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【3】図面に宿る都の誇り

■1【東京の深謀、京都の夢に差す影 ~古賀宗助、最初の牽制~】

明治二十六年(一八九三年)二月。東京・霞が関、大蔵省の執務室。

真鍮のランプに照らされた重厚な空間は、どこか病的なまでに整然としていた。寒気をはらんだ風が窓を叩くが、この部屋の空気は季節すら寄せつけぬ冷たさをまとっている。

机の前に座る男――大蔵次官・古賀宗助は、数字の海に没頭していた。列挙された予算案、国債の残高、歳出の内訳。すべてが彼にとっては国家の「骨格」であり、「現実」だった。そこに夢や情緒が割り込む余地はなかった。

(文化?象徴?そんな曖昧なものに、金を流す余裕はない)

古賀は、旧幕臣として財政崩壊の記憶を刻んでいた。放漫な理想が国を破滅に導いた――その痛みが、彼をして鉄の合理主義者たらしめていた。富国強兵、殖産興業、欧化政策。それらを裏で支えてきたものは、美辞麗句ではない。数字の裏付け、計画の精度、そして徹底された予算管理だ。古賀にとって、それこそが国家運営の「中枢」であり、東京官僚機構の矜持であった。

そんな彼の下に、一枚の報告書が届く。「平安遷都千百年紀念祭」「平安神宮」「内国勧業博覧会」――いずれも、京都発の文化的祝祭案である。側近の水野正邦が報告書を差し出すと、古賀は目を細めて読み始めた。だが、次第にその眉間に皺が寄っていく。

「……まるで夢日記だな」

苦笑すら混じる声で、古賀は呟いた。社殿の再建、庭園の造成、平安京の復元――どれもが、浪漫に満ちていた。だが、それは彼の中で“地方都市の自己満足”に過ぎなかった。

「その夢を叶えるために、いくら国費を使うつもりだ?」

側近の水野は一枚の書類を軽く持ち上げながら、低く抑えた声で応じた

「京都側は全国から寄付を募る予定ですが、実際には国庫への依存を前提としている模様です。また、岡崎地区の官有地の無償払い下げも視野に――」

古賀は鼻先で笑った。

「寄付で文化を守る……よくある詭弁だ」そして、ふと顔を上げる。

「文化は経済の骨に咲く花だ。骨を造らねば、花も咲かん。文化で飯が食えるか」

その一言には、冷徹な国家観が滲んでいた。文化を支えるのは情ではない。東京官僚機構の論理であり、国家財政の鉄則だ。

(佐野、近衛、岩倉……)

古賀の脳裏に、文化都市構想に奔走した名が浮かぶ。だが彼にとって、それらは“幻想を生んだ人間”にすぎない。

「佐野も中村とかいう実業家も、夢に酔っている。国家の未来は、過去の再現ではない。創造であり、設計だ」その視線は、すでに京都を見据えていた。

「この計画、監視対象に入れよ。特に金の流れと関係者の動き。逸脱があれば――東京の論理で是正する」

「はっ。直ちに対応いたします」水野が静かに頷く。

東京が築いてきた「現実」の国家。それに京都が掲げる「象徴の夢」が、じわじわと浸食しようとしていた。しかし古賀宗助という存在は、それを許さない。彼は、古都の夢に現実の刃を置く者にほかならなかった。


■2【シカゴの華、京の雅を世界へ ~文子、万博に日本の美を灯す~】

 その頃、京都の熱気から遠く離れたアメリカ合衆国・シカゴの地では、もう一人の“京の遺志を継ぐ者”が、異国の舞台で日本文化の真価を問うという大任に挑んでいた。京都実業協会の渉外担当、桐島文子。アメリカ育ちの彼女は、流暢な英語と国際感覚を武器に、国内外の交渉役として中村栄助に重用されてきた。彼女は、「日本文化は世界でこそ輝く」という確信を胸に、京都の伝統を広く海外に発信する役割を、自らの誇りと信じていた。

明治二十六年(一八九三年)三月。万博開幕を目前に控えたシカゴは、あらゆる国と民族が集い、文字通り世界の縮図の様相を呈していた。会場のジャクソン公園では、各国のパビリオンが競うように聳え立ち、その中にあって日本館「鳳凰殿」は、ひときわ異彩を放っていた。―平等院鳳凰堂を模して京都の職人たちが再現したこの木造建築は、精緻な意匠と優雅な構造美で、すでに欧米の建築家たちを唸らせていた。

 桐島文子はこの「鳳凰殿」を拠点に、京都の雅を凝縮した文化使節団を編成。祇園から選抜された芸妓・市駒と、十代の舞妓・市乃を伴い、異国の地に乗り込んでいた。政府主導の出展とは一線を画し、京都独自の美を世界に伝えること。それが、彼女の使命であり、自らに課した名誉の舞台だった。

「市駒さん、市乃さん。胸を張って、京の誇りを舞ってください。今宵の舞がきっと世界の目を開かせる」

 内覧会の開演直前、文子は二人の芸妓に静かに語りかけた。扇の角度、足さばき、表情――細部まで磨き抜かれた舞は、まさに“動く工芸品”であった。鮮やかな友禅と白粉の気品、そして琴線に触れる三味線の調べ。東洋の美が、静寂を破って鳳凰殿に降り立つ。やがて、舞が始まった。観客席には、欧米の記者、万博委員、婦人たちが身を乗り出して見入る。最初はざわめいていた会場が、気がつけば水を打ったような静けさに包まれていた。舞い終えた瞬間――。嵐のような拍手と歓声が鳳凰殿を揺らした。

「なんと気品のある舞だ」「息を呑んだ…」

ひとりの夫人がハンカチで目元を押さえ、英国の新聞記者は、「東洋の沈黙に、魂を鷲掴みにされた」と呟いた。

その光景を見つめながら、桐島の胸に熱いものが込み上げた。

(中村会長、見ていてください。京の美は、確かに世界に通じています。佐野様のように、文化の力を証明する時が来たのです)

彼女の胸には、ただ一つの願いがあった――この手応えを、京都に、そして未来に届けること。文化首都・京都の構想は、決して時代錯誤の幻想ではない。国境も、時代も越えて、真に人の心を動かす力なのだと。

 この日の成功は、単なる一回限りの舞台ではない。それは、遥か彼方の京都で、志を同じくする者たち――片桐陽介、野々村拓海、中村栄助――彼らの胸に火を灯す、確かな吉報となるはずだった。そして彼女は、心の奥底で密かに思っていた。

(私は、“未来に残るもの”を伝えたい。京都の名を世界に刻む、その礎のひとつとして―)

彼女の眼差しは、すでに舞の終わった鳳凰殿の奥へと向けられていた。そこには、文化と時代を繋ぐ者の覚悟と誇りが宿っていた。


■3【主の遺志と設計者の重圧 ~橘早苗との協働、試される設計~】

明治二十六年(一八九三年)三月。京都。

片桐陽介の設計事務所は、常になく張り詰めた空気と、それでいて抑えきれない熱気に満ちていた。平安神宮社殿設計の総責任者という、名誉ある立場を得られるかもしれない。しかしそれは、中村栄助と佐野常民から課された「テスト」――建築史の大家・伊東忠太、宮大工の木子清敬という強大な存在を意識しつつの、自身の設計者としての真価を問う試練でもあった。提出期限は刻一刻と迫り、片桐の神経は極限まで研ぎ澄まされていた。

 事務所の主である片桐は、連日連夜、平安京大内裏に関する膨大な古文書や絵図、そして西洋の最新建築技術の資料の海に沈み込むようにして、具体的な設計作業に没頭していた。その双肩には、亡き主・岩倉具視が夢見た「京都文化首都構想」の実現という、あまりにも重い遺志がのしかかる。彼の目指す「歴史的再現」は、この主の遺志を最も忠実に、そして最も壮麗な形で現世に蘇らせる道だと信じていた。

(岩倉様は、単に古い建物を残すことだけを望まれたのではない。京都がモスクワのように、政治の中心でなくとも精神文化の中心として世界に輝くこと、そのための具体的な道筋を、あの「京都皇宮保存に関する意見書」にも示唆されていた…その精神を、この設計に込めねば…)

(岩倉様は、あの病床で、私の手を握り、かすれる声で言われた。

「片桐…この京都を頼む…日本の魂を、未来へ…」と。その言葉の重みが、今も私の設計の一本一本の線に宿っているはずだ…)

だからこそ、古賀宗助ら中央政府からの冷ややかな視線を感じつつも、歴史的考証に基づいた荘厳にして完璧な大極殿を再現し、明治日本の技術の粋を世界に示すのだという決意は、鬼気迫るほどに強固なものとなっていた。

その片桐の傍らで、若き女性設計士・橘早苗が、真剣な眼差しで広げられた岡崎周辺の地形図と、片桐の初期スケッチを照合していた。

片桐の脳裏に、かつての一場面がふと蘇る。彼が琵琶湖疏水の関連施設の工事を手掛けていた頃だった。測量と設計に没頭する彼のもとを、当時まだ十代だった早苗が訪ねてきたのだ。

「この疏水は、ほんまに京を変えるんですね?」

桜の花が舞う現場で、彼女はそう言った。古びた岡崎の地に、新たな命を通す水路。その構想に目を輝かせた少女の姿が、記憶の奥に焼きついていた。

「あの目を、私は忘れられない」

彼女が片桐の事務所を訪れたのは、その数年後のことだった。すでに女性設計士として基礎を身につけ、ただ“弟子になりたい”とだけ言って頭を下げた。あの時の意志と情熱は、今も揺らぐことなく彼女の眼差しに宿っていた。彼女は紀念祭開催予定地である岡崎の古い名家の者で、片桐が以前手掛けた琵琶湖疏水の関連施設の設計における、伝統と近代技術の調和、そして何よりも京都の未来を見据えるその姿勢に深い感銘を受け、その情熱と才能をもって自ら片桐の事務所の門を叩いた。 今では片桐とほぼ対等の立場で、設計事務所の運営に参画している。平安遷都千百年紀念祭の会場予定地である岡崎。その土地の歴史や地理、植生、そしてそこに住まう人々の気質に至るまで、情報量と分析において、早苗の右に出る者はいない。彼女の深い知識は、片桐が「歴史的再現」を追求する上で、その舞台となる岡崎の風土を正確に把握し、設計に反映させるための、欠かすことのできない力となっていた。

「片桐先生、大極殿の配置ですが、この岡崎の地形図を詳細に見ますと、東山の稜線との関係で、ご提案の軸線からわずかに東へ振ることで、より印象的な借景が得られる可能性がございます。また、その場合、現在も地元の方々が大切にされている古い鎮守の森への影響も、最小限に抑えられるかと…あの森は、子供の頃、祖父とよく散策した思い出の場所でもありまして…もし、あの森が傷つくようなことになれば、岡崎の者たちはきっと心を痛めるでしょう。」

早苗は、設計士としての専門的な視点から、岡崎の土地が持つ特性を冷静に分析し、片桐に伝える。彼女の言葉には、故郷への深い愛情が自然と滲むが、今はあくまで設計上の客観的な情報提供に徹していた。平安神宮創建という壮大な計画が、故郷に大きな変化をもたらすことへの一抹の不安は、まだ彼女自身の胸の内に秘められている。

 片桐は、早苗の言葉に短く頷き、図面へと視線を戻した。

「うむ、その鎮守の森の位置と規模、そして地形との関連は重要な情報だ。大極殿の配置は、平安京内裏の古制に厳密に従う必要があるが、岡崎という新たな場所での再現においては、その土地の持つ文脈を無視することはできん。その森の由緒について、さらに詳しい資料があれば、後ほど見せてほしい」

 彼の頭の中は、平安時代の壮麗な様式をいかに正確に再現し、この「テスト」で最高の設計案を提示するかということで一杯であり、早苗が言葉の端々に滲ませる岡崎への個人的な想いや、住民感情といった細やかな機微までは、まだ十分に届いていない。師の理想と、歴史の再現、そして中央の厳しい目。その全てに応える設計を、まず成し遂げねばならない。片桐の設計者としての重圧は、彼をより一層、純粋な建築的探求へと駆り立てていた。


■4【笑顔になる庭への挑戦、家族の温もりと巨匠の影】

同じ春の陽が、片桐陽介の設計室とはまた異なる穏やかさで、野々村拓海のささやかな庭にも降り注いでいた。庭に座した拓海は、縁側に腰を下ろし、白紙の和紙を前に腕を組んでいた。ひんやりとした朝の空気が、彼の眉間の皺を、ますます深く刻んでゆく。その紙は、これから岡崎の地に生まれる壮大な平安神宮、その神苑の最初の設計図となるべきものだった。そしてそれは同時に、中村栄助と佐野常民から課された「テスト」――そして七代目小川治兵衛(植治)という圧倒的存在を前に、自らの真価を問われる試練でもあった。

(この庭を訪れる人々が、心から安らぎ、明日へ向かう力を得られるような空間でなければならん。ただ美しいだけでは足りない。魂に触れるような、そんな庭…)

(雨上がりの苔に宿る雫が朝日に煌めくとき。月の光が、石の影をそっと地に描き出す静謐な夜。そんな一瞬が、誰かの心をそっと洗うような…)

拓海の頭には、かつて岩倉具視と共に歩いた欧州の市民公園の光景が重なっていた。誰もが自由に憩う、開かれた空間。そして日本の古寺が持つ、静かなる祈りの場。それらの記憶と体験が、彼の創造を静かに導いていた。

(片桐先生の描く社殿は、きっと威厳に満ちておられるだろう。ならば、わしの庭は――そこへ向かう者の心を整え、社殿を後にする者の余韻を深める、“あわい”の場でなければならん。)

(中村会長の語った、京都再生への夢。その一翼を、この庭で担えるなら――いや、担わねばなるまい。)

拓海の設計は、石の配置や樹種の選定といった造園の技術的要素を超え、「人の心に何を残すか」という根源的な問いと向き合う営みだった。それは単なる仕事ではない。庭師・野々村拓海という一人の人間が、この時代に何を刻めるのか――その覚悟が試されていた。

そんな時、背後から優しく響く声が空気を和らげた。

「拓海さん、また難しい顔してはりますなあ。お茶でも、どうどす?」

妻・弥生が、湯気の立つ湯呑を盆に載せて、にこやかに立っていた。その姿に、拓海はふと眉を緩める。彼女の明るさは、重圧と孤独の只中にある彼にとって、現実へと引き戻す錨であり、何よりも救いだった。

「ああ、弥生か。すまん、少し根を詰めすぎたようや」

「よろしおすよ。たくさんの人が笑顔になれるお庭を考えるんやもん。難しゅうて当然。せやけど、拓海さんなら、植治さんにだって負けへん。きっと、みんなの心がほっとするようなお庭をつくりはる」

弥生の言葉には、夫への絶対的な信頼と、庭師としての核心を突く直感が込められていた。その優しい一言が、心を沈めかけた拓海の胸に、小さな火を灯した。そこへ、庭先で遊んでいた息子・匠真が、泥のついた手で駆け寄ってくる。

「お父ちゃん、何描いてるの?」

「ん? これはな、今度できる大きなお宮さんのお庭の設計図や。来てくれた人が、みんな笑顔になれるような庭にしたいと思てな」

「えーっ、笑顔になるお庭!? それ、すごいなぁ! 匠真も、笑顔になれる? お花がいっぱいで、小川があって、木陰で絵が描けるとこがあると、毎日行きたいなあ」

無垢な瞳の輝き。その小さな夢想こそ、拓海にとって何より大切な“基準”だった。庭とは誰のためにあるのか。それは、権威でも賞賛でもなく、こうした子どもたちの未来の記憶となるもののはずだ。だがその背後には、常に植治の巨大な背中があった。

(あの人の庭は、石一つ木の一本にまで、自然と技の融合が宿っとる…。わしの図面はまだ、そこに追いつけてへん)

敬意と羨望、そして焦燥。そのすべてが混じり合い、彼の筆を一瞬止めさせる。

(植治さんなら、この問いにどう応えるやろか。わしの庭が、魂に触れうる庭かどうか…)

だが次の瞬間、再び拓海は筆を取った。妻の微笑み。息子の声。京都を訪れる未来の誰かの姿。その全てを胸に刻み、彼はもう一度、和紙の上に線を引いた。誰かの心に、そっと届く庭を。誰かの人生に、そっと寄り添う場所を。それが自分にできること――庭師・野々村拓海の、人生を懸けた挑戦だった。


■5【試される設計案、専門家たちの厳しきまなざし】

数週間後――。京都商工会議所の大広間にて、京都実業協会主催による平安神宮創建委員会の第一回設計検討会合が開催された。それは、片桐陽介と野々村拓海にとって、まさに“試される場”。中村栄助と佐野常民から課された「テスト」の本番であり、彼らが主任設計者としての資質を見極められる最初の関門だった。

会議室には、錚々たる面々が顔を揃えていた。議長席に中村栄助。特別参加として佐野常民。さらに、建築史家の伊東忠太、宮大工棟梁の木子清敬、植治(七代目小川治兵衛)といった専門家たちの姿もある。 冷たい空気が会場を満たし、緊張が走る。木造の床が軋む音さえ、異様に大きく響いた。片桐と野々村は、会場後方の末席に控え、固唾を呑んでその瞬間を待っていた。そして全員の視線が、一斉に片桐へと向けられる。呼吸一つで空気が変わる。片桐は大きな和紙を広げ、確かな手で設計図を掲げた。自らの信念と信頼をすべて託すように。

「では片桐くんから、始めてくれたまえ」

片桐の覚悟を見定めるように、中村栄助が一歩踏み出し、静かに声をかけた。

「――皆様。これが、私の描いた平安神宮・大極殿の構想図です」

緊張の中、それでも声は澄んでいた。

「私は『歴史的再現』という理念に則り、桓武天皇の御代の朝堂院様式を徹底的に考証し、可能な限り忠実に再現することを目指しました。縮尺は実物の八分の五に留めましたが、その威容は、千年の都・京都の新たなる象徴として、明治の国家技術を内外に示すものになると確信しております。これこそ、岩倉具視公が目指した『京都文化首都構想』の礎となると、私は確信しております!」

和紙に描かれた壮麗な大極殿の線は、片桐の魂そのものであり、歴史への敬意であった。会場からは、微かな感嘆の声が上がる。

その隣で、橘早苗がそっと地形図を差し出した。彼女は片桐の志を補うように、淡々と語り始める。

「配置は、岡崎の地形と東山からの眺望、疏水との調和を踏まえています。さらに古来から残る小祠や古道にも配慮し、神宮全体が地域の歴史と共鳴し、自然の中に溶け込むよう設計されています。片桐先生の歴史考証と、岡崎への深い敬意が共存する構想です」

その言葉には、冷たい設計図では決して語れない“ぬくもり”が宿っていた。壮大な夢を、地に足つけて現実の地形に根ざす――。それは片桐一人では為し得なかった補完だった。だが、賞賛一辺倒で終わる場ではない。建築史家・伊東忠太が、静かに口を開いた。

「片桐君、考証の努力は認める。だが、これはただの再現建築ではない。この神宮は、平安遷都千百年紀念祭の『目玉』としての役割を担い、同時に、新たな明治日本の威信を象徴せねばならぬ。

君の大極殿は、確かに厳粛で、学術的に見れば価値がある。だが国家の象徴として、人々を一目で魅了する“華”があるか?祝祭空間として、万人に訴える明快な“物語”があるか?明治国家が、世界へ語るべき“強さ”や“意志”が、そこに込められているか?」

言葉は静かだが、内容は鋭利だった。伊東は続けた。

「例えば、パリのエッフェル塔。あれは単なる鉄塔ではない。フランスの誇りと技術力、そして近代の希望そのものだった。君の大極殿は、それに比肩しうる“言葉”を持つか? ただの過去の再構築では、国家は語れない。君の図面は、美しく精緻だ。だが、あまりに“上品”すぎる。建築とは、時に野蛮であれ。なぜエッフェル塔が世界を驚かせた? あれは“下品”だったからだ。無教養の民にも届くわかりやすさ――それが国威なのだよ。文化人には刺さるだろう。だが、田舎の農夫の心を動かせるか? 建築は“思想”であると同時に、“見世物”でもある。それを忘れた時点で、建築家は独りよがりになる」

痛烈な指摘に、会場の空気が凍りつく。その中で、片桐は顔色一つ変えず、真っ直ぐに伊東を見つめていた。続いて中村栄助が、静かに口を開いた。その声には、重責を背負う者だけが宿す苦味が滲んでいた。

「――片桐君。構想の熱意は、十分に伝わった。だが、これを実現するには莫大な予算と、限られた工期という現実が立ちはだかる。これらをどう乗り越えるか、その道筋まで示さねばならぬのだ。この計画は、佐野様から、いや、岩倉公の遺志から託された“京の未来”そのもの。我々は、失敗できん」

それは、一見冷徹な言葉でありながら、実は片桐に寄せる“最後の信頼”でもあった。

そのすべてを、片桐は黙して受け止めた。背筋を伸ばし、凛としたまま、返す言葉を持たぬままだった。今はただ、すべてを図面と計画書に語らせるほかなかった。


■6【笑顔になる庭への挑戦、試される庭師の真価】

片桐陽介による熱意のこもった社殿構想の発表と、それに対する専門家たちの厳しくも誠実な応酬が一段落すると、会議室には静かな緊張と、微かな期待の空気が満ちていた。次に指名されたのは、庭師・野々村拓海――。彼にとってもまた、この場は「試練」そのものだった。しかも今日は、当代随一の庭師にして七代目・小川治兵衛――通称「植治」が審査に加わっている。その名前を聞いた瞬間、背筋に冷たい汗が伝った。だが、逃げるわけにはいかない。野々村は黙って立ち上がり、数枚の丁寧に描き込まれた写生図と、岡崎の地形を写し取った見取り図を机の上に並べた。

「次は野々村君……君の言葉で、この場を動かしてみよ」

中村栄助が、ゆるやかに野々村の名を呼び、場の空気を割るように促した。

「……私が目指しますのは、訪れる方々の心が自然と和み、笑顔がこぼれるような、“笑顔になる庭”でございます」

その声には、技術者としての計算ではなく、父として、夫として、人としての“願い”が滲んでいた。

「平安の魂に触れ、自然の深さと移ろいを感じて、ほんの少しでも明日への力を得ていただけるような庭――先日、息子が砂場で無心に都を作ろうとしておりました。その姿に、そして妻の『みんながホッとできるお庭を』という言葉に、私は、改めて“つくりたい庭”の姿を見たのです」

図面には、岡崎の緩やかな地形を活かし、琵琶湖疏水の清流を中心に設けた池泉、四季折々の木々や花々、そして回遊式の園路が描かれていた。人工的に作られた“景”ではなく、まるで自然が語りかけるような佇まい。そこには、過去と現在、都市と自然、理と情の“縁”をつなぐという、野々村の美学があった。

「この神苑が、片桐先生の社殿と調和し、都市のざわめきから訪れる人々の心をそっと包み、癒すものであればと願っております」

その真摯な語りと構想に、佐野常民がふっと頷いた。

「――野々村君、君の庭には、人の心に寄り添おうという“やさしさ”がある。それは、かつて岩倉様が仰っていた“民の安寧”という願いにも、通じるものがあるかもしれんな……」

その一言は、野々村の胸に深く刻まれた。だが、同時にその直後――植治が静かに口を開いた。

「野々村君。君の“笑顔になる庭”、その心意気、まことに良し。岡崎の自然を活かそうという志も、わしは買う。……じゃがな」

植治は図面の一角、池泉の水脈が描かれたあたりを指で叩いた。

「琵琶湖疏水の水を引き込むとあるが、その取り入れ口、そして流れ。水の循環と清浄、さらには庭全体の生態系との共存……それらの“仕組み”が、いま一つ見えてこん。池はただの飾りではない。淀めば、死ぬ。草木は水の声を聴き、土の気配と語り合ってこそ、初めて生きる。それを、君はほんとうに理解しとるか?」

植治の語り口は柔らかだったが、含む“鋭さ”は比類なかった。その指摘は、単なる水利設計の不備ではなく、自然を扱う者としての“姿勢”そのものへの問いだった。

「君の庭は、よう整うとる。女将が朝に生けた花のようや。そら綺麗や。でもな――その花、誰に咲いとるのかが、ようわからん。人に見せるためか? それとも、自分が咲きたくて咲いとるんか? “整う”だけやない、“生きとる”かが大事なんや。

わしが“ほんまもんの庭”や思うのはな、忘れられた畦道に咲く野菊や。誰が見るでもない。せやけど、朝露に濡れて、小さくても確かに息しとる。それが“さび”や。自然と共にある命の佇まい。君の庭には、まだその寂が足らんのや。」

その静かな一言が、野々村の胸に深く、ずしりと落ちた。

たしかに――自分は「癒し」や「美しさ」ばかりに気を取られ、庭という“命の循環”の本質に、まだ届いていなかったのかもしれない。形ではない、根を張るということ。息をする庭。その声を、もっと聴かねばならない。野々村は、深々と頭を垂れた。感情ではなく、誇りでもなく、ただ静かに。その沈黙が、彼の覚悟と学びの深さを物語っていた。


■7【美意識の火花、試される調和と早苗の祈り】

七代目・小川治兵衛(植治)による厳しくも的確な指摘が終わると、会議室には再び沈黙が流れた。神苑の水利――その根幹にある「命の循環」が問われた今、すべての設計があらためて精査の対象となる。この場は単なる発表会ではない。各々の理念と技術、そして“都市の魂”を託す資格そのものが試されている。

そんな中、ゆっくりと立ち上がったのは片桐陽介だった。会場がざわめくわけでもなく、ただ一つ、彼の眼差しに宿った熱が、その場の温度をわずかに変えた。彼の言葉には、「歴史的再現」への揺るぎない信念が、まっすぐ込められていた。

「野々村君。君の語った“笑顔になる庭”という理念、それ自体は美しい。……だが、私は危惧する」

片桐は社殿の設計図の一点を指差しながら、静かに言葉を続ける。

「この平安神宮は、桓武天皇を祀る“国家的記念碑”であり、千百年の時を超えて再誕する、我が国の精神の象徴です。私の設計する大極殿は、寸分の隙なく荘厳さを追求し、徹底した歴史考証に基づいています。しかし、君の神苑構想は――あまりに情緒的すぎやしないか。統制よりも、優しさや自由を優先すれば、社殿が持つべき“格”や“神聖”さが、霞んでしまう恐れもある。歴史を再現するとは、過去の模倣ではない。威容をもって、未来への“形”を示すことだ。私は、神苑にもその“重み”が求められると考える」

それは、単なる意見の違いではない。“歴史”とは何か、“象徴”とはどうあるべきか。根本的な思想の違いが、ここに露わとなった。

しかし、野々村はすぐには言葉を返さなかった。深く呼吸を整えたのち、静かに口を開いた。

「…片桐さん。おっしゃるとおり、社殿はこの神宮の核であり、荘厳であるべき存在です。しかし―それだけでは、平安の都の“すべて”は語れません。千年前、この地に流れていたのは、威容だけではない。風に揺れる花々の香り、人々が肩を寄せ合う暮らし、自然の息吹とともにある“安らぎ”―それらもまた、京という都の“魂”だったのではありませんか?」

野々村は視線を上げた。そこには、家族を思う父としての、そして都市に命を吹き込もうとする創造者としての、真剣な眼差しがあった。

「神苑は、社殿の引き立て役ではない、人の記憶と感情を結ぶ“橋”であるべきです。岩倉様が欧州で見た“市民に開かれた文化”――その精神こそ、私が目指す庭の根にあります。格式だけで人の心は動きません。安らぎの場こそが、“文化首都・京都”にふさわしい景であると、私は信じています」

その言葉には、片桐の理念とは異なる、もうひとつの“未来”の姿が宿っていた。空気が張り詰める中、橘早苗は息をひそめて二人を見つめていた。彼女には分かっていた。どちらの言葉も、京都を想う真摯な魂から発せられたものだということを。けれどこのままでは、二人の火花がぶつかり合うだけで、調和という“次の風景”には辿りつけない。静かに、彼女は手を挙げた。小さなその動きに、場の全員が思わず目を向ける。だが早苗の視線は、ひとところを見つめて動かない。

「……お二方のお話、大変感銘を受けました。そのうえで、ひとつだけ、お伝えしたいことがございます」緊張を押し殺しながら、早苗は言葉を紡いだ。

「この岡崎の地は、東山を仰ぎ、古来より自然と人の暮らしが寄り添ってきた場所です。その地に建つ神宮が、荘厳なる社殿と、安らぎある神苑を併せ持つこと。その両輪が響き合うことで、この地の“記憶”も“未来”も、ようやく人の心に根付くのではないでしょうか。文化首都とは、人を拒まぬ都市であり、開かれた場所であるべきだと、私は信じております」

その声は、激論に火を注ぐのではなく、冷えた水のようにしずかに注がれた。片桐も、野々村も、目をそらさずに彼女を見つめる。ふたりの間に漂っていた“隔たり”が、ほんのわずかに、ほどけたように思えた。

この「テスト」は、設計の優劣を競うものではない。むしろ、“誰がどんな京都を託そうとしているか”――その魂の在り処こそが、試されているのだと、早苗は感じていた。

その答えが出るのは、まだ少し先のことだろう。けれど、確かな“光”が、会議室の奥深くに芽生え始めていた。



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