【4】設計図に書かれぬ答え
■1【試練は続く、巨匠たちからの「宿題」】
設計検討会合は、熱を残したまま終盤を迎えていた。
荘厳な社殿か、自然と共鳴する神苑か。交わされたのは図面ではなく、美意識の火花だった。
互いに譲らぬ設計思想、だがその根底にあるのは、京への敬意と未来への願いだった。
議論の余韻のなか、片桐陽介と野々村拓海は、それぞれの席に静かに戻った。片桐の頬には沈思の影が差し、野々村の指先はわずかに震えていた。
だが、交わした視線の奥には、確かに灯が残っていた――まだ、終わっていない。
彼らを囲むように、三人の巨匠が席に残っていた。
伊東忠太は図面から目を離さず、刃物のような眼差しで構想を見据えていた。妥協も情熱も、瞬時に見抜く学者の目だ。
木子清敬は腕を組んだまま、何も言わない。その沈黙は、「伝統に寄りかかるな」という棟梁の誇りを語っていた。
そして植治は、静かに目を伏せていた。庭に向き合うときと同じ気配で。だがその背には、自然の声と対話してきた者にしか持ち得ない、重く澄んだ静寂があった。
やがて、議長・中村栄助が静かに立ち上がる。
声量は大きくないが、場に自然と緊張が走る。
「皆様、本日は長時間にわたるご議論、誠にありがとうございました」
一礼のあと、中村はゆっくりと会場を見渡す。
「片桐君、野々村君の設計案については、本日頂いたご意見をもとに、協賛会とも慎重に協議を進め、後日改めてお知らせいたします」
それは穏やかな言葉でありながら、会場全体にとっては“猶予の終わり”を告げる鐘でもあった。そのとき、佐野常民がゆったりと口を開く。
老練の政治家らしい声音に、場が再び引き締まった。
「君たちの構想には、心を打たれるものがあった。しかし問われているのは、図面の美しさではない。百年後の人々にとっても意味を持つかどうか……君たちが、この都と歴史を背負うに足るかどうかだ」
沈黙のなか、片桐の拳がわずかに震えた。野々村の視線が、無意識に床を捉えた。
中村が一歩踏み出し、二人に向き直る。
「君たちに“宿題”を出したい」まるで祭の太鼓のように、低く、腹に響く言葉だった。
「片桐君。君の大極殿案が、この平安遷都千百年紀念祭の“顔”として、どこまで機能し得るか。単なる復元に留まらず、明治という時代の象徴として成立するか――明確な意図を示していただきたい」
「野々村君。あなたには、琵琶湖疏水の水利設計、そして自然生態系への配慮。両立が難しい課題を、技術的根拠をもって解決してほしい。再設計案として、示してもらう」
そして一拍の間を置き、中村は続けた。
「期限は一週間。これは単なる宿題ではない。君たち自身の“覚悟”を測る試練です」
場に重たい静寂が降りた。だがその中に、ふたりの眼差しには異なる光が宿っていた。
(これは建物を描く仕事じゃない。国家の“顔”を描くんだ)
(命の水を、どう神宛に届けるか。それを、自分に問われている)
互いに目を合わせると、無言のうちに頷いた。競うのではない。ともに越えるための、最初の一歩だった。
■2【岡崎の夏、動き出す大地と人々の囁き】
明治二十六年(一八九三年)四月。
春霞がうっすらと遠のき、岡崎の地には、早くも夏を予感させる陽気が差し始めていた。だがその穏やかな光の下で、京都の東に広がるこの一帯は、目に見えぬ熱とざわめきに包まれ始めていた。かつて、野仏と農耕の匂いが入り交じっていたこの地に、いま測量師や役人たちが頻繁に出入りしていた。地面には見慣れぬ赤白の旗、縦横に張られた縄、遠くでは紀念祭会場となる敷地の整地作業の槌音が、土と空に響き始めていた。
平安遷都千百年紀念祭――その象徴としての「平安神宮」創建計画は、すでに噂話ではなくなっていた。人々は気づいていた。岡崎の大地が静かに目を覚ましつつあることを。
粟田口に近い茶屋では、農夫たちが早くも額の汗をぬぐい、湯呑みを置いて声を潜める。
「わしらの畑のすぐ裏手やてな……あのお宮さん、どこまで来るんやろか」
「立派なお宮さんは結構やけど、地価が上がって住みにくなる、て話もあるらしいで」
その声には不安と、抗えぬ予感が滲んでいた。
一方、近くの料亭の若主人は、瞳を輝かせて語る。
「いやあ、ええこっちゃ。新しいお宮さんも勧業博覧会も、人がようけ来るで。このあたりも、祇園みたいに観光客で賑わうかもしれん」
都市とは、期待と不安とが表裏一体となって蠢く場所。祝祭の陰に、すでに複雑な市井の声が芽吹いていた。そのさなか、岡崎に育ち、今や平安神宮創建の一端を担う設計士・橘早苗は、静かな葛藤を抱いていた。生まれ育ったこの土地の景色や人々の暮らし――それが目に見える形で変えられていくことに、彼女は心を締めつけられる思いがあった。けれど同時に、それを設計という力で守り得るかもしれないという希望も、胸の奥にかすかに灯っていた。
その頃、先日の設計検討会合で専門家たちから突きつけられた指摘を受け、片桐陽介と野々村拓海は、それぞれの“宿題”に黙々と向き合っていた。
建築家・片桐陽介は、自身の事務所に籠もり、資料の山に囲まれていた。海外博覧会のパビリオン、国威を示す建築の写真群、そして伊東忠太が残した「象徴性の構造」についての論稿――机上の灯りは夜を徹して燃え、彼の視線は図面の上で止まり続けていた。国家の威信。それを一つの建築に封じ込めることができるのか。彼は、自らの設計が“美”を越えて“意味”となり得るのかを問うていた。
一方、庭師・野々村拓海は、朝露に濡れた岡崎の野に立ち尽くしていた。植治から突きつけられた「琵琶湖疏水の水利計画と自然生態系への配慮」それは、作庭の範疇を越え、命と都市の循環に向き合う問いだった。野々村は、疏水の流れを何度もたどり、そこに自生する草木の姿、鳥や虫の営み、土の香りと温度を肌で感じながら、スケッチブックに筆を走らせた。だが書いては消し、また書いては頭を抱える。その繰り返しだった。都市の夢とは、時に誰かの生活を呑み込んで立ち上がるもの。だからこそ、長年現場に身を置いてきた二人の職人は、その夢を“生きた現実”に変えるべく、京都の土と声に、己の誇りと責任をもって耳を澄ませ続けていた。岡崎に響きはじめた槌音はまだ小さく、かすかな振動でしかなかった。けれどその一打ち一打ちは、まぎれもなく――未来という名の地図を描き始めていた。
■3【故郷への愛と設計図の狭間で ~早苗、心の声~】
京都・岡崎。片桐陽介の設計事務所。
その一角で、橘早苗は静かにペンを置いた。目の前には、岡崎一帯の精緻な地図と、上から重ねられた平安神宮の配置案。計画案の美しさ、線の確かさ、構造の緻密さに見惚れつつも、胸の奥では言葉にならぬ重さが広がっていた。設計士として、しかも尊敬する片桐のもとでこの大事業に携われるのは、名誉以外の何ものでもなかった。彼の主である岩倉具視が遺した「京都を文化の首都に」という夢。それに少しでも近づくこの構想は、早苗の中にも未来の光を灯していた。だが、同時に、その光は――いまある何かを塗りつぶしてしまうのではないか、という影をも落としていた。
目を落とした地図に刻まれた小さな川の流れ、畦道、鎮守の森。どれも彼女が幼い頃に歩いた、記憶の風景だった。祖父に手を引かれて眺めた比叡山の夕映え、夏の夜に蛍が舞った疏水の匂い、紅葉が風に舞う鎮守の社。それらが、この計画によって失われてしまうかもしれない。特に、片桐が提示した初期案では、あの鎮守の森が一部、境内に取り込まれる可能性すらあった。
(この計画は、確かに新たな光をもたらすでしょう。だけど光の強さに目を奪われて、足元にある小さな灯火を見失ってしまわないかしら…)
窓の外。春霞のかかった岡崎の空。
つい先日、実家に立ち寄った折、裏手の路地で顔を合わせた馴染みの店の店主が、ぽつりと漏らした。
「そろそろ立ち退きの話が来るらしいわ。まぁ、うちは古いだけで観光向きでもないさかい……しゃあないんやろな」
そして昨日、再整備案をめぐって片桐と話し合った日のやり取りが、胸によみがえる。
「この一画の店は老舗ですが、再整備の導線と噴水広場の予定地にかかっております。何とか別案も検討はできませんか?」
片桐は地図を睨みながら、しばし黙っていた。
「……ここをずらせば、軸線が崩れる。全体の構造に響く。優先順位がある――今は街全体の構想を優先すべきだ」その言葉に、早苗は何も返せなかった。
店の名も、家族の歴史も、そうした「軸線」の前には脇に置かれるものなのか――
そのとき、背中に薄く冷たい風が吹いた気がした。それは、決して改革への反対ではなかった。ただ、“今”の生活を生きる人々の、ささやかな不安を代弁したつもりだった。小さな声だが、確かにそこにある“現実”だった。
片桐の設計図には、わずかな隙もない。歴史への敬意、建築の論理、国家の威信。あらゆる要素が緻密に織り込まれ、美しさと強さに満ちていた。だからこそ早苗は思う。完璧な図面は、ときに現実の機微を置き去りにすることがある――と。
(私は、片桐先生の仕事を支えたい。全力で。この事業を必ず成功させたい。だけど、それと同じくらい、この土地の声も守りたいのです)
その想いが、静かに心の奥から湧き上がる。設計士としての使命感と、地元の娘としての郷土愛。そのあいだで揺れる彼女の思いは、いまなお答えを見つけられずにいた。
視線を上げると、部屋の奥で図面に没頭する片桐の背中が見える。あの厳しくもひたむきな姿勢に、彼女は敬意を抱いていた。だが、敬意は沈黙を強いる理由にはならない――。
(いつか、この背中に、岡崎の人々の声を届けよう。それが、私の役目なのかもしれない)
まずは、足を運ぼう。茶屋に、畑に、家々に。人々の“日常の言葉”に耳を澄まそう。それを橋として、片桐にも野々村にも渡すのだ。設計図と現実、理念と生活、そのあいだに架かる橋として。その決意はまだ小さな芽だったが、彼女の中で確かに、根を張り始めていた。静かだが確かな覚悟が、春の光の中で、密やかに芽吹いていた。
■4【国家の象徴とは? ~伊東忠太と片桐、設計の核心へ~】
平安神宮社殿の設計案に対する「テスト」の追加課題――それは、先日の設計検討会合で建築史家・伊東忠太から突きつけられた問いだった。
「君の設計は『平安遷都千百年紀念祭の目玉』として、また『明治国家の威信を示す』ものとなり得るのか」
その指摘は、片桐陽介が掲げる「歴史的再現」という信念を根底から揺さぶるものだった。大極殿の屋根形状を史料に忠実に再現しようとすればするほど、どこか内向きで、伊東のいう「華やかさ」や「力強さ」には及ばない。師・岩倉具視が遺した「文化首都」という言葉の深意に、自分はまだ辿り着けていない――そんな焦りが、彼の筆を幾度も止めていた。
数日後、片桐は東京・本郷にある伊東の研究室を訪ねた。机上には古文書とスケッチを抱え、重い扉を叩く。伊東は、突然の来訪にも一切動じず、静かに茶を勧めながら応じた。
「伊東先生、先日は貴重なご指摘をありがとうございました。改めて考えたのですが…」
片桐は設計図を広げ、言葉を選びながら続けた。
「私の大極殿案は、平安様式を可能な限り忠実に蘇らせようとするものです。しかし、それが『博覧会の目玉』たり得るか、正直なところ自信が持てません。時代考証に囚われるあまり、今を生きる人々の心に響く力や華やかさに欠ける気がして…」
その声音には、設計者としての苦悩が滲んでいた。
伊東は頷き、ひと口茶を含んでから穏やかに口を開いた。
「君の敬意と探求心は素晴らしい。だが『歴史的再現』とは、単なる写し絵ではない。大事なのは、その時代の人々の精神、その建築が果たした役割、そして込められた『魂』を、今に蘇らせることだ」
彼は窓辺を見やりながら、語る調子を少し強めた。
「宮大工の棟梁が木の癖を読み取るように、我々もまた、歴史という木の声に耳を澄ませねばならない。たとえば西洋のゴシック建築を見たまえ。あれは天を目指す強烈な信仰心と、当時の最先端技術の結晶だ。形だけ真似ても、あの感動は再現できまい」
再び図面に目を落とした伊東は、大極殿の正面広場を指した。
「この空間に人々が立った時、何を感じるか。そこに宿る意志と精神――それを突き詰めてみるといい」
彼の言葉は穏やかだが、その奥には学者としての厳しさと、建築に宿る理念への深い覚悟があった。
「君が再現しようとする大極殿は、平安期における日本の中心であり、帝の威光の象徴だった。その『魂』とは何か。そして、なぜ今それを蘇らせるのか。それを君自身が見出し、明確な『意志』として図面に刻み込むこと――それができた時、君の設計は自然と明治国家の威信を示し、観る者の心を打つだろう。魂なき美では、人は動かされないのだ」
その言葉は、片桐の心に深く染み渡った。「歴史の声」「建築の魂」「明治の意志」。それらは、彼がこれまで正確さと考証ばかりを追っていた設計に、新たな指針を与えるものだった。
――再現の先にある“創造”へ。
それは、彼の設計士人生において、初めて見えた真の道筋だったかもしれない。
「…ありがとうございます、先生。少しだけ、先が見えてきた気がいたします」
片桐は深く頭を下げた。伊東忠太の厳しくも温かい眼差しとともに、建築とは“形”だけでなく“生きた意志”であることを、彼はようやく知りはじめていた。
■5【植治の庭、そして匠真の無心 ~魂の庭への道~】
平安神宮神苑の設計という大役。その「テスト」としての設計検討会合で、野々村拓海は特別相談役・七代目小川治兵衛――通称「植治」から、自身の構想の核心に関わる厳しい指摘を受けていた。
「琵琶湖疏水の水利計画と生態系への配慮不足」
その言葉は、拓海の心に重く突き刺さり、数日を経た今も抜け落ちていなかった。彼の目指す「訪れる人の心に安らぎを与える庭」は、まず自然との調和が完璧でなければ実現し得ない――その原点に、再び立ち返らざるを得なかった。
意を決し、拓海は植治の庭園を訪ねた。そこは、人の手が入っていないかのように見せながら、一木一石に至るまで緻密に計算された自然美が、静謐な空気の中に息づいていた。巧みに隠された取水口から流れ込む水は、自然石を滑り、白く泡立つ瀬となり、あるいは鏡のような静寂をたたえて池泉へ注ぎ込む。水音の変化、木々の揺れ、光の戯れ――すべてが、植治の庭づくりそのものである。池のほとりでは、植治が一本の若松と対話するかのように、剪定鋏を手に佇んでいた。
「植治先生、先日は貴重なご指摘、ありがとうございました。あの後、考えを巡らせましたが……やはり先生のお知恵を、もう一度拝借したくて」
拓海は、神苑の新たな見取り図と水路に関する試案を広げた。
「この神苑に疏水の水を引くにあたり、水量の調整、水質維持、岡崎の生態系との調和について、私の案では具体策が足りません。池泉の淀みを防ぎ、植生への影響を最小限に抑える工夫――その上で新たな命を育むには、どのような点にご留意なさっておられますか」
植治は無言で図面を眺め、ゆっくり顔を上げた。その眼差しには、厳しさと後進への慈しみが同居していた。
「拓海、水は生き物だ。そして岡崎の土もまた、千年の息吹を宿しておる。図面の上で水を操ろうとするな。まず、その土地が何を望み、水がどう流れたがっているか、その声を聞け。風の音、鳥の声、草の匂い――すべてが答えを持っておる。疏水の水は恵みだが、扱いを誤れば、たちまち庭の命を奪う。自然の理に逆らわず、水と土、草木が互いに助け合い、育み合うような流れを、お前自身が見出すのだ。それとな――庭をつくる者は、地形と水脈だけを見ていてはあかん。そこに長く暮らしてきた人の声を、耳を澄まして聴け。人の暮らしに添う庭を考えよ」
そう語りながら、植治は自身の庭の一角を指し、取水・排水の配置、土壌の保全策、土地固有の植生の活かし方などを具体的に示した。それは小手先の技ではなく、自然と対話し続ける者にしか語れぬ、庭師の哲学そのものであった。
拓海は、植治の言葉を一言も聞き逃すまいと、真剣な眼差しで耳を澄ませた。彼の中で、漠然としていた神苑の水系構想が、次第に具体的な形を帯び始める。それは単に水を引き込むだけでなく、岡崎の土地そのものを生かし、新たな命の循環を生み出すという、壮大で繊細な挑戦だった。
その夜、自宅に戻った拓海は、険しい表情で図面と向き合っていた。妻の弥生が番茶を差し出すと、彼は珍しく弱音を吐いた。
「植治様に己の未熟さを思い知らされた…。訪れる人の心に真の安らぎを与える庭など、わしに創れるやろか……」
弥生は夫の手をしっかりと握り、静かに言った。
「あなたならできます。いつも石の声、木の声を聞いてこられたでしょう? 匠真も言うてました、『お父ちゃんのお庭は、人がニコニコするから好きや』って。あの子が楽しみにしてる、あなただけの、皆がホッとできるお庭を――作ってあげてください」
その言葉に、拓海は深く頷いた。植治の厳しさと、弥生の優しさ。両者の声が胸に響き、野々村拓海は再び立ち上がる。――理想の庭、その核心にある「魂」に触れるために。
■6【故郷のための提言、住民説明会への道筋】
平安神宮創建の設計図が日ごとに具体味を帯びていく片桐陽介の事務所。橘早苗は設計士としてその壮大な計画に関わることに誇りを感じつつも、故郷・岡崎への深い愛情と、開発による変化への懸念を胸に抱えていた。
片桐と野々村が、それぞれ伊東先生と植治先生という巨匠の指導を仰ぎながら、設計を磨き上げていく姿は頼もしかった。だが、どれほど優れた構想でも、岡崎に生きる人々の気持ちと乖離してしまえば、それは都市に根を張る「建築」にはなりえない――早苗の中で、そんな想いが日ごとに強まっていった。彼女の信念である「土地への敬意」は、具体的な行動を求め始めていた。
「いつか、岡崎の民の小さな声を届けなければ」
そうした想いは、待つだけでは届かない、という焦燥へと変わっていった。
その日、神苑構想を前に議論を重ねる片桐と野々村の前に、早苗は意を決して立った。
「片桐先生、野々村様。少しお時間をいただけますか」
いぶかしげに顔を上げた二人に、彼女は真剣な面持ちで続ける。
「平安神宮創建の計画について、岡崎の住民の方々へ、私たちから直接説明し、ご理解をいただく場を設けるべきではないでしょうか」
その声は、凛として迷いがなく、しかし切実な響きを帯びていた。
「岡崎の人々は、この事業に期待しつつも、自分たちの暮らしや慣れ親しんだ風景がどう変わるのか、不安を抱いておられます。先生方の設計がどれほど優れていても、それが住民の心に届かなければ、真の意味での成功とは言えないと思うのです。今こそ、私たちが直接対話し、計画の意義を伝えるとともに、住民の声に耳を傾けるべきです。それが神宮が岡崎に受け入れられるための、そしてこの地に生きる者として私の務めでもあると考えています」
少し息を整えてから、彼女は言葉を継いだ。
「私自身が岡崎の者として、そしてこの計画に携わる設計士として、その橋渡しを担わせていただきたく存じます。住民の方々が心から創建を喜び、神宮と岡崎が共に歩めるような未来の第一歩となるように」
片桐と野々村は、言葉を失っていた。その眼差しには、早苗の故郷への真摯な愛情と、設計士としての責任感が宿っていた。
伊東や植治という巨匠から設計の核心を問われていた今、早苗の提案は、もうひとつの重要な「声」に気づかせてくれるものだった。住民の声、それもまた、設計が向き合うべき現実。
心のどこかで感じていたが、日々の重圧の中で後回しにしていた問い。その封印を、彼女の言葉が解いた。
「……早苗君、君の言う通りだ。我々も、岡崎の皆さんの声を聞くべきだ」
片桐が、静かに、しかし確固とした意志で応じた。野々村もまた、深く頷いた。
岡崎という地に本当に根を張る「神宮」のために。その第一歩がいま刻まれようとしていた。