【8】夢の足音と現実のざわめき
■1【古賀宗助、京の熱狂に放たれる悪意の種】
明治二十七年(一八九四年)春、東京・霞が関。
大蔵次官室の窓の外では、新しい官庁街の建設が進み、鈍い槌音と、職人たちの怒鳴り声が、ひっきりなしに聞こえてくる。
「…まだ、浮かれておるか。京の都の、お歴々は」
古賀宗助は、京都から届いた報告書を、まるで、汚物でも見るかのように、指先で弾いた。
傍らに控える側近の水野正邦が、緊張した面持ちで、答える。
「はっ。平安神宮の基礎工事も、始まった由にございます。協賛会の近衛公や佐野常民殿も、依然として尽力されているご様子…」
「ふん。近衛公も佐野殿も、そして京都の者たちも、あの紀念祭の京都開催が『閣議決定済み』であることを盾に、強気なことよ」
水野の背筋を、一筋の、冷たい汗が、伝った。
「佐野常民か」古賀はその名を、鼻で笑った。
「あの男も、一度は、大蔵卿として、この国の財政を預かった身。その現実の厳しさを、忘れてしまわれたと見える。水野、忘れたか。俺は、この目で見たのだ。勘定を忘れた、美しいだけの『理想』が、国を滅ぼす様をな。徳川幕府の無残な終焉を」
水野が、息をのんだ。
「…しかし、古賀様。そこには守るべき武士の『義』が…」
その、氷のような声。
旧幕臣として、財政の破綻が、国を滅ぼす様を、その目で見た男の、声だった。
彼にとって、文化や、伝統といった、勘定の合わぬものは、全て、国家を蝕む「病巣」に過ぎなかった。
「今の日本に必要なのは『武士の義』や『雅な笛の音』ではない。鉄を溶かし、大砲を鋳る、槌音だけだ。富国強兵。殖産興業、それ以外は、全てこの国を蝕む、甘い毒だ」
水野は視線を伏せ、ペン先の震えをこらえていた。
「見ろ、水野。世間も、我々と同じ懸念を抱き始めているのだ」
古賀は机の端に積まれていた新聞の一面を無造作に掴むと、そのまま水野の胸元へ放り投げた。
「この記事を書いた記者に、君から『情報』を提供してやれ。京都の平安遷都千百年紀念祭計画がいかに壮大で、いかに非現実的な予算を要求しているか。そしてその陰で京都府の財政規律がいかに緩んでいるか、という『憂国の士からの内部告発』としてな。例えば『国難を告げる折、古都の雅に巨費を投じる京都の狂騒』とでも銘打ってな」
水野は、古賀の意図を即座に理解し深く頷いた。
「…かしこまりました。京都の計画の『非効率性』と『財政規律の欠如』を印象付けるのですね」
「そうだ。多少強引な手段であっても、国家の将来のためだ。彼らには一度、現実というものを知らしめる必要がある。世論が『京都の浪費』に厳しい目を向け始めれば、政府内でも、あの計画への無尽蔵な国費投入を問題視する声が大きくなる。そうなれば、追加の予算要求など通るはずもない。民間の寄付も、自ずと細るだろう。我々は、閣議決定を覆す必要はない。ただ彼らが自ら計画を縮小せざるを得ないよう、あるいは資金難で頓挫するよう、静かに外堀を埋めていけばよいのだ。古都の感傷に浸る余裕など、この国にはないことを、京都の者たちにも、そして国民全体にも改めて理解させる良い機会だ」
古賀の口元に、冷酷な笑みが浮かんだ。
■2【岡崎の地、最初の杭 ~創建工事、厳粛なる開始~】
明治二十七年(一八九四年)春。
まだ朝霧が薄く残る岡崎の広大な野に、白張をまとった神官たちの祝詞が、厳かに響き渡った。その声は春の柔らかな空気に溶け込み、集まった人々の心に千年を超える都の歴史の重みと、新しい時代の始まりへの期待を静かに染み渡らせる。
これは平安遷都千百年紀念祭の最大の象徴事業、平安神宮創建の地鎮祭である。
祭壇の周囲には、中村栄助、佐野常民、そして伊東忠太、木子清敬、七代目小川治兵衛(植治)といった大家たちの姿があった。彼らの少し後ろに、片桐陽介と野々村拓海も、緊張した面持ちで、その神事に臨んでいる。
「エイ、エイ、エイッ!」
鍬入れの儀。まず中村が、次に工事を請負う組の代表が、そして最後に設計を代表して片桐が、斎鎌、斎鍬、斎鋤を手に、清められた盛り砂へ厳かにそれを打ち下ろす。その掛け声と共に、集まった京都の市民や関係者から、どよめきとも安堵ともつかぬ深い息遣いが漏れた。永きにわたる構想と準備、そして幾多の困難の末、ついにこの聖なる事業が目に見える形で動き出すのだ。
(この一鍬が、京都の新たな歴史を刻むのだ…)
中村の胸には、万感の思いが込み上げていた。
やがて大極殿の中心となるべき場所に、最後の標杭が、力強く打ち込まれた。
コン、コン、という槌音が、岡崎の春の空に吸い込まれていく。
その、乾いた音。それは、千年の都の、新たな歴史を刻む、産声だった。
この日を境に、岡崎の地はにわかに活気づいた。
人夫たちの威勢の良い掛け声、土を掘り起こす音、木材を運ぶ車の軋む音。
だが、その希望に満ちた槌音の裏で片桐と野々村は、互いの顔に浮かぶ安堵とそれ以上に色濃い不安とを、見交わすのであった。
式典を終え、広大な敷地に立ち尽くす彼らの顔には、これから始まる本当の戦いへの覚悟が刻まれていた。
■3【動き出した庭、見え始めた「魂」の問い】
岡崎の神苑造成地は、野々村拓海の指揮のもと、着実にその姿を変えつつあった。
先日の設計検討会合で七代目小川治兵衛(植治)から指摘された「琵琶湖疏水の水利計画と生態系への配慮不足」という課題に対し、住民説明会で畑中徳兵衛の教えを取り入れた修正案は、疏水の流れを古の小川に見立てるもので、見事に土地の記憶を呼び覚ましていた。さらにその修正案は植治からも一定の評価を得ていた。
疏水からの水が、苑内の池や流れに生命を吹き込み、土地固有の草木もまた、その土の声を聞くかのように根付き始めている。現場には活気があり、拓海の顔にも創造の喜びが浮かんでいた。
その日、拓海は池泉のほとりに、新しく据えられたばかりの巨大な景石の前に佇んでいた。
石そのものの力強さ、周囲の植栽とのバランス、水の流れとの呼応。一つ一つの要素は彼の設計通りだ。
(…悪くない。水の音も心地よい響きだ…)
だが何かが違う。計算上は完璧なはずなのに、その石がまるで「ここではない」と、彼に囁きかけているかのようだった。
そして顔を上げ、造成中の神苑全体を見渡した時。拓海の胸に名状しがたい、冷たいものが広がった。広大な敷地。築山。木々。そしてその先に聳える予定の片桐のあの荘厳な大極殿。
それら全てが、一つの、大きな調和のとれた「気」の流れの中に、収まるはずだった。
(…だが魂がない…)
それはまだ形にならない、ふんわりとした、しかし確かな恐怖だった。
水利や植栽といった具体的な課題ではない。
この広大な空間に、神域としての深遠な「精神性」をどう宿らせるのか。
(…植治先生の…あの南禅寺の庭で感じた静謐な力。あれをどう創り出すというのだ…?)
そのあまりに途方もなく漠然とした問いが、彼の前に静かにその姿を現し始めていた。
■4【棟梁の技、建築家の新たな問い ~「木の魂」と「現実」の壁~】
岡崎の創建現場は、ぬかるんだ土と職人たちの怒号、そして巨大な木材が軋む音に満ちていた。その喧騒の中心で、片桐陽介は一枚の設計図を忌々しげに見つめていた。
(…またか。木材も違うのか…!)
伊東先生との議論を経て、彼の設計は、より壮麗なものへと進化を遂げていた。だがそのあまりに完璧な設計図は現実の不完全な素材を許さなかった。
「棟梁!この隅木!図面ではこちら側の木目を使うはずです!」
片桐の声が、現場の喧騒を切り裂いた。
特別相談役である、宮大工棟梁・木子清敬がゆっくりと振り返る。
「…片桐先生。この檜は、東からの風を受けて育った木だ。その風を受けた面を外に向けるのが木の、そして、建物の理でござんす」
「理屈は分かっています!だがそれでは軒先から見える木目の、美しさが損なわれる!ここは私の設計通りに…!」
その片桐の焦燥に満ちた言葉。それを聞いた木子の目がすっと細められた。
その皺の刻まれた顔から一切の表情が消えた。
「…先生。あんたはこの社が百年後、二百年後にどうなっていても構わんと。そうおっしゃるか」
その声は静かだったが、その静けさこそが、片桐の全身を凍りつかせた。
「…いや、私はただ最高の美しさを…」
「美しさだと?」木子はゆっくりと片桐に近づいた。
「わしらが今、ここで建てておるのはあんたの自己満足のための美しい『模型』か?違うだろう。これは千年の風雪に耐え、人々の祈りを受け止め続ける、生きた、社だ。その礎となるこの一本の木が今『苦しい』と泣いておるのが、あんたには聞こえんのか!」
その言葉。
それは片桐が学んだ西洋の合理的な建築学とは、全く異なる次元の、そして決して抗うことのできない、重い「真実」だった。彼は、返す言葉もなくただ立ち尽くすしかなかった。
■5【紀念祭を彩る、それぞれの戦い ~京の未来図、多岐にわたる創造~】
岡崎の広大な敷地では、第四回内国勧業博覧会の準備が着々と進み、中村栄助の秘書である大野健吾は、全国から寄せられる出展申し込みの書類の山と格闘していた。窓の外からは、造成地の鈍い槌音と職人たちの怒号が絶え間なく聞こえてくる。
「これだけの規模、本当に会期までに間に合うのか…」
大野の額には汗が滲むが、その目には京都の産業復興への確かな意志が宿っていた。
一方、市内の一角にある工房では早川琴が、時代祭の衣装の最終確認に追われていた。歴史考証の専門家たちと西陣の職人たちが、一つの意匠を巡り激しく意見を戦わせている。
「この時代の紫は、もっとこう沈んだ色のはずだ!」
「そんな色、今の染めの技術では出せん!」
その熱気と埃と、汗の匂いの中で、琴はふと窓の外に目をやった。沿道で一人の老婆が物珍しそうに、工房の中を覗き込んでいる。そして隣の男にこう囁くのが聞こえた気がした。
「…こないな、きらびやかな衣装に、金を使うより、わてらの明日の米をどうにかしてくれはる方が、よっぽどありがたいのになあ…」
そして京の街では、日本初の本格的な市街電車の敷設工事が、市民の期待とそして小さな痛みを同時に、生み出していた。この電車は、ただの新技術ではない。
平安遷都千百年紀念祭に向け、遠方からの来訪者を迎え入れる「大動脈」として、急ピッチで敷設が進められていた。華やかな祝祭の影で、誰かの暮らしが静かに失われていく――その事実を、鉄のレールは何も語らず、ただまっすぐ、未来へと延びていた。
新しい軌道が、朝日を浴びてきらりと光る。その未来への輝きの、すぐ傍らで一軒の古びた茶屋が、取り壊されていた。三代続いたというその店の老婆は、瓦礫の山をただ黙って見つめていた。その小さな背中が、新しい時代の巨大な祝祭の、ほんの僅かな「影」であることを、果たして何人の人間が気づいただろうか。彼らは、京都の近代化という大きな夢の実現に向け一歩ずつ、しかし、着実に、線路を、敷設し続けていた。