物を守る為に、威嚇する事があってもね。
「――はい。昔からの恋仲です」
ならば。このまま私に幸せになる方法がないならば行動しなければ。私に付いてきてくれたジョンとジェーンにも申し訳ない。
――やはり、交渉あるのみ。最大限こちらの有利な物を掴むのだ。
「ねぇ、エダン卿。生き物はどんなに小さくて弱くても牙を剥く権利があるわよね?あなた達だって、どんなに強くても思いがけない反撃に傷を負うこともあるでしょう?」
満月に近い月夜の、明るすぎるといえる光の下で私は自身に誓った。
「………」
エダン卿が何か言っていた。彼らしくもない、小さな、微かな声で。
やっぱり宣戦布告の様な言葉は不快だっかもしれない。その後、彼は黙り込んでしまった。
私が彼の主に対して不遜だからだろうか。
令嬢らしくないからだろうか。
まぁ、そんな事はどうでもいい。
相手の出方でこちらも決めよう。
そしてエダン卿に頼んで、一人にしてもらった。
しばらくの間、月に照らされた場所で涼んでいると――。
――ジョンの声がした。
「お嬢は本当に浮気者だ。すぐにコロコロと興味が移るし、夜に男と二人きりで話し込むんですから」
気配も感じなかった。
エダン卿が天幕に戻ってから、夜風とともにジョンの声が聞こえた。
何処かで話を聞いていたのかしら。
「何よ。ジョンの癖に生意気よ。それに浮気って何よそれ。私はシンシアみたいに何人もお付き合いしている人なんて居ないわよ」
落ち着いた亜麻色の髪に翠眼。
私は彼ら双子が何かしらの事情を抱えているのを知りながら、スラム街から連れてきたのだ。
二人はあまりにも顔が整いすぎている。
本当の名前だって教えてくれなかった彼らに適当につけたそれ。
(ジョンにジェーン。もう少しちゃんと付けてあげればよかったわね)
「毛を逆立てている猫みたいですよ?俺もジェーンも居るし、いざとなったら頼ってくださいって」
「だから、私は強いんだって言っているでしょう?まぁ、物理は無理だけど。これからもずっとジョンもジェーンも守りながら生きるんだから。少しは主を信用しなさいよ?」
何よ。本当に守らなければいけないのは、あなた達じゃないの。私が貴方を守っている筈なのよ。だって二人とも私の大事なものなんだもの。
なのに。本当に生意気ね、もう。
私の大切なものは昔からずっと一緒で変わらないんだから……。
「お嬢。俺だってそこそこ強いんですよ?」
彼はクスリと微笑みながら言った。
◇◇◇
「長旅ご苦労さまでした。セイムズ辺境伯家、並びに使用人一同がお嬢様のご到着を歓迎致します」
ズラッと並ぶ使用人に、屋敷の扉の前に立つ三人の男女。
男性二人は深い真紅の髪色に黒い瞳の色で血縁だとわかる。
女性の方は、年嵩ながら綺麗な姿勢で立っており、金髪碧眼の綺麗な方だ。
あの一番年若い紳士が今回の縁談相手のエーリク様か。
「遠くからよく来てくれた。私は辺境伯のリーギル。こちらは妻のマリエットだ」
「辺境伯閣下、辺境伯夫人、初めてご挨拶させて頂きます。シーベルト伯爵家のイリーナでございます。此度の伯爵家への申し入れ、そしてこの歓待に感謝致します」
辺境伯、辺境伯夫人の二人に挨拶を返し、視線を横に少しずらす。
「イリーナと申します。エーリク様には今後ともよろしくお願いします」
「ええ。こちらこそよろしく。夜に、少しお話ししましょう。立ち話もなんですし、お疲れでしょうからお部屋にご案内させます」
「まぁ、ありがとうございます。夜にお話ですね?何が聞けるのかしら!こんなにご立派なお屋敷に、使用人たちにも温かく歓迎されたんですもの。お付き合いのある方々に、さすが辺境伯家でしたと自慢できてしまうわ!」
大袈裟に喜んでいる振りをして様子を見てみる。
(……息子の方は、顔が引きつっているわ。夫人はよくわからないわね。辺境伯は面白そうな瞳で見てくるわ)
「くくく。息子の話は既に聞いているのかい?そんなに肩肘張らなくても大丈夫だと約束するよ。今回の結婚は息子が無理を通して貴女に求婚したんだけれどね」
スッと目を細めて。
「あまりにも卑劣な事をしたり、君に無体はさせないから」
――やっぱりここで一番発言力を持っているのは辺境伯ね。お人柄も悪くなさそう。こんな無礼な小娘にもちゃんと対応してくれるわ。
「あら、そんなつもりはありませんでしたのに……。お気遣いありがとうございます。私ったら」
「では、長旅で疲れただろうから、今日の晩餐は部屋でゆっくりとったらいい」
「感謝致します。皆様、それでは御前失礼致します。―――ジョン、ジェーン、後は宜しくね」
二人に目配せをする。これで私の言いたいことが伝わる筈だ。情報収集。特にエーリク様とその恋人について少しでも調べておかないとね。
エスコートは無しかな?そう思っていたけれど……。
「イリーナ嬢。お部屋までエスコート致します」
婚約者のエーリク様から声がかけられた。
親公認の、世間でも公然の恋人がいるお方なのよねぇ。
(うーーん。どうやって付き合っていけばいいのかしら。あまり親しくしても彼の恋人にも悪いし……)
とりあえず。
「よろしくお願いしますわ、エーリク様」
難しい問題は先送りにしたのだった。
◇◇◇
「彼女は、なんというか独特なタイプだね?父上も気に入ったみたいだ」
道中に彼女の護衛に充てたエダンに声を掛けた。
「ええ。とても逞しく強い女性です。実家を後にした時の彼女も痛烈で見ていて胸がすく思いでした。辺境までの旅程でも弱音など吐きませんでしたよ」
――ただ、だからといってまだ年若い女性だ。伯爵家ではあまり良い境遇とはいえないと聞いていたから、この話を申し込んだが……。
「………一言だけ、幼馴染みとして申し上げても宜しいでしょうか」
「ああ。お前の率直な意見が聞きたい」
「貴方が、ユリア嬢を伴侶として選んだって別にいい。だが、他人の人生を利用する事の重みを理解しておけよ。そして、利用しているつもりでも逆に食われる可能性もあるって事もな」
――凄いな。エダンにまでここまで言わせるとは。
彼女の力強い瞳。あの強さは、辺境の男を惹きつけるのかもしれない。
「面白いな、そこまでお前に気に入られたのか彼女は」
――ユリアは弱い。この辺境で生きていけない程にか弱すぎる。だから、今回の白い結婚の提案だった。
没落した男爵家の、平民に落ちぶれた彼女を守るために。
でも、自分がイリーナの立場だったら。
実家に売られたも同然で嫁ぎに行き、形だけで、愛も得られずにそのまま放置されるなんて耐えられるのだろうか。
(ユリアなら耐えられないだろうな)
「参ったな。警戒するべきか、味方に引き入れるべきか。……それにしても従者の彼も面白かったな」
射殺しそうな眼差しで。でも、彼女には気づかれないように、こちらを最大限の憎しみを込めた目で見ていた。
面差しには人間性と感情が出る。
きっと、彼女を大切に想っているのだろう。
そして彼女の為なら何でもすると既に決めているのだろう。
それにしても。
彼女を軽んじてはいけない。
――そう警戒させる力強い瞳だった。あの翠の瞳は。
彼女が食事を終えた後、面と向かって話してみよう。ユリアも紹介しなければ。
彼女なら、陰湿さを感じさせない彼女ならば、ユリアの事を紹介出来るかもしれない。
◇◇◇
「お嬢ーー!とりあえず、屋根裏ではなかったですけど、本当にこのまま結婚するんですか?堂々と愛人を囲っている相手に?えー!俺は嫌です!」
まだジョンが文句を言っているわ。
不貞腐れたジョンに言い訳しないといけないなんてね。あなた、私よりも歳上でしょう。仕方のない人だわ。
「それは、私もそろそろ結婚した方が便利だしね……。将来は辺境伯夫人の権力が手に入るのよ?実家で飼い殺されるよりマシじゃない」
「こら、ジョン!お嬢様に愚痴を言わないの!」
ジェーンがジョンの頭を小突く。
ふふふ。これがいいのよ。私の大切なものが全てここにあるんだもの。
「ねぇ、ジェーン? ギュッとしてもいい?多分疲れちゃったの……」
ジェーン胸に抱きつき、二人でベッドに転がり込む。いい匂い。大好き。
ジェーンが、後ろ手でジョンを追い払っているのも面白い。二人とも私のことを好きでいてくれるわ。
「それで、あなた達から何も報告を聞いてないんだけれど?」
「メイドたちからはこれといって新しい情報は得られませんでした。ただ、その女性はこの屋敷に滞在しているらしく。美人で優しくて穏やかな女性らしいです」
「うわ、お嬢と真逆のタイプじゃん。これは勝負になりませんね」
――くそぅ。ジョンの言葉に否定出来ない自分が悲しいわ。
「それで、ジョンの方はどうなのよ?」
「あー……と、まだ不確かなんですが。定期的にその女性の所に医者が通っているらしくて。それに、お茶の種類や食べ物に気を遣うようになったそうです」
「それは、私の想像通りなのかしら?だから、いきなり結婚相手を探し始め、こんなに慌ただしく伯爵家まで私を迎えに来た……と」
――コンコンコン。
ノックの音と男性の声。
「お嬢様、お休みの所申し訳ございません。エーリク様がお話ししたいとお呼びでございます」
来たか。彼と話さなければ何も進まない。
お飾りとして妻になるにしても。
ここから逃げるにしても――。
「さて、何のお話が聞けるのでしょうね?」
「お嬢……」
「行きましょうか?二人とも」
◇◇◇
部屋に招き入れられると、エーリク様とエダン卿、そして儚げな美人が座って待っていた。
侍従が私だけを部屋に通そうとするが、聞いてやらない。
「この二人は絶対に私から離れません。それをご了承してくださらなければ、お話なんてここまでです」
エーリク様は、片手を上げて従者を下がらせた。
「彼女はユリア。私の幼馴染みで、聞いているだろうが私の恋人だ」
ほう。私と同じ金髪に碧眼。背格好も似ている。
「そうですか。それで、何故私を選んだのです?婚約者の私にわざわざ紹介するお相手がいらっしゃるのに」
悲劇的な声を出して言ってみる。
勿論演技だけれど、言葉の抑揚って大事よね。
「伯爵家とは合意しているんだ。君によく似た彼女……ユリアの子供を後継者にする、と」
あの父のことだ。そんな事だろうと思ったわ。
彼はユリア様のお腹を見やる。何処となくお腹を守る様に手を置く仕草が見受けられる。
口元を押さえて泣き出す彼女。
「すみません…。子供だけは、この子だけでも産んであげたいんです…」
子どもの為に涙を流す彼女。これは、本当に悲しんで悔やんで謝っているわ……。
――成る程。だから白い結婚なのね。既に彼女が妊娠しているのだから。
貴族という肩書を持った女の、その高貴な腹が必要だと。身代わりが必要なのだと。
この私の空っぽの腹に、既に赤子を宿しているように見せろと。
――跡取りのために。
あ、駄目だ。怒りが湧いて抑えられない。
「クソ野郎。後先も彼女の気持ちも考えない、このクソ野郎!彼女の気持ちを考えたの!?妊娠中で情緒も不安定のなか、女を連れてきて結婚すると伝えるなんて!あんた父親になるんでしょう!?」
「お嬢!ちょっと落ち着いて!」
ジョンが止めるが、こっちは当事者なのよ。もう!一発くらい殴らせて!
「あんたなんかどうでもいいけれど!嫌になったら私は何時でもあんたから逃げ出すわ!でも、彼女は違うんでしょう!?」
思ったよりも、ユリア様が悲惨だからか。
生まれてくる子を私生児にしたくないのはわかるけれど!
――それでは彼女は母親を名乗れないじゃないの。
「それに!私を馬鹿にしてるにも程があるわ!社交界に出てこない女ならいいように利用していいと思った?没落した貴族の、そこの彼女を守れないような甲斐性なしが私の人生を左右するなんて許さないわ!何もかもが気に食わない!」
それに利用される私が憐れだからか。
(あー……。上手く交渉して優位に立とうと思っていたけど、こいつは殴らなきゃ気がすまない)
ユリア様の前で刺激的な事をしてはいけない。
わかっているけど。
でも、何発か殴らなきゃやってられないじゃない!!
両手で抱きかかえられて、優しい声で宥められる。
「ねぇ、お嬢?お嬢……。大丈夫ですよ。落ち着いて。あなたの大切な物だけを思い浮かべるんです。それさえ無事なら大丈夫じゃないですか。あなたは何も失ってません。傷つけられてもいませんよ」
私を抱きかかえ、耳元でジョンが宥める。
ジェーンがジョンの上から更に被さる。
大切な物だけを守って。そうやって生きてきたのに思わず殴ろうと掴みかかってしまう所だったわ。クソ野郎呼びは止めないけどね!
「うん。ごめんね。ちょっと興奮しちゃった……」
相手は私よりも身分が高いのに。軽はずみだったわ。
私が落ち着いたのを確認したのか。
――コホン。
咳払いをしてエーリク様が説明した。
「あぁ、幾ら罵ってくれても構わない。私にはお似合いな言葉ばかりだ」
「――つまり」
まぁ予想通りだが。……身重な愛人まで居るとはね。
「身分のせいで彼女を妻には出来ない。更に他の女を抱きたくない。でも、産まれてくる子供は後継者にしたい。だからお飾りの妻が欲しいってわけですね?」
纏めるとこう言う事なわけ、と。
「うわ……。お嬢、やっぱりクソ野郎です。俺がお嬢を幸せにします」
「そうね、ジョン。こんなクソ野郎お嬢様に勿体ないんですけれど。三人で夜逃げプランでいきましょうか」
二人の意見にほぼ同意見なんだけれど、ユリア様が可哀想だし……。
エーリク様、そして後に居るエダン卿も気まずそうに目を逸らす。
「先ずは、一言だけ言ってもよろしいですか?」
二人が頷いたかなんて確認もしない。ただ言いたいだけだ。
「私は、貴方みたいなクソ野郎にも、辺境伯夫人の立場にも興味がありません。ずっと昔に、守りたいものを守るために生きると決めたのだから」
スラム街で偶然出会った幼い双子。
あの時の荒んだ瞳が今やこんなにも輝いている。
私には、これだけが宝物なのだ。
義妹に何を取られても全然平気だった。宝石やドレスなんかよりよっぽど価値がある彼らの翠の瞳があれば。
これを守ると誓った。
他の物なんて要らないのよね。
「だから、私の戸籍をユリア様にあげる事にするわ!」
「「「え!?」」」
目の前のユリア様と私を見比べるが、背格好が同じで、この国ではよくある金髪碧眼。
――いや、本当にいけるんじゃないかしら。
ビックリしている、エダン卿、エーリク様、ユリア様には悪いけれど。
うまく行けば全部丸く収まるのよね。
後は面倒な私の実家か……。
うん、この間は全然やり足りなかったし。
「ねぇ、ジョン?今、シーベルトの伯爵位に一番近いのは誰だったかしら?叔父?は子爵よね…従兄弟かしら」
「はいはい、その辺りに接触してみればいいんですね?とりあえず、ご実家の方々にはご退場して頂く証拠も揃えてありますし」
「そう!そうなのよ。この前のちょっとした『ざまぁ』じゃ物足りなかったけれど…。うーん、ユリア様の戸籍の件があるから伯爵家が取り潰されると困るし。とりあえずお父様だけやっとけばいいわ」
――首元をピッとはねる仕草をする私。
「では。お嬢のご希望通りに仕上げます」
それを見て、ジョンはニッと笑って片膝をついた。
――ユリア様をイリーナに。
「エーリク様!このアイデアで大丈夫ですわよね?これで不幸な女性は居なくなりますわ」
エーリク様に確認すると、首を何度も縦に動かしている。
「では、予定通りに契約書を交わしましょう!このシーンが見せ場ですもの!」
お互いに意見を言い合い、納得した契約書が完成した。
でも思った以上に疲れたわ〜。
「ジェーンは、私を抱っこして甘やかして。本当ひどい目に遭ったわ〜」
ジェーンのお胸にダイブする。
「あ、ユリア様。お腹ってもう触ったら赤ちゃんがわかるのかな?まだ無理なのかなぁ」
勿論ジェーンも可愛いけれど、可憐なユリア様も気に入ってしまったのだ。見捨てられない。
そして是非仲良くなりたい。
クズ野郎?そのクズ野郎のお友達の騎士様?知らん、もう知らん。疲れた。
(あ〜〜柔らかいし、いい匂い)
「え!ズルい!俺もお嬢を癒したい〜〜!お嬢にフニフニしたいしされたい〜〜!」
公衆の面前で馬鹿言うな。
お前は早う行け。後でご褒美をあげるから。
◇◇◇
その後、辺境伯閣下の助けもあり。
私達の入れ替わりは成功した。
そもそもがユリア様を何処かの貴族の養子にする等、色々と方法があったと思うのだがこれが難しかった事が今回の原因だ。
ユリア様の実家のイメージが悪すぎたのだ。
数々の悪徳な商売を展開し、国への税の申告を偽装する等など。
幼い彼女だけを残し、当主は処刑、その他親族は強制労働や禁固刑等が課された。
そのまま男爵家は爵位を剥奪されユリア様は平民の少女になった。
そんな厄介な家門の娘を自分の家に入れたがる貴族は居ない。
まぁそんな背景がありエーリク様とユリア様は長年結ばれなかったと、ね。
幼い頃から平民になった彼女は顔を知っている人も少なく、そして実家から冷遇されていた私も社交界に出ていなかった。
そんな彼女の事情と私の現状が噛み合い上手く事が運んだ。
(勿論うちのジョンが一番活躍したけれどもね)
様々な証拠でお父様を追いやり、従兄弟が伯爵家を継いだ。私の実家への『ざまぁ』は成功したのだ。
――うーん。でも、目の前で断罪してないからこれも失敗かしら。
義母と義妹は上手く逃げたようだがその後は別に追うつもりもない。
ま、興味無いしね?
◇◇◇
――そして今日。
無事に、愛し合う二人の結婚式が行われる事になったのだ。
「まぁ、結婚おめでとうございます!イリーナ様」
「ふふ、貴方のお陰でね、ユリア様。本当にありがとう」
美しく純白のウェディングドレスを着ているイリーナ様に祝福の言葉を伝える。
――本来は立ち位置が違っている私達。会話が分かりにくいのは仕方がない。戸籍を交換したのだから。
花嫁衣装を着ているのは彼女とエーリク様で。
観客席に居るのは私と、ジョンとジェーン。
私はイリーナの名を捨てた。
これからはユリアとして、平民として生きていく。
結構な金額を受け取る契約だったしね。
意外と気に入った辺境伯領に、大きめの一軒家も貰ったし。
もう伯爵令嬢でもない、自由で、お金をいっぱい貰った平民だ。うん、なんてラッキー。
家に尽くすとか、貴族の義務も全部無くなったわ。
――それなら、ジョン達の本当の名前を聞いてもいい頃合いかしら?
私もユリアって柄じゃないし、自分で名前をつけ直しても良いかもしれない。
ジョンとジェーン。
何処かの王子様やお姫様だって構わないわ。
あなた達が答えたくないならそれでもいい。
私は大事なものさえ守れればそれでいいのだもの。
(昔から、手に握り込んだものは絶対に離さないって言われてたんだから)
「ユリア様、お飲み物は?」
「お前はお嬢に絡んでくるな!邪魔!邪魔なの!お嬢には俺がいればいいのーー!」
最近はエダン卿も私によく話しかけてきてジョンを苛立たせている。
私は花嫁が空高く投げたブーケを見上げ、その日差しが眩しくて諦めたけれど。
でも、周りが騒がしく楽しくて笑い声をあげた。
◇◇◇
「もう、お嬢ってばまた惚れられてるじゃん。あの騎士の野郎に」
――あの日、お嬢に出会った時に本当の名前は捨てた。
それなりの家の生まれで、それなりの生活をしていた俺たち双子は、ある日、つまらないお家騒動に巻き込まれ殺されそうになった。
必死に逃げ出して、スラム街に流れ着いたが、よくある日常的な悲劇として人生を終える筈だったのだ。
あの時、俺たちの前に現れた可愛らしい金髪碧眼の天使。
彼女の性格はちょっと変わっていて思っていた以上に苛烈だったけれど。
好奇心が強く前向きで、そして可愛らしい。
「あの日から、貴女はずっと俺の救いなんですよ」
伯爵家で、狭い部屋に押し込まれても。
使用人が着るような服しか与えられなくても。
粗末な食事しか出されなくて、狭い部屋で食べなくてはならなくなっても。
あなたはずっと、俺たちに言い続けてきた。
――俺たちがいれば、他に大切なものなんてないから平気だと。俺たちが宝石よりも価値のある大切な宝物だと。
「こんな事を言われ続けて惚れない奴は居ないだろう?」
貴女の方が最も価値がある宝物なんだ。
他の物なんて貴女に比べたら塵屑以下なんだ。
――だから、もっと俺に頼ってくださいよ。
「お嬢。俺を本気で惚れさせたんだから、ちゃんと責任持ってくれないとね」
彼女の為なら、俺もジェーンも何でも出来る。
そして俺もジェーンもお嬢から一生離れるつもりなんてないんだよ。